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『里山資本主義』藻谷浩介|お金に依存しない「保険」を、暮らしの隣に建てる

思考法・問題解決 ✍ 藻谷浩介
約7分で読めます

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『里山資本主義』
目次

給料が十分の一になっても、暮らしの安心はむしろ増える。そんな逆説が、中国山地の過疎の町では現実に起きている。広島県庄原市の和田芳治さんは、裏山で拾った枝を数本くべるだけの手作りストーブで、毎朝のご飯を二十分ほどで炊き上げる。数十万円の炊飯器より美味しいという。

『里山資本主義』は、地域エコノミストの藻谷浩介とNHK広島取材班が、こうした地方の実践を足で追いかけた記録だ。全体を貫くのは「私たちは本当にお金で生きているのか、それとも水と食料と燃料で生きているのか」という一つの問い。

この素朴な問いを手がかりに、本書は日本経済の急所そのものへと踏み込んでいく。

図解

お金の外側に「もう一つの経済」を建てる

里山資本主義とは何か。著者の定義を編集部なりに言い換えれば、お金の循環がすべてを決める「マネー資本主義」の隣に、お金を介さない水・食料・燃料の自給サブシステムを、あらかじめ静かに用意しておく生き方だ。

ふだんは既存の経済の中で働き、稼ぎ、買う。けれど、いざお金が回らなくなったときに効いてくる「もう一つの経路」を、暮らしの足元に埋めておく。

この発想が説得力を持つのは、私たちがすでに一度、その裏返しを体験しているからだ。リーマンショックや東日本大震災のとき、財布にお金はあるのに水も食料も燃料も手に入らない、という恐怖が一瞬よぎった人は少なくないだろう。

本書はあの不安の正体を、精神論ではなく経済の仕組みの言葉で説明してくれる。お金は万能に見えて、実は「モノと交換できる」という一点でしか価値を持たない。

その前提が崩れた瞬間、いちばん頼りになるのは通帳の残高ではなく、暮らしの近くにある現物だったわけだ。

見落としてはいけないのは、本書がマネー資本主義を全否定していない点だ。「お金で買えるものは買えばいい。だが、お金で買えないものも大事だ」という構えのもと、両方のいいとこ取りをする二刀流を勧める。

ここは誤読されやすいところで、里山資本主義は反経済でも清貧の思想でもない。むしろ、効率一辺倒の経済に一本の保険を掛ける、きわめて現実的なリスク分散の発想だと読むほうが正確だろう。

そしてこれは、江戸時代の自給自足に戻ろうという懐古趣味ではない。眠っていた地方の資源に、木質バイオマス発電やCLTといった最新技術を掛け合わせる。過疎や高齢化という「弱み」を、視点を変えて一級の資産として読み替えるところに、この本の一番のスリルがある。

捨てていた木くずが、年四億円に反転する

最初の舞台は岡山県真庭市。西日本最大級の製材業者・銘建工業の中島浩一郎さんは、工場から年間四万トンも出る木くずに目をつけた。かつて木くずは、年二億四千万円かけて産廃として処分する「マイナスの塊」でしかなかった。

中島さんは一九九七年に十億円を投じ、この木くずを燃やして電気を起こす木質バイオマス発電を導入する。結果、工場の電気代が年一億円浮き、余剰電力の売電で年五千万円が入り、消えていた処理費二億四千万円がゼロになった。

差し引きすれば、マイナスだったものが年およそ四億円のプラスへ反転した計算になる。発電量は一般家庭二千世帯分に相当するという。

木くずを固めた木質ペレット(一キロ二十円ほどの固形燃料)も生まれ、真庭のトマト農家・清友健二さんはこれをボイラーに使って、原油高に振り回されない安定経営を手にした。

ここで著者が差し込む指摘が鋭い。家庭のエネルギー消費のうち電気は三割ほどで、残りの暖房・給湯・厨房を合わせた「熱」が大半を占める。世間では電気の話ばかりされるが、地元の木で無理なく賄えるのはむしろ熱の側だ、というのだ。

真庭市はすでに市全体のエネルギーの約一割を木で自給しており、これは日本平均の自然エネルギー比率のおよそ十一倍にあたる。捨てるしかなかったゴミを燃料と読み替えた瞬間に、赤字は黒字へ、廃棄物は地域の電力へと裏返る。この一件だけでも、地方には市場価格でゼロと値づけされた「簿外資産」が眠っていることが伝わってくる。

森で稼ぐ国と、都市へ伸びる木造ビル

これは日本の過疎地だけの生存術ではない。第二章で著者は、同じ発想を国家規模でやり切った国を見せる。オーストリアである。

国土は北海道ほど、森林面積は日本の一五パーセントほどしかない。それなのに丸太の年間生産量は日本全国を上回る。森林マイスターという専門職が育ち、林業は高収入で憧れの最先端産業になっている。

哲学も徹底していて、森の年間成長量のうち七割しか伐らない。元本には手をつけず、増えた利子だけで暮らす感覚だ。だから百年先も森は枯れない。

面白いのは、持続可能に使うことと、しっかり稼ぐことが両立している点である。木材関連産業は年三十億〜四十億ユーロの貿易黒字を生み、この国の外貨獲得源の第二位を占める。

象徴が人口四千人ほどの町ギュッシングで、木質バイオマスの地域暖房に切り替えてエネルギー自給率を七割超まで高めた。域外へ流れ出ていた光熱費が町の中に残り、安い熱を求めて企業が次々に移転し、雇用が生まれたという。

技術の進歩も効いている。木を燃やすボイラーの燃焼効率は、昔の薪ストーブの六割程度から九割超まで上がり、同じ熱量なら灯油の半額で暖がとれるという。かつての「非効率な田舎の暖房」というイメージは、もう実態に合っていない。

木の可能性を都市へ伸ばすのがCLT(直交集成板)だ。板の繊維を直角に重ねて接着した木材で、コンクリートや鉄に迫る強度を持ち、表面が炭化して燃え止まるため火にも意外なほど強い。

ロンドンやミラノでは、すでに十階前後の木造ビルが建っている。日本の林業を斜陽産業と決めつける常識が、ここで静かに崩されていく。国土の七割が森という日本は、見方を変えれば世界有数の資源大国だという、この本の裏テーマがくっきり浮かび上がる場面だ。

規格外を高く買い、手間を返し合う

続く章で、本書はビジネスと福祉の常識をそれぞれ裏返してみせる。

山口県周防大島町でジャム店を開いた松嶋匡史さんは、電力会社を辞めて移住し、ジュース用に一キロ十円で買い叩かれていた規格外のミカンを、あえて十倍の百円で買い取る。

不揃いも手作業も隠さず物語として発信したところ、一瓶七百円のジャムが評判を呼び、二十人を超える雇用が生まれた。安く大量に仕入れる定石を捨て、地元の資源を高く買うことで、農家も店も地域も同時に潤う。

似た逆転は各地にある。島根県の洲濱正明さんは耕作放棄地で牛を放牧し、毎日草が変わるから牛乳の味も変わるという「ばらつき」を、「搾った日ビンテージ」というワインのような価値へ翻訳して市場の五倍で売り切る。

均質と大量生産を追う発想の、ちょうど反対側だ。背景に著者が見るのは、モノの所有より人や社会とのつながりを確かめられる「使用価値」を選ぶ、若い世代の消費観の変化である。

福祉の現場でも同じ反転が起きる。広島県庄原市の熊原保さんは、デイサービスに通うお年寄りが家庭菜園の余り野菜を腐らせているのに気づき、それを施設の給食用に買い取って「にこにこ通貨」という地域通貨で返す仕組みを作った。

施設は県外からの仕入れを減らせ、お年寄りは「誰かの役に立っている」という張り合いを取り戻す。ここで効くのが、お金ではなく自分の一手間を返し合う里山の互助、いわゆる「手間返し」だ。

何円分か誰にもわからないカボチャの贈り合いが、いざというときの支え合いのネットワークになる。和田さんはお年寄りを「光齢者」と呼び替える。介護される弱者ではなく、暮らしの知恵を持つ生きる名人だ、と。

デフレも少子化も、動かしているのは人口の波

最終章で、話は一気に国全体へ届く。著者が前著『デフレの正体』から一貫して唱えるのは、デフレの正体は景気ではなく人口だという見立てだ。物が売れないのは生産年齢人口が減る「人口の波」のせいで、だから金融緩和だけでは根本は動かない。

加工貿易も資源高で逆ザヤに陥り、二〇一一年に日本は三十一年ぶりの貿易赤字へ転落した。稼いだ富の多くが化石燃料代として海外へ流れ出ているからだ。

ここに、水・食料・燃料を域内で回す里山資本主義が、外貨の流出を止める処方箋として接続されていく。著者はもう一つ、眠れる資産も指摘する。高齢者は死亡時に平均三千五百万円を残し、毎年およそ三十五兆円が使われないまま相続されている。

その一部でも生前に地域で回れば、景気の景色は変わるはずだという。

少子化についても著者は常識を裏返す。統計を見ると、女性の就労率が低く通勤の長い大都市ほど出生率は低く、東京は全国最低の水準だ。逆に共働きが当たり前で手間返しの厚い日本海側の地方ほど出生率が高い。

子どもはお金より、支え合いのある場所で生まれている、というわけだ。結論は、矛盾する二つを戦わせて高い次元へ引き上げるアウフヘーベン(止揚)。

都会のスマートシティが掲げる「限られたエネルギーをITで分け合い、つながりを取り戻す」思想は、里山資本主義と驚くほど重なる。両者は対立ではなく、二十一世紀の日本を支える車の両輪だ、と本書は着地する。

ただ、留保も必要だろう。里山資本主義でお金の取引が減れば、GDPの数値はむしろ下がる。著者もそれは認めている。本書が測っているのは金額ではなく、いざというときに生き延びる力のほうだ。

とはいえ、紹介される事例の多くは突出した個人の熱量に支えられており、それをどこまで一般化・再現できるかは読者が引き取るべき宿題として残る。過疎を資産と読み替える視点の転換は鮮やかだが、実装の難しさまで甘く見せてはいけない。

それでも、お金で買えるものは買えばいい、ただお金で買えないものを一つだけでも持っておく——その「保険」の思想は、私たちの不安の正体を静かに解きほぐしてくれる。


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