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『上級国民/下級国民』橘玲|あなたの努力不足ではなく、社会の構造が分断を作っている

思考法・問題解決 ✍ 橘玲
約11分で読めます

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『上級国民/下級国民』
目次

正社員になれない。給料が上がらない。結婚できない。

この三つの「できない」を、私たちはいつのまにか自分の問題として抱え込んでいないでしょうか。努力が足りなかった、選択を間違えた、要領が悪かった。そう自分を責める声は、夜中にいちばん大きくなります。

橘玲さんの『上級国民/下級国民』は、その自責のループにいったん待ったをかける本です。平成という三十年間に日本で何が起きたのかを、感情や精神論ではなく、ひたすらデータで冷たく追いかけていく。

読み終えたとき残るのは「自分はダメだ」という感覚ではなく、「これは構造の問題だったのか」という、奇妙に乾いた納得感です。

ここから先は、本書の議論を編集部なりに三つの軸で組み直して紹介します。労働市場で起きた世代間のしわ寄せ、恋愛市場に生まれた新しい階級、そして世界中を上下に割っていく分断の正体。最後に、その地獄図のなかで個人がどう生き延びるかという橘さんの処方箋まで触れます。

図解

こんな人に読んでほしい

就職氷河期にぶつかって、いまも「あのときの数年」を引きずっている人。バブル崩壊が悪かったのか、自分の判断が甘かったのか、答えが出ないまま年だけ重ねてきた人に、本書は構造という名の答えを返してくれます。

SNSで「上級国民」という言葉が飛び交うのを見て、あるいはフェミニズムへ向けられる過剰なまでの攻撃を見て、その怒りはいったいどこから湧いてくるのかと戸惑っている人。本書はその心理を、道徳ではなく進化心理学の補助線で読み解きます。

そして、格差や貧困のニュースを「強欲な金持ち対まじめな庶民」という勧善懲悪の図式で眺めてきた人。その見方がなぜ現実とずれているのか、本書は静かに突きつけてきます。気持ちのいい本ではありません。でも、世界の地図を一枚更新したい人には効きます。

「上級国民」はもともと、ただのネットスラングだった

いまでは怒りの記号になっているこの言葉も、出発点はささやかなものでした。生まれたのは2015年、東京オリンピックのエンブレム騒動です。専門家が「一般国民にはわかりにくい」と発言したことをきっかけに、「専門家(上級)/一般人(下級)」を皮肉るネットスラングとして広まりました。

この時点では、まだ笑いの混じった軽口だったわけです。

意味が決定的に変質したのは2019年。池袋で高齢の元高級官僚が運転する車が暴走し、母子の命が奪われた事件でした。加害者がその場で逮捕されなかったことから、「上級国民だから守られている」という憶測がネットを覆い尽くします。

ここで「上級国民」は、努力で到達できる「エリート」や「セレブ」とはまったく別の言葉になりました。既得権益に守られ、一度「下級国民」に転落すれば二度と這い上がれない――本書はこの言葉を、前近代の身分制や、抗いようのない自然法則のような分断として捉え直します。

その背景として、本書はまず平成日本が確かに貧しくなったことをデータで突きつけます。一人当たり名目GDPは2000年に世界2位だったものが、2018年には26位まで転落。

労働生産性はアメリカの66%にとどまり、OECD加盟36カ国中21位。さらに22カ国を対象にした調査では、日本の会社員の仕事へのエンゲージメントが最下位で、橘さんはこれを「世界でいちばん会社を憎んでいる」と表現します。

長時間働き、生産性は低く、その会社を誰よりも嫌っている。この三重苦こそが、本書の議論の出発点に置かれています。

ここで一つ補助線を引いておきたいのは、「上級国民」という言葉の不気味さは、それが誰を指すかが曖昧なまま機能している点にあるということです。具体的な誰かではなく、「自分を踏みつけている何か」を名指すための器として広まった。

だからこそ、この言葉が炎上のたびに召喚される現象そのものが、本書の追う分断の症状なのだと読めます。

壊されたのは若者で、守られたのは中高年だった

ここからが本書の一つ目の核心です。

世間の通説はこうです。「バブル崩壊で雇用破壊が起き、正社員が減って非正規が急増した」。多くの人がなんとなく信じている物語でしょう。ところが労働経済学者の神林龍さんが1982年から2007年までの就労状況を分析すると、まったく違う絵が浮かび上がります。

日本全体の正社員比率は、1982年に46%、2007年も46%。四半世紀でほぼ動いていないのです。では非正規が増えたぶんはどこから来たのか。

答えは、自営業の減少(14%から7%へ半減)と、専業主婦だった女性がパートに出たこと。つまりマクロで見れば、正社員が非正規に置き換わったのではなく、別の層が労働市場に流れ込んだだけでした。

ところが、20代男性だけを切り出すと景色が一変します。正社員比率は1982年の75%から2007年には62%へ激減し、非正規や無業者がそのぶん膨らんでいる。

ここから本書が引き出す結論は鋭利です。平成の労働市場で本当に起きたのは、若者(とりわけ男性)の雇用を破壊することで、中高年(団塊の世代)の雇用を守った、世代間のしわ寄せだった、と。

その対比として並べられる数字も印象的です。90年代末の金融危機では「中高年ホワイトカラーが大量リストラされた」と騒がれましたが、労働経済学者の玄田有史さんによれば、当時の45〜54歳の大卒失業者はわずか5万人。

横浜の大きな競技場すら満席にできない規模です。声の大きさと実害の大きさは一致していなかった。本当に失業で追い詰められていたのは、中卒・高卒の若年層でした。

そして、この「壊された世代」がそのまま年を取った結果が、現在のひきこもり問題だと本書は指摘します。内閣府の調査では40〜64歳のひきこもりが61.3万人と推計され、若年層を上回りました。

秋田県藤里町の各戸訪問調査では、人口3200人の町に113人ものひきこもりが見つかり、その割合を全国に当てはめると約500万人に達する可能性があるといいます。

8050問題と呼ばれる現象の根は、二十数年前の雇用構造にまっすぐつながっている。

ここで立ち止まって考えたいのは、この「世代間のしわ寄せ」が、誰かの悪意で設計されたわけではないという点です。既存の正社員を守るというルール自体は、当時の善意でもありました。

ただ、守るべき椅子の数を増やさないまま既存の座席を死守すれば、新しく入ろうとする者が締め出される。善意の制度設計が、結果として一つの世代を構造的に犠牲にした。

この「誰も悪人ではないのに残酷な結果になる」という構図こそ、本書全体を貫くトーンです。

自由な恋愛が、事実上の一夫多妻を生んだ

二つ目の核心は、分断が経済の領域にとどまらず、恋愛にまで及んでいるという指摘です。ここが本書のもっとも息苦しく、もっとも議論を呼ぶ部分でしょう。

まず本書は、現代日本の本当の分断線は「正規/非正規」ではなく「大卒/非大卒」だと言います。社会学者の吉川徹さんがSSP2015のデータから人々の「ポジティブ感情」を算出すると、非大卒(高卒・高校中退)の層は幸福度も生活満足度も明確に低い。

なかでも壮年の非大卒男性は「ほとんどポジティブなものがない」過酷な状態に置かれていました。私たちが勝ち組/負け組と呼んでいる格差は、その正体をたどっていくと、学歴という資格の所有/非所有に行き着くというわけです。

そのうえで本書は、恋愛市場の構造に踏み込みます。男女のすべてが自由に結婚し離婚できる社会では、一見すると最も平等に見えて、実は一部の経済力ある男性に女性が集中する「事実上の一夫多妻」が起きる、という逆説です。

荒川和久さんのデータによれば、男性は年収が低いほど未婚率が高く、年収300万円以下で約3割、200万円以下では約4割が生涯未婚。逆に1000万円以上では95%が既婚に達します。

つまり、ビジネスで成功できない「持たざる者」の男性は、労働市場から排除されるだけでなく、性愛の市場からも排除される。この「二重の排除」が、本書のいちばん残酷な発見です。

橘さんはここで進化心理学を持ち出します。男性の性淘汰では「高い階級に達すること」と「女性に選ばれること」が歴史的に一致してきたため、男性は地位や富を激しく競い合うようプログラムされている。

だからこそ、その競争に敗れると、単に貧しくなるのではなく、人生をまるごと否定されたように感じてしまう。SNSにあふれるミソジニーや、孤独な男性が起こす無差別事件の背景に、このルサンチマン(妬みと恨みの感情)があるのではないか、と本書は読み解きます。

持たざる者の男性は労働市場から排除されただけでなく、性愛からも排除されている。

(本書より。経済からの脱落と性愛からの脱落が重なる「二重の排除」を端的に言い表した一節です。)

興味深いのは、男性優位社会といわれる日本で、実は女性のほうが幸福度が高いという指摘です。年齢や学歴の条件をそろえても、女性のほうが生活満足度も幸福感も有意に高い。

橘さんはその理由を、若い女性が持つ「エロス資本」(社会学者キャサリン・ハキム氏の概念で、性的魅力や対人能力という資産)と、女性が共感能力を発達させてゆるやかな人間関係を築くのが得意なことに求めます。

男性は階層闘争のなかで孤立しやすく、地位を失った瞬間に幸福度が一気に崩れる。ここに、同じ社会を生きる男女の非対称性がある。

この章は、読者によっては強い反発を覚えるところだと思います。恋愛を市場として語ること自体への抵抗もあるでしょうし、進化心理学による説明は「だから仕方ない」という諦めに流れやすい危うさも抱えています。

ただ本書の狙いは現状の追認ではなく、なぜ特定の層の怒りがあれほど激しいのかを説明する補助線を引くことにあります。怒りの正体を見誤れば、対策もずれる。

そう読むと、この息苦しい議論にも意味が見えてきます。

知識社会・リベラル・グローバルが、世界を上下に裂く

三つ目の核心は、この分断がそもそも日本だけの話ではない、ということです。

橘さんは「知識社会化・リベラル化・グローバル化」を、別々の流れではなく三位一体で進む一つの現象だと捉えます。テクノロジーが高度化するほど、論理・数学的能力や言語能力に秀でた一部の層が富を独占する。

その結果、国境を越えてどこでも生きていける新上流階級(本書の比喩でいう「リバタニア」の住人、エニウェア族)と、地元に根ざし伝統を重んじる新下流階級(「ドメスティックス」の住人、サムウェア族)へと、世界そのものが割れていく。

この見立ては唐突なものではなく、複数の先行研究の合流点にあります。経済学者ロバート・ライシュ氏は1991年の時点で、知的で創造的な「シンボリック・アナリティック・サービス」の層が豊かになり、定型業務を担う中流階級が崩壊すると予言しました。

政治学者チャールズ・マレー氏は、アメリカの白人社会が認知能力の高い「新上流階級」と問題行動の増える「新下流階級」に二極化していることをデータで突き止めた。

トランプ大統領の誕生やイギリスのEU離脱は、こうした予言が現実になった姿だと本書は位置づけます。

そのうえで本書は、ポピュリズムを「下級国民による知識社会への抵抗運動」と定義します。知能に生まれつきの差があるかどうかは、最大級のタブーとして長く「言ってはいけない」とされてきました。

しかし知識社会から振り落とされた人々のルサンチマンは、その建前を突き破り、排外主義や反知性主義として噴き出している。日本のヤフコメ欄の炎上も、アメリカのプアホワイトの絶望も、根は同じだという見立てです。

そして本書が最も逆説的で、最も忘れがたいのは、リベラルの理想についての指摘でしょう。あらゆる差別が撤廃され、誰もが自由に自己実現できる社会がもし完成したら、成功も失敗もすべて「本人の努力と才能の結果」になる。

言い訳の余地がいっさいない、究極の自己責任社会、すなわち過酷なメリトクラシー(能力主義)が立ち上がります。差別が残っているうちは「社会が悪い」と言えたのに、差別がなくなった瞬間、敗北は完全に自分のものになる。

「誰もが自己実現できるリベラルの理想世界は、究極の自己責任の世界」なのです。

だからこそ橘さんは、政治的正しさ(PC)を、信仰ではなく処世術として割り切って使うことを勧めます。さまざまな人種や宗教の人が共生する社会での振る舞い方、差別主義者と批判されないためのドライなマナーとして使いこなせ、と。

理想を理想として奉るのではなく、道具として扱うこのクールさが、いかにも橘さんらしいところです。

地獄図のなかで、個人がどう生き延びるか

ここまで読むと救いがない本に思えますが、橘さんは絶望を売る人ではありません。立場は明快で、「社会的に解決できない問題も、個人的に解決することは可能」というものです。

まず、ベーシックインカムのような社会全体への処方箋に、橘さんは懐疑的です。仮に財源があったとしても、豊かな国が給付を始めれば、貧しい国の女性が給付目当てに子を産むといった行動を誘発しかねない。

それを防ごうと国境を閉ざせば、行き着く先は「人類史上もっともグロテスクな人種差別国家」だと言います。そして決定的なのは、お金は分配できても性愛は分配できないという一点。

モテ/非モテの分断は、どんな経済政策でも解けない。だから、社会の救済を待つのではなく、個人で生き延びるしかないという結論になります。

本書が示す生存戦略は、シンプルに二つです。

一つ目は、高度な人的資本を形成すること。知識社会に最適化したスキル、とりわけAIに代替されにくい問題解決や創造に関わる「シンボリック・アナリティック」な専門性に自己投資します。知能を換金できる領域に立つこと、と言い換えてもいい。

二つ目は、評判資本をマネタイズすること。会社にすべてを賭けるのをやめ、SNSや動画プラットフォームで独自の発信を続けて、フォロワーや信用という「評判資本」を少しずつ積み上げる。それが、未来のフリーエージェントとしての足場になります。

どちらの戦略も、突き詰めれば一つのことを言っています。新卒で入った会社の業績という「運・不運」に、人生の全額を賭けるのをやめよう、と。会社を運命共同体とみなす古い価値観を手放すこと。

それが第一歩です。ここで重要なのは、この二つが必ずしも華々しい成功を約束しないことです。橘さんが勧めているのは一発逆転ではなく、自分の手札を増やしてリスクを分散しておくという、地味で堅実な保険です。

残酷な世界に対する個人の応答が「保険を増やす」というのは拍子抜けするほど穏当ですが、構造を変えられない以上、それが誠実な答えなのだと思います。

おわりに

この本を読んで編集部がいちばん救われたのは、橘さんが「あなたの努力不足ではない」と言い切ってくれたことでした。

就職難も、給料の頭打ちも、いわゆる非モテ化も、その多くは個人の責任というより社会構造の歪みから来ている。それを知るだけで、長年自分にかけてきた重しが、少しだけ軽くなります。

ただし本書は、軽くなったぶんを油断に使えとは決して言いません。構造は個人の力では変えられない。だからこそ、変えられる自分の手札を冷静に数えなおせ、と促します。今日できることは、たぶん一つだけ。「会社が一生守ってくれる」という前提を、いったん外してみることです。

橘さんの筆致には容赦がありません。データを突きつけ、慰めを差し控え、希望的観測を許さない。けれど、容赦がないからこそ嘘がない。きれいごとに疲れた人、現実の地図を一枚正確に手に入れておきたい人にこそ、この一冊をすすめます。


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