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『頭がよくなる思考術』白取春彦|「考えている」つもりで、絵を眺めているだけかもしれない

思考法・問題解決 ✍ 白取春彦
約7分で読めます

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『頭がよくなる思考術』
目次

机の前で腕を組み、じっと悩む。その時間を私たちは「考えている」と呼ぶ。だが哲学書の翻訳や執筆で知られる白取春彦は、それを思考とは認めない。頭の中で起きているのは、想像の絵やイメージを順不同に並べる作業にすぎず、人間が本当にものを考えられるのは言葉を手にしたときだけだ——本書『頭がよくなる思考術』は、その一点から出発する。

計算を速くする本でも、知識を詰め込む本でもない。パスカルや古代ギリシア哲学、仏教の蓄積を下敷きに、「考える」という行為そのものを根っこから組み直そうとする一冊である。

本書が言う「頭がいい」は、処理速度ではなく人間らしく考える力

本書が最初にやるのは、「頭がよくなる」という言葉の意味をずらすことだ。世に出回る思考法の多くは、速く正確に処理する技術——ロジックツリーやフレームワーク、効率化——を教える。

白取はその方向に進まない。それどころか、どうすれば能率的に活動できるかとくよくよ方法論を考えても、期待したほどの意味はない、とまで言い切る。

代わりに置かれるのが、人間らしく考える力である。感情や損得、世間の常識といったノイズを取り除き、言葉と理性だけで物事の本質を見る。それができれば、迷いのない判断も、創造も、日々の満足も後からついてくるという。

思考術を単なる技術ではなく「いかに生きるか」という人生論と一体で扱う点に、本書のいちばんの特徴がある。

著者はまず、人間の「考える」を六つの傾向に腑分けする。自分の利益になる手段を探す打算、過去や現状から将来をシミュレーションする反省、怒りや悲しみが生む妄想、読書や仕事で情報を理解しようとする働き、何が最も大事かを見抜く本質把握、そして数学的な論理的思考。

日常の思考はこのうち二つ三つが混ざって動いており、まず自分の考えがどの傾向に偏っているかを自覚せよ、という。本編はこの自覚を起点に、答えを出せる頭、迷わない頭、楽しく生きる頭、クリアな頭、創造する頭という五つのステップで積み上がる。

土台を作り、思考を妨げるものを取り除き、澄んだ頭で創造へ向かう——順番そのものに意味が込められている。

ここは評価が分かれるだろう。SWOTやフレームワークのように、明日の会議で使える型を探している読者には、本書は抽象的で哲学に寄りすぎと映るはずだ。逆に、思考のOSそのものを入れ替えたい人には深く刺さる。期待の置きどころを最初にずらしておくと読みやすい本である。

紙に書き出さないかぎり、それは思考ではなく絵を眺めているだけ

本書でいちばん実践的なのが、この主張だ。人間は言葉を使ったときにだけ、順序立ててきちんと考えられる。頭の中でぼんやり考えているつもりの時間は、想像の絵を並べているにすぎない。だから必ず紙とペンで文字に書き出せ、と著者は繰り返す。

たとえは明快だ。複雑な計算を暗算だけで済ませる人はいない。誰もが紙とペンという道具を使う。思考もそれと同じで、言葉という道具を紙の上で実際に動かして初めて、今まで出てこなかった結論が自然と立ち上がる。

頭の中でこね回している限り、私たちは考えているのではなく、考えているつもりで絵を眺めているだけかもしれない。

あわせて問われるのが、言葉そのものの精度だ。「ためらう」と「躊躇する」の違いのように、似た語を曖昧なまま使っていると、世界も自分の意見も輪郭を失う。

正確な語彙こそ知性の土台だ、というのが著者の立場である。編集部として付け加えるなら、これはSNSの短文に慣れきった今ほど効く指摘だろう。書く量が減れば、考える解像度も静かに落ちていく。

悩みをまず一行、紙に書き出すだけでも、頭の中の絵が思考へと変わりはじめる。

私たちが怯える「他人の目」は、自分が作り出した幽霊にすぎない

迷いを生む最大のノイズとして著者が名指しするのが、他人の目だ。私たちが恐れる「他人の思惑」の正体は何か。白取の答えは明快で、それは「自分が想像している他人の思惑」にすぎない、という。

人は本心をすべてさらけ出さないから、相手が実際に何を思っているかなど、こちらには分からない。つまり気にしている思惑は、自分が勝手に作り上げた幽霊であり妄想だ。

人目を気にして一歩を踏み出せないとき、私たちは実在しない亡霊に怯えている——そう自覚するだけで、行動はずいぶん軽くなる。

同じ論法で「心配は悪だ」とも言う。心配の多くは悪い結末を想像する妄想であって、相手を助けはしない。それどころか相手を信用していない証拠であり、自分の心身をすり減らすだけだ、と。

本当に信頼している人は、安心して待っていられる。もっとも、心配をここまで全否定する論法は、不安を抱えやすい人には少々酷に響くかもしれない。方法論というより気構えの話として受け取るのがいいだろう。

才能についての一節も痛快で、才能があるかどうかは他人の評価ではなく「自分が才能があると自覚しているか」で決まる、と言い切る。評価を他人に預けるのをやめ、目の前の対象に没頭せよ、という促しである。

感情を切り離し、もうひとりの自分が隣から自分を眺める

「クリアな頭」を作るために本書が説くのが、感情との距離の取り方だ。好き嫌いや気分は、体調や天候で簡単に揺れる不安定な基準にすぎない。それを判断のものさしにするのは危うい賭けだと著者は言う。

だから何かを決めるときは、文字どおり頭を冷やし、損得をいったん脇に置いて、まっさらな状態から考える。

そのために持つべきなのが「理性の眼」、あるいは「超越の眼」だ。激しい感情に囚われている自分を、もうひとりの自分が隣から眺め、「なんだか、怒っている人間がここにいるな」と他人事のように見る。

この客観視ができると、感情に流されず、人を許すこともできるようになる。視点をさらに引き上げたのが「俯瞰する眼」で、高い建物から見下ろすように自分を遠くから眺めると、解決不能に思えた問題が実はごく小さいと気づく。

考えを鍛える道具として紹介される「弁証法」も面白い。自分がまとめた考えをあえて他人のものとみなして厳しく批判し、より有効な形へ修正していく。

ただし非難ではなく批判であり、自分の考えをただ押し通すのは「思考の暴力」だと著者は釘を刺す。書き上げた企画書を、他人の目で論理の飛躍を探しながら読み直す作業だと思えばいい。

そして脳そのものを休ませる「絶対安静時間」——朝に二十分、夜に三十分、何もせずじっとして揺れる心を澄んだ鏡に戻す——も、感情を鎮めるための具体的な処方として置かれている。

雑音を排して心を静めると、実際は二十分でも一時間経ったように感じられ、時間を三倍以上濃く使えるという。

求めるのは幸せではなく満足——結果を目的にした瞬間、日々は手段に落ちる

本書が投げかけるもう一つの問いは、目的の置き方だ。人生をつまらなくするのは簡単で、結果や報酬を目的にして生きればいい、と著者は書く。お金や成果だけを目的に据えると、そこへ至るまでの出会いや日々のプロセスがすべて単なる手段に落ち、生きる手応えが消えてしまう。

では何を目的にするか。ここで白取は「求めるべきは幸せではなく、満足である」と記す。幸せは宝くじのように偶然もたらされ、期待するぶん落胆も大きい。

一方の満足は、自分が真面目に力を尽くした行動から必然的に得られる。偶然に賭けるより、確実な満足を積むほうがいい、という人生観だ。本書が下敷きにする葡萄園の寓話——朝から働いた者にも夕方から働いた者にも主人が同じ賃金を払う話——も、労働時間で割った比率の正しさより、各人が生きていける満足のほうを問うている。

数字が合えばよしとするのは機械には通じても、日々を生きる人間には合わない、というわけだ。

この考えは雑用への向き合い方にも及ぶ。雑用を雑にやればうとましい雑用になるが、洗濯のような細事を面倒がらず段取りよく丁寧にこなすと、心が澄み、脳もすみずみまで働く。

仕事も同じで、やりがいのある仕事がどこかに隠れているのではなく、自分の姿勢と取り組み方だけが仕事に生気を吹き込む。転職先を探す前に、まず今の仕事への向き合い方を変えてみよ、という順序の話でもある。

わからないことから逃げた人は古くなる——創造する頭の条件

最後に本書が語るのは、未知との向き合い方だ。まず世間の「あたりまえ」を疑い、前例踏襲のルールに「なぜ、どうして」と素直に問う。疑問を飲み込むのは文化を育てることではない、と著者は言う。

そのうえで「わからないことから逃げない」。未知の問題に出会ったとき、過去のやり方に逃げ込まず、時間をかけて自分なりに解き明かす。その苦しみこそが人を新しく生まれ変わらせる。

対照的な二人が引かれる。アインシュタインは特許局に勤めながら自分の頭で考え続け、二つの相対性理論にたどり着いた。かたや画家ユトリロは、経済的に豊かになると新しい未知に出会うのをやめ、過去作の模倣ばかりになり、その作品はもはや芸術ではなくなったという。

逃げれば人は古くなる——身も蓋もないが、いちど読むと忘れがたい対比である。

知識と知恵の関係も整理される。知識は暗記ではなく「もっと深く知りたい」という興味の連続から得るもの。ドイツ語には浅く知るケネンと、体験で深く知るヴィッセンの区別があり、深く知った知識どうしを組み合わせたとき、はじめて知恵という新しい形が生まれる。

知恵とは知識の量ではなく組み合わせ方だ、という見立てである。加えて「オート思考」——難しい本や問題は最初から理解しようと気張らず、気楽に眺めることを繰り返す——も示唆に富む。

脳は機械と違い、意識してスイッチを入れなくても自動で考えはじめる。しかも新しい着想は、机の前より、歩行中や入浴中に体が動いているときに出やすい。

じっと座っていることだけが思考ではない、というわけだ。読み終えて残るのは、「考えているつもり」の時間がいかに多かったか、という気づきのほうである。

今夜もし悩みごとがあるなら、頭の中でこね回すのをやめて、紙に一行だけ書いてみるといい。それが本当に考えることの入り口になる。


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