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『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』新井紀子|AIに勝てるはずの「読む力」を、人間が失っている

AI・テクノロジー ✍ 新井紀子
約8分で読めます

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『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』
目次

「AIが人類を滅ぼす」「シンギュラリティが到来する」。テレビや雑誌でこうした言葉に触れて、なんとなく胸がざわついた経験は誰にでもあるはずです。

ところが数学者の新井紀子さんは、その恐怖をあっさり否定します。それは数学的に起こり得ない、と。AIはしょせんコンピューターであり、コンピューターは計算機であり、計算機にできるのは計算だけだからです。

安心して本を閉じたくなるのは、まだ早い。本書の本当の凄みは、そこから話が思わぬ方向へ転がる点にあります。AIが文章の意味を理解できないのは事実です。しかし新井さんが全国2万5000人を調べてみると、その「意味を読む力」を、日本の中高生の相当数もまた持ち合わせていなかったのです。

つまり本書は、AI脅威論を鎮めておきながら、より深く静かな不安を読者に手渡します。この記事では、AIの実力と限界、そして人間側の読解力という二本の軸を、編集部の視点で解きほぐしていきます。

図解

この本が「唯一無二」である理由

AIを論じた本は世の中に山ほどあります。その多くは、まだ起きていない未来の予想か、あるいは楽観と悲観のどちらかに寄った印象論です。本書がそれらと決定的に違うのは、新井さんが自分の手で集めた二つの一次データで語っている点にあります。

ひとつは「東ロボくん」。「ロボットは東大に入れるか」という挑発的な問いを掲げ、2011年に始動した人工知能プロジェクトです。目的は東大合格そのものではなく、AICに何ができて、何が原理的にできないのかを実験で炙り出すことでした。

もうひとつが「リーディングスキルテスト(RST)」。基礎的な読解力を測るために新井さん自身が開発したテストで、累計2万5000人が受けています。

AIの能力を測る装置と、人間の読解力を測る装置。この二つを同じテーブルに並べたことが、本書を替えのきかない一冊にしています。未来を占うのではなく、いま手元にある実測値だけで語る。だからこそ、読み終えたあとに残る重みが違います。

AIはMARCHに受かる。それでも東大の壁は越えられない

まず東ロボくんが到達した地点を確認しておきましょう。ここを侮ると、後半の論理がつながらなくなります。

2016年の進研模試で、東ロボくんは5教科8科目950点満点中525点を叩き出しました。全国平均は437.8点、偏差値にして57.1。私立大学584校のうち512大学2993学科で合格可能性80%という判定です。MARCHや関関同立の合格圏に、機械が普通に届いてしまった。

科目によってはさらに上を行きます。理系数学では東大入試プレで6問中4問を完答し、偏差値76.2。受験者全体のトップ1%です。世界史も、人間の常識をあらかじめリスト化した「オントロジー」を整備することで正答率75%まで伸ばしました。

それでも、東大には届きませんでした。偏差値65の壁が、最後まで越えられなかったのです。理由は一貫しています。文章の意味が読めないから。英語の会話文完成問題では正答率が4割に届かず、「暑い」と「寒い」の常識的な違いすら判断できず、統計的に出やすい誤答へ引きずられていく。

得点源と苦手分野がくっきり分かれるこの結果こそ、AIの正体を映す鏡になっています。

なぜAIは、いつまでも意味を理解できないのか

ここで新井さんは、数学者らしく核心を突きます。AIの限界は技術の未熟さではなく、原理の問題だ、と。

AIは突き詰めれば計算機であり、四則演算しかできません。使える道具は論理・確率・統計の三つだけ。そしてこの三つには、致命的な欠落があります。「意味」を記述する手段が、そもそも存在しないのです。

人間の知能をまるごと数式に置き換えられない限り、AIが人間を超える瞬間は来ない。これがシンギュラリティを否定する数学的な根拠です。処理速度をいくら上げても関係ありません。土台の数学そのものが、意味を扱えないのですから。

ではSiriやチャットボットが言葉を理解しているように見えるのはなぜか。あれは理解しているふりです。質問の中の単語から、統計的に最も確からしい答えを引っ張ってきているだけ。だから「おいしい店」と「まずい店」を取り違えるし、「イタリア料理以外」という除外条件もうまく扱えません。

ディープラーニングが進めば突破できる、という淡い期待もここで折れます。ディープラーニングは注目すべき特徴をAI自身に選ばせて精度を上げた画期的な手法で、画像認識を飛躍させました。

それでも統計である以上、論理や常識で判断することはできず、人が細工した画像にあっさり騙される弱点も抱えています。

本書はAIの歴史も三つのブームに整理します。第1次はパズルは解けても現実の複雑さ、いわゆるフレーム問題でつまずき、第2次は専門知識を教え込んでも常識や曖昧な表現を書ききれず、いまの第3次は機械学習の時代です。

今回の飛躍の正体はアルゴリズムの賢さではなく、安く手に入るようになったデータ量そのものだった。この指摘は、AIブームの見え方を静かに冷ましてくれます。

本題はここから。中学生の多くが教科書を読めていない

ここまでは、いわば前半戦です。新井さんが本当に憂慮しているのは、AIの進化ではありません。人間の労働力の質が、AIにそっくりになってきていることです。

RSTは読解を6分野に分けます。係り受け、照応、同義文判定、推論、イメージ同定、具体例同定。主語と述語の関係を追えるか、「それ」が何を指すか分かるか、二つの文が同じ意味かを見分けられるか。派手さのない、しかし全ての学びの土台になる力です。

結果は静かに深刻でした。中学卒業の段階で約3割の生徒が、表層的な読解すらできていなかった。同義文判定の中学生の正答率は57%で、コインを投げる50%とほとんど変わりません。

当てずっぽうと同水準しか出せない生徒の割合は、同義文判定で70.2%、数学の具体例同定では79.4%にのぼりました。進学率100%の学校でも、推論や具体例同定では半数以上がランダム並みだったのです。

大学生も例外ではありません。新井さんと12人の数学者は、48大学6000人分の「大学生数学基本調査」の答案を、夏休みに3日間缶詰になって自ら採点しました。

「偶数と奇数を足すとどうなるか」を論理的に証明できた学生は、全体でわずか34%。理系に限っても46.4%で、半数に届きませんでした。

新井さんの結論は冷徹です。現代日本の労働力の質は、実力をつけたAIによく似ている、と。意味を読まず、キーワードを拾い、丸暗記で乗り切る。それはAIが最も得意とする処理そのものです。

だとすれば、人間はAIと同じ土俵で戦い、しかも安く負けていくことになる。ここに本書の恐ろしさが凝縮されています。

「読めるようにする特効薬」は存在しなかった

では、どうすれば読めるようになるのか。本書が誠実なのは、ここで安易な万能薬を差し出さないところです。

調査してみると、読書習慣も学習時間も得意科目も通塾の有無も、基礎的読解力とはほとんど相関がありませんでした。読書好きでも読めない子はいて、その逆もいる。読解力を劇的に伸ばす魔法の処方箋は、現時点の科学では見つかっていない、と新井さんは正直に認めます。

代わりに相関が高かったのは、高校偏差値でした。RSTの能力値と偏差値の相関は0.75〜0.8と極めて高い。ただしこれは、もともと読める子が高偏差値校に集まっているだけで、入学後に読解力が伸びたわけではありませんでした。

学校が読解力を育てているという幻想を、データが崩していきます。

それでも一筋の光はあります。埼玉県戸田市では小6から中3まで全員がRSTを受け、教員自身が「どうすれば読めるようになるか」を研究し実践しました。

結果、県の学力調査で中学が1位、小学校が2位まで急上昇したのです。科学的データで一人ひとりのつまずきを把握し、地道に手を打つ。派手さはありませんが、いま見えている唯一の道はこれだと本書は示します。

「AI恐慌」という最悪のシナリオ

本書は終盤で、暗い未来図を突きつけます。

意味を理解しなくてもできる定型業務は、着実にAIへ置き換わります。画像診断、融資審査、コールセンターの一次対応。オックスフォード大学の研究は、10〜20年後にアメリカの職業702種が消え、全雇用者の47%が失職リスクにさらされると予測しました。

みずほフィナンシャルグループも10年で1万9000人分の業務削減を公表しています。

問題はその先です。仕事を奪われた人が、AIにできない新しい仕事へ移れるとは限らない。新しい仕事にこそ読解力が要るのに、多くの人がそれを持っていないからです。かつて工場労働者がホワイトカラーの教育を受けておらず新市場に吸収されなかった、あの構図が再来します。

少数のAIを使いこなす人材と、低賃金へ追いやられる多数。この分断こそ新井さんの言う「AI恐慌」です。新しい仕事は生まれるのに、それをこなせる人がいない不況。これは技術ではなく、教育の問題なのだと本書は釘を刺します。

生き残る側に回るための、人間の武器

ではAIに代替されない能力とは何か。答えは驚くほど明快です。意味を理解する力です。

論理的に推論し、文脈や相手の意図を汲み取る読解力。決められたフレームに縛られない柔軟さ。そして、人々が日常で困っていることを見つけ、共感しながら解決する力。いずれもAIが最も苦手とする領域です。

ビジネスのヒントもあります。AIは新しいものを生み出さず、ただコストを削るだけです。だからコスト削減の最適化競争、つまりレッドオーシャンにAIで参入しても利潤率は下がり続ける。

新井さんが勧めるのは逆で、「ほぼ日刊イトイ新聞」のように独自の物語を持ち、需要が供給を上回るブルーオーシャンをつくること。価格競争の外側に立つことです。

行動に落とすなら三つ。第一に、契約書もマニュアルも飛ばし読みせず、主語と「それ」の指す先を確かめながら一文ずつ最後まで読む。第二に、翻訳や検索やチャットの出力を鵜呑みにせず、意味が通っているか自分の頭で検証する。

第三に、日常の「困った」を一日ひとつメモし、できない理由ではなく解決策を考える。これがAIには立てられない問いの種になります。

新井さんは、公式の意味を分からないまま数字を当てはめる勉強にも警鐘を鳴らします。それはまさにAIに代替される人材を育てる学び方だからです。「なぜそうなるのか」を自分の言葉で説明できること。それが人間に残された最後の防波堤なのでしょう。

AIが神になることも、人類を滅ぼすことも、当面はありません。だとすれば私たちが向き合うべき相手はAIではなく、教科書すら正確に読めなくなった自分自身なのかもしれません。あなたはこの文章を、どこまで正確に追えていたでしょうか。


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『学びとは何か』今井むつみさん 新井さんが突きつけた「教科書が読めない」問題の処方箋に近い一冊。知識を丸暗記で「貼る」のをやめ、意味を理解して使える知識に変える学び方が語られます。

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