入社して10年が経つと、仕事の段取りにはもう困らない。それなのに、ふとした瞬間に胸のあたりがざわつく。同期が先に昇進し、SNSでは同世代が起業して稼ぎ、転職した知人はやけに生き生きして見える。
自分だけが同じ場所で足踏みしている気がするのに、では何をどう変えればいいのかと問われると、答えが出てこない。この宙ぶらりんの不安に、河野英太郎さんの『社会人10年目の壁を乗り越える仕事のコツ』は「キャリア思春期」という名前を与える。
10代の思春期が、体も心も育ったからこそ悩みが増えた時期だったように、10年目の焦りもまた、知識と経験がついて世の中の輪郭が見えてきたからこそ生まれる。
つまり不調ではなく、成長の副作用なのだ。著者はこの見立てを、キャリアで人がぶつかる壁を「スキル」「キャリア」「職場環境」「マネジメント」「時代の変化」の5つに整理しながら展開していく。
以下では、その5つの壁を編集部なりに読み直しつつ、要所に留保も添えて追いかけていきたい。
焦りの正体は「成長したから見えてきた不安」である
まず押さえておきたいのは、本書がハードスキルの教則本ではないという点だ。プログラミングや財務のような具体的な技術を直接鍛えたい人には、正直、向かない。著者が扱うのは技術ではなく、頭の中の配線、つまり出来事の解釈のしかたである。
その姿勢は著者の経歴とも地続きだ。電通、アクセンチュア、IBM、そしてスタートアップのアイデミー。毛色のまったく違う組織を渡り歩いた末に彼がたどり着いた結論は、拍子抜けするほどシンプルだった。
中堅がぶつかる壁の大半は、環境そのものよりも「それをどう解釈するか」で決まる。だからこそ、大がかりな環境変化ではなく、ちょっとした発想の転換と視点の移動で越えられる、と言う。
壁の正体は外側の状況ではなく、自分がどこに視点を置いているかという内側の問題だったというのが、5つの壁すべてに通底する背骨である。
この主張は力強い一方で、解釈だけではどうにもならない待遇や人間関係も現実には存在する。そこは割り切って、自分で動かせる範囲に焦点を絞った本だと理解して読むのがフェアだろう。
成長実感のない停滞期は、階段の「踊り場」にすぎない
10年目で一番こたえるのは、「これといって誇れる実績がない」という感覚かもしれない。ここで著者はまず肩の力を抜かせにくる。たった10年で人に誇れる仕事を持てる人はほんの一握りで、20年にひとつでも立派、一生にひとつあれば十分だ、と。
あの白洲次郎でさえ若い頃は「私はまだ何者でもない」と語っていた、というエピソードが添えられる。
成長を感じないこと自体も、悪い兆候ではない。成長の軌跡は右肩上がりの直線ではなく階段状で、急に伸びた後にはしばらく平らな踊り場が続く。いま感じている停滞は、次の段へ上がるための助走かもしれないというわけだ。
加えて著者は、苦しみの一部が「偶像」への劣等感だと見抜く。新人の頃に見上げた10年目の先輩の完璧なイメージは、自分が勝手に作り上げた幻かもしれない。
存在しない像と比べて落ち込むのは、そもそも土俵が間違っている。
ただし例外がひとつある。仕事に慣れきってストレスも刺激も感じなくなった状態、いわゆるコンフォートゾーンだ。短期的には快適でも、中長期では成長が止まり時代に取り残される。
目安は3年で、同じ仕事を3年続けたら4年目は動くタイミングだと著者は釘を刺す。「他社で通用する力がほしい」と焦る人への処方も意外で、近道はまず今の会社で通用することだという。
「どこに何があるか」を掴む力は、抽象化すれば「内部環境を観察して仕事を進める力」であり、どの組織でも効く、という理屈だ。
本当の評価者は上司ではなく「お客様」だと視点を移す
ここが本書の核心にあたる。「正当に評価されない」という職場環境の壁への答えでもある。私たちはつい、評価者を上司、ライバルを同期だと思い込む。すると上司の顔色をうかがい、同期を横目で気にし、社内政治に消耗していく。
著者はこの前提そのものをひっくり返す。本当の評価者はお客様であり、本当のライバルは競合他社だ。評価者は組織の内側には存在しない、とまで言い切る。
追いかけるべきは同期の昇進ではなく、お客様の成功と、それに応えるためのスキルであり、お金や地位はその結果として後からついてくる。
視点をここへ移すと、社内の嫉妬や忖度が驚くほどどうでもよくなる。同期の年収やMBA取得がSNSで流れてきて心がざわつくときも、雑音に耳を貸さず目の前のやるべきことに集中する。
それが最も効くセルフコントロールだ、と。
この視点移動は本書で一番の武器だが、実務では上司が評価権を握っているのも動かせない事実だ。ここは「上司を無視せよ」ではなく、判断の最終基準を社内政治からお客様へ移すという、優先順位の話として受け取るのが正確だと思う。
愚痴る「イタいミドル」で終わるか、変える側に回るか
職場環境の壁には裏の顔がある。会社の経営方針に疑問を持ち始める、という変化だ。これも著者は成長のしるしと読む。半径5メートルしか見えなかった視野が組織全体まで広がった証拠であり、疑問を持てること自体が視座の上昇を意味する。
問題はその先だ。疑問を口にするだけで行動も解決策も伴わず、愚痴と評論を垂れ流す中堅を、著者は「イタいミドル」と呼ぶ。せっかく視座が上がったのに、批判者の位置で足を止めてしまう人のことだ。
ここで引かれるのが、IBMを再建したルー・ガースナーの見立てで、企業変革において人は「変化を起こす人・巻き込まれる人・見守る人・気づきもしない人」の4種類に分かれるという。
どこに立つかは自分で選べる。批判者で終わるか、変える側の当事者に回るか。その分岐点に、10年目という時期はちょうど立っている。
ビジョンが見えないなら、自分の葬儀を想像してみる
キャリアの壁、すなわち「将来やりたいことがわからない」という悩みへ。意外なことに、著者はキャリアビジョンを絶対視しない。あればいいが、なくても悩む必要はないという立場だ。孔子でさえ15歳で学問を志してから迷い続け、天命を知ったのは50歳。焦る理由はどこにもない。
それでも方向の輪郭がほしい人に、著者は少し変わったワークをすすめる。何十年か後の自分の葬儀を想像し、「誰が」「どんな内容で」弔辞を読んでくれるかを書いてみる、というものだ。
世間にどう記憶されたいかが見えてくると、進むべき方角もぼんやり浮かぶ。転職についても線引きは具体的で、まだ1社目、それも伝統的な企業にいるなら一度は転職活動をしてみる。
最初の転職は年齢が上がるほど難しくなるからだ。逆に2社目、3社目なら、安易に繰り返すより一度留まって工夫を重ねる。
そして行動をためらう人へ、今は「できる」必要はなく「やりたい」気持ちさえあればいい、と背中を押す。人類史上誰もやったことのない挑戦に、最初から自信があるはずもない。
無作為に見えた点が後から線になる、スティーブ・ジョブズの言う「Connecting the dots」だ。弔辞ワークは手法としては素朴だが、正解のない問いに輪郭を与える装置としては、案外よくできていると感じる。
マネジメントとAIは「役割」と「する側」で捉え直す
残る2つの壁は、視点の置き換えという同じ原理で一気に片づく。まずマネジメントの壁、「管理職なんてなりたくない」という拒否感について。著者はマネジメントを人の偉さの序列から切り離し、単なる役割にすぎないと言う。
ついでに「マネージャー」と「リーダー」も別物だと整理する。マネージャーは人事権を持つ組織上のポスト、リーダーは向かう先を示して人を動かしたいと思わせる人。
だから役職がなくても、当事者意識を持って働く限りあなたはすでにリーダーシップを発揮している。良いマネジメントの究極目標は「自分がいなくても回る組織」を作ることで、そのためにメンバーの習熟度に応じて関与を変え、相手や文化に合わせて「情」と「理」のバランスを調整する。
多様性の時代には、個人の価値観の尊重と、組織としてやるべき仕事の遂行とがぶつかる場面も増える。迷ったら、組織の存在意義であるミッションと、守るべき共通の価値観に立ち返る。
それが判断の軸になる、と著者は言う。
最後が時代の変化の壁、AIやDXに仕事を奪われるという不安だ。著者のスタンスは徹底している。目的もないのに手段だけ探して怯えるのは、ただの杞憂。
新技術は恐れも軽視もせず、まず好奇心で触れて概要を掴めばいい。面白いのは、業務を自動化するプロジェクトを動かせるのは、その業務を熟知した現場の人間だ、という指摘である。
普段から「変える側」に立ってさえいれば、AIが来ようがDXが来ようが、変える側で居続けられる。IBM時代にAIワトソンがクイズ王を破る瞬間に立ち会った著者は、当時は社員でさえ半信半疑だった技術が今や日常になったと振り返り、新しいもの好きの近くに身を置くことをすすめる。
本書全体の強みは、まちがいなく著者の実体験に裏打ちされたリアリティにある。異なる文化の組織を渡り歩いた人だからこそ、どの助言にも机上論の軽さがない。
とりわけ、環境を自力で変える力がまだ乏しい20代後半から30代半ばにとっては、心の置きどころを示してくれる実用的な地図になるはずだ。一方で気をつけたいのは、「解釈を変えれば壁は越えられる」という枠組みが、裏を返せば「越えられないのはあなたの視点のせい」という自己責任論へ振れかねない点である。
理不尽な評価制度や消耗的な人間関係まで、すべてを本人の心構えに回収してしまうのは酷だろう。著者もそこまでは言っていないが、読む側は「視点で動かせる部分」と「環境そのものを変えるしかない部分」を、自分で仕分けながら受け取りたい。
こうして5つの壁を並べ直すと、答えはいつも一点に収束していく。環境や他人を責める側から、自分の視点を動かす側へ回ること。今いる踊り場は、次の段への助走かもしれない。まずは目の前の仕事に、もう一度どっぷり浸かってみるところから始めたい。