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『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史|倍速視聴は「せっかち」ではない

思考法・問題解決 ✍ 稲田豊史
約7分で読めます

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『映画を早送りで観る人たち』
目次

映画を1.5倍速で再生する。会話のないシーンは10秒飛ばす。観る前に犯人や結末を検索して、安心してから本編に入る。こうした振る舞いを「せっかち」「作品への冒涜」と切り捨てるのは、たしかに簡単だ。

だが稲田豊史さんの『映画を早送りで観る人たち』は、その断罪の一歩手前で踏みとどまる。本書が示すのは、倍速視聴が個人のモラルの問題ではなく、現代社会の構造が生んだ合理的な「生存戦略」だという見立てである。

読み手が倍速派であれ等速派であれ、自分の視聴習慣を裏側から照らし直される一冊だ。

倍速視聴は個人の怠慢ではなく「時代の必然」だった

出発点は、配信サービスの倍速再生機能や、映画を10分に縮めて解説する違法「ファスト映画」の流行である。ところが本書の射程はそこにとどまらない。

Z世代の心理、失われた30年と呼ばれる経済停滞、SNSの設計思想、ライトノベルやアニメの脚本の変質、マーケティング理論までを、稲田さんは一本の線でつないでいく。

軽く見えるテーマから立体的な社会論を立ち上げる手つきが、本書の最大の魅力だ。

著者の結論自体はシンプルにまとめられる。倍速視聴とは、①映像作品の供給過多、②タイパを求める若者の生存戦略、③何もかもをセリフで説明する作品の増加、という三つの力が交差した地点に生まれた必然だ、というものである。

個人の性格の問題に見えていた現象が、実は社会の側の設計から逆算して説明できてしまう——ここに本書の居心地の悪い説得力がある。ただし「必然」という言葉は諸刃で、すべてを構造のせいにすると個人の選択の余地まで溶けてしまう。

その危うさは頭の隅に置いておきたい。

「鑑賞」と「消費」を無自覚に切り替える若者たち

議論の土台は、「鑑賞」と「消費」という二つのモードの区別にある。鑑賞とは、作品に触れ味わうこと自体が目的になっている状態。没頭そのものが報酬になる体験を指す。対して消費は、話題についていくため、知識でマウントを取るため、効率よく筋を頭に入れるための情報摂取だ。

興味深いのは、若い世代がこの二つを無自覚に使い分けている点である。心を動かしたい作品は等速で丁寧に、話題合わせのための作品は1.5倍速で流す。

同じ人物のなかで「味わうモード」と「情報収集モード」がシーンごとに切り替わる。ここで効いてくるのが「タイパ」、時間対効果という物差しだ。2時間を1時間に圧縮できれば得だ、という発想である。

稲田さんの鋭さは、「コンテンツ」という呼称そのものを疑うところにある。作品を「コンテンツ」と呼んだ瞬間、そこにはデータ量や再生時間に換算しようとする意志が忍び込んでいる、と。

呼び方が私たちを消費モードへ静かに誘導しているという指摘は、本書のなかでもとりわけ示唆に富む。言葉の選び方が態度を作るという視点は、映像に限らず日々の情報接触にそのまま応用が利く。

友達のおすすめが「こなすべきタスク」に変わるとき

なぜここまで急いで消費するのか。本書で最も刺さるのは、その犯人をSNSに見る第3章だ。稲田さんはこれを「友達の広告化」と名づける。信頼できる友人のおすすめは、膨大な作品群から当たりを選び出す優秀なフィルターになる。

精度は高い。問題は、その推薦があまりに大量に押し寄せることだ。「この曲いい」「このドラマ面白い」が毎日流れ込むと、観るべき作品はいつしか、こなさなければならないToDoに変わる。

ある女子大生は、話題についていけないとその場ですることがなくなる、と語る。取り残される不安が、倍速のアクセルを踏ませているのだ。

早送りは怠惰の産物ではなく、過剰につながった環境を生き延びるための防衛本能だ、という反転こそが本書の核心である。あるZ世代のマーケターは、コミュニティで息をしやすくするため、追いつけている自分に安心するために早送りをすると証言する。わがままでも手抜きでもなく、これは生存戦略なのだ、と。

この不安は、失敗への過剰な恐怖とも地続きだ。先の読めない展開や想定外の感情の揺れを、この世代はストレスと捉えやすい。だから結末を先に知り、安心してから過程を答え合わせのように追う。

彼らにとってネタバレは、時間を無駄にしないためのリスクヘッジなのである。背景には金銭的余裕のなさもある。大学生の生活費(仕送りから家賃を引いた額)は2020年度に月1万8,200円まで落ち、過去最低を記録した。

親世代が学生だった1990年の7万3,800円と比べれば、30年で4分の1以下だ。時間もカネもない世代が失敗の回避に必死になるのは、無理からぬことだと思える。

そこへ「個性的であれ」という教育の圧力が重なると、履歴書やプロフィール欄を飾る「手っ取り早い個性」として、コスパよく「推し」を仕入れる動機まで生まれてくる。

「快適」だけを求め、批評が疎まれる時代

第4章で稲田さんが名づけるのが「快適主義」だ。エンタメに求めるのは心が豊かになることではなく、ストレス解消と快適さだけ。一瞬の不快も想定外も嫌い、望みどおりのハッピーエンドが約束された安心だけを欲しがる態度である。

わかりやすい例が、主人公が最初から最強で一度もどん底に沈まない、なろう系・異世界転生ものの無双展開だ。本書が紹介する編集現場の証言が生々しい。

ある作品で中盤に主人公がクラス全員から無視される展開を描いたところ、「つらくて読むのをやめる」という星1つのレビューが相次ぎ、営業から星1がつく作品はもう作らないでほしいと釘を刺されたという。

以後は最初から最後まで強い主人公ばかりが優先されるようになった。

共感できるかどうかだけで作品を測る習慣は、共感できない価値観と向き合う筋力を痩せさせ、批評そのものをノイズに変えてしまう。象徴的なのが、TikTokで小説を短尺紹介したけんごさんと、ベテラン書評家・豊﨑由美さんの論争だ。けんごさんの動画は32年前の小説を11万部超も重版させた一方、豊﨑さんはその紹介の質を疑問視した。ところが炎上したのは批評の側だった。多面的に語る評論より、明るく推しを絶賛する短い動画が支持される——その空気を、稲田さんは冷静に描き出す。褒めることが優しさで、疑うことが意地悪だとされる転倒を、私たちはどこかで見過ごしてこなかっただろうか。

説明過多の作品と「無関心なお客様」の経済

視聴者だけでなく、作品の作りも変わった。行間や「間」、表情や小道具で語る映像を読む力が下がり、何もかもをセリフで説明する作りが好まれるようになったと稲田さんは言う。

『鬼滅の刃』第1話で、主人公が雪の中を走りながら「息が苦しい、凍てついた空気で肺が痛い」と独白する場面が例に挙がる。目で見れば分かることを、あえて言葉にする。

映画には見て分かることをセリフにしない「シレード」という技法があるが、それが崩れつつあるという診断だ。庵野秀明さんの、ある程度は説明を出さないとうまくいかない時代になったという嘆きも引かれる。

もっとも本書は絶望では終わらない。脚本家・佐藤大さんの「オープンワールド化する脚本」——ライト層が楽しめる分かりやすい表層と、コア層が掘り下げられる深いテーマを多層で両立させる設計——を、誰も排除しない処方箋として示している。

第5章では、話がビジネスの構造まで広がる。鍵語は「リキッド消費」。所有ではなく一時的なアクセス、短命、脱物質を特徴とする流動的な消費の形だ。

サブスクで映画を借りっぱなしにするのも、TikTokを数秒ごとにスワイプするのも、その現れである。ここから生まれるのが「無関心なお客様」——特定の作り手にこだわらず、誰かのお墨付きを得た「勝ち馬」にだけ一時的に乗る消費者だ。

ビジネスの側も彼らを優遇する。Amazonプライム・ビデオでは新作が見放題で、映画ファンしか観ない旧作にむしろ追加料金がかかる。旧作を安く貸したレンタルビデオ店とは真逆の設計だ。

話題作にしか反応しないライト層を新規会員に取り込むほうが、コアファンを大切にするより儲かるからである。購入前に情報収集をしない無関心な消費者の割合は日本が67%で世界一だという調査も紹介され、無関心はもはや日本の消費の標準になりつつある。

作り手が観客の無関心に最適化していくほど、作品は説明的で角のないものへと均されていく。無関心が需要を生み、その需要が供給を平板にし、平板になった供給がさらに倍速を許す——この静かな循環こそ、本書を読むと立ち上がってくる不吉な構図だ。

著者自身の告白が示す、引き裂かれた結論

本書を誠実にしているのは、稲田さん自身の告白だ。かつてDVD業界誌の編集部で大量のサンプルをさばくため、著者は会話のないシーンや風景を飛ばす倍速視聴を8年以上続けていた。

後年、同じ作品を等速で観直したとき、彼は愕然とする。筋は把握していたのに、人物の心の変化も演出のリズムも、作品本来の滋味を半分も受け取れていなかった——制作者への冒涜だった、と深く悔いるのだ。

だから本書には倍速への強い違和感が通奏低音として流れている。ところが終盤、稲田さんはあえて相対主義的な着地を選ぶ。技術の進化から見れば、倍速視聴もいずれ古典的な鑑賞法と同じように受け入れられるだろう、と。

倫理的な違和感と、歴史的必然の追認。その二つに引き裂かれたまま筆を置くところに、本書の正直さと、同時に物足りなさの両方がにじむ。結論を一つに束ねない不決着を、誠実と取るか腰砕けと取るかは、読者に委ねられている。

評者として付け加えるなら、この本の価値は「正しい観方」を示す点にはない。むしろ、自分が今どのモードで何を観ているのかを一度立ち止まって自覚させる、その鏡としての機能にこそある。

倍速を責めるのでも礼賛するのでもなく、選んでいる自覚を取り戻すこと。そこから先の観方は、読み終えた一人ひとりが決めればいい。


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