台湾有事のニュースを見ても、遠い場所の話にしか思えない。安全保障の議論を聞いても、賛否の手前で気持ちが止まってしまう。そんな距離感を抱えたまま、情報だけを浴びていないだろうか。
『世界の「今」を読み解く!【図解】新・地政学入門~地理の政治学~』は、そういう距離感を「位置関係」という一つの物差しで縮めにかかる本だ。著者の高橋洋一さんは数量政治学が専門で、大蔵省(現財務省)出身の元官僚でもある。地政学の入門書は他にも多いが、山脈や河川が指導者の選択肢を縛る様子を描く海外の定番も、歴史の因縁と地図を往復する国内の類書も、軸足は基本的に地理と歴史に置かれている。本書はそこへ、戦争の統計データと国家財政の議論をもう一本の柱として立てているのが独自色になっている。
読み終えて残るのは、知識の量というよりニュースの読み方の変化だ。誰の肩を持つかを一旦脇に置き、その国がどこにあり何を欲しがっているかから考え直す。それだけで、これまで意味の取れなかった動きに理由がつくようになる。

こんな人におすすめ
安全保障や国際ニュースを、自分の仕事や資産と結びつけて考える手前で止まっている人に向いている。
- 国際情勢のニュースで「どちらが悪いか」を考えた時点で思考が止まってしまう人
- 取引先や投資先が特定の国に偏っていて、漠然とした不安を抱えている人
- 世界史を年号の暗記で終わらせてしまい、地名と出来事がつながっていない人
「引けば押される」という、身も蓋もないルール
本書を貫く原則はひとつに集約できる。
「相手が引けば自分が押すというのが、国際政治の常道だ」
戦火が上がっていない平時でも、国同士は常に押し合っている。力が拮抗している間は表面上何も起きないが、片方が隙を見せて後退すると、もう片方が必ずその空間に入り込む。
2013年、アメリカのオバマ大統領が「世界の警察官ではいない」という趣旨の発言をした翌年、中国は南沙諸島の埋め立てを一気に加速させ、滑走路つきの拠点を築いていった。
ソ連が退いた東欧にNATOとEUが広がっていったのも、財政破綻寸前のギリシャへロシアが天然ガス関連の協力を持ちかけたのも、著者に言わせれば同じ力学の表れになる。
ギリシャの場合は、この国がユーロ圏を離脱すれば地中海沿岸のNATO加盟国が一つ減ることになるため、欧米側も無条件の支援は渋りながら手放せなかった、という説明がつく。
ロシアとウクライナの関係も、この図式で読み直される。大国同士が直接ぶつからないよう間に置かれる「緩衝国」という考え方があり、ソ連にとっての東欧諸国がまさにそれだった。
冷戦終結後にその東欧が次々とNATOへ加わり、防衛線がロシア本土のすぐ手前まで下がったところへ、ウクライナでも親欧米の政権が生まれてNATO入りをちらつかせた。
ロシア側からすれば喉元に刃を突きつけられた形になる、というのが本書の整理だ。著者はこれを侵攻の正当化とは切り離し、国際法違反だと明記したうえで、相手の事情を分析しないと打つ手は決まらないという立場を取っている。
この押し引きの法則には、目立たない例外もある。民主主義国同士はほとんど戦火を交えないという「民主的平和論」だ。話し合いで決着をつけようとする政治家、選挙や世論を通じて意思表示する有権者、軍を政治の統制下に置く仕組み。
この三重の歯止めが働く国では、指導者が一存で押し込みへ転じることが構造的に難しい。歯止めを欠く独裁国家では、トップの胸先三寸で侵攻が決まってしまう。
押し引きの力学を頭に入れたうえで、相手が民主国家かどうかも合わせて見ておくと、次の一手を予想する精度が上がる。
この図式を軸に据えると、外交ニュースの見え方は確かに変わる。ただし弱点もある。押し引きの一本槍で説明すると、国内政治の混乱や指導者個人の判断ミスのような、力関係以外の要因が視界からこぼれ落ちやすい。
著者自身も随所で「地理は条件を作るが、決めるのは人間だ」という趣旨の留保を挟んでおり、単純化しすぎる危うさは織り込み済みのようだ。
中国が南シナ海に固執する、意外な理由
本書でもっとも唸った箇所がここだった。
軍事衛星が発達した結果、地上の基地はほぼ丸裸になっている。上空から見えるものは上空から叩ける。ところが海中を進む原子力潜水艦だけは、宇宙からの監視網をすり抜ける。
「おそらく原子力潜水艦が現時点で最強の武器だろう」
南シナ海は中国にとって、資源や漁場である前に、この潜水艦を隠しておける安全な海なのだと本書は読み解く。独自の境界線を主張し人工島を築くのも、この海域を自分の裏庭として確保するためだという理屈になる。
そこから太平洋へ出るには米軍の防衛網を突破しなければならず、そのための境界線上に台湾、尖閣諸島、沖縄が並ぶ。無人の岩礁だと思われていた場所が急に争点になったのも、周辺海域の資源が話題になった時期と重なっている。
領土をめぐる摩擦を「意地の張り合い」ではなく「軍事インフラの奪い合い」として読み替える発想は、単純だが応用が利く。無人島の帰属が争われているニュースを見たとき、その海域に何が眠っているかを先に疑う癖がつく。
近代以降の覇権を握ってきたのが内陸の大国ではなく海を制した国だった、という本書の大枠の主張も、この一件に集約されている。19世紀に世界の海を押さえたイギリスも、20世紀に太平洋と大西洋を両にらみできたアメリカも、海を支配基盤にしてきた点は共通する。
伝統的には大陸国家だった中国が、いま海洋国家へ性格を変えようとしている、というのが本書の見立てだ。
数字で殴ってくる地政学
地政学の本は珍しくないが、本書の持ち味は統計と財政を武器にする点にある。元官僚らしさがもっとも出ている領域だ。
戦争の被害を、当時の世界人口に対する割合で並べ直すとどうなるか。心理学者スティーブン・ピンカーの試算が引かれているのだが、絶対数で歴代最多の第二次世界大戦は、人口比に換算すると順位を大きく下げる。
代わりに上位に来るのは、8世紀の安史の乱や13世紀のモンゴル帝国の征服のような前近代の戦乱だ。ワースト圏の大半を19世紀以前の戦乱が占めるという並べ方は、絶対数だけを見る報道の癖に慣れた頭には新鮮に映る。
少なくとも人口比で見る限り、人類は殺し合いを減らしてきている。
もう一つの数字が、集団的自衛権をめぐる確率計算だ。国際政治学の統計分析をもとに、同盟関係を結ぶ、軍事力の均衡を保つ、民主化を進める、経済的な相互依存を深める、国際組織に加盟する、という5つの要因それぞれが戦争のリスクをどれだけ下げるかが示され、そのうえで個別的自衛権だけの場合と集団的自衛権を加えた場合とで、戦争に至る確率をそれぞれ弾き出している。
国会審議では「該当ケースの件数が増えた」という点だけを取り上げる批判があったが、比較対象となる母数自体も広がっているため、割合としてはむしろ下がる計算になる、というのが著者の反論だ。
母数をそろえて比較するこの姿勢は、地政学というより統計の作法の話に近い。ただし裏を返せば、確率が下がったからといって個別の紛争リスクが消えるわけではない。
5つの要因にしても、それぞれがどれくらい独立に効いているのかは本書だけでは判断がつかない。数字は判断材料の一つに過ぎず、それ自体が結論を出してくれるわけではないという注意は、読みながら自分で補っておいたほうがいい。
三正面に囲まれた日本が、いくら払うべきか
後半は日本の話に移る。中国、ロシア、北朝鮮という核保有国に三方を囲まれている状態を、本書は「三正面の脅威」と呼ぶ。日本全土を射程に収める弾道ミサイルの数、年間1,000回を超える自衛隊機のスクランブル発進、その大半が特定の国を相手にしているという事実が、数字として並べられる。
これに対して日本の防衛費はGDP比で1%に届かない。海上保安庁の予算を含めるNATO基準で数え直しても1%台にとどまり、著者はNATO並みの3%以上が妥当な水準だと主張する。
財源にも踏み込み、平時の防衛費は将来世代も等しく恩恵を受ける「投資」なのだから、増税ではなく国債で賄うべきだという立場を取る。
ここは評価が分かれるところだろう。防衛費を国債で賄う案には、財政規律との兼ね合いで異論も根強い。それでも、条文を掲げているだけでは安全は保たれないという指摘には重みがある。核戦力を放棄したのちに侵攻を受けたウクライナが、その根拠として引かれている。
エネルギーの話も似た構図だ。脱原発を掲げて国内の原子炉を減らし、資源の乏しさを補うために天然ガスの多くをロシアからのパイプラインに頼っていたヨーロッパの一国が、侵攻後にロシアへ厳しい姿勢を取った途端、供給を止められて代替電源のないままエネルギー危機に陥った経緯が紹介される。
安さだけで調達先を一本化すると、その調達先がそのまま弱点になる。資源を持たない国にとって、調達先の分散はコストではなく保険なのだと気づかされる。
重い話ばかりでもない。日本発の「自由で開かれたインド太平洋」という構想は、インド洋から太平洋までを一つの安全保障空間として捉え直すもので、アメリカや欧州の主要国も採用し、日米豪印の枠組みへとつながっている。
三正面の脅威という守りの話のあとに置かれているぶん、押し込まれるだけではない選択肢もあるという読後感を残してくれる。
おわりに
読了後に変わるのは知識の量ではなく、ニュースへの向き合い方だ。速報に感情を持っていかれる前に、まず位置関係を確認する。その国が何を失いたくないのかを先に疑う。台湾や尖閣のニュースに接したとき、反射的に地図アプリを開けるかどうかで、同じ映像から拾える情報の量が変わってくる。
地政学という言葉に身構える必要はない。本書に沿って言えば、地政学の実体は突き詰めれば戦争の歴史を知ることに近い。国際情勢を言い当てる万能の理論としてではなく、位置関係というレンズを一枚手に入れる本として読むのが、ちょうどいい距離感だと思う。
