「諦める」という言葉に、いいイメージを持っている人は少ないでしょう。逃げ、負け、根性のなさ。日本語の「諦める」は、そういう後ろ向きの語感をまとっています。
ところが、オリンピックで銅メダルを2度手にした元アスリートが、その語感を真正面からひっくり返します。諦めることは、終わりでも逃げでもない。むしろ自分を見つけるための技術なのだ、と。
為末大さんの『諦める力』は、日本社会にしみついた「努力すれば夢はかなう」という標語に、はっきり「ノー」を突きつける一冊です。著者は18歳で花形種目の100メートル走を手放し、400メートルハードルへ転向してメダリストになった。
その実体験を土台に、「諦める」を弱さの言葉から戦略の言葉へと描き替えていきます。
この記事では、本書が積み上げる論理の流れを、主要な概念を落とさずに追っていきます。読み終えるころには、「諦める」が前向きな選択肢に見えてくるはずです。

「諦める」は、もともと「明らめる」だった
本書の出発点であり最大の発明は、言葉の定義を入れ替えてしまうことにあります。
著者はある住職との対談で、「諦める」の語源が仏教の「明らめる」にあると知りました。自分の才能や能力、置かれた状況を明らかにし、よく理解して、今この瞬間の自分の姿を悟る。それが本来の「あきらめる」だというのです。
この一点が決まると、本書全体の見え方が変わります。諦めるとは、現実から目を背けることではなく、現実を正確に見ることだ。逃げや断念ではなく、自己分析の起点。ここを押さえると、あとに続く章がすべて「精神論への反論」として一本の線でつながっていきます。
編集部が注目したいのは、この主張を「誰が」語っているかです。世間から見れば、為末さんは「努力で夢をかなえた成功者」の典型です。その人物が、スポーツ界の精神論を内側から否定している。
外野の評論家がドライなことを言うのとはわけが違う。勝った人間が「努力には限界がある」と認めるからこそ、言葉が重くなる。山中伸弥さんのように途中で進路を変えて頂点に立った例も引かれ、主張の裏づけは具体的です。
手段は諦めていい、目的は諦めるな
本書の背骨を一文で言えば、こうなります。手段は諦めていいけれども、目的を諦めてはいけない。
多くの人は、手段を変えることそのものを「諦め」だと思い込んでいます。だから、うまくいかない方法を握りしめたまま動けなくなる。けれど著者に言わせれば、目的さえブレなければ、手段はいくらでも取り替えていい。むしろ取り替えるべきなのです。
著者自身の目的は「世界で勝つこと」でした。100メートル走は、その目的を叶えるための手段の一つにすぎなかった。高校3年でのベストは10秒6。
立派な記録ですが、世界で勝つには届かないと冷静に見切った。そこから400メートルハードルへ転じ、高校3年で46秒27の日本ジュニア新記録を出し、のちに世界大会で2つの銅メダルを獲得します。
種目を諦めたのに、目的には近づいた。これが「手段の諦め」の威力です。
ここで著者が警鐘を鳴らすのが「憧れの罠」です。
中学生だった為末さんは、1991年の世界陸上東京大会で100メートルを9秒86の世界新記録で駆け抜けたカール・ルイスに強く憧れました。しかし後に、ルイスは自分の延長線上にいないと悟ります。
骨格もタイプもまるで違う人を目標に据えると、自分の長所を削ってまで相手の土俵に合わせることになり、努力が空転する。
スティーブ・ジョブズを真似て「ただのイヤなやつ」になってしまう人の例も、構造はまったく同じです。憧れること自体は悪くない。問題は、その対象が本当に自分の延長線上にいるかを見極めずに真似することだ、と著者は釘を刺します。
編集部としては、ここを「ロールモデル選びの落とし穴」として読みました。手本にすべきは、憧れる人ではなく、自分と似た条件で結果を出した人です。
「努力すれば報われる」は、勝った人だけが言える
本書の革新性は、努力の限界を堂々と肯定する点にあります。
「才能じゃない、努力が大事なんだ」。一見すると勇気づけられるこの言葉が、ある段階を過ぎると残酷な刃に変わる、と著者は書きます。なぜなら、努力しても届かなかった人のほうが、世の中には圧倒的に多いからです。
「やればできた」人が存在するのは事実です。しかし、語られるのは成功者の言葉だけ。挑んで敗れた無数の人の声は、最初から記録に残りません。著者はこれを生存バイアスとして突きます。
成功者の体験談だけを集めれば、努力は万能に見える。負けた人の数が見えないだけだ。この指摘は、自己啓発書の世界そのものへの批判としても効いています。
著者はもう一段踏み込みます。努力には「どれだけやるか」という量だけでなく、「何を」「どうやるか」という方向の問題があるのだ、と。同じ汗でも、見込みのない方角へ流す汗は報われにくい。だから、量をこなす「積む努力」より、何を頑張るかを選び抜く「選ぶ努力」のほうがはるかに重要になる。
そして本書がたどり着く理想が、編集部のいちばん好きな一節です。最高の戦略は、努力が娯楽化することである。才能のある人は、練習の一部を苦役ではなく遊びとして消化している。
本人は楽しんで続けているだけなのに、傍からは「すごい努力ですね」と見える。その領域こそが、自分が無理なく勝てる場所だというわけです。歯を食いしばる努力の手前に、楽しさで続く努力がある。
この発想の転換は、進路や仕事選びにそのまま使えます。
サンクコストと、やめるための「儀式」
では、なぜ人は見込みのないことをやめられないのか。本書はここで経済学の言葉を持ち出します。
サンクコスト、つまり埋没費用です。すでに払ってしまい、もう取り戻せないお金や時間のこと。映画の例がわかりやすい。つまらないと気づいても「せっかく1800円払ったんだから」と最後まで席に座り、貴重な時間まで上乗せで失う。
日本人は過去の蓄積を尊ぶあまり、「ここまでやったんだから」という理由だけで、勝ち目のないことを続けがちだと著者は見ます。
ここで提示されるのが、希望と願望の区別です。希望は客観的な確率に根ざしたもの。願望は「自分だけは例外だ」と確率をねじ曲げる主観です。願望を希望と取り違えた瞬間、人はやめ時を見失う。痛いほど鋭い線引きです。
では、どうすれば撤退できるのか。著者の処方が「儀式」です。「この日までに成果が出なければやめる」というルールと締め切りを、始める前に決めておく。
紙に書く、あるいは周囲に宣言する。山本文緒さんの小説『恋愛中毒』を引きながら、人は自分で決めた一線をほんの少し越えた瞬間からズルズルと崩れていく、と著者は描きます。
だからこそ、冷静なうちに引いた線を守ることが、最も信頼できる撤退のブレーキになる。意志ではなく仕組みで退く、という発想です。
「やり遂げる美学」が、引き際を奪う
ここから著者の矛先は、日本特有の価値観へ向かいます。
日本では「不屈の努力」や「引退の美学」が尊ばれます。全力を出しきり、誰もが納得する形で去ることが美しいとされる。けれど欧米の選手は違う、と著者は言います。
「アキレス腱を痛めたから」「引っ越したから」くらいの軽さで、さっと次へ移っていく。著者は、この軽さのほうが幸せな場合もあると見ています。
なぜ軽さが大事なのか。やり遂げる美学にこだわると、見込みのないことを長く続けすぎて、引退後のセカンドキャリアで人生そのものを狂わせかねないからです。スポーツの勝負がつくのは20代の半ば。声援を送ってくれた人々は、その後の生活が苦しくなっても責任を取ってはくれません。
だから著者は、周囲の「諦めるな」を、あえて聞き流すラインを持てと書きます。「あなたのことを思って」という助言の中には、自分と同じ場所に留まってほしいだけの嫉妬や執着が混じることもある、と。なかなかにドライで、しかし的を射た観察です。
さらに、指導する側にも容赦がありません。勝算のない若者に「やればできる」と言い続けるのは、優しさではなく責任放棄だと断じます。むしろ早めに「君には向いていない」と伝え、選択肢が多く残っているうちに軌道修正させる。
それこそが本当の優しさだ、という主張です。耳に痛い人も多いはずですが、教える立場の人ほど効く一撃でしょう。
他人のランキングを降りて、自分の「勝ち」を決める
社会には、偏差値や会社の知名度といった、他人がつくったランキングがあふれています。本書は、その盤上で戦い続けることの不毛さを突きます。
著者が提案するのが「俺的ランキング」です。他人の物差しを捨て、「自分にとって何が一番大切か」を軸にした独自の評価基準を持つこと。「どこで勝つか」より「何が勝ちか」をはっきりさせておくことが、本当に勝ちたいフィールドでの勝利につながる、と著者は書きます。
例として挙げられるのがAKB48の選抜総選挙です。前田敦子さんの言葉を引きつつ、センター(1位)だけを目指すのではなく、いじられ役やお笑い担当といった自分だけの立ち位置を見つけたメンバーを、著者は肯定的に評価します。
ここで著者が批判するのが、意外にも「オンリーワン」という言葉です。一見やさしいこの言葉は、社会の物差しで自分を測ることから降りるための言い訳になりがちだ、と。
まず「自分はこの程度だ」と冷静に見極める。「何にでもなれる」という幻想を卒業する。それが、本当に自分に合うものを見つける第一歩だという主張です。
慰めの言葉に逃げず、現実を直視せよ、という意味で、これも「明らめる」の応用と言えます。
レスリングの実例も鮮やかです。伊調馨さんは、絶対王者の吉田沙保里さんと同じ55キロ級から63キロ級へ移って世界の頂点に立ちました。小原日登美さんも、吉田さんと重ならない48キロ級を選んで金メダルを獲得した。
最強の相手と同じ土俵で消耗しない。勝てるフィールドを選び直すという戦略が、競技の世界で現実に機能していることがわかります。
手放すことが、幸福を連れてくる
本書の終盤は、幸福論に着地します。
著者は、幸福は他人の評価や世間の中心にあるものではないと言います。あれもこれもと手に入れる方向ではなく、ある段階で「もうこれはいらない」と手放していく方向にこそ、幸福は近づく。
背景にあるのはSNSです。本書が世に出たのは2013年。FacebookやTwitterが広がり、他人の「リア充」と自分を見比べて疲れる人が増えた時期でした。
著者は、「いつでもどこでも誰とでも」つながれる便利さが、かえって密度の濃い関係を奪っていると見ます。「誰とでも」は、いつのまにか「誰でもいい」へとすり替わっていく、と。
10年以上前の指摘ですが、むしろ今のほうが痛切に響きます。
もう一つの論点が、人は慣れる生き物だという事実です。メダルを取っても、何かを手に入れて得た高揚は、すぐに新たな不安に打ち消され、ふだんの状態へ戻ってしまう。だから「手に入れ続ける」方向に、持続する幸福はない。これが本書の見立てです。
ここで鍵になるのが「トレードオフ」と「モビリティ」です。人生はトレードオフの積み重ねだと著者は書きます。仕事も育児も何一つ諦めない、とすべてを抱え込めば、かえって不満がたまる。たった一つだけ「これは諦めない」と決め、残りは手放すと割り切るほうが、幸福は実感しやすい。
モビリティは流動性のこと。不要なモノや関係を手放して身軽でいれば、いつでも別の人生へ移れる。「人には、自分が今歩いている道の横に、並行して走っている人生が必ずある」。
この一文が、本書の希望を支えています。今の道が閉ざされても、それは終わりではない。横には、いつでも乗り換えられる別のルートが走っているのです。
ただし、本書には注意点もあります。論調があまりにドライで戦略的なため、自己肯定感が落ちている人が読むと、「自分には何の才能もない」という絶望へ傾きかねない。
著者もそれを自覚していて、「厳密な一番なんて誰にもわからない」と添え、自己満足でいいから自分の基準を持とう、とフォローを入れています。劇薬として効く本だからこそ、読む側の心の状態を選ぶ。
そこは正直に伝えておきます。
今日からできる3つの行動
本書の提案を、編集部なりに実践へ落とすと、この3つに絞れます。
1. 行き詰まっていることの「目的」と「手段」を切り分ける。 今やっていることは、目的ですか、それとも手段ですか。「あの会社に入りたい」のか「専門スキルで人を助けたい」のか。目的さえ書き出せば、手段は気楽に取り替えられます。
2. 撤退ラインを紙に書く。 「この日までに成果が出なければ別の道を探す」と決め、紙に書くか周囲に宣言する。願望に引きずられて続けてしまう前に、儀式を仕込んでおく。仕組みで退く準備です。
3. 「努力が娯楽化」する領域を一つ探す。 自分は苦もなく続けられるのに、他人からは「すごい努力」と言われること。それを一つ書き出してみる。そこが、あなたの俺的ランキングの最上位です。
最後に残るのは、本書を貫く一つの問いです。何かを真剣に諦めることで、他人の評価や自分の願望で曇っていた世界が晴れ、「なるほど、これが自分か」と見えなかったものが見えてくる。
諦めることは、自分を見つけ直すことでもある。元メダリストがたどり着いたこの結論は、いま何かをやめるか続けるかで揺れている人の背中を、静かに押してくれます。
あなたが今しがみついているのは、目的ですか。それとも、ただの手段ですか。
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