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『一勝九敗』柳井正|勝率一割でも潰れない会社の作り方

戦略・経営・事業 ✍ 柳井正
約7分で読めます

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『一勝九敗』
目次

十回に九回は外れる。プロ野球なら三割打てれば一流と言われますが、柳井正さんが自分の経営に付けた成績はそれよりずっと低い一割です。

山口県の小さな紳士服店を、世界規模の製造小売企業に押し上げた柳井さんは、その一冊にそのものずばりの書名を付けました。『一勝九敗』。謙遜でも自虐でもありません。十回挑戦すれば九回は失敗する、それが経営という仕事の実力だという宣言です。

普通に考えれば、これは相当まずい数字です。九割外れて、なぜ会社は潰れず、むしろ世界的な企業にまで大きくなれたのか。しかも本書に並ぶのは、フリースブームのような成功譚だけではありません。

21店舗まで広げた英国事業を数店舗まで縮小させた過去、生鮮野菜の販売事業を短期間で撤退させた過去。うまくいかなかった話のほうが、ページ数としては明らかに多いのです。

本書が新潮文庫で600ページを超える紙幅を使って答えているのは、この一点だと言ってもいいでしょう。読み終えて残るのは、勇気を出せという精神論ではありません。むしろ逆です。九敗を許容できるかどうかは、度胸ではなく設計で決まる。本書はそう言い切ります。

図解

「九敗」を人格の問題ではなく設計の問題にする

失敗を語る本の多くは、失敗をどう受け止めるかという心の持ちようの話に落ち着きます。前向きに捉えろ、失敗を恐れるな。聞こえはいいものの、明日から何をすればいいのかは分からないままです。本書はここで踏みとどまらず、もう一段先まで踏み込みます。

柳井さんが繰り返すのは、報告書やセミナーで仕入れた知識と、自分が実際にやって痛い目に遭って覚えたことはまったく別物だという区別です。本書はこれを「皮膚感覚の学習効果」と呼びます。

頭で理解した知識は、いざという場面で使えないことが多いのに対し、身体で覚えた失敗の記憶は、次の判断に直接効いてきます。

だとすれば、失敗を避けることは、この学習効果を得るチャンスそのものを手放すことになります。九敗は不運の結果ではなく、次の一勝のための原材料だという捉え方に変わります。

もっとも、これは「たくさん失敗すれば自動的に学べる」という話ではありません。本書が本当に語っているのは、九敗から学びを取り出す仕組みと、致命傷にしない仕組みの両方であって、そこを読み飛ばすと単なる根性論に戻ってしまいます。以降の章は、その仕組みの中身です。

「早く失敗して早く学べ」という掛け声は、シリコンバレー発のスタートアップ論などでもよく聞きます。本書がそれらと一線を画すのは、失敗を許す代わりに何を絶対条件として求めるかを、抽象的な精神ではなく一つの数字にまで絞り込んでいる点です。その数字については、次の章で扱います。

会社は「潰れない」を前提にしない

本書がまず壊すのは、日本の会社員が長らく信じてきた前提です。会社は簡単には潰れないし、真面目に勤めていれば定年まで面倒を見てもらえる。柳井さんはこの前提そのものを否定します。

会社という存在は本来きわめて不安定で、環境の変化に適応できなければあっさり消える。柳井さんはそう位置づけ、会社を「いつまで続くか分からない、期限のあるプロジェクト」として扱うべきだと説きます。

これは冷たい話にも聞こえます。会社が期限付きなら、そこに乗っているあなたのキャリアも無条件では守られません。会社が守ってくれるという期待は、もう成立しないという含みがそこにはあります。

でも、この前提の転換には裏があります。会社が永遠に続く前提に立てば、失敗しない選択がいつも正解になり、動かないことが一番安全になります。逆に、いつ終わってもおかしくないと認めた瞬間、動かないことのほうが危険な選択に変わります。

守るべき現状を、そもそも守り切れるものだと信じていないからです。

「挑戦しろ」という号令ではなく、前提を変えることで挑戦のほうが合理的になる。この順番で語られると、説得力がまるで違って感じられます。精神論から入る本より、こちらのほうが結果として行動を促す力は強いのではないかと思います。

九敗のうち、避けてはいけない失敗はひとつだけ

では、九回も外して会社が壊れないのはなぜか。答えは失敗の大きさをあらかじめ設計しているからです。

本書がただひとつ「取り返しのつかない失敗」と名指しするのが、資金が尽きることです。再起不能になる失敗はこれだけで、それ以外はすべてやり直しがきく。この一線さえ越えなければ、何回転んでも会社は次の挑戦に進めます。

逆に言えば、評価が下がる、恥をかく、上司に叱られるといった痛みは、本書の基準では致命傷にすら入らないわけです。

だから柳井さんは、失敗を軽く、速く終わらせることにこだわります。まず現状分析だけで満足せず、答えが出たらただちに動く「即断即決、即実行」。早く外れたほうが、早く次の手を打てるからです。分析を省いていいという意味ではなく、分析で歩みを止めるなという話だと理解したほうが安全です。

そしてうまくいっていないと分かった時点で、体裁を取り繕わずに失敗だと認め、取り返しがつかなくなる前に撤退する。ここで見栄を張ってずるずる続けることこそが、一回の失敗を致命傷に育てる主な原因だと本書は見ています。

撤退の基準を先に決めておかないと、判断のたびに情ばかりが先に立つ、という指摘は身に覚えのある人が多いはずです。

失敗を終えたあとの扱いも徹底しています。「なんとなくうまくいかなかった」で片づけることを許さず、具体的な事実と数字で因果関係が見えるところまで分析する。

ここまでやって初めて、九敗は次の一勝の材料に変わります。ただしこの割り切りは、資金繰りに一定の余力がある企業だからこそ選べる面もあります。手元資金がぎりぎりの状態では、一敗の許容範囲そのものが小さくなることは、頭に置いておいたほうがいいでしょう。

柳井さん自身、2002年に生鮮野菜の生産・販売事業へ乗り出し、わずか1年半ほどで撤退したことを公に認めています。ここで注目すべきは撤退したという事実そのものより、傷が浅いうちに手を引いた判断の速さです。

事業を始める判断と同じくらい、やめる判断にも同じ基準を適用する。この対称性がないと、致命傷を避ける仕組みは看板だけのものになります。

中間業者を切り捨てて、情報とリスクを丸ごと引き受ける

柳井さんの経営を語るうえで外せないのが、SPAと呼ばれる事業のかたちです。企画から生産、物流、販売までを、問屋や商社を挟まず自社だけで一気通貫に担う仕組みを指します。

中間業者を通さない分、浮いたコストを価格と品質に還元できます。ただし見返りとして、作った分を誰にも肩代わりしてもらえない完全買い取りという重いリスクを、100%自分たちで背負う形になります。売れると信じて作った商品が外れれば、その在庫はそのまま自社の損失として残るわけです。

もう一つの見返りは情報です。店頭でどの商品が動き、どの商品が動かないかという生の反応が、間に誰も挟まず即座に企画側へ返っていきます。市場に一番近い場所にいる人間が、そのまま次の商品を決める立場にいる構造です。

この情報の流れを制度として仕上げたのが、1998年に始まった社内改革ABCでした。狙いは、業務の重心を丸ごと入れ替えることです。作った商品をどうさばくかに力を使うのをやめ、当たりそうな商品をどれだけ早く見抜いて作るかに全力を振り向ける。

余った在庫の処分に頭を使うのと、次に売れる一手を探すことに頭を使うのとでは、同じ「販売の仕事」でも中身が正反対になります。SPAで情報が返ってくる仕組みを作った以上、その情報を実際に使う側へ仕事の重心を移す。

ABC改革は、事業モデルに組織の動き方を合わせ直した結果でした。

店舗を主役にすると、挑戦の回数が増える

多くのチェーン店では、本部が考え、店舗はその指示どおりに動きます。本書はこの役割を逆転させ、主役を店舗に置き、本部をサポート役に回します。

柳井さんは店長を、指示待ちの管理者ではなく、自分の店と商圏を見て判断する独立した経営者、いわば知識労働者として位置づけます。マニュアルへの盲従を求めない代わりに、現場の良識を信じる姿勢です。

きれいごとに見えるかもしれませんが、これは前の章までの話と地続きです。九敗できる会社になるには挑戦の回数が要り、挑戦の回数は判断できる人間の頭数で決まります。

本部の頭脳がひとつしかない会社は、一年にひとつしか試せません。判断できる店長が百人いれば、百通りの挑戦が同時並行で走ります

現場に任せるのは優しさの問題ではなく、単純な打席数の問題だった。そう捉え直すと、権限委譲を渋る理由がひとつ減ります。もちろん、判断を任せる以上はばらつきも増えます。

ブランドとしての一貫性をどこまで許容するかは、本書が明快な答えを出しているわけではなく、各社が自分で線を引くしかない部分です。

「去年通り」が一番危ない選択になる

本書がもっとも自滅的だと切り捨てる行動が二つあります。前年のやり方をそのまま踏襲すること。そしてもうひとつは、同業他社がやっているからと横並びを選ぶことです。

どちらも社内では通りやすい判断です。前年踏襲は誰にも文句を言われにくく、業界標準に合わせておけば説明の手間も省けます。この通りやすさこそが罠だ、と本書は指摘します。安全に見える選択ほど、実は会社を同質化させ、存在意義を静かに溶かしていきます。

柳井さんが挙げる会社の存在理由は、他社と本質的にどう違うかという一点しかありません。SPAで価格と品質を作り、ABCで市場の反応をいち早く商品に反映する仕組みは、この差別化を裏付ける具体例として本書の中で機能しています。

差別化と言うと目新しいアイデアの話に聞こえがちですが、本書が示しているのはむしろ、事業モデル全体を通して一貫させる地味な作業のほうです。

安全策のつもりで選んだ前例踏襲が、実は一番危ない道になっている。この逆転を一度知ってしまうと、企画書の数字を去年から入れ替えるだけの仕事には戻りづらくなります。

打率一割は、経営の実力の低さを認めた数字ではありません。一回あたりの失敗を致命傷にしないための設計があって初めて成り立つ、計算ずくの数字です。

今抱えている挑戦について、それが失敗したときに資金が尽きて再起不能になるかどうかを、一度だけ紙に書いて確かめてみてください。答えがノーなら、明日動き出せます。


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