分析基盤を入れ、専門の人材も採用しました。可視化ツールも導入済みで、数字はいつでも確認できます。それでも肝心の業績が上向かない会社を、あなたも一社くらいは思い浮かべられるはずです。
榊淳さんの『DATA is BOSS』は、この停滞の原因を技術の不足には置きません。データで何を解決したいのかを決める人間が組織にいないことこそが、成果が出ない本当の理由だと言い切ります。
書いたのは、高級ホテル・旅館の予約サイトを運営する一休の代表取締役社長です。長く伸び悩んでいた自社の事業をデータドリブン経営へ転換し、過去最高益を叩き出した当事者でもあります。本書はその実務を、自社の生々しい数字とともに体系化した一冊です。

タイトルの意味は「顧客に従え」
顧客をボスとして扱うとは、顧客の行動データに忠実になることです。本書の芯になっているのは、次の一文です。
「私が使っている『データ』という言葉は、ほとんど『顧客』のことを指しています。」
かつてP&Gには「消費者こそがボス」という有名な考え方がありましたが、榊さんはこれを現代向けに書き換えます。これがタイトルの意味です。
説得力の裏づけは、実在の事業の推移です。一休の国内での販売実績は、ある五年間で毎年25%前後伸び続けました。同じ時期の主要な旅行会社はおおむね横ばいか、マイナス圏にとどまっています。
ただし本書が扱う事例は、顧客の行動のほとんどがログとして残るオンライン予約サービスに寄っています。店舗や代理店を挟む業態では、見たいデータを揃えるところから着手しなければならず、その整備にかかる具体的な手間には本書は深く立ち入りません。
榊さんにとってデータの敵は、過去の成功体験から来る直感です。直感は手軽で速いぶん頼りたくなりますが、思い込みを補強するだけの判断に陥りやすいのです。
定量の情報には四つの強みがあり、これが直感には出せない価値だと位置づけられています。
- 網羅性:全体を漏らさず捉えられる
- 緻密さ:細かい粒度まで見分けられる
- 客観性:人の思い込みに左右されにくい
- 再現性:同じ手順で同じ結論にたどり着ける
「ボールを落とす」現場と、一休が停滞から抜け出した理由
データで成果が出るかは、課題を見つける役と施策へ落とす役をビジネス側が引き受けるかで決まります。榊さんはデータドリブンの仕事を三段階に分けます。
- 課題を見つける:ビジネス側の仕事
- データの問題として解く:分析側の仕事
- 結果を施策へ落として成果に変える:再びビジネス側の仕事
問題は、一番目と三番目をビジネス側が引き受けず、分析だけを渡して終わりにしてしまうことにあります。答えが技術的に正しくても、それを使い切る人がいなければ成果には結びつきません。両者に共通の言葉がなく、互いの仕事への理解も浅いまま任せきりになる状態を、本書は「ボールが落ちる」と呼びます。
ボールが落ちる:ビジネス側と分析側に共通の言葉がなく、互いの仕事への理解も浅いまま任せきりになり、成果に結びつかない状態。
この構図は、コンビニのおにぎり発注の例でよく見えます。需要予測による自動発注を導入した直後は欠品と廃棄が続きましたが、店長が自分の判断根拠、天候や近隣の行事といった要素を分析側へ伝え続けたことで、ようやく精度が上がっていきました。どちらか一方だけでは仕組みは動きません。
一休自身も、かつてこの丸投げに近い停滞を経験しています。上場後に成長が止まっていた時期、外部の立場で関わった榊さんがデータを調べると、高級宿の市場そのものは伸びているのに一休だけシェアを落としているという意外な事実が見つかりました。
カジュアルな宿へ手を広げたことで、提供している価値の軸が曖昧になっていたのが原因でした。顧客を細かく分けて見直すと、一休を最も支持しているのは高級な宿に繰り返し泊まる常連層だとわかります。
取引先の都合を優先する姿勢を顧客の都合を優先する姿勢へ切り替えたのは、この発見がきっかけでした。
事業の状態は、湯船にたとえられています。蛇口から入る湯が新規顧客で、栓から抜ける湯が離脱した顧客です。蛇口をどれだけ開いても、栓が開いたままでは湯は貯まりません。
転換後は顧客の継続率が大きく改善し、新規獲得のペースを変えなくても成長の軌道そのものが変わりました。まず栓を閉める。この順番の転換が、再成長の土台になっています。
本書はこの成功と対比する形で、日本企業にありがちな失敗の型も三つ並べています。
- 表面の数字だけを見て原因を分解せず、思いつきの施策に走る型
- 人間の感覚で十分判断できることまで検証にかけてしまう型
- 結論を先に決めて、そこに都合よく数字を当てはめる型
三つ目については、実際にキャンセルを含めた見かけ上の売上だけを成長の証として社内に公表し、押し込み販売を横行させてしまった経営者の話が紹介されています。
データを持っているかどうかより、そのデータを都合よく解釈していないかのほうが、経営の成否を分けるという指摘です。
現場の感覚とデータがずれたら、疑うべきはデータの粗さ
現場の感覚とデータがずれたときは、データのグループ分けが粗いと疑うべきです。現場の肌感覚と分析結果が食い違ったとき、どちらを信じるべきか。榊さんの立場ははっきりしています。
「顧客の定性理解と定量理解が不一致の場合、定量理解のほうが間違っている場合がほとんどです」
同じ顧客を見ている以上、両者はもともと一致するはずのものです。ずれるのは、顧客のグループ分けがまだ粗いからだと榊さんは考えます。
例として挙がるのがタクシー配車アプリの話です。「雨の日は使いにくい」という声が一部から届く一方、全体のアンケート評価は高い。利用頻度で顧客を分け直すと、雨の日に急増するたまの利用者のせいで車両が足りなくなり、普段の常連の体験が損なわれていたことがわかります。
課題は「雨の日の配車」ではなく「常連にとっての雨の日の配車」まで絞り込まれて、初めて手が打てるようになりました。
同じ発想はBtoBにも応用できます。ある製造業では、同じ型番の製品が値段によって売れたり売れなかったりする顧客を価格の感じ方で三つに分け直し、営業の勘に頼っていた見積もり判断をデータ主導へ切り替えたことで、台数と単価を同時に伸ばしています。
全体の平均だけを見て結論を出す前に、もう一段細かく分けられないかを疑ってみる価値はここにあります。
データに触れる前に、見るべき表を決める
分析は、先に見るべき表を決めてからデータに触れます。第4章で示される分析の順番も実務的です。よくある失敗は、まずデータをいじって、わかったことを探し、最後にそれをまとめて出すという流れです。これだと細かい数字に溺れてしまい、次の行動につながりません。
本書が勧めるのは逆順です。先に「どんな表を作れば自社の行動が変わるか」を決めてから、初めてデータへ触れます。手を動かしている時間よりも、何を見るべきかを考えている時間のほうが価値は高い、というのが榊さんの立場です。
多くの分析本がクリック率や訪問数といったウェブ指標で止まるのに対し、本書は財務の数字まで扱います。案件ひとつごとの損益を割り振って日々見守るやり方や、顧客のグループ別に利益率を出して初めて、どの層が実は赤字を生んでいるかが見えてくる、という具体例が続きます。
検索結果の並び順を個人の行動に合わせて最適化するだけで販売額が大きく積み上がった、というパーソナライズ施策の数字も紹介されます。
第5章の顧客コミュニケーションの話も、逆張りの発想として印象に残ります。一休は数百種類のコンテンツを少人数ずつに配り分けるやり方を選び、一方で比較対象に挙がるある大手企業は、手間を省くために数少ない内容を数十万人へ一斉配信し続けた結果、開封率も購入率も下がり続けたといいます。
誰にでも刺さる内容などない、という前提に立てるかどうかが分かれ目になっています。価格づけについても同様で、購入を迷っている顧客だけを見抜いて割引を出す仕組みが紹介され、割引は粗利を削るものという思い込みが、相手を選ぶことで崩れる例として示されています。
明日から何を変えるか
分析を頼む前に打ち手を決め、継続率を計算し、顧客の生の声を聞く時間をつくりましょう。すぐ試せることを三つに絞ります。
- 分析を頼む前に、「この数字がこう動いたら施策Aへ、逆ならBへ」と打ち手を決めてから、必要な表を分析担当者に依頼する
- 自社の継続率を顧客単位で計算する。前の期に取引のあった顧客のうち、今の期にも残っている割合を出し、新規の数字だけでなく流出の側にも目を向ける
- 週に一度、顧客の生の声を聞く時間を予定表へ組み込む。数値を確認する週と同じ週に一次情報へあたり、定量と定性を並べて見る習慣をつける
会議室で分析結果だけを眺める仕事から、画面に並ぶ数字の向こうにいる一人ひとりの顧客を想像する仕事へ。本書がくり返し促しているのは、その視点の切り替えにほかなりません。
合わせて読みたい
『結局、仮説で決まる。』柏木吉基 分析を学んでも成果が出ないという同じ悩みを、仮説を先に組み立てる手順のほうから解決する本です。表を決めてからデータに触れる、という本書の姿勢と根が同じです。
『LTVの罠』垣内勇威 継続率やLTVを指標として扱うときに陥りがちな誤りをまとめた一冊です。リピートの数字を追いかける前に目を通しておくと、KPIの置き方で足元をすくわれにくくなります。
『顧客起点の経営』西口一希 「誰に何を届けるか」を経営の中心に据える点で、本書と重なる主張を持ちます。顧客をグループに分けて理解する発想を、戦略づくりの側から補強できます。
