「DXをやれ」という号令だけが宙に浮き、SaaSをひとつ導入して満足している——そんな現場は、いまも珍しくありません。及川卓也さんの『ソフトウェア・ファースト』は、その満足がなぜ本質から外れているのかを、静かに、しかし容赦なく突きつけてくる一冊です。
平成元年、世界の時価総額ランキング上位50社のうち32社が日本企業でした。それが平成の終わりにはたった1社、35位のトヨタ自動車を残すのみ。
この30年の凋落を、著者は「日本はソフトウェアを効率化の道具と見下し、事業の武器にできなかった」と診断します。DEC、マイクロソフト、Googleとプロダクト開発の最前線を渡り歩いた人の言葉だけに、重い。
ただ本書の値打ちは嘆きではなく処方にあります。経営者から現場のエンジニアまで、レイヤーごとに「では何をするか」を一気通貫で示していく。ここを一緒に読み解いていきましょう。
「手の内化」——DXの正体は、主導権を取り戻すこと
本書の主張を一語に圧縮すると「手の内化」になります。ITの企画から設計、実装、運用まで、すべての工程を自分たちのコントロール下に置くこと。外注への丸投げをやめ、自社が舵を握る。それができて初めて、ソフトウェアは事業の武器に変わる——というのが背骨の論理です。
及川さんが鋭いのは、外注を「作ったその日から負債を抱えているようなもの」と言い切るところです。開発を外に出せば、ノウハウは社内に残らず、ユーザーの反応に即応することもできない。効率化やコスト削減のつもりが、じわじわと競争力を削っていた、というわけです。この逆説は、身に覚えのある担当者が多いはずです。
ここで編集部として一つ留保を添えるなら、「手の内化=何もかも自前主義」ではない点は読み違えないほうがいい。クラウドも既製ツールも、使えるものは使い倒していい。
要は、事業の急所となる部分の主導権だけは手放さない、という話です。全部を内製しようと抱え込んで疲弊するのは、本書の意図とはむしろ逆の失敗になります。
サービス化の波が、開発の常識を書き換えた
なぜ手の内化がそこまで重要なのか。出発点は「あらゆる産業がサービス化している」という認識です。
音楽が象徴的でしょう。レコードからCD、MP3、そしてストリーミングへ。「所有」から「利用」、さらに「体験」へと価値の重心が移りました。ソフトウェアも同じで、売り切りのパッケージから、使い続けてもらうSaaS(クラウド経由で提供する形態)へ。
この移行が、開発のリズムを根こそぎ変えます。
かつては数年ごとの大型バージョンアップという「階段状」の進化で足りた。いまは小さな改善を絶え間なく重ねる、なだらかな直線の進化が要る。だからアジャイル(短い反復でユーザーの反応を確かめる手法)とDevOps(開発と運用が一体でプロダクトを育て続ける文化)が要になります。
本書がくり返す「リリースしてからが本番」という発想は、モノづくりとの決定的な分岐点です。作って納めれば終わり、ではない。売った瞬間こそが、育成のスタートラインになる。
もっとも、2019年刊の本書が説くこの主張は、2026年のいま読むと半ば常識化した観もあります。それでもなお刺さるのは、頭では分かっているのに現場は階段状のまま、という組織が日本にはまだ多いからでしょう。言葉が古びていないのではなく、現実が追いついていないのです。
日本を縛った「製造業信奉」と狩野モデルの落とし穴
では、なぜ日本はこの波に乗れなかったのか。著者の診断は「間違った製造業信奉から抜け出せなかった」です。
製造業のモノづくりは、図面どおりに、ばらつきなく、欠陥なく複製することがゴールになります。この成功体験が強烈すぎた、と本書は見ます。ここで持ち出されるのが狩野モデル。
品質を分類する枠組みで、キモは二つです。「当たり前品質」は、あって当然・なければ不満が出るもの(車なら、走る・止まる・曲がる)。「魅力品質」は、なくても不満はないが、あれば大きな満足を生むもの。
日本企業が磨いてきたのは前者でした。ところが当たり前品質は、どれだけ突き詰めても顧客満足度を押し上げない。人の心を動かすのは魅力品質のほうです。
バグをゼロに近づける執念の一方で、感情を揺らす価値づくりが痩せていた——この対比は、耳が痛い人が多いはずです。
ただ本書は日本を見限りません。現実世界の強みとITを掛ける「フィジカル×サイバー」に勝機を見ています。移動をアプリひとつで完結させるフィンランドのMaaS「Whim」のように、リアルとソフトの融合は日本が挑める土俵だ、と。
ここは編集部としても希望の持てる論点です。ソフト単体でGAFAと殴り合うより、製造・物流・現場という手札を接続点にするほうが、勝ち筋は太い。
「使われないプロダクトはゴミ」から始める企画論
企画の章で、及川さんはあえて強い言葉を置きます。「使われないプロダクトはゴミである」。コードを書くこと自体が目的化していないか、と問うのです。
実装は手段にすぎず、ユーザーの課題を解いて初めて意味を持つ。だからNPS(顧客推奨度を測る指標)や利用ログといったデータで、本当に使われているかを検証し続けろ、と説きます。
面白いのは、その一方でユーザー調査を鵜呑みにしない姿勢です。人は謝礼のために、あるいは無自覚に「求められていそうな正解」を答えてしまうし、自分が本当に欲しいものにも気づいていない。
だから革新は、入念な市場調査ではなく作り手の仮説から生まれることが多い——一見「使われてなんぼ」と矛盾しますが、本書は両者をハイブリッドで結びます。
まず仮説にもとづくプロトタイプを作り、実ユーザーで検証しながら育てる。作り手の直観(プロダクトアウト)と市場の声(マーケットイン)を往復させる、この反復こそが軸なのです。
方針をぶらさない道具立ても具体的です。PRD(製品要求仕様書)で対象ユーザーと要件を文書化し、要旨は「ワンページャー」一枚に凝縮する。開発前にあえてプレスリリースを書き、ユーザー目線の魅力を先に検証するアマゾン流も紹介されます。
なかでも編集部が推したいのがインセプションデッキです。「我々はなぜここにいるのか」「やらないことリスト」「夜も眠れない問題」といった十の問いに着手前に答え、関係者全員で骨太の方針を握っておく。
言い出しにくいことを、最初に机の上へ載せてしまう——これは技術職でなくても効く、きわめて実用的な作法だと思います。
内製と出島——古い組織のまま新しいものは作れない
企画が固まっても、外注前提の体制では実現できません。内製化を推す理由は、スピードとノウハウの二点に尽きます。ユーザーの反応に即応するには社内で完結する体制が要る。そして失敗から得た学びこそが財産になるのに、外注するとその知見は社内に残らない。
組織づくりでは役割の明確化が説かれます。プロダクトの成功に責任を持つプロダクトマネジャー、開発組織を束ねるエンジニアリングマネジャーやVPoE、技術の最終責任を負うCTO。
これらを曖昧なままにしない。そして既存組織との摩擦をかわす知恵が「出島戦略」です。新しいチームを、古い評価制度や社内文化から切り離した別組織として立てる。
長崎の出島よろしく、いわば治外法権をつくって新芽を守るわけです。
採用と評価の視点も独特です。優秀なエンジニアを惹きつけるのは給与よりも「挑戦しがいのある開発テーマ」だと言い、評価基準は他社のコピーではなく、自社で優秀とされる人の特徴をボトムアップで抽出して作れと勧める。
リモートやフレックスが「サボりの温床」になるという通念にも切り込み、機能しないのは制度のせいではなく、労働時間という古い物差しに頼るマネジメント側の怠慢だと断じます。
ここは賛否が割れるでしょうが、少なくとも「制度を責める前に、測り方を疑え」という指摘は正鵠を射ています。
π型人材という、個人の生き残り戦略
最後は個人へ降りてきます。組織が変わるには、一人ひとりが変わるしかないからです。
キャリアの軸として示されるのがT型からπ型への進化です。T型は、一つの専門性(縦軸)と幅広い周辺知識(横軸)を持つ人。π型は、そこに二本目の縦軸を立て、二つ以上の突出した専門性を掛け合わせた人です。
ここで引かれるのが藤原和博さんの発想。一万時間の努力で「100人に1人」になれる。それを異なる領域で三回くり返せば、掛け算で「100万人に1人」の希少性に届く。
藤原さん自身、営業とマネジメントに「公立中学校の校長」という異質な軸を足し、その座を手にしました。
エンジニアの道は三つに整理されます。技術を極めるスペシャリスト、人と組織を育てるエンジニアリングマネジャー、事業成果にコミットするプロダクトマネジャー。
どれも対等なプロの道であって、昇格したら自動的に管理職、という発想を本書は退けます。締めに置かれるのが「計画的偶発性理論」。綿密な計画より、予想外の出来事のほうがキャリアを左右する。
だからガチガチに固めず、好奇心で未知へ飛び込むほうがいい。常に自分の限界より少し上を目指せる場に身を置くこと——この一言は、肩書に関係なく効きます。
一言でいえば本書は、ITを外注する「便利な道具」から、自社を作り替える「最大の武器」へと捉え直すための戦略書です。及川さんは、すべての進化は変化から始まる、その意味で日本はいま変化が止まっているのだ、とくり返します。
止まったものを動かすのに、大改革は要りません。身近な業務をひとつ、ソフトウェアで小さく良くしてみる。その一歩が、あなたの周囲の温度をゆっくり変えていきます。
さて、あなたならどの業務から手をつけますか。
