同じ国で同じように働いていても、1時間あたりに稼げる額には100倍もの開きがある。アルバイトの時給800円から、外資系コンサルタントの8万円まで。
医師や弁護士でも1万〜3万円、平社員から取締役までの幅で2000〜5000円といったところだ。藤原和博さんはこの差を、努力の量でも働いた時間の長さでもなく、たった一つの要素で説明する。
その人が「どれだけ替えのきかない存在か」、すなわち希少性である。
本書は、突出した才能を持たない普通の会社員が、この希少性を才能任せではなく計画的に、いわば設計図を引くように手に入れるための一冊だ。リクルートでフェローを務め、その後に都内の中学校で民間人初の校長になった著者が、自らの実験結果をそのまま方法論へ落とし込んでいる。
編集部として面白いと感じたのは、精神論がほとんど出てこないことだ。語られるのは確率と時間配分という、身も蓋もないほど即物的な話に終始する。
なぜ「希少性」だけが値段を決めるのか
藤原さんはまず、時代の地殻変動を確認する。日本の成長社会は山一証券が破綻した1997年で終わり、翌年からは全員が同じ豊かさを目指す時代ではなくなった。著者はこれを「成熟社会」と呼ぶ。
その帰結が二極化だ。かつて年収400万〜800万円で分厚かった中間層は、200万〜400万円の新しい中間層と、800万円以上の層へと割れていく。
ITや機械、そして安価で優秀な海外人材が、平均的な処理能力の仕事を次々に置き換えていくからである。平均的に器用なだけの人は、意地悪でも危機を煽るためでもなく、ただ静かに置き換えられていく——これが本書全体の出発点になっている。
ここで編集部として一つ補助線を引いておきたい。希少性が値段を決めるというのは、裏を返せば「みんながやりたがること」「誰でもできること」ほど買い叩かれる、という冷たい市場原理でもある。
本書の明るさは、その原理を嘆くのではなく、逆手に取る道具として使い切るところにある。値段が需給で決まるなら、供給の少ない場所へ自分を移せばいい。
それだけの話だ、と藤原さんは言い切る。
「100人に1人」を3回掛ける
本書の背骨は、たった一つの掛け算にある。
1つの分野で「100万人に1人」に届くのは、五輪メダリスト級だ。夏季五輪3大会の日本人メダリストは合計85人ほどで、生産年齢人口で割ると確率はおよそ100万人に1人、ノーベル賞なら1000万人に1人になる。
体操の内村航平さんが3歳から1万時間以上を積んで届いた高みであり、正面から狙うのは分の悪い賭けだ。
そこで藤原さんは狙いを下げる。「100人に1人」でいい、と。この水準なら才能は要らず、1つの分野に約1万時間を注げばたいてい誰でも届く。マルコム・グラッドウェルが『天才!』で示した「1万時間の法則」と同じ発想だ。
勝負はその先にある。20代で1つ、30代でもう1つ、40代でさらにもう1つ。異なる3分野でそれぞれ100人に1人になれば、100分の1を3回掛けて100万人に1人、掛け算だけで五輪メダリストと同じ希少性に届く。
著者が挙げる「お笑い美容師」がわかりやすい。お笑いで100人に1人、美容師で100人に1人。単体では平凡でも、掛け合わせれば町に1人の存在になり、確実に客がつく。
この戦略の要は、足し算ではなく掛け算だという点にある、と編集部は読んだ。1つの山を高く登ろうとすると、上には上がいて心が折れる。だが低い山を3つ登り、その交点に立つなら、競争相手は一気にいなくなる。
天才を目指すのがいちばん損な戦い方だ、というタイトルの含意はここにある。ただし掛け算が成立するには、3つの分野が互いに遠いほどいい。似た分野を重ねても希少性はさほど跳ねない、という但し書きは著者の説明にやや薄く、実践者は自分で意識しておきたいところだ。
1万時間を生む「時間の主権」
掛け算の材料は1万時間だ。毎日8時間なら3年半、平日3時間なら16年半かかる。この時間をどこから捻出するか。藤原さんが最初に置く条件は、拍子抜けするほど地味である。
1つ、パチンコをしない。2つ、電車で日常的にスマホゲームをしない。3つ、本を月1冊以上読む。この3つは、時間術というより「自分の時間を主体的にマネジメントする発想があるか」を測るリトマス試験紙だ。
パチンコやゲームは暇つぶしに見えて、実は他人が設計した仕組みに時間を吸い取られている状態にすぎない。時間は万人に平等で、失えば二度と戻らない唯一の資源である。
そこを奪われている人は、新しい価値を生む側には回れない。
面白いのは、これを希少性の言葉で語り直すところだ。3条件をクリアするだけで「8分の1」のレアな人になり、条件を1つ足すごとに希少性は倍になる。
7つ重ねれば128分の1、すなわち100人に1人を超える。禁欲の話をしているようでいて、実は最初の100分の1はこんな小さな習慣の積み重ねで作れる、という励ましになっているわけだ。
刊行から時間は経ったが、スマホが可処分時間をめぐる最大の競合になった今、この一節はむしろ当時より鋭く刺さる。何を断つかを決めることが、そのまま何になるかを決めている。
「情報処理力」から「情報編集力」へ
空いた時間で何を鍛えるか。ここで本書のもう一つの軸が立ち上がる。
早く正確に一つの正解を出す力を、藤原さんは「情報処理力」と呼ぶ。学校の成績で測られてきた力だが、これはITとロボットが最も得意とする領域で、これからは代替されていく。
代わりに価値を持つのが「情報編集力」だ。正解のない問題に対し、バラバラの知識や多様な価値観をつなぎ合わせ、関係者が納得できる答えを作る力——著者はこれを「正解」ではなく「納得解」と呼ぶ。
象徴的なのが「800分の700問題」だ。避難所にロールケーキが700個届いたが、800人いるため責任者は「足りない、不公平だ」と受け取りを拒む。
正解主義の頭はここで止まる。だが頭を柔らかくすれば、半分に切って1400個にすることも、ジャンケン大会で配ることもできる。本を読むとは、著者が生涯かけて得た視点を数時間で借りる行為であり、この編集力の土台になる、と藤原さんは言う。
この力は対人の場面でも効く。営業の基本は相手との共通点をどれだけ見つけられるか。交渉力とはむしろ聞く力であり、1時間なら最初の55分は相手の話を聞き、最後の5分でさっと提案する。
プレゼンも、自分の思いを一方的にぶつけるのではなく、相手の頭の中にすでにある要素を組み合わせて映し出す作業だと定義される。要するに、正解を持ち込むのではなく、相手の中にある材料で答えを一緒に組み立てる。
情報編集力とは終始この「組み立てる」姿勢のことだと理解すると、本書の各論はきれいに一本の線でつながる。
自分はどこで戦うのか、4つの生き方
ここまでは全員共通の土台だ。その先、どこで希少性を発揮するかは人によって違う。藤原さんは「経済的価値を重視するか否か」と「組織で上を目指すか個人のプロを目指すか」の2軸で、生き方を4つに分ける。
Aの社長タイプは、組織のピラミッドを登り大きな報酬を狙う。カギは「作業」を「仕事」に変えること。与えられてこなすのが作業、全体を俯瞰して自分から動くのが仕事だ。
新入社員でも「自分が社長ならどう決めるか」で考える。その訓練として著者が勧めるのが、身銭を切って自社株を買うことだ。リクルートに倒産説が流れた時期に100万円を借りて株を買った藤原さんは、その後の成長で資産を100倍以上に増やしたという。
当事者意識は精神論では育たず、自分の金が乗って初めて本物になる、という主張である。ただし上に行くほど上司が最大のリスクになるため、現場の支持と自分が直接握った顧客を持ち、すげ替え不可能な人材になることが最大の保険になる。
ちなみに最も成長できるのは分業の進んだ1万人規模の大企業ではなく、社員100〜1000人ほどの伸び盛りの会社だ、という指摘も現実的で頷ける。
Bの自営業タイプは、どこでも通用する技を磨いて独立する。時間を捻出するため「何をやらないか」を徹底し、管理職の時間の6〜7割を奪う接待・査定・会議を3割まで削る。
磨いた技は名刺やホームページ、自費出版で世に漂流させ、指名される存在を目指す。著者自身、自費出版した1冊が巡り巡って商業出版につながり、講演や執筆の道が開けたという。
Cの公務員タイプは組織で基盤を安定させつつ社外に生きがいを置き、他人に代われない実務や皆が嫌がる調整役を引き受けて居場所を作りながら、無報酬でも人の役に立つことで「クレジット(信任)」を蓄える。
Dの研究者タイプは、たとえ収入が細くても好きを極める人だ。放っておくと生活が破綻するので、好きを職業化してネットで発信し、生活コストを半分にし、家を買わず固定費を極限まで下げる、と生存戦略を三重にかける。
青い花や特定の百合だけを扱い低コストで開業する花屋のように、自分で職業名を作ってしまえばそこに競合はいない。
そして全体を貫くのが「連山主義」だ。一つの山に登り続けなくていい。組織に籍を置いて個人の腕を磨く「社内自営業者」でいて、人生の後半で別の山へ移る。AからDは固定席ではなく、時期によって乗り換えていい登山ルートだ、というわけである。
本書の心臓は、希少性は才能ではなく設計でつくれる、という一点に尽きる。100万人に1人を一発で狙うのではなく、100人に1人を3回積み上げる。
時間の主権を取り戻し、正解ではなく納得解を出せるようになり、そのうえで自分がどこで戦うかを決める。飛び抜けた才能がなくても一流のプロになれると著者が言い切れるのは、彼自身がこの掛け算で道を切り開いてきたからだ。
あなたの1つ目の100分の1は、すでに手の中にあるのかもしれない。