投資で勝つコツは、いい銘柄を見つけることだ。そう思っていませんか。
私もそう思っていました。でも本書を読むと、その考え方こそが負ける入口だとわかります。鍵になるのは一本のテニスのたとえです。アマチュアの試合では、相手を打ち負かす人ではなく、自分のミスが少ない人が勝つ。現代の投資も、まったく同じ構造になっている――そうエリス氏は言います。
『敗者のゲーム』は、チャールズ・エリス氏による資産運用の古典です。1985年の初版以来、何度の暴落を経ても揺るがず、インデックス投資のバイブルと呼ばれ続けてきました。
私が惹かれたのは、この本が単なる「インデックスを買え」という指南書ではなく、なぜそうなるのかという構造の話から始める点です。結論を急がず、まず土台を崩しにくるところに古典の風格があります。
投資は「勝者のゲーム」から「敗者のゲーム」へ変わった
出発点は、科学者サイモン・ラモ博士によるテニスの統計分析です。プロの試合では得点の約8割が自分の打ち込んだショットによるものだったのに対し、アマチュアの試合では得点の約8割が相手のミスによる失点だった、というのです。
「勝つための最善の方法は、ミス・ショットをできるだけ少なくすること」
プロの試合は、攻めて点を取る「勝者のゲーム」。アマチュアの試合は、自滅した方が負ける「敗者のゲーム」。この二つはまったく別物だ、と著者は言います。そして現代の株式市場は、かつての勝者のゲームから敗者のゲームへ変わってしまった、と。
なぜ変わったのか。本書はここを数字で詰めます。100年前、株取引の9割は一般の個人が担っていました。情報をいち早く掴んだ人が勝てる時代です。
ところが今は、取引の9割以上をプロの機関投資家とコンピュータが占める。12万人を超えるCFA(公認証券アナリスト)が同じ分析を回し、34万5000台ものブルームバーグ端末が同じ情報を瞬時に共有する。秘密の情報源は消えました。
つまりプロの総体が「市場そのもの」になった。すると、その市場に勝ち続けることは論理的に不可能になります。プロが市場に勝てないのは能力が低いからではなく、全員が優秀すぎて互いに出し抜けなくなったからだ――この逆説が本書の核心です。
私はここで膝を打ちました。敗者のゲームという補助線は、「いい手を増やす」発想を「悪い手を減らす」発想へと反転させる。同じ盤面でも勝ち筋の置き場所がまるごと入れ替わるのです。
9割のプロが、市場平均に負けている
「でもプロに任せれば安心では」という反論には、本書はデータで答えます。1年の成績では約7割の投資信託が市場平均を下回り、10年では8割、15年では9割が市場に負ける。毎年勝てるのは3分の1のマネジャーだけ、しかもその顔ぶれは入れ替わります。
理由はコストです。プロが銘柄を選ぶアクティブ運用は、運用報酬・売買手数料・税金を合わせると総コストが年率3%超に達することがある。市場の平均リターンが7%なら、コストを引く前に10%以上を稼がなければ市場並みにすら届きません。
出発点でこれだけのハンデを背負っているわけです。だから著者は突き放します。
「市場を上回るという『敗者のゲーム』に勝つことは簡単である。そんなゲームに参加しないことだ」
参加しないとはどういうことか。能力で勝負を挑むのではなく、勝負そのものの土俵を降りる。一見すると敗北宣言のようですが、構造を理解した上での合理的な撤退です。勝てないゲームに高い参加料を払い続ける方が、よほど損だというわけです。
インデックス・ファンドという「投資のドリームチーム」
では、降りた先で何を買うのか。著者の答えがインデックス・ファンドです。S&P500のような市場全体の指数に連動する投資信託で、市場をまるごと買うので銘柄を選ぶ必要がなく、売買がほとんど発生しないため手数料も税金も圧倒的に安い。
インデックス投資の税負担が約5%なのに対し、アクティブ運用は40〜60%以上にのぼるというデータも示されます。
退屈と言われがちなこの手法を、著者はこう言い換えます。
「インデックス・ファンドとは、いわば投資の『ドリームチーム』を結集したようなものだ」
世界中のプロが日々下している無数の判断、その総和(コンセンサス)を、安いコストでそのまま受け取れる。だからこそ「面白くもおかしくもないが、とにかく結果が出る」。バフェット氏が一般の投資家に低コストのインデックス運用を勧めるのも、同じ理由でしょう。
ここで著者は、市場を二つの顔として擬人化します。一つはミスター・マーケット。感情的で気まぐれで、予期せぬニュースに反応して株価を激しく乱高下させ、投資家を翻弄して感情的な売買へ誘い込む存在です。
もう一つはミスター・バリュー。実体経済で黙々と収益と配当を生み出す、企業の本当の価値です。
「ミスター・マーケットはとにかく面白いキャラクターなので、常に注目の的である。これに対してミスター・バリューは、気の毒にも無視されることが多い」
投資家がすべきは、騒がしいミスター・マーケットのいたずらを無視し、地道なミスター・バリューに目を向けること。著者は天気と気候のたとえも使います。
日々の株価は「天気」、長期の資産形成は「気候」。今日の天気に一喜一憂せず、数十年単位の気候を基準に判断する。この区別が決定的だと言います。
敵は市場ではなく、自分の感情
本書がインデックス投資の本でありながら、半分は心理の本でもある。私がいちばん線を引いたのはこの側面でした。
「敵は一人、己自身だ」
株価が上がると強欲になって買い、暴落すると恐怖に駆られて売る。この「高値で買い、安値で売る」行動こそが、資産を減らす最大の原因だと著者は言います。約8割の人が自分の投資判断を「平均以上」だと思い込んでいる、というデータも添えられていて、耳が痛い人は少なくないはずです。
なかでも背筋が伸びるのが、相場のタイミングを計ることの危険性です。著者は「稲妻が輝く瞬間」に市場に居合わせなければならない、と言います。72年間のうち株価が急騰するベストの5日間を逃すだけで複利で50%近くを失い、112年間ならベストの10日を逃すと利益の3分の2が消える。
その日がいつ来るかは誰にもわからない。だから常に市場に居続けるしかない。暴落時に慌てて売る人は、この稲妻を自ら手放しているのです。
だからこそ著者の守りの哲学が効いてきます。「防御は最大の攻撃である。高いリターンを求めることより、リスクを最小限にとどめることのほうが重要だ」。何もしないこと、つまり自分の感情を盤上から下ろすことが最強の一手になる――敗者のゲームという補助線が、ここで再び効いてくるわけです。
リスクの定義を、書き換える
本書のもうひとつの鋭さは、リスクという言葉そのものを定義し直すところにあります。多くの人はリスクを「株価が下がること」だと考えますが、著者は二種類に分けます。日々の値動きである市場リスクと、物価が上がってお金の購買力が下がるインフレ・リスクです。
意外なのは、現金や債券こそインフレに弱いという指摘です。過去25年のインフレ調整後の実質収益率は株が年平均6.6%なのに対し、債券は1.8%。
元本割れを恐れて預金や債券だけで持つことは、一見「安全」でも購買力が静かに目減りしていく。本当のリスクとは株価が下がることではなく、お金が本当に必要なときに手元にないことだと著者は言い切ります。
この再定義は、年齢の常識もくつがえします。「高齢になったら債券を増やすべき」という通説に対し、著者は投資期間を捉え直すよう促す。自分の寿命だけでなく、遺産を受け継ぐ子や孫、寄付先の存続期間まで含めれば投資期間は超長期になる。
その視点なら、インフレに弱い債券こそ真の長期リスクであり、高齢者であっても100%株式が最も効率的になりうる、と。手元の金融資産だけでなく、将来稼ぐ収入(人的資本)や持ち家、年金まで含めた「総資産」で配分を考える。
安定収入のある若年層は、将来の収入を「債券のような安全資産」とみなせるから金融資産では株式比率を高くできる、という発想も目から鱗でした。
もっとも、これはあくまで超長期の理屈であり、近く取り崩す必要がある資金にそのまま当てはめると痛い目を見る。本書も語る通り、結論より大事なのは自分のリスク許容度を正直に測ることだと私は思います。
明日から何を変えるか
本書の処方箋そのものは、拍子抜けするほど地味です。整理すると三つにまとまります。
一つ、低コストのインデックス・ファンドを毎月の自動積立にする。銘柄選びもタイミングも捨て、給料天引きなどで機械的に積み立て、相場が良くても悪くても同じ額を買い続けます。
二つ、投資の方針を一枚の紙に書き出す。何のために増やすのか、暴落時にどこまで耐えられるか(リスク許容度)を明文化しておく。パニックになりそうなとき、この紙が冷静さを取り戻させてくれます。
三つ、年に一度だけ「運用を考える日」を設け、それ以外は市場を無視する。誕生日や元日に1時間だけ財務状況を見直し、残りの364日は株価もニュースも見ない。
過去の好成績ファンドへの乗り換えも、「平均への回帰」が働くため意味がないと釘を刺されます。極端に良い成績も悪い成績も、長期的には平均へ引き戻されるからです。
「投資は単純だ。しかし、単純なことを実行するのが難しい」
難しいのは知識ではなく、嵐の日に口座を閉じて、ただ待つこと。市場に勝とうとするのをやめることが、なぜ勝つ唯一の道になるのか。明日まず一つやるなら、毎月の積立を自動化して、株価アプリの通知を切ってみてください。あなたが何もしない間に、ドリームチームが働いてくれます。
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