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『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』オードリー・タン|AIが奪うのではなく、人間が使いこなす

AI・テクノロジー ✍ オードリー・タン
約8分で読めます

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『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』
目次

「AIに仕事を奪われるんじゃないか」。一度くらい、胸の奥でそうつぶやいたことがあるはずです。

その不安に対して、台湾の天才IT担当大臣はずいぶん意地の悪い答えを返してきます。仕事を奪うのはAIではない。奪われるとしたら、それはAIを道具として使いこなせなかった人間のほうだ、と。

著者のオードリー・タンさんは、35歳で台湾のデジタル担当政務委員に就任した人物です。新型コロナ対策で世界の注目を集めた、あの「マスクマップ」の立役者でもあります。本書は、その彼女がデジタルとAIの未来をどう見ているかを、対話形式で率直に語った一冊です。

技術の本だと身構えて読み始めると、たぶん肩透かしを食らいます。語られているのは、性能でも未来予測でもなく、徹底して「人間の側」の話だからです。

図解

この本のキモは、たった一行で言える

本書の主張を一言に潰すと、こうなります。技術が主役ではない。主役は人間と社会のほうだ、と。

オードリーさんは、デジタルの目的を「より良い人間社会を作ること」だと言い切ります。効率化も、経済成長も、それ自体が目的ではなく、あくまで手段にすぎない。

だから本書は、AIのスペックやテクノロジーの未来予測そのものにはほとんど紙幅を割きません。技術を使って、誰も置き去りにしない社会をどう作るか。

話の重心は最初から最後まで人間に置かれています。

この姿勢の背景には、思想家の柄谷行人さんが唱えた「交換様式X」、つまり貨幣や権力に依らず無償で贈り合うオープンソース的なつながりへの共感があるそうです。

私はここを読んで、ああこれは技術論の顔をした社会論なのだ、と腑に落ちました。プログラマー出身の彼女が、コードの話ではなく「人と人の関係の様式」から世界を語り始める。

その視点のズラし方こそが、本書を凡百のAI本と分けています。

AIは「奪う」のではなく「肩代わりする」

本書がまず崩しにかかるのが、「AIが仕事を奪う」という思い込みです。

オードリーさんは、AIという略語そのものを捉え直します。Artificial Intelligence(人工知能)ではなく、人間を助ける「Assistive Intelligence(補助的知能)」、あるいは人間の能力を押し広げる「Augmented Intelligence(拡張知能)」だと読み替えるのです。

人間に取って代わる存在ではなく、人間を補完する道具。同じ「AI」という三文字でも、立っている前提がまるで違ってきます。

わかりやすいのが自動運転車のたとえです。AIがどれほど精密に車を走らせても、「どこへ向かうか」を決めるのは人間です。AIは目的地までのルートを計算する道具でしかなく、最終的な決定権は常に人間の側に残る。本書はそう整理します。

ここから一つの原則が導かれます。AIに責任を押し付けてはならない。判断や結果に対する倫理的な責任は、あくまで人間が負う。

だからAIの出力を鵜呑みにせず、最後は自分の目で確かめる必要がある。生成AIがもっともらしい嘘を平然と返してくる今、この原則は驚くほど実務的です。

AIが得意とするのは、定型的で反復的な作業です。それを肩代わりしてもらうことで、人間は創造的な仕事や、人と関わる仕事といった、人間にしかできない領域へ時間を回せるようになる。

これが本書の言う「人間とAIの協力」です。命令して従わせる主従の関係ではなく、横に並んで協力する関係。発想の転換は、ここにあります。

ひとつ補っておくと、これは精神論ではありません。AIを「敵か味方か」で論じている限り、人は防御的になり、結局使いこなせずに終わる。脅威ではなく道具と腹落ちした人から、淡々と手元の仕事を肩代わりさせていく。差がつくのはその一点だ、というのが私の読後の実感です。

マスクマップは、こうして生まれた

抽象論だけだと「きれいごとでは」と疑いたくなります。私も最初はそうでした。けれど本書の説得力は、台湾が現実にやってのけた事実に支えられています。

2020年初頭、世界がマスク不足でパニックに陥りかけたとき、台湾では市民のエンジニア、いわゆるシビックハッカーと政府が手を組みました。シビックハッカーとは、自分のITスキルを使って社会課題の解決に自発的に取り組む技術者のことです。

彼らが生み出したのが「マスクマップ」。薬局やコンビニのマスク在庫が、リアルタイムで地図上にわかる仕組みです。注目すべきは順番です。政府がまず在庫のオープンデータを公開し、それを民間のプログラマーが自発的にアプリ化した。

行政が一から作り込んだのではなく、データを開いて市民に委ねた結果、買い占めパニックは抑えられ、公平な分配が実現しました。

ここで見落としたくないのが、包摂性への徹底した配慮です。スマホを持たない人のために、薬局やコンビニという、すでに誰もが知る身近なインフラを使う設計になっていました。

最新技術を入れながら、これまでの生活習慣には寄り添う。「誰も置き去りにしない」という理念が、システムの設計そのものに染み込んでいるのです。

台湾の対策を貫いていたのが、3つのFという基本理念でした。Fast(素早く)、Fair(公平に)、そしてFun(楽しく)。

私が一番面白いと思ったのは、三つ目のFunです。デマ対策で、台湾は厳罰や強制削除ではなく、ユーモアで対抗しました。本書の言葉を借りれば「ユーモアは噂に勝る」。

デマより速く、笑いを交えた正確な情報を広げることで、パニックの芽を摘んでいった。手洗いを楽しくする仕掛けも同じ発想で、強制ではなく「人が自然に動きたくなる」設計で行動を促したわけです。

規制で抑え込むのではなく、空気そのものを設計する。この手つきは、組織を動かしたい人にもそのまま効きます。

ちなみに台湾の素早さの背景には、2003年のSARSという苦い経験がありました。過去の危機から学び、あらかじめシステムを整えておいたことが、次の脅威への最大の防御になった。失敗を生かすとはこういうことか、と唸らされる箇所です。

すごいシステムより、信頼が先にあった

本書で一番刺さったのは、ここです。

オードリーさんは、こう言います。

最終的に、社会を動かすのはテクノロジーではなく、相互の信頼です。

どれほど優れたシステムがあっても、人と人の信頼がなければ社会は機能しない。技術を語る本の結論が、信頼という極めて人間くさい言葉に着地する。この転回に、本書の核心が詰まっています。

では、その信頼はどう生まれるのか。答えは「政府がまず市民を信頼すること」でした。

台湾政府がとった姿勢は、ラディカル・トランスペアレンシー、すなわち徹底した透明性です。オードリーさん自身、メディアの取材や会議の記録をインターネット上で公開してきました。

包み隠さず情報を出すことで、市民の信頼を得る。力を持つ側が先に手の内を開いてみせる。信頼は、強い立場の側から先に開示することで動き出す、というわけです。

この透明性の効果を象徴するのが、マスクをめぐる科学的事実の率直な共有でした。マスクは自分の感染を防ぐものと思われがちですが、本当に強いのは、自分が感染していた場合に他人へうつさない効果のほうだといいます。

自己防衛という意味では、むしろ石鹸での手洗いが有効だ、と。こうした事実を正直に伝えたことが、無用な買い占めを防いだのです。都合の悪い情報を隠さない、その一点が結果的にパニックを抑えた、という流れは示唆に富みます。

そしてこの信頼の土台の上に、台湾のデジタル民主主義が乗っています。政府が市民のために動く「For the people」から、市民が技術を武器に自ら社会運営へ関わる「With the people」へ。

数年に一度の選挙で終わらせず、市民が日常的に政策へ参加する仕組みです。透明性と参加、この二つこそがデジタル民主主義を機能させる鍵だと本書は説きます。

リテラシーより「素養」を、という教育観

本書には、教育論も静かに流れています。

オードリーさんは、情報を正しく受け取る「リテラシー」にとどまらず、他者と協働して社会課題を解決していく「素養(コンピテンシー)」を重んじます。標準的な正解を暗記する力よりも、自分で問いを立てて考える力のほうが、変化の激しい時代では役に立つ、と。

これは彼女自身の歩みと重なります。15歳で中学校を中退し、インターネットで独学を始めた人です。後に性別を移行し、社会の常識にとらわれない視点を育てました。

一つの正解を疑い、多様な角度から考える。その姿勢が、そのまま彼女の仕事のスタイルになっています。経歴を知ると、彼女の言葉が抽象論ではなく実体験に裏打ちされていることがわかります。

なお本書では、AIが人類の知能を超える「シンギュラリティ」も話題に上がります。2045年到達説などもありますが、オードリーさんはこれを過剰に恐れません。

核戦争や気候変動と同列の「人類が抱えるリスクの一つ」であって、AIが自律的な意志で人類を脅かすわけではない、という冷静な位置づけです。煽りもせず、楽観もしない。

この温度感の低さが、かえって信頼できます。

読み終えて、手元で開いてみたくなる

本書の理念は、政治の話で終わりません。職場でも、いますぐ小さく試せます。

たとえば、AIに任せられる作業を三つ書き出してみる。ただし目的を間違えないこと。「人を減らすため」ではなく「創造的な仕事に時間を回すため」です。本書が最も警戒しているのは、AI導入がいつのまにか人員削減にすり替わることでした。

あるいは、担当案件の議事録を一つ、未完成のままチーム全員に公開してみる。透明性は政府の専売特許ではありません。体裁が整うのを待っていると、結局いつまでも出せない。先に開く側に回ることが、相互信頼の第一歩になります。

そしてもう一つ。新しいルールを決める前に「これを使えない人はいないか」と一度問うてみる。リテラシーの高い人だけで決めると、包摂性はあっさり抜け落ちます。マスクマップがあえてコンビニを使ったように、置き去りにされそうな人の視点を、プロセスの最初に一度だけでも差し込んでみる。

読み終えて残るのは、技術への不安ではなく、技術をどう使うかを自分で決める側に立とう、という静かな意欲でした。AIに価値判断を委ねてはいけない。

何のために技術を使うのか。その問いさえ手放さなければ、デジタルは私たちを置き去りにしない。マスクマップも、最初は市民の小さなアイデアから始まったのですから。


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