ある国の運命を動かした対価は、当時のレートで1000万円に届かない金額だった。ボスニア政府が米国のPR会社ルーダー・フィン社に支払った総額は、司法省の記録によればおよそ9万ドルである。
この数字を先に出すのは、本書の読みどころを見誤ってほしくないからだ。『ドキュメント 戦争広告代理店』を書いたのは、ジャーナリストの高木徹さんである。
舞台は1990年代のボスニア紛争、主役はアメリカの一PR会社だ。実弾が飛び交う戦場での出来事ではなく、ワシントンとニューヨークの会議室で進んだ世論工作の過程を、当事者への取材で丹念に再構成している。
戦場で流れた血を「実」の戦争と呼ぶなら、本書が描くのはもう一つの「虚」の戦争だ。著者が突きつけるのは、虚が実の帰趨を決めたという、居心地の悪い事実である。
このPR会社は、一度も嘘をついていない。事実だけを選び、並べ替え、届けるタイミングを調整しただけで、国際社会の敵味方を塗り替えた。その手口の精密さが、本書を歴史の記録以上のものにしている。情報を扱う仕事をする人であれば、業種を問わず刺さる実務書だ。

こんな人におすすめ
同じ提案でも、誰の口から出るかで通り方が変わると感じたことがある人 本書に出てくるPRチームは、説得したい相手にまっすぐ向かわない。議会やメディアという迂回路を先に固め、外側から本丸を包囲する動き方を徹底する。直談判の限界を感じている人には、視点を変えるきっかけになる。
ニュースで強く心を揺さぶられたあと、時間が経ってから冷静になった経験がある人 本書は、その揺さぶりがどう仕込まれたかを、実名と日付つきで検証する。陰謀論めいた告発本ではなく、業務日誌に近い読み味である。
発信する立場にいて、正しいことを言っているのに届かないと感じている人 本書で負ける側のセルビアは、嘘をついたから負けたのではない。ただ黙っていただけだった。この事実は、発信を後回しにしている人の背中を押す。
「民族浄化」という一語が生んだ数字
PR会社ルーダー・フィン社を率いたジム・ハーフにとって、PRの仕事は商品を市場に送り出す作業と同じだった。ハンバーガーチェーンが看板メニューを売り込むように、彼らはメッセージそのものを商品として扱う。
バルカン半島の民族対立は、たどるほど歴史が込み入っていて、外交官にも一般の視聴者にも退屈だった。丁寧な説明は誰にも聞かれない。そこでハーフのチームが採用したのが「ethnic cleansing」、民族浄化という語である。
汚れを洗い流す「cleansing」という単語には、対象を不純物として扱う響きがある。この表記を意図的に選び、統一して使い続けた効果は数字に表れた。
『ニューヨーク・タイムズ』紙のデータベースでは、6月時点でのヒット件数はほぼゼロ。それが7月に23件、8月には55件と急増している。
さらに巧妙なのは、使わなかった語のほうだ。CEOのデビッド・フィンは、前年の別案件でセルビア非難に「ホロコースト」を用い、歴史の悲劇と安易に並べるなという批判を浴びていた。
だから「ナチス」も「ホロコースト」も文書から徹底的に排除し、代わりに「強制収容所」という語を置いた。名指しはしない。それでも読み手の頭には、あの記憶が自動的に立ち上がる。
名指しせずに連想させるほうが、名指しするより強い。この非対称性を実務として使いこなしている点に、本書の凄みがある。
テレビ向きの外相を、あえて黙らせる演出
素材にも恵まれていた。ボスニア外相シライジッチは46歳で30代に見え、英語は流暢、話し方は短く区切られていてテレビ映えした。ハーフはこの資質を、数秒で切り取れる発言をつくれる才能と評している。
弱点は一つだけあった。紛争の歴史的経緯を、生真面目に説明したがる癖だ。アメリカの視聴者は、長い前置きの途中でチャンネルを変える。ハーフはこの弱点を突き、歴史の解説を全面的に禁じ、今サラエボで起きている悲劇だけを語らせる方針に切り替えた。
象徴的なのが、ABCの番組でキャスターに「なぜアメリカが介入すべきなのか」と最も答えにくい質問を向けられた場面である。シライジッチは数秒沈黙したあと、こう言い切った。
「Enough is enough, that’s why.(もうたくさんなんだ。それが理由だ)」
即答せず、あえて詰まってみせる。これも計算のうちだった。当意即妙に切り返せば、頭の回転が良すぎるか、答えを用意していたかのどちらかに見えてしまい、視聴者と同じ生身の人間からは遠ざかる。
プロの政治家ではなく、惨状を目撃した一人の市民として画面に立たせる。これがハーフの設計思想だった。
皮肉な話がもう一つある。著者の高木さんは、この本を書く前はNHKのディレクターとして、まさに禁じられた側の仕事、つまり紛争の経緯を丁寧に解説する仕事をしてきた人だ。
誠実だと信じてきたやり方が、情報戦の現場では真っ先に切り捨てられる。取材者としてその現場に立ち会った経験があるからこそ、本書の観察は評論家の外野論に終わっていない。
ワシントンを動かす三角形の理論
ハーフのチームには、ワシントンの権力構造を説明する理論があった。政権、連邦議会、メディアの三者は互いに影響し合っていて、どれか一つを動かしたいなら、残り二つを先に動かせばいい、という考え方だ。
本命は当時軍事介入に慎重だったブッシュ政権である。直接押しても動かないなら、議会とメディアを先に固め、外側から包囲する。ここで力を発揮したのが「ボスニア・ファクス通信」だった。サラエボから届く最新情報を1枚にまとめ、200以上のメディアと政治家へ同時に送り続ける。
仕組みとして興味深いのは、情報が自己増殖していく設計だ。まず単独インタビューを主要メディアに報じさせる。次に、その「報じられた実績」自体を新しい素材としてファクス通信に載せ、別のメディアへ流す。受け手には、世の中がその話題で持ちきりだと映る。
もう一つ、記者の可処分時間を奪う冷静な計算もあった。先に情報を渡してしまえば、記者はその真偽の確認に時間を取られる。取材時間が有限である以上、その分だけ、相手側の言い分に割ける時間は目減りする。
この構図を決定づけたのが、鉄条網ごしに立つ痩せた男の映像だった。ブッシュ大統領は記者会見で強制収容所の蛮行に触れ、国連の議場でも同じ写真が無言で掲げられた。
のちの調査で、あの鉄条網は囚人を閉じ込めるものではなく、撮影者側の敷地を囲うフェンスだったと判明している。それでも国際世論の帰趨はすでに決していた。
痩せた白人が有刺鉄線越しに佇む一枚の絵が、後から訂正された事実の束よりも国際世論を強く動かした。
沈黙は、なぜ敗北になったのか
攻めの技術より不気味なのが、相手を沈黙させる技術だ。駐ユーゴスラビア米大使ウォーレン・ジマーマンは、後年こう証言している。
「われわれは、ミロシェビッチを”サダマイズ”することにしたのです」
湾岸戦争のサダム・フセインのように、特定の指導者を悪役として固定し、国際社会全体を背かせる。この枠にはめられると、通常であれば働くはずの推定無罪すら機能しなくなる。
セルビア側にも巻き返しの手はあった。ミラン・パニッチ連邦首相は50万ドル超のPR予算を用意し、有力PR企業パウエル・テート社と仮契約を結ぶところまで進んでいた。
だが手付け金の小切手を送った直後に強制収容所の報道が世界を襲い、契約は一方的に破棄される。理由は単純で、セルビアの代理人だと知られること自体が、PR会社の評判を毀損する段階に達していたからだ。
金も意思もあるのに、代理人を雇えない。この一点だけで、情報戦の勝敗はほぼ固まっていたと言っていい。
現地司令官として双方に問題があると証言したカナダ人将軍が、その発言の矛盾点を突かれる抗議文を送りつけられ、任期を待たずに更迭される場面もある。二元論に染まった情報戦では、中立を語る誠実さこそが最も邪魔な存在として扱われる。
セルビア側自身の敗因について、ハーフはこう振り返っている。彼らは、放っておいても真実はいずれ伝わると信じ込み、反論を急がなかった。嘘をつかれたわけではない。ただ、何も発信しなかっただけだ。情報が飽和した社会において、沈黙は中立ではなく、実質的な敗北になる。
なお本書は、勝敗が決まったあとも留保を一つ残している。1994年のサラエボ市場砲撃事件では、誰の攻撃によるものかをめぐって双方の主張が対立し、国連の調査ではボスニア側の自作自演説を指摘する声もあったと記されている。
善玉と悪玉の物語が完成した後ですら、現場の事実はそれほど単純ではなかった。この一節を落とすと、本書は「PRはすごい」で終わる本になってしまう。
今日からできる3つの実践
本書が提案する行動は、規模を問わず応用が利く。
1. 感情を強く動かされた発信に出会ったら、共有する前に一呼吸置く その映像や文章のフレームの外側に、写っていない情報がないかを考える。鉄条網の写真が教えてくれるのは、まさにフレームの外側の話だった。
2. 同じ話題が複数の場所で盛り上がっていたら、発信源の数を数え直す 経路が5つあっても、発信源が1つなら実質1つの声にすぎない。ファクス通信が作り出したのは、この錯覚そのものだった。
3. 自分が発信する側に回るときは、経緯の説明を削り、今の論点だけを渡す シライジッチが禁じられたのは、まさに歴史的経緯を語ることだった。相手の可処分時間はいつも足りていない。
高木さんが本書を締めくくる指摘は、今読むといっそう重みを増す。PRの戦場が地球規模に広がり続けているという警句は、SNSが情報の主戦場になった現在にそのまま当てはまる。
今日、自分が強く心を動かされた投稿を一つ思い出してみてほしい。それは、なぜ今日、自分のところに届いたのだろうか。
