お金を刷っているのは国家の中央銀行で、それは昔から変わらない仕組みだ。多くの人は、そう信じています。
でも、違いました。本格的な中央銀行が世界に広まったのは、せいぜいこの100年ほどのこと。世界最初の近代的中央銀行とされるイングランド銀行(1694年)も、もとはフランスとの戦争費用をかき集めるために作られた民間銀行の一つに過ぎませんでした。
私たちが「当たり前」と思い込んでいるお金の姿は、長い歴史のなかではほんの一瞬の、しかもかなり例外的なスナップショットでしかない。『お金2.0』(佐藤航陽)は、その足元を崩すところから話を始めます。
著者はメタップスという会社で、2億人を超えるスマホユーザーの行動データと、年間数千億円規模の決済を扱ってきた人物です。経済学者が理論から世界を眺めたのではなく、お金が流れていく現場を実務として浴び続けた人が書いた。
だから本書の理屈には独特の「手触り」があります。抽象論で煙に巻くのではなく、実際に動いているお金とデータを背景に語られる――ここが、類書のなかで本書を読む価値の核心だと私は思います。

資本主義から価値主義へ、というこの本の立ち位置
本書の主張を一言に圧縮すると、お金(資本)を増やす時代から、お金の根っこにある「価値」そのものを最大化する時代へ移っていく、ということです。
著者はこの新しい枠組みを価値主義と名づけます。資本主義を全否定するのではなく、その取りこぼしを補う上位概念として置いている点に注意したいところです。
なぜ今この移行が起きているのか。著者は二つの背景を挙げます。一つは「分散化」。スマホとネットの普及で、誰もが仲介者を飛び越えて直接つながれるようになった。
すると、これまで情報や権力を握って手数料を取っていた中間業者の存在価値が薄れていく。力が中央から個人へと逆流しはじめた、というわけです。
もう一つが、資本主義の構造的な限界です。資本主義はお金に換算できる「実用性」しか評価できません。共感、信用、愛着といった、確かに価値があるのにお金に変換しづらいものを、ずっと帳簿の外に取りこぼしてきた。
この溝こそが、真面目に働いて収入も増えているのに不安が消えない人の、違和感の正体だと著者は言います。
私が個人的に刺さったのはここです。「給料は上がっているのに満たされない」という感覚を、根性論や自己責任で片付けず、経済構造そのものの問題として説明してくれる。
原因が自分の心の弱さではなく時代の移行期にある、と腑に落ちるだけで、ずいぶん肩の荷が下りるはずです。ただし、これを「だから稼がなくていい」という免罪符に読むのは早計で、本書はむしろ価値の積み上げをかなり厳しく要求してきます。
その点は後半で触れます。
なぜ人はソーシャルゲームに課金してしまうのか
本書の白眉は、経済そのものを「人間の欲望を起点にした報酬のネットワーク」として解剖していくパートです。
面白いのは、ここで脳科学が補助線として引かれること。欲望が満たされそうになると、脳の報酬系がドーパミンという快楽物質を出す。経済もゲームも、結局はこの同じ回路を刺激して人を動かしている。
著者が紹介する有名な実験では、脳の報酬回路に電極を埋め込んだラットが、ボタンを押すたびに快感が走るよう仕掛けられると、食事も忘れて押し続け、力尽きるまでやめなかったといいます。
報酬の仕組みは、それほど強く生き物を縛る。課金もマネーゲームも、根は同じ回路の上で回っていたと腑に落ちます。
そのうえで著者は、放っておいても勝手に発展していく経済システムに共通する「5つの要素」を抽出します。出し惜しみせず並べておきます。第一にインセンティブ――儲かる、認められる、モテるといった、人が動く明確な報酬。
第二にリアルタイム性――状況が刻々と変わるから、人は飽きずに参加し続ける。第三に不確実性――運と実力の両方が絡むこと。実力だけでも運だけでも人は熱中しません。
第四にヒエラルキー――順位やランクが目に見えること。第五にコミュニケーション――参加者どうしが交流できる場があること。
著者はビットコインを、この5要素が見事に組み込まれた好例として読み解きます。マイナー、投資家、技術者それぞれに報酬が設計され、各自が自分の利益を追えば追うほどネットワーク全体が強くなる。中央に管理者がいないのに回り続ける構造です。
さらに、システムを長生きさせる隠し味として「共同幻想」が挙げられます。参加者全員が共有するビジョンや理念のことで、国家の倫理や企業のミッションがこれにあたる。
これがあると、多少のトラブルでは崩れない。倒産危機に瀕したアップルが、思想に共感する熱狂的なファンに支えられて生き延びたのが象徴的な例です。
自分のサービスやコミュニティを「人が勝手に集まる形」で設計したい人には、この章が丸ごと設計図になります。普段使っているアプリやゲームを思い浮かべ、5要素のどれが欠けていてどれが効いているかをチェックしていくと、読書がそのまま自分の仕事の点検作業になるはずです。
経済は「参加するもの」から「作るもの」になった
次に著者が突きつけるのは、経済圏を作るのは長らく国家の専売特許だった、というこれまでの前提が崩れつつある事実です。
分散化はすでに身近で進行しています。Uberは車を一台も持たず、ドライバーと乗客をつなぐだけで巨大企業になった。Airbnbは部屋を一室も所有せず、貸したい人と泊まりたい人をつないで、設立からわずか数年で数兆円規模の価値を持つに至った。
運営会社はモノを持たず、ネットワークを提供する黒子に徹している。これがシェアリングエコノミーの正体だと整理されます。
著者はフィンテックを2段階に切り分けます。既存の金融の枠組みを壊さずITで効率化するのが「Fintech 1.0」。枠組みそのものをゼロから作り直すのが「Fintech 2.0」で、ビットコインは後者にあたる。
法定通貨と仮想通貨は名前こそ似ていても、適用されるルールは逆向きの「鏡の世界」であり、野球とサッカーくらい別物だ、と注意を促します。混同してリスクを見誤るな、という実務家らしい釘の刺し方です。
そしてこの分散化がAIによる自動化と融合した先に、著者は「自律分散」を見ます。世界中のデータサイエンティストをネットワーク化し、彼らが作った投資モデルで自動運用し、成果に応じて報酬を自動で分配する無人ヘッジファンドのような事例を通して、人が真ん中にいなくても経済が回る世界の輪郭が描かれていきます。
ブロックチェーンを使えば、企業や個人が独自のトークン(代替通貨)を発行して、自分だけの経済圏を立ち上げることもできる。経済は、与えられた場所に「住む」対象から、自分で「作る」対象へと変わったのだ、というのが著者の見立てです。
仮想通貨やシェアリングを流行りのバズワードで片付けてきた人ほど、この章で世界の解像度が一段上がるはずです。個別のサービス名を暗記するのではなく、「黒子に徹してネットワークだけを握る」「自分で経済圏ごと作ってしまう」という共通構造をつかむ。
一度この目を持つと、新しいサービスのニュースに触れたときの理解の速さがまるで変わります。
価値は3種類ある――評価経済という新ルール
価値主義の核心は、「価値」という言葉の定義を大胆に広げたところにあります。著者は価値を3種類に分けます。
一つ目が「有用性としての価値」。役に立つか、儲かるか。これは資本主義がメインに扱ってきた実用的な価値です。二つ目が「内面的な価値」。愛情、共感、興奮、信用といった、実用性はなくても人の心にポジティブに働くもの。
三つ目が「社会的な価値」。慈善活動やNPOのように、社会全体の持続性を高める活動が生む価値です。
これまで二つ目と三つ目はお金に換算できず、帳簿の外に置かれてきました。ところがSNSやトークンの登場で、共感や信用がデータとして可視化され、経済を実際に動かしはじめた。
これが「評価経済」です。著者が挙げる中国のあるインフルエンサーは、数百万人のフォロワーを抱え、年収は数十億円規模に達するといいます。彼女がまず集めたのはお金ではなく、人々の興味と共感だった。
その内面的な価値を、後から広告などでお金に変換している。順番が逆なのです。
企業の世界でも同じ逆転が起きています。売上がほぼゼロだった写真共有サービスが巨額で買収され、その後に膨大なユーザーを抱える資産へ育つ。財務諸表には載らないけれど確実に存在する資産――それが「人材」と「データ」だと著者は指摘します。
今の会計の枠組みは、ネット企業の本当の価値をもう測りきれなくなっている。個人の価値そのものを売買する仕組みすら現れ、信用や時間や影響力という曖昧なものに、トークンが流動性を与えはじめている。
これからの時代に積むべき資産は、お金そのものではなく、お金にいつでも変換できる「価値」のほうだ、というのが本書を貫く主張です。
「儲けを狙う人」ほど、お金が逃げていく
本書で一番痛い逆説が、終盤に置かれています。
金銭的なリターンを第一に考える人ほど儲からなくなり、何かに熱中している人ほど結果的に利益を得られるようになります(佐藤航陽『お金2.0』)
内面的な価値が経済を動かす時代には、因果が逆転します。利益を最優先する姿勢は共感を呼ばず、かえって儲からない。心から熱中している人ほど、その熱量が他人の心を動かし、結果として価値とお金が集まってくる。
商業的に計算して歌う人より、ただ楽しそうに歌う人にファンがつくのと同じ構図です。
なぜこの転換が起きるのか。著者は、物質的に満たされた世代の登場を挙げます。AIによる自動化が進み、最低限の生活が保障されていけば、「お金を稼ぐ」こと自体が人を動かす力を失っていく。
代わりに人は「人生の意義」や「目的」という精神的な充実を強く求めるようになる。だから競争のルールも、決められた枠組みの中で勝ち負けを争う段階から、枠組みそのものを作る段階へと移っていく。
ここで著者が使う「心がサビる」という言葉に、私は線を引きました。日々の義務や合理性に追われるうち、人は自分が何に情熱を感じていたかすら忘れてしまう。
その情熱こそが、価値主義の時代には最大の資産になるはずなのに、です。そして個人が組織に縛られる必然性も薄れていく。本当に価値を提供できる人は、給料というフロー(収入)だけでなく、スキル・経験・信用・人脈というストック(資産)を積み上げる働き方へと舵を切るべきだ、と著者は説きます。
たくさんのお金を動かす人ほど、お金を紙やハサミと同じ「ただの道具」として見ていて、そこに何の感情もくっつけていない――この指摘が、読後もしばらく頭に残りました。
誰がこの本を読むべきか
正直に書いておくと、本書は具体的な投資手法や「今すぐ資産を増やす方法」を求める人には向きません。2017年刊行ゆえ、仮想通貨やICOの個別事例には古さを感じる場面もあります。
それでも本書の価値はまったく色あせていません。むしろAIが日常に溶け込んだ今読むと、当時より予言の精度のほうが際立って見える。資本主義の限界に薄々気づき、お金そのものより「価値」を軸に生き方を見直したい人。
人が自発的に動く仕組みを構造として理解し、自分の仕事やコミュニティに応用したい人。そういう人にとって、本書は思考のOSを入れ替える一冊になります。
読み終えたら、ぜひ「1日中やっても苦にならないこと」を一つ書き出してみてください。「役に立つか」で選ばないこと。他人に「なんでそんなにこだわるの」と驚かれる対象こそ、あなたの内面的価値の源泉です。
それを取り戻すことが、この本が教えてくれる新しい時代の、いちばん最初の入り口になります。
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