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『私の財産告白』本多静六|「天丼二杯」を頼んで気づいた、幸福の正体

投資・資産形成 ✍ 本多静六
約9分で読めます

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『私の財産告白』
目次

苦学生だった頃、本多静六は上野の店で一杯の天丼を食べた。

3銭5厘。あまりの美味さに震え、日記にこう書きつけたといいます。「いつか時が来たら、天丼を二杯ずつ食べられるようになりたい」と。

ささやかな願いです。けれど、この一文に本書の核心が凝縮されている。私はそう思って読みました。

後年、本多は本当に億万長者になり、念願の「天丼二杯」を注文します。結果はどうだったか。一杯目ほどの感動はなく、むしろ食べきれずに苦しんだ。

この一皿が、お金と幸福の関係を、これ以上ないほど残酷に、そしてシンプルに教えてくれます。手に入れた瞬間、欲しかったときの輝きは消えている。100年前のエピソードですが、年収やフォロワー数を追いかけて疲れている現代人にこそ刺さる話です。


図解

これは「蓄財術の本」ではない

本多静六は、明治から昭和を生きた東京帝国大学教授で、林学者です。日比谷公園や明治神宮の設計に携わり「公園の父」と呼ばれました。

そんな彼が、東大教授という本業を持ちながら、片手間とは思えない巨万の富を築いた。だから本書は一見、副業で資産を作った成功者の蓄財ハウツーに見えます。

でも、それは入り口にすぎません。

本多にとってお金とは、精神の自由を守るための「手段」でした。金に縛られて心にもない屈従を強いられない。学者としての権威と信念を貫く。そのための経済的な土台を作る、という発想です。

ここが普通のマネー本と決定的に違うところで、本書は稼ぎ、貯め、増やし、そして最後に手放すという、一生分の流れを丸ごと扱います。

多くの蓄財本が「貯める・増やす」で物語を終えるのに対し、本多は「どう手放すか」までを射程に入れている。富を築く話と、富を捨てる話が、同じ一冊の中で矛盾なく同居しているのです。

そして全体を貫くのが、彼が到達した一つの真理。「人生即努力、努力即幸福」。努力の過程そのものが幸福だ、という人生観です。これが貯金法から投資、寄付まで、すべての土台になっています。


古井戸に身を投げかけた青年

哲学の出発点を知ると、本書の重みが変わります。

本多の人生は順風満帆とは程遠いものでした。11歳で父を亡くし、苦学して入った東京山林学校では、最初の試験で落第する。絶望のあまり、古井戸に身を投げようとまで思い詰めたといいます。

そこで踏みとどまった彼は、腹をくくります。「自分のような平凡な人間でも、決死的に勉強すれば道は開ける」と。猛勉強の末に最優等で卒業し、ドイツ留学を経て、弱冠25歳で教授の座をつかみました。

注目したいのは、彼が自分を「平凡人」と規定していることです。本書のどこにも天才の武勇伝はありません。落第して死のうとした人間が、努力の習慣だけで這い上がった。だから語られる方法論も、再現性を意識した地味なものばかりになる。ここに本書が100年読み継がれる理由があると感じます。


貧乏を「征伐」する四分の一天引き貯金法

本書でいちばん有名なのが、この貯金法です。仕組みは拍子抜けするほど単純です。

通常収入は4分の1を天引きする。月給が入った瞬間に強制的に25%を貯金へ回し、残りの4分の3だけで生活する。臨時収入は全額を貯金する。ボーナスや原稿料、さらには出張旅費の余りまで、「最初からなかったもの」として10割を貯金に充てる。

そして貯金から生じた利子も「通常収入」とみなし、その4分の1を除いて再投資する。これが複利のエンジンになります。

シンプルですが、実行は地獄でした。

開始は25歳の助教授時代。月給58円で家族9人を養っていました。月末には現金が底をつき、子供たちが「お母さん、今夜も胡麻塩?」と泣く日もあったそうです。妻は「あと三つ寝ればお魚を買ってあげますよ」となだめた。周囲からは「ケチン坊」と罵られました。

それでも、本多の発想は守りではなかった。

貧乏に強いられて生活を詰めるのではない。こちらから自発的に貧乏を圧する。

貯金を「消極的な守り」ではなく「貧乏という敵を叩き潰す攻め」と捉えた。この一点が彼の核心です。同じ節約でも、強いられてやるのと、自分から仕掛けるのとでは、心理がまるで違う。現代の「先取り貯蓄」の元祖ですが、本多はそこに闘争の主体性を込めていました。

彼がとくに警戒したのは虚栄心でした。実力が「銀」や「銅」しかないのに「金」に見せようとする金メッキ。これこそ貯金を阻む最大の壁だと断じます。

だから、自分の実力以下、いっそ「鉄の生活」から出発する勇気を説いた。見栄を張った生活水準を一段下げる、というのは、給料が上がるたび支出も膨らむ現代の私たちへの強烈な処方箋でもあります。


雪だるまは「芯」さえできれば、あとは転がる

本多は資産形成を雪だるま作りに例えました。

いちばん苦しいのは、最初の中核となる「芯」を作る段階です。利子の助けがまだ効かず、100%自分の忍耐だけで積み上げるしかないからです。

彼は当時「まずは千円貯めよ」と説きました。現代の感覚に置き換えるなら、まず10万円、次に100万円、というスモールステップでしょう。

面白いのは、芯ができると景色が変わるという指摘です。一定の資金が貯まると、人はそれを活かす知恵が不思議と湧いてくる、と本多は言う。余裕があるからこそ、冷静にチャンスを見極める目が育つ。

逆に、芯がないうちは焦りから「手っ取り早く儲けたい」という誘惑に負ける。だからまずは愚直に芯を作れ、というわけです。

順番を守れ、という地味な教えですが、投資詐欺や一発逆転の罠が今もなくならないことを思えば、これほど実用的な忠告もありません。


二割利食い、十割益半分手放し

芯ができたら、いよいよ投資です。本多は「投機」を徹底的に嫌い、買受全額を現金で用意したうえでの「投資」に徹しました。その鉄則が二つあります。

一つ、二割利食い。買い値から2割値上がりしたら、迷わず利益を確定して銀行に戻す。深追いしない。

二つ、十割益半分手放し。株価が2倍になったら、半分を売って元本を完全に回収する。残った半分は取得コストゼロの「タダの株」になる。こうしておけば、どんな暴落が来ても損は出ない。動じない心理的な優位が手に入る、というのです。

景気との付き合い方も徹底して逆張りでした。好景気には浮かれず勤倹貯蓄で「金(現金)」を重んじる。不景気で皆が悲観しているときこそ、思い切って投資して「物(実物)」を重んじる。

この姿勢を象徴するのが山林投資です。ドイツ留学時代、恩師ブレンタノ博士からこう諭されていました。「いかに学者でも、独立生活ができる財産をこしらえなければダメだ。そうしなければ金のために自由を制せられ、心にない屈従を強いられる」と。

この教えを胸に、本多は専門の林学を武器にしました。鉄道も通らない交通不便な秩父の奥山を、1町歩あたりわずか4円前後の言い値で買い込んだのです。

そして、時間と自然の力に任せた。木が育ち、鉄道が通り、木材需要が高まる。数十年後、その立木は1町歩280円、実に70倍の値をつけました。現金ではなく森林という実物資産だったからこそ、戦後のインフレからも資産を守り抜いた。

後にこの広大な山林は、約4,800町歩・当時の評価で約5,000万円相当として埼玉県などへ寄付され、水源林や育英資金の基礎になります。

専門知識を投資対象に重ねる、という発想は、自分の土俵で戦えという現代の投資哲学そのものです。ただし本多は釘を刺します。投資の成功は、本業による継続的な入金力があってこそ成り立つ、と。投資はあくまで本業の延長線上にある、という慎みを最後まで崩しませんでした。


失敗は「生きた学問の月謝」

本多も大きな失敗をしています。

多摩水源林の製炭事業で、部下への前貸金を含め4,837円96銭という巨額の損失を抱えました。彼はこれを、四分の一天引きで蓄えた自己資金から全額自腹で清算します。会計規則違反で部下が処罰されるのを防ぐためでした。

この潔さが、かえって彼の社会的信用を盤石にした。損を引き受けることで信頼を買った、と読めます。

本多はこの損失を「生きた学問の月謝」と呼びます。失敗は社会大学における必須科目だ、と。過ぎ去った失敗や、だまし取られた金に固執して目の前の仕事を疎かにするのは、「盗人に追い銭」以上の愚行だと戒めました。

終わったことは綺麗に忘れ、本業に打ち込む。このレジリエンスが再起を可能にする、というわけです。

お金の貸し借りについても基準は明快です。親戚や友人間の金銭貸借は、金と友人の両方を失う。だから助けたいなら、返済を期待せず「進呈」せよ。そして保証人になること(請け判)は一生の破滅を招くから絶対に避けよ。耳が痛いほど現実的な人生訓です。


幸福は「金額」ではなく「方向」で決まる

ここで天丼の話に戻ります。二杯の天丼が教えてくれたのは、幸福は今の持ち金の多さではない、ということでした。

幸福は、生活が「上り坂」か「下り坂」かという方向で決まる。

どんな大金持ちでも、資産が減る下り坂にいれば不安に苛まれる。逆に、今は貧しくても、努力で生活が上向きなら最高に充実している。総量ではなく、変化の向き。これが本多の幸福論の中心です。

だから彼は「職業の道楽化」を唱えました。仕事を苦行ではなく趣味の域まで高め、全力で打ち込む。その結果として得られる富は、仕事の「粕(かす)」に過ぎないという考えです。

象徴的なのが「阿賀野の九十郎」の逸話です。70を過ぎても朝から晩まで働く九十郎に、孫が「もう隠居しては」と勧めると、こう返したといいます。

働くのは俺の道楽だ。道楽を止めろとは親不孝な奴らだ。金などは道楽の粕に過ぎない。

金は、道楽の粕。すぐには腑に落ちない感覚ですが、読み進めるうちにじわじわ効いてきます。

この哲学は人生計画にも組み込まれていました。本多は25歳で生涯を4段階に設計します。40歳まで勤倹貯蓄で基礎を築く。60歳まで専心究学に励む。

70歳までお礼奉公として社会に尽くす。70歳以降は晴耕雨読を楽しむ。そして満25歳から、1日1頁以上の執筆を生涯続け、著書は最終的に370冊を超えました。

本業を究めながら学び続ける「働学併進」が、彼の終生のモットーでした。


全財産を捨てた億万長者

この本でいちばん衝撃なのは、ラストです。

本多は定年を機に、必要最小限を除いた全財産を、匿名で教育機関や公共事業に寄付しました。子供たちには財産を1円も残さなかった。

「児孫のために美田を買わず」。西郷南洲(隆盛)の言葉を引きながら、彼は理由をこう説きます。財産を残すことは、子供から「人生を上り坂にする喜び」を奪うことになる、と。

ここで「幸福は方向で決まる」が効いてきます。最初から金持ちの子供には、もう上り坂がない。努力する動機がない。だから不幸になる。だから子供に与えるべきは、健康と教育、そして「努力の習慣」だけだと考えたのです。

なお本多は、成功者には納税とは別に、自発的に払うべき「社会的財産税」があるとも説きました。寄付や奉仕、人情という形の税です。彼は理性一辺倒で寄付を断り凶刃に倒れた安田善次郎と、情をまとわせて社会奉仕に努め天寿を全うした渋沢栄一を対比し、社会への奉仕は嫉妬から身を守る最強の盾でもある、と分析しています。

寄付を疑われ辞職勧告まで受けた際には、任官以来1円単位で記録してきた家計簿を公開して応戦した。感情的な憶測を、徹底した事実の開示で無力化したのです。

全財産を手放し、再び簡素な「働学併進」の生活に戻った本多は、85歳を超えてもなお、毎日を瑞々しい幸福感の中で過ごしたといいます。


おわりに

正直、読む前は「四分の一天引き」のノウハウ本だと思っていました。全然違った。

本多が一生をかけて示したのは、お金との距離感です。馬鹿にしない。でも崇めない。正直に稼ぎ、攻めとして貯め、時間を味方に増やし、最後は手放す。その全体があってはじめて、お金は精神の自由を守る道具になる。

具体的な一歩に落とすなら、まずは収入の4分の1を、給料日に別口座へ「存在しないもの」として隔離すること。臨時収入は一銭も使わず全額を貯金に回すこと。そして本業を「道楽」と思えるところまで打ち込むこと。順番は、稼いでから貯める、ではなく、稼ぎながら攻めて貯める、です。

「人生即努力、努力即幸福」。彼の一生は、この8文字に集約されます。

では、あなたは今日、自分の未来という雪だるまのために、どんな小さな芯を作りますか。


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