ケニアでは、携帯電話でお金を送ったり受け取ったりしている大人が9割を超えます。ところが銀行に口座を持つ人は3割に届かず、クレジットカードを使う人となると5%ほどしかいません。
日本人の感覚では、この順番はいびつです。銀行の口座網が先にでき、そこにカードが乗り、最後にスマホ決済がくる。私たちの社会はそう発展してきました。ケニアはその手前の工程をまるごと省略し、決済のインフラだけを先に手に入れています。
椿進さんの『超加速経済アフリカ』は、この「途中を跳ばして最新技術が社会実装される」現象を、大陸規模で追いかけた一冊です。副題のLEAPFROGは蛙跳びという意味で、発展の段階を一段ずつ登らず、一気に先へ進む動きを指します。
著者の椿進さんは、BCG(ボストン コンサルティング グループ)で長年パートナーを務めた人物です。退社後にアフリカ特化の投資会社AAICを立ち上げ、自らファンドを運営しています。
ルワンダには自ら構えたマカデミアナッツの農園と加工工場もあり、その広さは東京ドーム40個分に及びます。人口動態を読むマクロの視点、スタートアップの目利きという投資家の視点、そして現地従業員をどう動かすかという経営者の視点。
ふつうは別々の著者が語る三つの視点が、一冊の中でひとつながりに語られているのが本書の強みです。

こんな人におすすめ
新規事業の候補地をアジアまで書いて、その先で手が止まった人。この本は、次のページに何を書けばいいかを教えてくれます。
- 海外展開の候補地リストが東南アジアで止まっている人
- 自社製品が「いつ、どの国で売れ始めるか」を数字で説明できない人
- 現地スタッフが指示通り動かない理由を「文化の違い」で片づけてきた人
- アフリカという言葉から、まだ貧困や紛争のイメージしか浮かばない人
なお本書は、各国の法人設立や許認可の手続きにはほとんど触れません。実務マニュアルではなく、地図として読む本です。
銀行を飛び越えて、決済網から社会に実装される国
椿さんは、この飛び越えが起きる理由をシンプルに説明します。守るべき古い設備がなく、既得権益を持つ業界団体もいないので、新しい技術がブレーキなしで社会に入り込む。レガシーという言葉で本書はこれをまとめます。既存インフラ、既得権益者、岩盤規制のことです。
その象徴が、ケニアのモバイルマネー「M-PESA」です。プリペイド式の携帯電話料金を、そのまま他人の番号あてに送金できる仕組みで、銀行口座を持たなくても、携帯電話と国民IDさえあれば送金、決済、預金、ローンまで使えます。
日本のSuicaと違い、チャージした残高はいつでも現金に戻せる。その受け皿が、スラムの路地裏にまで広がる14万カ所を超える代理店網です。ここを流れるお金の規模は、ケニアのGDPの半分に迫るとされます。
医療も同じ文脈にあります。人口1,000人あたりの医師数で見ると、日本の2.4人に対しケニアはわずか0.2人、エチオピアにいたっては0.1人にとどまります。
近くの医師にたどり着くまでバスで数時間かかる地域も珍しくありません。この空白を埋めているのが、AIチャットボットが初期診断をして必要なら医師の遠隔診療につなぐサービスや、GPSで最も近い空きベッドを探して救急車を手配する仕組みです。
足りない専門家の代わりに、通信とアルゴリズムが間に立っています。
物流でも構図は同じです。ドローンが輸血用の血液を平均15分で病院に届けるサービス、乱立していた運送会社をアプリでつなぎ1年足らずで1万社のトラックを組織した物流プラットフォーム。日本が数十年かけて積み上げた仕組みを、規制の空白を追い風に数年で作ってしまう。
レガシーがないという身軽さは、これまで投資が届かず産業が育たなかったことの裏返りでもあります。本書はこの裏側にはあまり踏み込みませんが、読み手としては、身軽さの理由が二重であることを意識しておいたほうがいい。
時代換算マップが教える「次に何が売れるか」
本書でいちばん実務に効くのが「時代換算マップ」という道具です。ある国の一人当たり名目GDPの水準と、そこで人々が買い始めるもの、政府が整備し始めるインフラのあいだには、政治体制や文化が違っても共通のパターンがある、という考え方です。
椿さんは節目を3段階に置きます。1,000ドルを超えると中古車やバイクが広がり、都市化が進んで高速道路や公団住宅が整備されはじめる。3,000ドルを超えると外食チェーンが一気に進出し、白物家電や新車への買い替えが起きる。
ナイロビは2014年ごろにこの水準を超え、ケンタッキーやドミノ・ピザが相次いで出店しました。10,000ドルを超えると、生活必需品より「かっこよさ」や「個性」にお金が向かう。
ヨハネスブルグがこの段階にあり、日本で言えば1980年前後の消費に近いといいます。
「実は日本人は答えを知っている。」
戦後の高度成長、バブル景気、そして長期のデフレ。この浮き沈みを一世代のうちに経験した日本人は、どの所得の段階でどんな商品やサービスに手が伸びるかを、すでに体で知っているという主張です。
説得力のある見立てですが、まるごと信じるのは危険だとも思います。所得さえ揃えばアフリカの消費者が過去の日本と同じ順路をたどるとは限りません。
スマホ決済が銀行を飛ばしたように、小売や娯楽の領域でも、この大陸独自の跳び方が起きる余地は本書自身のリープフロッグ論からも読み取れます。時代換算マップは有効な補助線であって、答え合わせの正解ではありません。
在留邦人7,500人と中国人100万人の差
日本からアフリカに渡って働く人は7,500人ほどにとどまります。同じ大陸にいる中国人は推定100万人超と言われ、二桁近い開きがあります。
この差が最も見えるのが、ケニアの高速鉄道SGR(通称ナイロビ新幹線)の入札です。日本側の試算は総工費約1兆円、工期6年以上、公的資金による融資は最大でも半分程度でした。
中国側は総工費約3,500億円、工期3.5年、資金の8割超を自国が融資するという条件を示し、受注して実際に開通させています。
この差は根性論では説明がつきません。日本の支援は国際ルールに沿った審査を経る援助であり、リスクを避ける設計です。中国は開発案件そのものを投資として扱い、車両からレール、施工、運行、保守まで一括で自国製品と自国資本のパッケージにして政府と直接契約します。
前提にしている論理がそもそも違う。だから同じ土俵の価格勝負にすら、日本は乗れていません。
もっとも、風向きは変わりつつあります。返済が滞って土地を長期租借される事例が出たことで、アフリカ側に「債務の罠」への警戒感が強まっているためです。中国方式が万能というわけでもありません。
「当たり前をやり抜く」だけで勝てる市場がある
本書の後半は、急にミクロな話になります。時間を守る、契約を守る、在庫を数える。日本では当然とされる基本動作が、アフリカの現場ではまだ社会や教育に根づいていない、と椿さんは書きます。
大事なのは、それを嘆かないことです。遅刻や横流しが起きること自体を前提にビジネスの仕組みを組む。営業には固定給ではなく回収額に連動したインセンティブを置き、在庫はマネジャーが鍵を管理して朝昼晩に数える。性弱説に立ち、ルールと確認の頻度で人を守る発想です。
この発想は海外進出の話に見えて、そのまま国内のパートやアルバイトの運用、新人育成の話でもあります。「まじめにやってくれるはず」という期待だけで設計された仕組みは、アフリカに限らずどこでも崩れます。
化学メーカーのカネカは、この市場理解で結果を出した会社です。アフリカの女性たちが基礎化粧品よりお金をかけるのは髪で、月収の1〜2割をヘアスタイルに使うことも珍しくありません。
理想の人毛は高すぎるため人工毛髪の原料が使われますが、カネカの「カネカロン」は燃えにくく、アイロンでカールでき、シャンプーでも洗える。この品質は安価な模倣品には出せず、シェアを押さえました。
中古車の直販サイトBE FORWARDも同じ論理です。現地の中間ブローカーが握っていた流通を、スマホ完結・全額前払いの直販に置き換え、本格展開から5年で年商約500億円に伸ばしています。
リスクへの向き合い方も参考になります。汚職には原則として一切応じない、応じれば要求が際限なく膨らむからです。移動の安全は配車アプリの普及でかなり改善しました。
カード決済で現金のやり取りが消え、ルートと履歴がGPSに残るためです。停電による家電の故障も頻発しますが、韓国のサムスンは冷蔵庫の内部にあらかじめ保冷剤を敷き詰め、電気が来ている間に冷やしておくことで停電中も庫内を保冷する設計を売りにしています。
リスクを避ける対象としてではなく、製品設計の前提条件として織り込む発想です。
ただし本書が並べる成功例は、あくまで結果を出した会社の話です。同じ市場で撤退した会社の数は書かれていません。当たり前をやり抜けば必ず勝てる、と読むのは早計で、当たり前をやり抜いた会社の中から勝者が出た、と読むほうが正確だと思います。
明日から机の上でできること
椿さんが本書の最後に勧める行動は、どれも軽いものです。自社製品を1,000ドル、3,000ドル、10,000ドルの3段階に当てはめて紙に書き出す。
チームの仕組みの中で「善意頼み」になっている確認作業を一つだけ選び、時刻を決めた確認や二人チェックに置き換える。そして、東アフリカ行きの航空券の値段と所要時間を調べてみる。
大きな決断はまだしなくていい。まず自分がいつの情報でアフリカを判断しているかを、5分だけ確かめればいい。
読み終えて残ったのは、アフリカについての新しい知識そのものより、自分が持っていた地図の古さでした。何年も前のニュース映像の記憶で止まっていた地図のまま、投資先やキャリアの選択肢から無意識にこの大陸を外していなかったか。まずそこを疑うところから、次の一歩が始まります。
