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『リーダーの教養書』出口治明・楠木建ほか|「すぐ役立つ知識」ほど、すぐ役立たなくなる

学習・インプット ✍ 出口治明・楠木建ほか
約7分で読めます

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『リーダーの教養書』
目次

「フィンテック1時間で早わかり」。この種の本を何冊積み上げても、なぜか思考そのものは強くならない。本書はその理由を一言で片づける。すぐ役立つ知識は、すぐ役立たなくなるからだ、と。

『リーダーの教養書』は、出口治明さんや楠木建さんら各界の第一線に立つ11人が、自分の知的な芯になった一冊を持ち寄り、なぜリーダーに教養が要るのかを語ったブックガイドである。

もとはニューズピックスから生まれた本で、歴史から生物学まで11分野の名著が並ぶ。ただ、読み進めるうちに変わるのは推薦図書リストの中身ではない。

教養という言葉の意味そのものが、静かに書き換わっていく。編集部として通読して感じたのは、これは読書案内の顔をした「頭のOSの入れ替え方」の本だ、ということだった。

図解

教養とは、他人に支配されないための「自由の技術」

まず定義から入りたい。教養は明治期に「リベラルアーツ」を訳した言葉で、直訳すれば「自由の技術」になる。ここでの自由には、はっきりした反対語がある。

奴隷、つまり自分以外の誰かが決めた価値基準に従わされている状態だ。楠木さんは、他人の言葉を鵜呑みにして自分の頭で考えられなくなる不自由を、薬に頼るような状態だと表現する。

だから教養とは雑学の量ではない。他者に強制されず、自分でつくり上げた独自の物差しを持っていること。出口さんは同じことを、対象を自分の言葉でつかみ、自分の言葉で考え、自分の言葉で伝える力だと言い換える。

情報そのものはただの材料で、そこから何を考えどう動くかは、受け取る側の知的能力に丸ごと依存している。誰もが同じ情報を無料で手にできる時代に、値がつくのはこの「自分の言葉」の側だけだ、というわけだ。

ここは頷ける一方で、雑学と教養の線引きは本書でもやや情緒的で、どこからが自分の物差しなのかは読者に委ねられている点は留保しておきたい。

「すぐ役立つ」ほど、すぐ役立たなくなる

本書に痛快な逸話がある。成り上がりの寄付者が母校に「もっとすぐ社会で役立つ学生を育ててくれ」と注文したところ、学長がこう返した。「すぐに役立つ知識は、すぐに役立たなくなりますが、それでもよろしいですか」。

特定の業務に直結するノウハウは、時代や環境が変わればたちまち陳腐化する。対して教養は、物事の抽象度を上げることで得られる。抽象度の高い知識は普遍性を持つぶん、どんな状況にも応用が利く。

結果として、抽象的なもののほうが長く実用に耐えるという逆説が成り立つ。出口さんはこれを「時代性×普遍性」の掛け算で説明する。風雪に耐えた普遍の知恵を大量に仕込み、そこへ今この瞬間の時代性を掛け合わせると、アイデアが無数に湧く。

映画プロデューサーの川村元気さんが、幼少期から大量の映画で普遍性を体に染み込ませ、徹底した取材で時代性を嗅ぎ取り、ヒットを連発した例が引かれる。

掛け算という比喩は分かりやすいが、裏を返せば普遍の在庫がゼロなら答えもゼロになる。だから本書は、まず在庫を積めと繰り返す。

「激動おじさん」を疑い、変わらない8割を見る

教養があるかは一つの口ぐせでわかる、と楠木さんは言う。表面的な変化を前に「要するにこういうことだよね」と言えるかどうかだ。逆に信用ならないのが「激動おじさん」。

いつも「今は激動の時代だ、これまでのやり方は通用しない」と騒ぐ人たちである。だが過去数十年の新聞をめくれば、毎日のように「今こそ激動期」と書かれている。

激動がずっと続くなら、それはもう平常運転にすぎない。

根拠は生物学にも及ぶ。人間の脳は農耕や牧畜が始まった一万年以上前から遺伝子レベルで変わっておらず、喜怒哀楽も商売の根本も当時のままだという。

動いているのは氷山の海面上に出た一、二割、テクノロジーや流行の部分だけ。残る八、九割の本質は動いていない。だから信頼できるのは、枝葉に振り回されず余計を削ぎ落として本質を射抜ける人だ。

楠木さんはこれを品格の話にもつなげ、品があるとは「欲望への速度が遅いこと」だと定義する。目の前のものに飛びつかず、一歩引いて全体を眺める姿勢のことだ。

出口さん自身、フレンチでパンをつい食べ過ぎ、この後も美味しい皿が続きますとボーイに窘められた経験を挙げている。全体の流れを知ってさえいれば、欲望の速度は自然と落ちていた、という自嘲だ。

この「捨てる力」こそ抽象化であり、教養の実技だと本書は言う。理屈は鮮やかだが、何を枝葉と見て何を本質と見るかの判断自体が教養に依存しており、そこは堂々巡りになりかねない危うさもはらむ。

人間はアホである、という冷徹な土台

リーダーの判断の土台になるのが「人間観」、人間とはそもそもどういう生き物かという根本の見方だ。本書が勧めるのは、人はしばしば非合理で一貫性がなく、アホなところがある、というリアルな人間観である。

作家サマセット・モームは、あれだけ人間を観察した末に「首尾一貫した人は誰一人いない」と結んだ。誰もが自分だけは特別だと思っているからだ、と。

歴史がこれを裏づける。エドマンド・バークが『フランス革命の省察』で描いたのは、人間は理性的で賢いという前提から出発した革命が、頭でこしらえた理想を現実に押しつけ、かえって恐怖政治を招いた過程だった。

甲骨文字を研究する落合淳思さんの視点はさらに強烈で、捕虜の首を切って埋めるような理不尽が横行した「商」の時代が、それでも五百年続いた事実を突きつける。

どれほど不条理でも全体の均衡さえ取れれば社会は保つ——この身も蓋もない史実が、人間のいい加減さを見据える揺るがぬ土台になる。経済学の側からも援護がある。

心理学者ダニエル・カーネマンは、人が損失を利益の倍ほど強く痛がるために非合理な賭けに走ることを実証し、行動経済学を打ち立てた。人間は合理的に最短を選ぶ、という前提のほうが間違っていたのである。

この冷めた人間観を最初から抱えておけば、部下の失敗や理不尽なトラブルにいちいち揺さぶられずに済む。職場を元気に保つ器の広さは、じつは人間への諦めの深さから来ている、という逆説がここにある。

人を賢い前提で設計すると裏切られ、アホな前提で設計すると余白が生まれる、と読み替えてもいい。

数字は未来を予測しない——「論理的確信」という拠り所

データ全盛の時代に、本書は冷や水を浴びせる。数字やファクトはすべて過去の記録であって、未来を告げるものではない、と。将来何が起きるかは誰にも読めない。

出口さんはダーウィンを引く。生き残るのは強い者でも賢い者でもなく、たまたま起きた変化に適応できた者だけだ、と。トランプ大統領の初当選も、総数一億票超のうち勝敗を分けたのは二十万票足らずで、統計的には誤差のような接戦だった。

ならばなぜ過去や歴史を学ぶのか。未来が見えない以上、教材が過去の中にしか残っていないからだ。無数の事例からパターンを頭に仕込んでおけば、情報が不完全な決断の場面でも本質をつかんで「要するにこういうことだ」と決められる。

本書はこの拠り所を「論理的確信」と呼ぶ。ブレなさとは精神論ではなく、ストックしたパターンの豊かさが生む知的な余裕なのだ。

象徴的なのが日本電産の永守重信さんで、リーマンショックの際に予定をすべて空け、一カ月ほど一九二〇年代の大恐慌に関する本を読み漁ったという。歴史のパターンさえ頭にあれば、未曾有の危機も「いつか見た風景」として処理できる。

もう一つ、本書が示すリーダー像も添えておきたい。批判や愚痴に終始する傍観者ではなく、自分で提案し実行し結果に責任を負う「家長」であれ、というものだ。

当事者意識の極北として挙がるのが森鴎外で、国家は形式を誤ってはならないという強烈な責任感から、晩年に元号や諡の考証へ命を注いだ。その研究は死後、「昭和」という元号案として結実する。

責任を背負い切る姿勢が、時代を超えて残る仕事を生んだわけだ。そしてここにも逆説が潜む。確固たる核を持つ人ほど、表面のルールは仮置きと割り切れて柔軟に動ける。

出口さんはライフネット生命を立ち上げた際、年齢に関係なく全社員を「さん付け」で呼ぶルールを一括で導入し、難なく貫いたという。人間や社会への確たる見方という核があるからこそ、表層のルールは軽く動かせる。

コアがあるからこそ柔らかくなれる、という指摘は現場感覚として腑に落ちる。

800円でリンカーンを独り占めできる

では教養をどう仕込むか。本書の答えは明快で、あらゆる自己研鑽のなかで読書が桁違いにコスパが高い、というものだ。大統領に直接教えを乞うのは大金を積んでもまず無理だが、八百円でリンカーンの演説集を買えば、一晩その思考を独占して追体験できる。

もう一つの効用が「事後性の克服」である。人は自分で経験するまで物事を理解しにくいが、本で他人の経験を疑似体験すれば、その出来事に出くわす前に考え、備えられる。

読むタイミングも軽視できない。作家の猪瀬直樹さんは、情報収集力や世界観は三十歳までの読書でほぼ決まると言い切る。若いうちに古典や歴史を読み込むと知識のインデックスができ、情報とデマを見分ける目が上がる、というわけだ。

もっとも、ここは本書がやや理想を語りすぎる箇所でもある。何歳からでも遅くないと励ましつつ三十歳で線を引くのは、読者の背中を押すための方便と受け取っておくのが健全だろう。

ニューズピックスアカデミア学長だった佐々木紀彦さんは学生時代に千冊を読んだというが、出口さんは、十冊をコツコツ読み切るだけでも知的な筋力は跳ね上がると、より手の届く数字を示す。

時間のつくり方も具体的だ。楠木さんはテレビを見ない、夜の会食に行かないと割り切って読書時間を捻出する。何かを新しく入れる前に、惰性の習慣を一つ吐き出す——この引き算の発想が、積読を崩す最初の一歩になる。

補足すれば本書は常識をひっくり返す小ネタの宝庫でもある。日本的経営は伝統ではなく戦後にアメリカを模倣した比較的新しい慣行だったこと、鎖国のあいだに日本のGDPシェアが世界の四〜五%から二%へ半減したこと——こうした反直感的な事実に触れるたび、目の前の常識を疑う筋肉がひとつ鍛えられる。

人生百年時代、個人の寿命が会社の寿命を追い越すいま、本書のメッセージは終始一貫している。スキルという「アプリ」を乗せる前に、それを動かす土台の教養、すなわち頭のOSを十年に一度は入れ替えよ、というものだ。まずは気になった一冊の最初の十ページを開くところから、始めてみればいい。


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