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『書くことについて ~ON WRITING~』スティーヴン・キング|文章がもたつく原因は、語彙ではなく不安

コミュニケーション・文章術 ✍ スティーヴン・キング
約7分で読めます

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『書くことについて ~ON WRITING~』
目次

メールの一文目がなかなか出てこない。提出直前の提案書を読み返すと、言いたいことが自分でもぼやけて見える。そんなとき、多くの人はまず自分の語彙や文才を疑う。

スティーヴン・キング氏の『書くことについて』は、その疑いをまるごと退ける。文章がもたつく原因は語彙でも才能でもなく、書き手の抱える不安と、毎日書く習慣が途切れていることにある。ホラー小説で世界を制した作家が、実作から抽出した技術論と、貧困やアルコール依存を隠さない半生記を一冊に重ねた、異色の実用書だ。

文学理論の引用は出てこない。並ぶのは、自作の失敗と成功から拾い上げた、そのまま使える助言だけである。

図解

こんな人におすすめ

提案書を出したあとに「結局どういうことか」と聞き返された人。完璧な構成を先に決めようとして、一行目から手が止まっている人。文章が平凡なのは自分の語彙が乏しいせいだと思い込んでいる人。

この3つの症状に、本書は同じ処方箋を出す。書く前に考えすぎるのをやめ、まず手を動かして像を渡せ、というものだ。「情熱を持て」「読み手を思いやれ」といった、文章読本にありがちな精神論に飽きた人にも向いている。

本書が渡すのは心構えではなく、その日から試せる具体的な手順だ。

「書く」とは、離れた頭に像を届けることだ

キング氏は書くという行為を「テレパシー」と定義する。書き手がある情景を思い浮かべ、それを文字という記号に変換する。読み手はその記号を追いながら、書き手が見ていたのとほぼ同じ情景を、自分の頭の中に再構成する。

書き手と読み手が同じ時刻に同じ場所にいる必要はない。数十年の時差があっても、遠く離れた見知らぬ相手であっても、この転写は成立するという。

この定義がそのまま、本書全体の判断基準になっている。文章がうまいかどうかは、修辞が凝っているかどうかでは測らない。読み手の頭に結ばれた像が、書き手の像とどれだけ一致したかで測る。

だから後の章で語られる語彙、受動態、プロットへの指摘は、すべて同じ一点に収束する。像の転写を妨げるものは削れ、という一点だ。

この基準は業務文書にもそのまま効く。企画書や仕様書が伝わらないとき、原因は言い回しの巧拙より前に、書き手の頭の中にある像がそもそも像として結ばれていない場合が多い。

像がぼやけたまま文字にすれば、読み手の頭にはさらにぼやけた像しか届かない。経費精算の手続きを説明した社内メールが、送るたびに同じ質問を呼び返してくるようなら、原因はたいてい語彙ではない。

手順の順序が、書き手の頭の中でさえ像として固まっていないのだ。書けない朝は、語彙が足りないのではなく、まだ何も見えていないだけかもしれない。

語彙は飾るな、たくさん読んで文法を杖にする

本書は技術を大工道具の比喩で整理する。最上段には語彙と文法を、その下にはパラグラフの組み立てを、さらに下には描写や構成を収める。ここでの語彙の扱いが独特だ。キング氏は語彙を増やせとは言わない。最初に頭に浮かんだ平易な言葉をそのまま使え、と逆のことを勧める。

見栄えのする言葉に置き換える行為を、飼い犬に礼服を着せる仕草にたとえている。読み手を意識するあまり難語で飾ると、伝わる速度はむしろ落ちる。引き合いに出されるのがスタインベックの一節で、大半の単語が一音節の平易な語だけで組み立てられているのに、読む者を確かに揺さぶる。

難しい語を避けても、力強さは失われない。

文法についても同様で、規則で縛る堅苦しいものではなく、思考を運ぶための杖として位置づけ直している。主語と述語の対応、時制の一貫性を、書き手がいちいち意識せずに保てるのは文法があるからだ。

規則を自由の敵として毛嫌いしてきた人ほど、この言い換えは効く。杖は歩く速さを縛るものではなく、歩く速さを上げるものだ。この語彙観を支えているのが、多読の勧めだ。

年に70冊以上を読み、駄作からも学べと言い切る。良い本は目標を教え、悪い本は「これだけはやるな」を教えてくれるからだと、キング氏は説明する。

手持ちの言葉の量は、結局のところ読んだ量に比例する。増やそうと意気込むものではなく、読み続けた結果として増えているものだ、という順序の逆転がここにはある。

社内文書のテンプレートが硬い定型句や気取った言い回しで埋まりがちなのも、根は同じだと編集部は見る。飾った言葉ほど、読み手の理解を遅らせる。読み手の頭に像を結ばせたいなら、語彙は少ないほうがむしろ有利になる場面すらある。

副詞と受動態は、技術ではなく不安の症状

本書でもっとも引用される一文がこれだ。

「地獄への道は副詞で舗装されている」

キング氏は副詞を芝生に生えるタンポポにたとえる。一輪だけなら気にならないが、放置すれば庭全体を覆ってしまう。とりわけ嫌うのが、会話文のあとに添える副詞だ。前後の描写がきちんと仕事をしていれば、ただ「言った」と書くだけで口調は伝わるという。

受動態への忠告も、根は同じところから来ている。書き手が受動態を選ぶのは、責任の所在を文の外へ逃がしたいときだと、キング氏は見抜く。「会議は7時に開催されることとなりました」ではなく「会議は7時から」と書けばいい。主語を立てて言い切るだけで、文章に体温が戻る。

この指摘の射程は、小説の外にも届く。社内メールで主語を消した言い回しが増えるのも、査定資料の結論部が妙に持って回った表現になるのも、同じ心理だと考えると腑に落ちる。

副詞も受動態も、突き詰めれば技術の欠如ではなく、自分の文章が読み手にどう受け取られるかという恐れの表れだ。下手だと思われたくない、反発を招きたくない。

その恐れが、余計な飾りと責任の所在をぼかす言い回しを呼び寄せる。

プロットは立てるな、状況だけを置け

キング氏の主張のなかでもっとも極端なのが、プロットへの否定だ。事前に筋書きを固めるのは腕の劣る書き手のすることで、力量のある書き手ほど結末を決めずに書き出す、と言い切る。

理由は二つ挙げられる。現実の人生に筋書きなどないこと、そして筋書きを練る作業と、物語が自然に立ち上がってくる過程は、そもそも相性が悪いことだ。

代わりに用意するのは「もし〜だったら」という一つの状況設定だけだという。人物を窮地に置き、そこから抜け出そうとする動きを、誠実に観察して書き留める。

物語は作家が組み立てるものではなく、地中に眠る化石のように最初から存在していて、書き手はそれを壊さないよう慎重に掘り出すだけだと、キング氏は語る。

長編の執筆中に筋道を見失い、何ヶ月も筆が止まった経験まで本人が明かしている点に、この方法の危うさも透けて見える。器用に使いこなせる技ではなく、行き詰まりと隣り合わせの賭けなのだろう。

同じ節で語られる「見せて、語るな」という原則も、実は像の転写という最初の定義に戻る話だ。状況や心情を説明の言葉で要約するのではなく、読み手が自分の目で見て自分の頭で結論に達せるだけの具体を並べる。

要約を先に渡してしまうと、読み手は像を結ぶ手間を省かれ、かえって記憶に残らなくなる。

この方法をそのまま業務文書に持ち込むのは危うい。提案資料や報告書は、結論から逆算して組む場面のほうが多いはずだ。ただし、書き出せずに固まっている段階に限れば、話は別になる。

完璧な構成を先に完成させようとする姿勢そのものが、着手を遅らせている場合は少なくない。まず「もし読み手がこの提案を断ったら」のような一つの仮定を置き、そこから書き始めたほうが、机の前で構成図を睨み続けるより早く進む。

なお本書は、技術を身につければ誰でも書いて食べていけるとは約束しない。アメリカで執筆だけで生計を立てられる書き手は全体の5%に満たないという数字を、自ら差し出している。書くための技術を説く本が、この数字を隠さない姿勢に、編集部は誠実さを感じる。

明日から変えられること

キング氏が自分に課す執筆量は、1日2000語、休みは週1日までという厳しさだ。これをそのまま業務に移す必要はない。本書から実務に持ち込める型は、次の三つに絞れる。

まず、書き終えた文書から受動態の一文を選び、能動態に直す。「検討がなされる予定です」なら「私が水曜までに検討します」に変える。副詞にも線を引き、その9割を削ってみる。

次に、キング氏が10代のときに編集者から学んだという削除の公式を使う。

二次稿 = 一次稿 − 10%

原著は最低6週間原稿を寝かせてから削れと勧めるが、業務文書であれば一晩置くだけでも効果は出る。削るのは修飾語と重複であって、数字や固有名詞ではない。字数を1割落とすだけで、文章は驚くほど締まる。

最後に、書けずに固まっている資料があるなら、構成図を作る前に「もし断られたら」の一文だけを書いてみる。完成形を先に決めようとする手が止まっているなら、その手前の一歩を削るほうが早い。

キング氏はもう一つ、規律についても言葉を残している。書斎で霊感が降りてくるのを待つのではなく、決まった時間に机に向かい続けることでしか、書く力は育たないというのが、本書を貫く態度だ。

地下室に住む気難しい男が、書き手の様子を見にやって来る。彼が姿を現すのは、こちらが毎日同じ時間に机に着いていると知ったときだけだという。締切のない自主的な資料作りほど後回しになりやすいのは、この男が顔を出す機会そのものを、書き手自身が与えていないからかもしれない。

1999年、散歩中に車にはねられて瀕死の重傷を負った直後、キング氏は激痛の残る体で本書の続きを書き上げている。書くことは生きることそのものではない。

だが、生きることを支える技術ではある、というのが本書の到達点だ。完璧な構成を待つのではなく、まず一行目を打つ。その一歩の遅れこそが、書けない本当の理由だと、本書は最後まで言い続ける。


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