「今月、何冊読んだ」と数えていた頃の自分に教えてあげたい話があります。
冊数を競っていたあの頃、本の中身はほとんど残っていませんでした。読んだ達成感だけが手元にあって、半年経つとタイトルすら思い出せない。
出口治明さんの『本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法』は、そんな読み方に正面から「待った」をかける一冊です。著者は1万冊以上を読んできた稀代の読書家。にもかかわらず、速読を「百害あって一利なし」と言い切ります。1万冊読んだ人が速読を否定する——この一点だけで、私は背筋を正されました。
こんな人に効く本
特に刺さるのは、インプットは多いのにアウトプットがない自覚がある人だと思います。私もそうでした。本を読むだけで満足し、半年後には内容を思い出せない。ビジネス書を何冊読んでも仕事のやり方が変わらない。「教養を身につけたい」と思いつつ、何から手をつければいいか分からない。そんな停滞を感じている人に、この本は静かに効いてきます。
逆に、短時間で多くの本をさばきたい人には、たぶん相性が悪い。本書はその対極に立つ思想だからです。
著者がなぜ「教養」にこだわるのか
本論に入る前に、著者の問題意識を押さえておきます。
出口さんは、社会が「工場モデル」から「サービス産業モデル」へ移ったと言います。指示を黙々とこなす人材ではなく、自分の頭で考え、新しいアイデアを生み出せる人が要る時代になった。ところが日本の大学生は本を読まない、というデータも引かれます(米国の大学生との読書量の差は、本書で具体的な数字を確かめてみてください。正直、ここはちょっと衝撃でした)。
この危機感が土台にあるからこそ、著者は教養を取り戻す最強のツールとして「本」を持ち出すんです。
面白いのは、イノベーションの正体についての話です。著者は、新しいものはゼロから生まれるのではなく、頭の中に蓄えた知識の組み合わせから生まれると考えます。引き出しが多いほど、組み合わせの幅が広がる。だから教養が要る、と。この「組み合わせ論」を、ある一流音楽家の言葉を引いて語るくだりがあるのですが、その人選が絶妙で、読みながら深くうなずいてしまいました。
そして著者は、読書を「超一流の人の思考プロセスを、自分の頭でなぞること」だと定義します。たとえば古典の名著を読むのは、有名な「結論」を知るためではない。著者がどんな道筋でその結論にたどり着いたか、その思考のプロセスを追体験するために読む、というわけです。考える力は、先人の考える型を真似ることから始まる——ここは、私の読書観を一段深くしてくれた箇所でした。
速読は「観光バスの旅」と同じ
ここからが本書の一番過激なところです。出口さんは速読を、こんなふうに例えます。
観光バスに乗って世界遺産の前で15分停車し、記念写真を撮って「はい、次に行きましょう」と言って次の世界遺産に向かう旅のようなもの。
写真は撮った。行った気にはなる。でも、何も残っていない。この比喩、刺さりませんか。私は冊数を数えていた頃の自分が、まさにこの観光バスに乗っていたと気づかされました。
では、どう読むか。著者の答えは「本は食べるように読む」。1行ずつ噛んで、納得できるまで読み込み、腹に落とす。分からなければ何度でも戻る。読書は著者との一対一の真剣勝負だ、と。だから著者はテレビもスマホも消し、「よし、いまから読むぞ」と気合いを入れて向き合うそうです。
10冊読んで残るものより、1冊を丁寧に読んで残るもののほうが多い——著者はその割合を具体的な数字で示しています。その数字を見たとき、私の中で何かのスイッチが切り替わりました。どんな数字だったかは、ぜひ本書で確かめてほしいところです。
本選びと読む順番に、独特のルールがある
本書には、思わず試したくなる実践ルームがいくつも出てきます。ここでは代表的なものを一つだけ。
未知の分野を学ぶとき、あなたはどうしますか。普通は、薄くて分かりやすい入門書から入りますよね。でも著者のルールは逆です。
新しい知識を学ぶときには、僕は必ず「分厚い本」から読むようにしています。厚い本が最初で、薄い本が最後です。
厚い本で輪郭を描いてから、最後に薄い入門書で整理する。すると詰め込んだ知識が一気に体系化されて、霧が晴れるように分かる、というわけです。これを著者は「入社直後の上司は、鬼の上司に限る」とユニークに表現しています。半信半疑でしたが、論理を追うと妙に納得させられました。
このほかにも、ビジネス書より古典を勧める理由(人間の脳は1万年以上前から変わっていない、という大胆な前提があります)、心地よい本より「毒」のある本を選べという話、読んだ知識を「使える」状態にするための道具など、思考の引き出しを増やす視点が次々に出てきます。一つひとつのロジックがどう組み上がっているかは、本書でじっくり追体験してみてください。
読んでみて、私が変わったこと
この本を読んで、私は冊数を数えるのをやめました。
速く、たくさん。そう焦っていた頃より、1冊を噛みしめて読むほうが、ずっと記憶に残っている実感があります。読み終えたら「なぜ面白かったか」を一言メモする。それだけで、知識が手元に留まるようになりました。
教養とは、読んだ本の量ではない。「今のあなたが、残りの人生で一番若い」という著者の言葉が、読み始めるのに遅すぎることはないと、静かに背中を押してくれます。冊数の多さに疲れを感じている人ほど、一度立ち止まって開いてほしい一冊です。
合わせて読みたい
『調べる技術 書く技術』佐藤優 出口さんが「先人の思考を追体験する」と説くなら、佐藤優さんは高校教科書を「知性のOS」として土台を固める方法を説きます。教養を血肉にする2つの入口として読み比べると面白いです。
『読書を仕事につなげる技術』山口周 「年間50冊読んでも何も変わらなかった」人へ、という副題そのままに、本書の「言語化しないと血肉にならない」という主張と深く響き合います。読んでも忘れる悩みに効く一冊です。
『20歳の自分に伝えたい 知的生活のすゝめ』齋藤孝 教養は後天的に身につくという立場が、出口さんの「ひとつでも多く知りたい精神」と重なります。古典への入口をもう少し広げたい人に。



