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『はじめてのグラフィックレコーディング』久保田麻美|上手い絵はいらない、速い絵がいる

コミュニケーション・文章術 ✍ 久保田麻美
約7分で読めます

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『はじめてのグラフィックレコーディング』
目次

会議で「そういう意味じゃないんだけど」と言い直した経験はありませんか。

言葉は伝わったつもりでも、聞き手の頭の中では別のものに変換されています。同じ「拠点」という一語からオフィスビルを思い浮かべる人もいれば、自宅を思い浮かべる人もいる。

ズレに気づかないまま議論が進み、後になって「話が噛み合っていなかった」と気づく。この種の事故は、誰かが不真面目だから起きるわけではありません。

久保田麻美さんの『はじめてのグラフィックレコーディング』は、この事故を防ぐ方法を、驚くほど実務的に教えてくれる一冊です。処方箋は単純で、話しながら描く。それだけです。

著者が最初に釘を刺すのは、うまい絵はいらないという一点です。グラフィックレコーディングに求められているのは画力ではなく、情報を図形に置き換えて取捨選択する速さである。絵心がないことを理由に可視化を諦めてきた人ほど、この本の対象読者です。

視覚化の本としてよく名前が挙がるのが、デビッド・シベット氏の『ビジュアル・ミーティング』です。あちらは場づくりや組織論から入る一冊ですが、本書はノート1冊にひく一本の線から始まり、最後に組織の会議までたどり着く構成を取っています。

入り口の低さが、そのまま実践までの距離の短さになっている点が、この本を初心者にすすめたい理由です。

図解

「同じ言葉」なのに、みんな違う絵を思い浮かべている

本書の出発点は、なぜ言葉だけの会議が空中戦になるのかという疑問です。人は言葉を受け取ると、自分の記憶や経験と照らし合わせて解釈する。だから同じ単語を使っていても、頭の中に浮かぶ像は人それぞれ違う。

根拠として引かれるのが、心理学者アラン・パイヴィオが提唱した二重符号化仮説です。人の脳には言語を処理する回路と映像を処理する回路が別々にあり、両方を使ったほうが記憶として定着しやすい。

文字だけの議事録より、簡単な図を添えたメモのほうが後から見返して思い出しやすいのは、この回路の使い分けのおかげだというわけです。人が受け取る情報の大半は視覚経由だという説も紹介されていて、会議の記録を言葉だけに頼るのは、脳の得意な経路を自分から半分捨てているようなものだと感じました。

本書はビジュアルシンキングの効果を3つに整理します。何を描き何を省くかを選ぶ過程で思考が単純化されること。描かれたものを見た相手が「聞いてもらえた」と感じ、専門の違う者同士でも共通の土台ができること。そして並べて眺めることで、離れた発想同士のつながりが見えてくること。

どれも大げさな主張ではありません。会議中にホワイトボードへ簡単な図を描いた経験がある人なら、似た手応えを覚えているはずです。本書はその経験知に理屈をつけて、再現可能な技術に格上げしてくれます。

画力ではなく、置き換えと省略のスピードを鍛える

続く章は、絵と言葉と図を、それぞれ今日から直せる操作に分解していく作業です。

線がきれいに引けない原因は、センスではなく癖にある、というのが著者の見立てです。同じ線を何度もなぞる、線が細い、四角の角が開いたままになっている。この3つの癖を、1本で描き切る、太い線を使う、角をしっかり閉じるという動作に置き換えるだけで、絵の印象は変わります。

太い線を勧める理由が実務的でした。線のブレが目立たなくなるだけでなく、太い線は細部を描き込めなくする。つまり単純化を物理的に強制してくれる道具でもあるわけです。失敗を隠しながら、同時に描くスピードも上げる。この一石二鳥の発想は、絵以外の作業にも応用できそうです。

もう一つの柱が、対象を丸・三角・四角に還元する置き換え思考です。家なら三角の屋根に四角の壁、車なら四角い車体と丸いタイヤ、スマートフォンならほぼ四角一つ。

細部を思い切って捨てて、単純な図形に置き換えていく発想です。目に見えない目標や課題は、旗や電球のような別の何かに例えて描く。抽象を抽象のまま扱わず、必ず具体的な図形に翻訳する。

この徹底ぶりが、本書を単なる「絵心のすすめ」から実務書に押し上げています。

人物の描き方も同じ発想で処理されます。表情はタムラカイ氏が考案したエモグラフィという方式に従い、目・口・眉のパーツをそれぞれ数種類ずつ用意して組み合わせるだけで、驚きや焦り、喜びといった感情を10通り以上に描き分けられる

棒人間をやめて胴体を四角にする描き方は、頭・胴体・手足を数ステップで組み立てるだけで完成し、しかも崩れにくい。センスに頼らず再現できる手順に落とし込む姿勢が、章をまたいで一貫しています。

絵は意味を広げ、言葉は意味を絞る

ここまでの章のなかで、いちばん独創的だと感じたのが、絵と言葉を対立させず役割の違いとして説明する視点です。

一枚の山の絵を見せられると、見る人は自然や登山など、思い思いに意味を広げて解釈します。そこに一言添えると、意味は一点に収束する。同じ山の絵でも「今月の目標」と書き添えれば、地理的な山ではなく越えるべき数字の話に変わります。

絵は解釈の幅を広げ、言葉はその幅を絞り込んで焦点を合わせる。両方が揃って初めて、伝えたい範囲を狙って伝えられるという理屈です。

言葉の扱い方にも技術があります。発言をそのまま書き写すのではなく、意味が伝わる最小の単位まで削る。数字が出てきたら数字だけを拾う。文字の形も、線の向き、角の閉じ方、漢字と仮名の大小差、行の基準線という4つのバランスを整えるだけで、手書きでも一気に読みやすくなる。

高速道路の標識で使われる、画数を大胆に省いた書体が引き合いに出されていて、省略しても情報は死なないという主張を裏づける具体例になっています。

構造の捉え方にも一貫した定義があります。あらゆる物事は、構成する要素とその関係に分解できる。使う部品は点、線、面、矢印の4つだけ。会議の議論を、項目を並べるリスト、時間の流れを追うフロー、テーマから広げる放射状、共通点でくくるグルーピング、2軸で比べるマトリクス、階層を表すツリーという6つの型に当てはめる練習を積めば、話を聞きながら「今のはツリーだ」と型を判別できるようになる。

型を先に用意しておくという発想は、絵の巧拙より構造の見極めのほうが重要だという本書全体の主張と一致しています。

余白と色数が、絵の巧拙より効いてくる

配置と色についての章もあります。関連するものは寄せて、揃えるべき線は揃えて、繰り返せるパターンは繰り返して、目立たせたい部分にだけ強弱をつける。この4つを守るだけで、個々の絵が多少ゆがんでいても、情報の構造そのものは伝わります。

とくに要素を寄せる原則については、関連する要素を近づけるだけでなく、関係の薄い要素はあえて距離を取る、という踏み込んだ言い方をしていて、余白を消すのではなく余白そのものを情報として使う発想が新鮮でした。

色数についても同じ発想です。背景色、基本の文字色、目立たせたい強調色、影や囲みに使う補助色。役割を決めて4色以内に絞ると、色を増やすほど見やすくなるわけではないことがはっきりします。

カラフルさは装飾ではなく、絞り込みの結果として使うものだという指摘は、資料作成全般にそのまま応用できそうです。

手が追いつかないのは、全部拾おうとしているから

初心者が最初にぶつかる壁への回答も用意されています。会議についていけないと感じるとき、原因はペンを動かす速さではありません。すべてを描き留めようとすることが、内容を解釈する余裕を自分から奪い、後から読んでも要点の拾えない記録を生んでいる。

解決策として示されるのが、集中して聞く時間と、あえて聞き流す時間を短い周期で切り替える方法です。話し手の感情が高ぶった瞬間、間が空いた直後、話の冒頭とまとめは、集中して聞く場面。

詳細な説明が続くとき、話が脱線したとき、同じ内容が繰り返されるときは、聞き流していい場面。聞き流している間も手は止まっていて構いません。むしろ止めるべきです。

その時間は、直前の発言を頭の中で要約し、紙の上に落とし込むための作業時間だからです。

準備の重要性にも触れられています。会の目的や期待される効果を主催者と事前にすり合わせ、紙のレイアウトまで決めておく。講演にはアジェンダ順に並べる型、対談には発言をつないでいく型、ブレインストーミングには中央から広げていく型と、場に応じて型を使い分ける発想は、即興のようでいて実は準備の産物です。

手際の良さは才能ではなく段取りの結果だと言い換えてもいいかもしれません。

紙の上でなら、発言の重みは対等になる

本書がもう一つ繰り返し強調するのが中立性です。議論を紙やホワイトボードという第三の場に描き出すと、対立の構図が変わります。人と人が向き合う形から、全員が同じ絵を見ながら問題と向き合う形へ。著者はこの効果を「誰が言ったかよりも何を言ったか」という一言に集約しています。

役職の上下も声の大きさも、同じ太さのペンの前では意味を持ちません。実際に200名を超える人権学習の授業で議論をグラフィックにまとめ、体育館のスクリーンに映した高校の事例が紹介されていて、受け身になりがちな大人数の場でも参加意識を引き出せることが示されています。

終盤ではiPadなどのデジタルツールにも触れられますが、本質はそこではないと思います。描く対象を選び、要素と関係に分解し、聞き流す勇気を持つという中身の設計が先にあり、道具は後からついてくる。この構成そのものが、本書の主張を体現しています。

利害が真っ向からぶつかる会議で、グラフィックが結果的に一方の主張を強めてしまわないか。その泥臭い調整については、本書は多くを語りません。中立な道具を扱う人自身の中立性は、また別の技術として学ぶ必要がありそうです。

それでも、次の会議でペンを1本机に置いてみる価値はあります。誰かがスライドを読み上げ始めたら、いったんペンを置く。数十秒前に出た発言を丸で囲み、矢印を1本引いてみる。そこから、聞き方そのものが変わっていくはずです。


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