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『テクノ・リバタリアン』橘玲|天才たちが国家を捨てようとする理由

思考法・問題解決 ✍ 橘玲
約7分で読めます

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『テクノ・リバタリアン』
目次

飛行機が激しく揺れたとき、たいていの人は座席の肘掛けを握りしめて最悪を想像する。ところが同じ揺れのなかで、墜落確率をベイズの定理で更新し直し、「それでも十万分の一だ」と冷静に着陸を待てる人間がいる。

世界を恐怖ではなく数式で見る脳。その持ち主たちが、いまシリコンバレーで社会そのものを設計し直している。橘玲『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』は、その脳の内側を解剖しようとする一冊だ。

火星移住、暗号通貨による国家の解体、AIによる監視社会。一見ばらばらに見える野心の裏に、もし一本の思想が通っているとしたら、それは何か。本書はその問いに、礼賛でも断罪でもなく、彼らの認知の構造から答えていく。

感情を手放し数学を得た脳が、世界を作り変えている

本書がまず提示するのは、テクノ・リバタリアンとは「極めて高い論理数学的知能を持つ自由原理主義者」だという定義だ。認知科学の言葉では「ハイパー・システマイザー」。

パターンを見抜き論理を積み上げる回路が突出して発達する一方、他者の感情を読む共感の回路は弱い。自閉症傾向と重なるこの偏りを、著者は脳のリソース配分の問題として説明する。

論理と言語の両方を同時に最高水準へ振り分けることは、脳の容量上むずかしい。何かに秀でることは、別の何かを諦めることでもある。

第一世代の象徴がイーロン・マスクとピーター・ティールだ。IQ175以上は約350万人に1人、日本に約30人しかいないとされるが、この高すぎる知能は祝福であると同時に「高知能の呪い」でもある。

大半の人と話が合わず、孤立や精神疾患と隣り合わせになるからだ。だから彼らは同類だけで固まる。ティールとマックス・レヴチンは、出会って数時間ひたすら数学クイズを出し合い、それで互いを「同類」と認めてペイパルを立ち上げた。

ティール自身、究極の組織のメンバーは身内を無視し外界を遮断してつるむものであり、そんな組織は世間から「カルト」と呼ばれる、と冷徹に語っている。

競争観も独特だ。彼らにとって競争は利益を削る敗者の戦略であり、真に利益を生むのは独占。だから最適解はしばしば協力になる。実際ティールは創業間もないFacebookに50万ドルを投じ、最終的に10億ドルを回収してみせた。

他人が競い合う土俵に降りず、独占の生まれる場所に賭ける——この、常識を裏返す発想の型そのものが、以降のすべての議論の入口になっている。

自由・平等・伝統・効用は同時には手に入らない

本書は複雑な政治思想を四つに整理する。自由を至高とするリバタリアニズム、自由に平等を足して再分配を認めるリベラリズム、自由に伝統を足して共同体の絆を守る共同体主義、そして結果としての幸福量を最大化する功利主義。

読みどころは、この四つが原理的に同時には成立しないと言い切る点だ。自由で平等で絆もあり効用も最大な社会は机上の空論であり、何かを得れば何かを失うトレードオフから逃れられない。

ここで著者は進化心理学を持ち込む。心理学者ジョナサン・ハイトによれば、人間の道徳には六つの基盤があり、保守派はその全部を、リベラルは三つしか使わない。

だからリベラルの理屈で保守を説き伏せようとしても届かず、かえって反発と憎悪を強めるだけになる。リベラル化が進むほど、取り残された多数派の側でもアイデンティティが硬く意識され、対立が深まる——分断はリベラルの浸透が生む反作用だ、というわけだ。

この視点の効用は、右と左の争いを善悪の物語から引き剥がし、一つの構造の表と裏として見せてくれるところにある。ただし編集部として一言添えれば、道徳を脳の配線に還元するこの語り口は明快な反面、当事者の切実さを「仕様」として片づけてしまう危うさも抱えている。

腑に落ちることと、正しいことは、必ずしも一致しない。

国家の信頼を、暗号で消すか監視で置き換えるか

自由の追求は、正反対の二つの道に枝分かれする。一つ目がクリプト・アナキズム(暗号無政府主義)だ。見知らぬ相手と取引するには、これまで国家や銀行という「信頼を保証する中央」が要った。

ブロックチェーンはそれを数学に置き換える。相手が何者か知らなくても、データの真正性をアルゴリズムで検証できるなら、管理者は要らない。源流は古く、1991年にフィル・ジマーマンが暗号ソフトPGPを無料公開して政府に告発された事件が火をつけ、翌年ティモシー・メイらの「暗号アナキスト宣言」からサイファーパンクが生まれた。

国家も企業も要らず、自由な個人のネットワークだけがあればいい、という究極の理想である。もっとも本書は限界も直視する。イーサリアム考案者ヴィタリック・ブテリンは巨額の資産をハッカーに奪われた際、コミュニティの85%の支持を集めて取引履歴を巻き戻した。

安全は守られたが、原理主義者からは「中央集権的な独裁者」だと批判された。国家を消したはずの場所に、また権力者が立ち現れる。この皮肉こそ、無政府の理想が抱える構造的な弱点だ。

二つ目の道が「総督府功利主義」。社会全体の効用が最大になるよう、統治者があらかじめルールを設計するという発想だ。トロッコ問題のような葛藤も、個人に悩ませず「より少ない犠牲でより多くを救え」と上から決めておけばいい、と考える。

ここで奇妙な矛盾が生まれる。自由を至高とするはずの彼らが、自由を守るためにこそ監視を求めるのだ。テロや犯罪から守られた「安全」がなければ自由は享受できない。

だからAIによる高度な監視すら容認し、推進する。著者はこの矛盾を、彼らの内面にある「死への強い恐怖」から説く。テクノロジーで死すら克服できると信じるトランスヒューマニズムは、身体の機械化や意識のアップロード、寿命の無限延長を目指す。

死という理不尽に対処する手段がかつて宗教しかなかったのなら、科学がその座を奪うとき、テクノロジーそのものが新しい宗教になる。本書はこれを「トランスレリジョン」と呼ぶ。

極端な監視も不老不死も、根はひとつの恐怖なのだ。ここまで来ると、彼らの野心が単なる金儲けや権力欲では説明しきれないことが見えてくる。自由も安全も、その奥にあるのは「消えたくない」という、あまりに人間くさい願いなのである。

市場と民主主義のルールごと作り替えるCOSTとQV

第二世代のサム・アルトマンやブテリンは、既存の制度を使うのではなく、市場と民主主義のルール自体を再設計しようとする。一つがCOST(共同所有自己申告税)。

あらゆる所有物に自分で評価額を申告して高率の税を払い、より高い額を出す者が現れたら無条件で売らねばならない仕組みだ。約25億円のバンクシー作品には年1億7500万円超の税がかかる計算になり、富の概念は「所有」から「使用」へと移り、独占が溶ける。

もう一つがQV(平方根投票)。票を増やすほどコストが二乗で膨らむため、2票なら4、6票なら36のクレジットを要する。これにより、熱意あるマイノリティの声を拾いつつ、極端な主張が多数派をなぎ倒すのを防ぐ。

1人1票という近代の大前提すら、彼らは所与とせず、数学で設計し直す対象として扱う。ここに彼らの思考の徹底ぶりがよく表れている。制度は天から降ってきた不変の枠ではなく、より良く書き換えられるコードにすぎない、という感覚だ。

ただし著者は、この設計思想を手放しで礼賛しない。AIが生む富を原資とするUBI構想には、「誰に配るか」という線引きが排外主義の道具になり、優生学国家を招く危険があると釘を刺す。

知識社会とは定義上「賢い者がそうでない者を搾取する」社会であり、テクノロジーはその問題を解くどころか加速させかねない。理想の制度設計が、選別の技術へ反転する。

この留保があるからこそ、本書は単なるシリコンバレー礼賛に堕さずに済んでいる。アルトマンがOpenAIのCEOを突然解任され、社員770人中730人の反発でわずか5日後に復帰した騒動も、安全なAIという理想と、開発を止められない現実との綱引きとして描かれる。

自由を突き詰めるほど、巨大な階層が生まれるという逆説

本書は最後に、鮮やかな逆説で幕を閉じる。持ち出されるのは物理法則「コンストラクタル法則」だ。流れがあって自由な領域があれば、系はより速くなめらかに流れるよう進化する。

水が必ず川になり、支流が本流へ集まるのと同じように、情報も自由に流させるほど巨大な本流へ集中する。だからGAFAのような巨大プラットフォーマーの誕生は、誰かの邪悪な陰謀ではなく物理的な必然だ、というのである。

ここから、自由を愛する者が最も認めたくない結論が導かれる。個が多数を支え、多数が個を支える構造がなければプラットフォームは成り立たず、より大きな階層性からこそ、より大きな自由が生まれる。

自由を極めれば平坦なユートピアになる、という素朴な直感は裏切られる。自由が広がるほど富と情報は集中し、巨大な階層が立ち上がる。歴史を見ても、紀元1年から1700年代後半まで所得はほぼ横ばいで、産業革命以降に突然、指数関数的に豊かになる「相転移」が一度起きただけだった。

なめらかさと階層は、切り離せない。編集部として本書を読み終えて残るのは、彼らが特別な悪人でも聖人でもないという感覚だ。死を恐れ、孤独を抱え、世界を数式で理解しようとする脳が、テクノロジーという最強の武器をたまたま手にした——それだけのことなのかもしれない。

だとすれば問うべきは彼らの善悪ではなく、その流れを読めるかどうかだ。新しい技術に触れたとき、便利さに流される前に一度だけ立ち止まって考えたい。

これが普及すると、誰の自由が増え、誰の権力が弱まるのか。その一問を持てるかどうかが、流れに飲まれる側と、流れを読む側とを分ける。


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