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『裸でも生きる』山口絵理子|「かわいそうだから買ってあげる」を捨てた日

戦略・経営・事業 ✍ 山口絵理子
約7分で読めます

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『裸でも生きる』
目次

米州開発銀行(IDB)のワシントン事務所で、同僚に「途上国ってどんな国?」と尋ねたら、こんな答えが返ってきた。

行ったこともないし、行く気もない。

オックスフォードの大学院で博士号を取った人の言葉である。

そこでインターンをしていた山口絵理子は、検索エンジンに「アジア 最貧国」と打ち込み、出てきた国名を見てその足で航空券を買った。2004年、行き先はバングラデシュだった。

幼いころは学校でのいじめが原因で教室に入れなくなり、進学校ではないと決めつけられた高校から難関大学に食い込んだ、負けず嫌いの経歴の持ち主でもある。

その高校では、あえて男子ばかりの柔道強豪校を選んで練習に食らいつき、全国大会にまで出場している。

『裸でも生きる』は、その先で起きた出来事の記録だ。バッグブランド「マザーハウス」がどう立ち上がったか、そして創業者がどれだけ泣き、どれだけ人に裏切られたかを隠さず綴っている。

図解

同情ではなく、商品として選ばれるために

本書の主張は一つに絞れる。途上国に必要なのは施しではなく、価格と品質とデザインで勝負できるブランドだ。

同情から生まれた購入は、一度きりで終わる。「かわいそうだから買ってあげる」に押されて手に取った低品質の品は、たいてい二度と選ばれず棚の奥にしまわれ、作り手はまた俯いてミシンを踏むことになる。著者が壊したかったのは、施す側と施される側という上下の関係そのものだった。

その考えは、日本の卸先への売り込みで最初に試される。バングラデシュで縫わせた160個のバッグを抱えて臨んだ商談は、不採用に終わった。中国製より2000円高く、当時のトレンドだった風合いもない。

バングラデシュ産だとか国際貢献だとか、消費者にはそんな事情は関係がない、というのがバイヤーの反応だった。

社会的な意義を売り文句にしようとした自分に嫌悪を覚えた、と著者は振り返る。ここから導き出した結論が、以後の経営全体を貫く軸になった。利益が出なければ事業は続かない。

同情に頼るのは、品質の低さの言い訳にすぎない。応援したくなるから買ってほしいという訴え方は、慈善に限った話ではない。訴求の軸を同情に置いた瞬間、その商品は一度きりの消費で終わってしまう。

ちなみに販路の開拓そのものは、理屈より足で稼ぐ泥臭さだった。コネがないまま大手雑貨店に見本のバッグを持ち込み、レジで「営業に来ました」と切り出す。出てきたバイヤーはその場で扱うと即決し、1年後を目標にしていた大手小売への納入を、帰国からわずか2か月で実現している

水道の蛇口も信頼も、金で買うしかない国で

当時のバングラデシュは政治腐敗の度合いで世界の最下位圏にあり、人口の4割ほどが1日1ドル以下で暮らし、市民の1回の食事が50円ほどという水準だったとされる。

バングラデシュに渡った当初、著者が借りた部屋には水道が来ていなかった。水道局に日参してようやく通された奥の部屋で、係員が紙に書いて見せたのは法外な金額。

人生で初めて求められた賄賂だった。

翌日、大家の知人の仲介で額は下がり、ようやく水道が開通する。水を飲むにも袖の下がいる、というのがここでの前提だった。

大学院の入試も理不尽と隣り合わせだった。夜の筆記試験の最中に停電が起き、試験監督の指示はただ一言、窓際に寄れというものだった。著者は月明かりを頼りに答案を書き続け、数日後、合格者名簿の一番上に自分の受験番号を見つける。

けれど、どうにもならない理不尽もあった。恋愛結婚をした優秀なクラスメイトが、妊娠を機に夫から暴力を受けるようになる。親が決めた結婚でなかったために親族の後ろ盾を得られず、彼女は大学院を去った。空いた椅子を見るたび涙が出た、と著者は書いている。

友情や善意だけでは、法も契約も頼りにならない土地の理不尽は止められない。この経験は、のちの事業運営を貫く発想の伏線になっている。

縫いにくい素材の弱点を、そのまま武器にする

三井物産のダッカ事務所でインターンをしていたころ、著者は数字の桁を一つ間違えるだけで怒鳴られるほど厳しく鍛えられた。この現場感覚は、のちに自分で貿易と品質管理を担うときの土台になる。

同じ時期に出会ったのが、ジュート(黄麻)という繊維だった。バングラデシュが世界の輸出量の大半を占め、廃棄すれば土に還る天然素材である。ただしバッグの材料としては扱いにくい部類に入る。滑って縫いにくく、伸びてサイズが狂い、切り口からはすぐ糸がほつれる。

それでもこの素材で「途上国発のブランド」を作ると決め、著者は工場を何十軒と回った。小娘に何ができる、と門前払いされる日が続く。最後に訪ねた工場の若い経営者、ラッセルだけが違った。

夢と信念をまくし立てるように語る著者を、前例のないタイプの人間だと評し、その場でサンプル作りを引き受ける。通常は千個単位という最低ロットも、代金の半分を前払いする条件で160個まで下げてくれた。

工場の扉を開けながら、彼はこう言った。

「Floor is yours.」

バッグ作りそのものは素人だった著者は、御徒町のバッグ学校に通い、包丁研ぎと革の裁断とミシンがけから学び直している。トイレに立つ間もないほどの指導が続き、帰り道の駅で座り込んで泣いた夜もあったという。

ここで身につけた技術が、のちに現地の工場へ高い品質を求めるための、根拠のある自信になった。

続いて生まれたのが、素材の弱点を隠さない設計だった。硬い芯を使わず生地を折り返し、柔らかい立体感を出す「エッジ」。ほつれる性質をあえて活かし、線として立たせる「シャギー」。

シワになりやすい弱点を、クシュクシュとした温かみに変える「ギャザー」。伸びる、ほつれる、シワになるという三つの欠点が、そのまま三つの意匠になった。

弱点を隠して別の素材に寄せるのではなく、弱点でしか出せない表現を探す。この転換の芯にあるのは、その一点だ。

ある朝、工場からミシンも人も消えていた

軌道に乗り始めた現場で、著者は海外バイヤーにありがちな「早くやれ」という号令をやめていた。作業の遅れの原因になっていた工員の隣に座り、同じ作業を一緒にやってみる。

そのうえで、こんなに難しい作業だったのかと素直に伝えると、工員は照れながらも自信を取り戻し、品質が上がっていった。おやつを配り、民族音楽をかけながら縫う。

そうした日々の積み重ねで、それまで現地になかった「ありがとう」という言葉が工場に生まれたという。

その関係も、長くは続かなかった。最初に手を組んだラッセルの工場との関係が壊れる。著者のデザインを気に入った中国企業が同じ型で大量発注を持ちかけ、社長はそれを受けてしまう。

抗議しても、デザインの権利は発注した側にあるという理屈で押し切られた。事務所に置いていた日本のパスポートも盗まれ、警察が入っても真相は闇に葬られる。

次に組んだ小さな縫製工場でも、似た結末が待っていた。当時のバングラデシュは選挙前の政情不安で、街には暴動と交通遮断が続く。わずかな日当目当てにデモへ動員される人もいるような状況だった。

それでも著者は毎朝工場に通い続けたが、ある朝、錆びた鉄の扉を開けると、ミシンも素材も工員も跡形なく消えていた。電話をかけると、工場主は短くこう言っただけだった。

「あー、えりこ! おはよ」

そのまま電話は一方的に切られる。おやつを分け合い、歌いながら一緒に働いた相手であっても、法も契約も機能しない場所では友情や誠意だけで裏切りは止められない。著者はここで、初めて本気で事業をやめかける。

三人と築いた「仕組み」が、10年後の工場になった

立ち直った著者が出した答えは、精神論ではなかった。信頼できる生産者に出会うかどうかを運任せにせず、誰と組んでも裏切られない体制を作るという発想への転換である。

現地のデザイナー養成学校を率いていたアティフは、最初は多忙を理由に断った。だが著者が一週間毎日通って事業の展望を語り続けると態度を変え、自分の時間の半分をマザーハウスに割く契約を結ぶ。以後、彼が工場に毎日足を運び、品質と納期を管理する体制ができた。

国内屈指の型紙職人ソエルは、プロでない人間とは組まない主義だったが、著者が独学で使い込んだノートと工具一式を見せると態度を変えた。日本の職人が1つの型に4日かける工程を、彼は1日で3つも4つも仕上げるようになる。

三人目は、投資銀行を辞めて共同創業者になった山崎大祐だ。深夜まで働き詰めだった著者個人の体力に経営全体が乗ってしまっていた状態に、数字で管理する仕組みを持ち込んだ。

出店の場所選びにも、著者らしい基準が表れている。1号店の候補地には表参道や自由が丘も挙がっていたが、実際に選んだのは倉庫を借りていた下町の入谷だった。

近所の住民が棚を譲ってくれ、通りがかりの客が自転車を止めてふらりと店に入ってくる。その温度が、バングラデシュで肌に感じた空気と重なったのだという。

10年後、文庫版のあとがきが伝える現在地は、国内に16店舗、台湾と香港にも広がった店舗網と、ダッカ郊外に構えた自社工場「マトリゴール」だ。委託ではなく直接雇用の従業員は160人

初期にサンプル担当だったスタッフは生産マネージャーに、コック上がりのスタッフは検品チームを率いる立場になったという。夜逃げされた経験が、そのまま自社工場という形に姿を変えている。

誇りを持って働けるようにするという創業時の言葉は、10年かけて人事の実績として証明された。

タイトルの「裸でも生きる」は、すべてを失っても、また一から始められるという著者の覚悟を指す。本書の終わりに置かれた問いも、そのまま持ち帰る価値がある。恵まれた環境にいながら、なぜやりたいことに手をつけないのか。答えを用意する必要はない。一度だけ、自分に向けてみるといい。


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