戦略の教科書を何冊も読み込んだはずなのに、いざ自社の戦略会議になると、口をついて出るのは当たり障りのない打ち手ばかり。そんな居心地の悪さを覚えたことはないだろうか。
厄介なのは、これが勉強不足のせいではないことだ。原因はむしろ逆で、みんなが同じ理論を学び、同じフレームワークで頭を回すからこそ、たどり着く結論まで似通ってしまう。『戦略「脳」を鍛える』が最初に突きつけるのは、この不都合な事実である。
著者の御立尚資さんは、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)の日本代表を務めた戦略コンサルタント。本書は、BCGが磨いてきた「勝てる戦略のつくり方」を、一部の天才だけが持つセンスではなく、誰もが訓練で身につけられる技術として解剖した一冊だ。
以下では、その中核となる考え方を編集部なりに読み解いていく。
なぜ戦略論に詳しい人ほど、平凡な答えに落ち着くのか
本書の出発点は、やや挑発的な宣言だ。戦略論を勉強するだけでは、勝てる戦略はつくれない――。
なぜか。世に流通する戦略フレームワークの大半は、過去に成功した企業の勝ちパターンを、後から観察して型にまとめたものだからだ。御立さんはこれを囲碁や将棋になぞらえ「定石」と呼ぶ。
定石は基礎として学ぶ価値があるが、誰かが発見した成功パターンは、公開された瞬間から模倣が始まる。真似され尽くせば、それはもう差別化の武器ではない。
だから戦略の本質は、定石の先にある「戦い方そのものの発明」にある、と著者は説く。相手の土俵で優劣を競うのではなく、自分に有利なルールのゲームを新しく立ち上げてしまうこと。
戦略をいちばん平たく言い換えれば「ケンカのしかた」なのだ、という定義は乱暴に見えて核心を突いている。
象徴的な例として挙げられるのが、1997年にNASAが火星に送り込んだ探査機パスファインダーだ。巨額の予算で精密な着陸船を一から設計する――それが当時の定石だった。
だがチームはこの王道を捨て、パラシュートやエアバッグ、安価な固形燃料ロケットといった既存技術を寄せ集める道を選ぶ。探査機を時速56キロで火星表面に「落下」させるという荒っぽい方法で、従来の3分の1のコストで着陸を成功させた。
定石を疑ったからこそ開けた勝ち筋である。
戦略は「定石+インサイト」──勝ち筋は2つの公式に分解できる
では、定石を超えるための”プラスアルファ”の正体は何か。本書はそれを「インサイト」と名づけ、思い切って数式のように分解してみせる。
第一の式はこうだ。ユニークな戦略=定石+インサイト。インサイトとは、著者の言葉を借りれば「勝てる戦略を構築するための頭の使い方」であり、その結果として得られる独自の視座を指す。
ここが本書の面白いところで、御立さんはインサイトを生まれ持った才能として神秘化しない。さらに一段、分解を続ける。
第二の式は、インサイト=スピード+レンズ。スピードは仮説を立てて検証する思考の速さ、レンズはユニークな仮説を生むためのものの見方だ。この2軸に切り分けた瞬間、インサイトは「授かるもの」から「鍛えられるもの」へと性質を変える。
個人的に唸らされたのは、著者がこれを知識として覚えて終わりにさせない点だ。跳び箱を跳べるようになるのと同じで、自分の頭を実際に動かす体験を繰り返さなければ身につかない――そう釘を刺し、本書自体を事例で疑似体験させる構成にしている。
ただ、裏を返せば、この因数分解の美しさ自体がいずれ「定石」化する危うさもはらむ。本書のフレームを暗記するだけでは、著者が戒めたはずの同質化に自分から陥りかねない。
そこは読み手が引き受けるべき緊張だろう。
スピードの正体は右脳と左脳の高速往復
まずスピードから見ていく。本書はこれをさらに細かく、スピード=(パターン認識+グラフ発想)×シャドウボクシング、と表す。
要するに右脳と左脳のコラボレーションだ。右脳でイメージ的に仮説をひらめき、左脳で論理的に検証する。この往復を猛烈な速さで回す。象徴的なのが、棋士・羽生善治さんの脳波を測った実験である。
アマチュアなら数日を要する難解な詰将棋を、羽生さんはわずか20分で解いた。その大半で活発に働いていたのは、駒の動きを映像で読む右脳だった。左脳が出てくるのは、読み違いに気づいて修正する場面と、最後に「詰み」を確定する数分だけ。
一流はひらめきと論理チェックを絶妙な配分で並行処理している、というわけだ。
三つの要素を噛み砕くと、こうなる。パターン認識は、論理をゼロから積み上げる手間を省く技術だ。戦略の勘所を「コンセプトワード」として頭に蓄えておき、新しい現象に出会った瞬間に当てはめる。
本書はそのコンセプトを、コスト系・顧客系・構造系・競争パターン系・組織能力系の5系統に整理している。肝心なのは事例を丸暗記することではなく、コンセプトワードを引き出しのラベルにして、その奥へ具体例を放り込んでおくことだ。
グラフ発想は、目の前の事象を言葉ではなくグラフのイメージに変換し、右脳で動的にシミュレーションする技法。単にきれいに図解する「絵で考える」とは違い、ざっくりとでも数量の大小や流れを含むから、変数を動かして「こう変えたら結果はどうなるか」を試せる。
ここで著者が繰り返し戒めるのが「脱平均」だ。平均値は個々の尖った特徴を平らにならしてしまい、その削られた部分にこそ価値ある仮説が眠っている、という指摘は多くのデータ分析への痛烈な警告でもある。リピーターは顧客の3割ほどなのに利益の7割を稼ぐ、といった偏りは、平均を眺めているだけでは永遠に見えてこない。
そして最後がシャドウボクシングだ。右脳でひらめいた仮説は、まだ自分にしか通じない「イメージ」にすぎない。そこで頭の中に架空の批判者を立て、「穴はどこか」「矛盾はないか」と自分の仮説を殴らせる。
攻防を通じて、自分に通じるイメージを他人にも通じるロジックへ加工していく。この工程を省くと、戦略は独りよがりのまま組織を動かせない。
3つのレンズで、見えなかった仮説を掘り当てる
スピードの次はレンズ。人は誰しも、無意識に使い慣れた「見方のメガネ」に固執している。それを意識的に外し、別のレンズに掛け替えると、これまで視界に入らなかった仮説が立ち上がる。本書は特に強力な3種のレンズを、9つのアプローチとともに提示する。
一つめは拡散レンズ。狭まった視野を広げる見方だ。誰も市場と見なしていない手つかずの余白を狙う「ホワイトスペースの活用」、事業の活動範囲を川上・川下へ伸ばす「バリューチェーンの拡張」、長い時間軸から未来の需要を読む「進化論的思考」が並ぶ。
二つめはフォーカスレンズ。今度は逆に、対象を狭く深く掘り下げる。その代表格が「ユーザー憑依」だ。本書でとりわけ印象的なのが、あるゴキブリ用殺虫剤メーカーの逸話である。
調査の過程で「週に一缶を丸ごと使い切るおばあさん」という、平均から大きく外れた顧客が見つかった。観察してみると、彼女はゴキブリの足が完全に止まるまで何分も噴射し続けていた。
本当の不満は「死なないこと」ではなく「足が動いている不快感」だったのだ。そこから生まれた「瞬時に動きを止める殺虫剤」は大ヒットし、成熟しきった市場を再び成長軌道に乗せた。
消費者が口にするニーズよりも、言葉にならない不満(コンプレイン)の中にこそ商売の手がかりが眠っている、という視点は多くの商品開発に効く。フォーカスレンズには他に、小さな力で全体を動かす「テコ」、費用対効果が最大の一点を突く「ツボ」がある。
三つめはヒネリレンズ。あえて思考をねじ曲げる見方だ。他社や業界の常識と正反対を行く「逆バリ」、統計上ノイズとして捨てられる極端なユーザー(アウトライヤー)に革新の鍵を見る「特異点の観察」、ある業界の成功の仕組みを別の業界へ移植できないかと問う「アナロジー」。
先ほどのおばあさんは、まさに特異点の観察が拾い上げた宝だった。ただ、これらのレンズは万能の道具箱ではない。どの局面でどれを掛けるかの判断そのものにセンスが要る点は、正直に留保しておきたい。
個人の限界はチームの「知的な摩擦」で超える
ここまでは個人の頭の使い方だが、本書は組織にも踏み込む。掲げるキーワードは「多様性からの連帯」だ。
優秀な人材を集めても、似た経歴と発想の同質集団では、予定調和のアイデアしか出てこない。定石を超えるには、仮説を出すのが得意な人、鋭くツッコむのが得意な人、現場のデータを丹念に見る人――異なる強みと気質をぶつけ合う「知的な摩擦」が要る。
とはいえ摩擦は扱いを誤れば、芽吹いたばかりのアイデアを踏み潰す。
そこで本書が処方するのがPNIルールだ。議論は必ず、P(ポジティブ=まず良い点)、N(ネガティブ=懸念点)、I(インタレスティング=興味深い点)の順で進める。
未完成のアイデアをいきなり批判で潰さず、まず面白がり、その上で課題を洗い出し、可能性へ育てる。順番を決めておくだけで、チームの創造性は守られる。
会議の空気に覚えのある人ほど、この一手の効き目は腑に落ちるはずだ。
明日からできる、戦略脳のトレーニング
最後に、今日から手を動かせる訓練を本書から三つ引いておく。
一つめは、自分の頭を上空から見下ろすこと。何かを考えている最中に、今の自分は右脳(イメージ)と左脳(ロジック)のどちらを使っているかを、もう一人の自分に観察させる。理屈に偏りがちなら、ノートに絵や図を描いて強制的に右脳を起こす。
二つめは、ニュースをコンセプトワードで仕分けること。記事を「面白かった」で閉じず、「これは先行者利得の例だ」と戦略の語彙とセットで記憶する。引き出しのラベルが増えるほど、いざというとき仮説が速く取り出せる。
三つめは、課題にぶつかったらまず逆バリを試すこと。競合が大きな市場と効率を追うなら、自分はあえて小さな市場で固有の信頼関係を武器にできないか。常識の反対側をシミュレーションする癖が、突破口の入り口になる。
戦略の力は生まれつきの才能ではなく、鍛えられる頭の使い方である――本書を貫くこの確信は、フレームワーク疲れに陥ったビジネスパーソンにとって、静かな励ましになるはずだ。
次にニュースを読むときは、「面白い」で閉じる前に一度だけ問うてみてほしい。この裏側で何が起きていて、逆から見たら何が見えるのか。その小さな一問こそが、戦略脳の最初の一歩になる。
