走ると足が痛い。何人もの専門医を訪ね歩いた末に返ってきた答えが「自転車を買いなさい」だった——本書はこの身も蓋もない一言から始まります。著者クリストファー・マクドゥーガルは身長193センチの大柄な記者で、走るたびに足底筋膜炎やアキレス腱の痛みに悩まされていました。
専門家の診断はどれも一致していて、人間の体は走行の負荷に耐えられないのだから走るのをやめろ、というものでした。
けれど彼はその「常識」に引っかかりを覚えます。メキシコの奥地には、80歳の老人が平然と山道を長距離歩き、50代が若者を追い抜いて走る民族がいるという噂を耳にしていたからです。
故障だらけの先進国のランナーと、故障知らずの秘境の走者。この落差はどこから来るのか。『BORN TO RUN 走るために生まれた』は、その素朴な疑問を追ううちに、シューズ産業の欺瞞から人類進化の起源まで掘り当ててしまう、稀有なノンフィクションです。
「自転車を買いなさい」——見放された記者が銅峡谷へ向かう
そもそも著者を突き動かしたのは、一つの不穏な統計でした。ランナーの65〜80%、つまり10人のうち8人近くが毎年どこかを故障している。これほど多くの人が壊れる運動が、本来「自然」なはずがない。彼はそう直感します。
答えを求めて分け入ったのが、メキシコ北西部の銅峡谷でした。グランドキャニオンより深く広いこの渓谷の奥に、タラウマラ族(自称ララムリ=「走る民族」)がひっそりと暮らしています。
彼らへの案内役となるのが、峡谷に住み着いた謎めいた白人ランナー「カバヨ・ブランコ」。その正体は、マイカ・トゥルーという元プロキックボクサーのアメリカ人でした。
著者は彼を探し当て、タラウマラ族とアメリカ最強のウルトラランナーたちが激突する非公式の50マイルレースへと巻き込まれていきます。
個人のちっぽけな足の痛みが、やがて人類全体の進化の物語へ接続し、また一人の生き方へ戻ってくる。この入れ子構造こそ本書の面白さで、著者は取材記者らしく科学者・変人・超人ランナーを次々に登場させ、読者を飽きさせません。
ちなみに本書は、アメリカで長距離走ブームが起きた時期(大恐慌・ベトナム戦争期・9.11後)がいずれも国家的危機と重なると指摘します。走ることは、人が追い詰められたときに立ち返る営みなのかもしれない——この観察は示唆的です。
タラウマラ族の暮らしぶりも、本書の説得力を支えます。彼らは古タイヤを底にして革紐で結んだだけの粗末なサンダル「ワラチ」で、岩だらけの山道を何十キロも笑いながら駆け抜ける。
最新のギアなど一つも持たないのに、癌や糖尿病、心臓病、うつ病といった現代病がほとんど見られません。貨幣の代わりに好意とトウモロコシのビールを交換し、犯罪も暴力もない共同体を保っている。
彼らにとって走ることは競争でも義務でもなく、仲間と分かち合う遊びであり、生きる喜びそのものだと本書は描きます。ここには「走れば走るほど健康になる」という、先進国の常識とは正反対の身体観があります。
高い靴ほど故障する——「最高のシューズは最悪」の逆説
本書で最も痛快に常識がひっくり返るのが、シューズをめぐる章です。
スイスのベルナルト・マルティ医学博士の調査によれば、95ドル以上の高価な靴を履くランナーは、40ドル未満の安い靴のランナーより故障率が123%も高かった。
高機能なほど壊れるという、直感と真逆の結果です。クッションが衝撃を吸収してくれると信じるほど、足はかえって安定した接地点を求めて強く地面を叩きつけてしまうのだと本書は説明します。
厚い緩衝材が足裏の繊細な感覚を鈍らせ、着地のフォームそのものを狂わせる、という理屈です。ある専門家の比喩を借りれば、靴を履くことは足にギプスをはめるに等しい。
脚をギプスで固定すれば数週間で筋肉は4〜6割も萎縮するように、過保護は機能を退化させます。
さらに本書は、内側に傾く着地(プロネーション)は矯正すべき欠陥ではなく衝撃を逃がす天然のサスペンションだと言い、走る前のストレッチをした人のほうが故障率が33%高いというデータまで持ち出します。
ここは編集部として一言添えておきたいところです。マルティ博士の123%という数字は単一の調査であり、価格と故障の相関がそのまま因果を意味するわけではありません(高い靴を選ぶ人ほど走行距離が長い、といった交絡もありえます)。
本書の勢いは魅力ですが「高い靴=悪」と短絡するのは本書の意図からもずれます。要点は靴の値段ではなく、足の感覚を殺さないことと、自分の着地を一度疑ってみることにあります。
アキレス腱も大臀筋も、人間は長距離のために進化した
では、そもそも人間はなぜ走れるのか。ここでハーバード大学の進化人類学者ダニエル・リーバーマンやユタ大学のデニス・ブランブルらの研究が物語に合流します。
彼らが唱える「ランニングマン説」によれば、人間の体には歩くだけなら不要な装置がいくつも備わっている。バネのようにエネルギーを溜めるアキレス腱、走行の衝撃を支える巨大な大臀筋、走る間も頭をぶれさせない項靱帯——これらはすべて長距離走のための専用パーツだというのです。
その走力が生存に直結した舞台が「持久狩猟」でした。人間はチーターのような瞬発力を持ちませんが、走りながら発汗して体温を下げられる。四足動物は疾走中に喘いで体を冷やせないため、炎天下では過熱して失速します。
だから初期人類は、獲物がバテて動けなくなるまで何時間も追い続けて仕留めた、というわけです。数字で見ると迫力があります。チーターの最高時速112キロも維持できるのは半マイルほど、馬の全力疾走も10分ほどで尽きる。
一方で一流のマラソン走者は毎秒6メートルで何時間も走り続けられる。長距離という土俵に限れば、人間は地球上で最も優れた走行動物だという逆転が起きます。
腕力で劣るホモ・サピエンスが屈強なネアンデルタール人を生き延びて凌いだ理由も、武器ではなく持久力と集団の協調にあった、と本書は説きます。
進化の物語はどうしても後付けの説明になりやすく、持久狩猟説にも学界で議論はあります。ただ、自分の体を「壊れやすい欠陥品」ではなく「走るために設計された道具」と捉え直す視点は、それだけで走りへの向き合い方を変える力を持っています。
「楽に、軽く、スムーズに、速く」——走り方と食事を作り直す
走るために生まれたのなら、体に沿った走り方があるはずです。カバヨ・ブランコが授ける呪文が「楽に、軽く、スムーズに、速く」。とりわけ最初の「楽に」だけ身につければ何とかなる、と彼は言います。
具体的には、地面を強く蹴らず、足を体の真下・前足部あたりで柔らかく接地させ、歩幅を短く保つ。かかとから着地して足を前へ投げ出す走り方をやめるのが肝です。
一分間に180拍のリズムで足を速く小さく回し、接地時間を減らす方法も紹介されます。強く速く走ろうとするより先に、まず力みを抜いて楽に走る感覚を体に覚えさせる——順番が逆なのが面白いところです。
食事もタラウマラ族に学び、ピント豆・カボチャ・トウモロコシ・チアの種など植物中心へ寄せる。抗酸化物質の豊富なトウモロコシの全粒粉「ピノーレ」を主食とし、チアを水に溶かしライムを搾った「イスキアテ」を、彼らは長い走りを支える天然のエナジードリンクとして飲みます。
裸足に近い走りを突き詰めたのがベアフット・テッドら実践者で、この潮流はやがて薄底シューズ「ナイキ・フリー」を生むほど業界を動かしました。ただし、これは本書自身も釘を刺している点ですが、長年クッションに頼った足でいきなり裸足へ切り替えると、ふくらはぎやアキレス腱を痛めます。
実際、本書刊行後のミニマルシューズ流行では故障者も相次ぎました。足を鍛え直すには時間がいる。焦らず、芝や土の上で短い距離から少しずつ、が鉄則です。
最速のランナーが最も優しい——本書が残す問い
本書がただのランニング科学書と一線を画すのは、最強の走者たちの原動力を突き止めた終盤です。
ウエスタン・ステーツ100を7連覇したスコット・ジュレクは、動物性食品を一切摂らない完全菜食主義者でありながら驚異的な持久力を誇りました。彼が長距離の果てに見出したのは、他者を思うほど自分という狭い枠から抜け出せる、という境地です。
名コーチのジョー・ヴィヒルもまた、真の持久力はタフさではなく思いやりと走ることへの純粋な愛から生まれると確信します。痛みとの向き合い方も独特で、疲労を根性でねじ伏せるのではなく、手放して受け入れる。
頑張っていると感じたら、それは頑張りすぎの合図だ——という逆説がくり返されます。
この精神論めいた到達点を、非科学的だと退けることもできるでしょう。編集部としては、ここは「走りを競争や苦行から切り離すための方便」として読むのがちょうどいいと考えます。
データや生体力学の話を積み上げてきた本書が、最後に行き着くのが数値化できない「思いやり」だというのは、一見すると論理の飛躍です。けれど、故障の8割が力み過ぎや自分を追い込みすぎから来ると考えれば、力を抜き、他者へ意識を向けることが結果として体を守る——という筋は通っています。
走りの技術論と精神論が、じつは同じ一つのこと(頑張りすぎないこと)を指している、という読み方ができるのです。
要するに本書が突きつけるのは、道具でも根性でもなく、まず自分の体を信じ直せという問いかけです。タイムや消費カロリーではなく、走ること自体の歓びを取り戻す。
その一点で、本書は走るのが得意な人よりむしろ、走るのが苦手で嫌いになりかけている人にこそ効きます。「人は年をとるから走るのをやめるのではない、走るのをやめるから年をとる」——読後に長く残るこの一節を、明日の10分に変えてみる価値はあります。
