財布の中の1万円札。あれを1枚つくる原価は、たった20円ほどです。
1円玉はもっと極端で、材料のアルミの相場は1グラム0.2〜0.4円。額面より安い金属でできています。
それでも私たちは、20円の紙切れで1万円分の食事や買い物と交換できる。この不思議を、当たり前の顔で通り過ぎずに分解してみせる一冊があります。
それが、ムギタローさん著『東大生が日本を100人の島に例えたら面白いほど経済がわかった!』です。経済学者の井上智洋さんと望月慎さんが監修を務め、舞台は動物100人が暮らす、たった一つの島に絞り込まれています。

こんな人におすすめ
ニュースで「国の借金が1000兆円」と聞くたびに、なんとなく不安になる人にまず読んでほしい一冊です。
- 「国の借金」という言葉を聞くたびに漠然と不安になるが、何が危ないのか説明できない人
- 転売のニュースに腹が立つが、怒りの持って行き場がわからない人
- 経済の入門書を買っても、インフレ・デフレの説明あたりで挫折した経験がある人
本書はこうした居心地の悪さの原因を、扱う話のスケールがそもそも大きすぎて、全体像がつかめなくなっているからだと診断します。だから舞台をたった100人の島まで縮め、リーマンショックもハイパーインフレも、その中で最後まで再現しきります。
1万円札の価値は、逮捕する力でできている
本書が土台に置くのは、現代貨幣理論(MMT)やポストケインズ派と呼ばれる経済学の系譜です。信用貨幣論、租税貨幣論、内生的貨幣供給論……。名前だけ聞くと身構えますが、本文に数式は一切登場しません。代わりに舞台に立つのは、シロクマやパンダ、キリンといった動物たちです。
出だしのシーンが秀逸です。島の政府が「エン」という紙幣を刷って住民に配っても、誰も受け取りません。イモ1個の価値もない紙だからです。そこで政府は法律を一つ作ります。税を払わなければ、公務員が逮捕して財産を没収する、と。
とたんに紙は通貨に変わります。お金の価値の出どころは、金の裏付けでも住民同士の信頼でもなく、「払わなければ逮捕される」という国の強制力だった。これが租税貨幣論の骨子です。
ここから、税の役割も反転します。政府はお金が欲しくて税を集めているのではありません。紙に価値を持たせるため、累進課税で格差を縮めるため、望ましくない行動に高い税をかけて誘導するため。財源確保が目的ではないという整理は、財政ニュースの見え方を変えます。
お金にはもう一つの顔もあります。漁師のシロクマが「魚が捕れたら2匹渡す」と書いた借用書を仲間に渡すと、その紙がパンダからヒツジへと渡り歩き、そのまま買い物の支払いに使われてしまう。
シロクマは約束を守るはずだという確信だけで、紙切れが通貨として流通する。これが信用貨幣という、もう一つの成り立ちです。
大金持ちのトラが「宝石と1億エンがあれば国が消えても平気だ」と豪語する寓話も出てきます。実際に革命が起きると、宝石は奪われ、エンはただの紙になり、ボディガードすら雇えません。
「国が消えたから、ルールも消えたよ。」
トラの財産を守っていたのは、トラ自身の力ではなく国だった。所有権とは、人間社会が取り決めて強制しているルールにすぎないという事実を、この一場面が突きつけてきます。
銀行は、金庫の中身を貸しているわけではない
多くの人は、銀行が預金者から集めたお金を金庫から出し、別の誰かに貸し出していると思っています。私も長らくそう誤解していました。
本書が描くシマウマ銀行の金庫には、住民の預金100万エンしかありません。そこへ商売人のキリンが200万エンの融資を申し込みます。シマウマがした作業は、キリンの通帳の残高を201万エンと書き換えることだけ。現金は1円も動いていません。
キリンはその数字を使って別の動物から買い物をし、相手の口座に代金が振り込まれ、相手はまたそのお金で買い物をする。銀行の融資は、誰かの預金を右から左に動かす行為ではなく、帳簿の数字を新しく生み出す行為だった。これが信用創造です。
裏を返せば、世の中に出回るお金の総量は、誰かが「事業を始めたい」「家を買いたい」と借金をした分だけ増えていく仕組みになっています。自分の預金残高が、見知らぬ誰かの借金と表裏一体だという事実は、知っておいて損はありません。
物価が動く順番も、この理屈から説明がつきます。「買いたい」という気持ちが先にあり、商談が成立し、支払いの段階で信用創造によってお金が増える。
紙幣の量が先に増えてインフレが起きるのではなく、取引の意思のほうが先に来る。金利をどれだけ下げても、借りてまで何かをやりたいと思う人がいなければ、お金は借りられないという指摘は、金融政策の限界を静かに言い当てています。
政府に足りないのは、お金ではなく人手だった
貨幣の正体がわかると、財政の議論も違う顔を見せます。自国通貨を発行できる政府には、お金が理由でできないことは存在しない、と本書は言い切ります。日本は約1000兆円の国債を発行していますが、その半分ほどを日本銀行が保有しており、返済を急かされる相手ではありません。
とはいえ、制約が何もないわけではありません。あるのは労働力、土地、技術、資源、時間という「実物的な壁」です。たとえば「1年で医師の数を10倍にする」という目標は、どれだけ紙幣を刷っても実現できません。医師が育つには年月が必要で、これはお金では買えない時間だからです。
ギリシャの財政危機が引き合いに出されるのも、この文脈です。ユーロを導入した結果、ギリシャは自国通貨を刷る権利を手放しました。実質的に外貨で借金しているのと同じ状態に陥ったわけです。100%自国通貨で国債を発行する日本とは、そもそも土俵が違います。
逆に、刷りすぎればどうなるかを見せてくれるのがジンバブエの寓話です。技術と知識を持つ外国人労働者を島から追い出した結果、モノを作る力そのものが激減し、少ない品物を住民同士で奪い合ってイモ1個が天文学的な値段までつり上がりました。
財政の限界は、お金の量ではなく、働ける人と使える資源の量で決まる。刷った量ではなく、作れる量のほうを見ろというわけです。
この一行を握っておくだけで、「財源がない」というニュースの読み方が変わってきます。
本書はここで、もう一つ大事な線を引きます。民間企業が「成果を出せない人は切り捨てよう」と考えるのと、国が同じ理屈で誰かを切り捨てるのとでは、意味がまったく違うという指摘です。
民間は特定の役割しか担っていませんが、国は全住民の生存そのものを引き受けています。この違いを混同すると、政策の議論はすぐに筋を見失います。
お金ではなく資源そのものが強さの正体だ、という寓話も印象的でした。自国通貨も外貨もたっぷり持つのに、働く人がおらず食料の作り方も知らない「金持ち島」が登場し、他の島から貿易を断られた瞬間、持っていた財産は一食の足しにもなりません。
実際に日本の技術者や研究者の給与水準は、アメリカの6割程度にとどまっているという数字も引かれます。実物を生み出す人をどれだけ評価できているかが、島の本当の体力を決めるという主張です。
転売ヤーを責めても、たぶん解決しない
本書のオリジナル用語でもっとも実用的なのが「グリッチマン」です。
イモが1種類しかない島で、ネコが安く買い占めて高値で転売する。住民が怒って「個人の買い占め転売禁止」というルールを作ると、ネコは今度は複数人を雇って同じことを続けます。
法律には触れていません。触れていないのに、誰の役にも立っていない。ルールの隙間(グリッチ)を突いて分配だけをかすめ取る存在を、本書はこう名づけました。
「いくらグリッチマンの人間性を責めても問題は解決しません。」
害は道徳の問題ではなく算数の問題だと本書は続けます。100人のうち10人が転売で暮らすようになれば、実際に食料やモノを作る人は90人に減り、島全体が物理的に貧しくなる。
だから責めるべきは個人の性格ではなく、その行為を許してしまうルールの穴です。同じ構図は、金融危機の再現パートでも繰り返されます。安全とはいえない借金をかき集めて優良商品に見せかけ、世界中に売りさばいた結果として起きたリーマンショックも、著者に言わせれば道徳の欠如ではなく規制の隙間の問題です。
同じ視座は格差の議論にも伸びます。本書は最終章で、SDGsになぞらえた「SESGs(持続可能な経済システム目標)」という設計案を提示します。
お金持ちになっても貧困になっても時間とともに中流へ戻る税制、身勝手な政治家が排除される仕組み、暴走を止められる国家システム、資産の海外逃避を防ぐ国際ルール。
四つの層それぞれに、格差を中流へ引き戻す「バネ」を仕込もうという提案です。
賛成しづらい箇所もあります。金利の効果を過小に見積もっている点や、遺産相続の完全禁止のような極端な案は、富裕層の海外流出をどう防ぐかという詰めが本書では手薄なままです。それでも著者は完成した制度を売り込んでいるのではなく、議論の土俵を提示しに来ている。その姿勢は誠実です。
財布の残高は、人生の得点表ではない
読み終えて残るのは、意外にも人間くさい感覚です。老いて人生を振り返るとき、脳裏に浮かぶのは貯金の残高でも紙幣の束でもないはずだと、本書は最後に静かに書きます。
お金は人間がつくった道具で、その価値の根拠は国のルールの中にしかありません。だとすれば、道具に人生の順番を決めさせる必要もない。予定表に金額ではなく人や体験のための枠を先に入れる、誰かの不遇を自己責任のひとことで片づけない、問題が起きたら犯人ではなく仕組みの穴を探す。
本書が終盤で挙げる小さな習慣は、どれも今日から始められます。
次に「財源はどうするんだ」というニュースを見かけたら、頭の中で問いを一つ入れ替えてみてください。お金は足りるのか、ではなく、働ける人と使える資源は足りるのか。それだけで、見える景色はかなり変わります。
