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ブクドリ | BOOK DRIP

なぜ大きな会社ほど「自分ごと」が消えるのか

約6分で読めます リーダーシップ・組織
目次

社員10人の頃は、全員が会社の数字を知っていた。

それが100人を超えたあたりから、空気が変わります。「自分の仕事はちゃんとやっている。でも会社全体のことは、上が考えること」。悪気はありません。むしろ真面目な人ほど、そう線を引きます。

会社が大きくなると、なぜか当事者意識が薄れていく。これは個人のやる気の問題ではなく、組織の構造の問題です。

稲盛和夫さんが京セラで直面したのも、まさにこの壁でした。

「全体で管理する」と、誰も自分の数字を持たなくなる

稲盛さんは京セラを創業して数年で、ある限界にぶつかります。

従業員が100人を超えた頃、自分ひとりでは会社の隅々まで目が届かなくなった。大きな組織を全体でまとめて管理しようとすると、現場の数字がぼやけて見えなくなる。これを稲盛さんは「大企業病」と呼びました。

ここが構造の核心です。

会社全体でひとつの損益を見ているうちは、自分の働きが利益にどう効いているのか、現場の社員には実感できません。売上は営業の数字、コストは経理の管理、利益は経営層の責任。こうして数字が他人ごとになっていきます。

たとえば、製造現場で1時間早く作業を終えても、それが会社の利益にいくら貢献したのかは見えない。見えないものに、人は責任を持てません。やる気がないのではなく、自分の数字を持っていないだけなんです。

組織が大きくなるほど、一人の社員と会社全体の利益との距離は遠くなります。自分の頑張りが、何百人分の数字に薄まって溶けていく。これでは「自分ごと」になりようがありません。

稲盛さんの発想は逆でした。「100人までは一人でやれたのだから、会社を小さな集団に分けて、それぞれを独立採算にすればいい」。組織をビジネスとして完結する最小単位まで分け、各単位が自分の収入と経費を持つ。これがアメーバ経営の出発点です。

ただし、稲盛さんは細かく分ければいいとは考えませんでした。分ける単位には条件があります。明確な収入と費用が計算できること。ひとつの事業として完結すること。会社全体の方針を貫けること。細かく分けすぎると、かえって運営が煩雑になり、全体の目的を見失う。分け方そのものに思想があるわけです。

「時間当たり採算」が、現場を経営者に変える

ただ小さく分けるだけでは足りません。鍵は、各単位が自分の数字を読めることです。

そこで稲盛さんが発明したのが「時間当たり採算表」でした。

専門的な損益計算書は、会計の知識がない現場の人には読めません。そこで彼は、売上から経費を引いた付加価値を、その単位の総労働時間で割る、という形に作り変えました。1時間あたりいくらの付加価値を生んだか。これなら誰でも分かります。

実は、この「誰でも読める」という点が決定的です。

数字が読めれば、現場は自分で判断できるようになります。この材料は買うべきか。この作業は外注すべきか。今月はあと何をすれば採算が上がるか。これまで上司や経理に聞いていた判断を、自分の単位で下せるようになる。

しかも各単位はリーダーに経営を任されます。計画を立て、実行し、月末に結果と向き合う。これを稲盛さんは「全員参加経営」と呼びました。経験の浅いリーダーでも、小さな会社の社長として動くうちに、経営者の感覚が自然と育っていく。

たとえば、ある製造単位の採算が悪化したとき、京セラではその単位をさらに細かく分けたところ、利益率が大きく改善した事例があります。数字が自分のものになると、人は工夫を始めるんです。

もうひとつ面白いのは、社内の部門間でも「社内売買」という形で取引をする点です。隣の単位から半製品を受け取るときも、市場価格をベースに値段をつけて売買する。社内に小さな市場が生まれ、各単位は品質や納期、コストを真剣に意識するようになります。会社の中に、外の市場の緊張感を持ち込んだわけです。

数字を全員に開く。ただし「フィロソフィ」とセットで

アメーバ経営を支えるもう一つの柱が、数字を全員に見せる「ガラス張りの経営」です。

労使対立が激しかった時代に、稲盛さんは経営の実態を従業員に包み隠さず開きました。会社の数字を共有することで、社員一人ひとりが「自分も経営者だ」という意識を持つようになる。

ただ、ここに落とし穴があります。

採算を全員が追いかけ始めると、今度は「自分の単位さえ良ければいい」という空気が生まれやすい。社内で部門間の取引(社内売買)をする以上、相手から安く買い、高く売れば、自分の数字は上がります。会社全体では何も生まれていないのに、です。

数字を追う仕組みは、放っておくと部分最適と数字の見栄えづくりに傾きます。

だから稲盛さんは、採算の仕組みの土台に「フィロソフィ」を置きました。判断の基準は「人間として何が正しいか」。自分の単位の利益ではなく、会社全体の調和を考える。これがなければ、アメーバ経営はただの内部競争に堕ちると、彼は繰り返し書いています。

会計の本『稲盛和夫の実学』でも、同じ警戒が語られます。伝票操作で数字をごまかせるようになれば、「社員は誰もまじめに働かなくなる」。だから一つの取引に一つの伝票を必ず対応させ(一対一対応の原則)、複数人で確認する(ダブルチェックの原則)。数字を全員に開く以上、その数字が正直であることを仕組みで守る必要があるわけです。

つまり、数字を開くことと、数字を正しく扱う規律。この両輪がそろって初めて、当事者意識は健全に育ちます。

逆に言えば、フィロソフィのない採算管理は危険です。各単位が自分の数字だけを追えば、長く効く投資や技術の蓄積が後回しになる。安易な外注で目先の数字を上げ、現場の力を痩せさせることもある。稲盛さん自身、時間当たりの指標だけを重視しすぎる危うさを認めています。仕組みは強力だからこそ、何のための採算かを見失うと、簡単に逆向きに働くわけです。

誤解と、正しい使い方

この話を「うちもチームごとに採算を出そう」で終えると、危ういです。

誤解:数字で測れば、社員は自然に当事者になる → 測るだけでは、部分最適と数字いじりを生みます。自分の単位の数字だけが目的になると、全体は痩せていきます。

正しいアプローチ:数字を「自分で読めて、自分で動かせる」単位まで下ろす → 大事なのは測ることより、現場が自分で判断を下せること。読めない数字を渡しても、当事者にはなりません。

明日からできることは、そう大げさではありません。

まず、自分のチームの「収入」と「経費」を、メンバー全員が言えるか確かめてみる。言えないなら、数字を開くところから始めます。営業でも企画でも、何が収入で何が経費にあたるかを定義するだけで、見える景色が変わります。

次に、その数字をメンバーが自分で動かせる範囲を決める。判断をいちいち上に上げていては、当事者にはなりません。小さくても「ここは自分たちで決めていい」という裁量を渡す。

そして、判断の基準を「自分のチームの得」ではなく「全体にとって正しいか」に置き直す。この三つがそろうと、数字は管理の道具から、当事者意識を育てる装置に変わります。

おわりに

当事者意識は、性格でも気合でもありません。

自分の数字を持ち、それを自分で読めて、動かせる。その構造があるかどうかで決まります。会社が大きくなって「自分ごと」が消えたなら、責めるべきは社員の意識ではなく、数字の見えなさのほうかもしれません。

あなたのチームのメンバーは、自分たちの数字を、今いくつ言えるでしょうか。


この記事で参考にした本

『アメーバ経営』稲盛和夫 → 組織を独立採算の小集団に分け、時間当たり採算で全社員に経営者意識を持たせる仕組みを解いた一冊。

『稲盛和夫の実学 経営と会計』稲盛和夫 → 数字を全員に開く「ガラス張り経営」を、一対一対応やダブルチェックという規律で支える会計原則を説いた本。


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