高校1年の大谷翔平選手が書いた目標シートには、「運」という欄がありました。並んでいたのはゴミ拾い、部屋そうじ、あいさつ、審判への態度といった、球速とも変化球とも関係のない行動です。
運という曖昧で自分ではどうにもならなそうなものまで、毎日できる具体的な行動として書き出していたことになります。
このシートを開発したのは、大阪の公立中学校で陸上部の指導にあたり、7年間で13回も日本一へ導いた原田隆史さんです。柴山健太郎さんとの共著となる本書は、このシートと、それを支える日々の習慣の仕組みを一冊にまとめています。
年始に立てた目標が2月にはもう忘れ去られている、という誰にでもありがちな失敗を、著者たちは意志の弱さのせいにはせず、あくまで「やり方」の問題として捉え直していきます。

達成は根性ではなく、習得できる技術である
目標達成はセンスや根性の産物ではなく、誰でも習得できる技術です。これが本書の一貫した立場です。
「成功は技術であると考えています。技術は習得すれば技能となります。」
この主張を裏づけるのが実績の数字です。原田さんは大阪市内の公立中学校で20年にわたり指導にあたり、担当した陸上部を日本一に導きました。このメソッドを学んだ人は、国内外で数万人規模にのぼるといいます。
精神論として片づけられがちな「心」「運」「生活」までを、書き込める具体的な行動に変換している点に、本書の独自性があります。
前提として重視されるのが信頼関係です。行動が本当に変わるのは、指導する側とされる側のあいだに信頼があってこそだと著者は説きます。本書は、自信を失わせる周囲の要因を「ドリームキラー」と呼び、そこから抜け出した先にある「自立型人間」を目指す人物像として掲げます。
ドリームキラー:自信を失わせる周囲の要因。
全国2位まで進みながらスランプに陥っていた砲丸投げの生徒に対し、原田さんは「日本一になる」という目標の中身ではなく、その目標が誰のためのものかを問い直させました。
母親に楽をさせたいという理由へ書き換えた生徒は、自ら猛練習を始め、宣言どおりに日本一になったといいます。目指すゴールの中身そのものは、実は何ひとつ変わっていません。
変わったのは、それを誰のために、何のために達成するのかという、たった一点だけでした。
「私」だけでなく「誰かのため」で目標を立てる
数字の目標だけでは息切れしても、その先にいる誰かのためという理由があると、力の出方が変わります。第2章の柱が「未来の目的・目標の4観点」という枠組みです。
未来の目的・目標の4観点:「私」と「社会・他者」、「有形」と「無形」を掛け合わせ、目標を4つの領域に分けて立てる枠組み。
多くの人の目標は、成績やお金のような「私・有形」の一領域に偏りがちですが、本書はここに「誰かを喜ばせたい」という無形の目的を結びつけることを勧めます。
自分を応援してくれる人を喜ばせようとするとき、人はもっとも力を発揮できるという一文が、この章の要旨を言い当てています。
実例として引かれるのが、長年にわたり大差で負け続けていた強豪相手に、大会本番の土壇場で勝利したサッカーの女子代表チームです。優勝という目に見える目標に加え、被災地や社会全体を元気づけたいという目的を掲げて戦い、大接戦の末に頂点に立ちました。
ラグビー日本代表が格上の相手に金星をあげた大会でも、ベスト4という成果目標とあわせて、ファンや子どもたちに誇りを感じてほしいという目的が語られていたといいます。
世代間で「まず稼ぐべきか、社会に貢献すべきか」という対立が起きたときも、この4観点で整理すると、実は目指す先が重なっているとわかった例が紹介されています。
81マスのシートで、思考を行動へ分解する
目標は、中心の1マスから周りの8要素、さらに81マスの具体的な行動へと分解します。第3章は、シートの具体的な書き方に入ります。中心の1マスに最も達成したい目標を書き、その周りに達成に必要な要素を8つ、さらにその一つひとつを8つの具体的な行動へと広げていきます。
合計81マスの構造です。行動は期日を決めて一度だけ行うものと、毎日くり返すルーティンの二種類に分かれ、誰が読んでも同じ行動になるまで具体化することが求められます。
基礎となる8つの要素を埋めるとき、技術や実績だけに偏らないことが重要だと本書は説きます。目標シートの中心に達成したいことを書いたら、周りの8マスには技術面だけでなく「心・体・生活」に関わる要素も必ず一つずつ入れましょう。大谷選手のシートにあった「運」や「人間性」も、この発想の延長線上にあります。
すべてのマスが一度で埋まらなくても失敗ではない、という考え方も本書らしいところです。空白は、その人にまだ見えていない伸びしろを示すサインとして扱われ、時間をおいて後から書き足していけばいいとされます。
企業研修では、参加者が1枚を仕上げるのに1時間近くかけることも珍しくないといい、一度で完成させるものではないという前提そのものが、取り組みやすさにつながっています。
組織で使うときは、メンバー全員が付せんにアイデアを書き出し、対話や投票を重ねながら優先度の高い項目をみんなで選んでいくやり方も紹介されています。
本書の第4章には、このシートを使った事例が数多く並びます。
- 中学のサッカー部:全国大会で予選敗退していたが、技術だけでなく言葉遣いや日々の思いやりまでシートに書き込んで実践し、都大会ベスト4まで勝ち上がった
- 数千人規模の医療法人:抽象的な理念をシートに落とし込み、複数回の研修内容を一枚に整理し直した
- 学校の教頭:いじめをゼロにするという目標を掲げ、まず大人自身の姿勢を変えるところから手をつけた
業種も規模もばらばらな組織に同じ枠組みが機能している点が、この方法の再現性を裏づけています。
習慣にして、意志力に頼らず動ける自分をつくる
目標は、習慣として潜在意識に落とし込んで初めて達成されます。第5章の主張ははっきりしています。目標は立てて終わりではありません。本書によれば、意識できる部分は脳のごく一部にすぎず、大半は無意識の領域が占めています。意志の力だけで動こうとするのは、この小さな領域だけで戦うようなものだといいます。
習慣化を支えるのが、シートのほかに長期の目的をまとめる用紙、日々の記録用紙、日誌という組み合わせです。ルーティン行動を毎日〇×で記録し、一般に言われる期間より短い日数で連続して〇がつけば「自動化」されたとみなします。
歯磨きのたびにいちいち決意し直す人がいないのと同じ状態まで、行動を運んでいく期間だと考えればいいでしょう。
日誌は反省文ではなく、自信をためるための道具として位置づけられています。その日に良かったことを書けば自分の能力への自信が、人から感謝されたことを書けば自分を価値ある存在だと思える気持ちが、それぞれ積み上がっていくという設計です。
うまくいかなかった日には、やり直せるならどうするかを書き、頭の中で改善後の行動を成功のイメージとして描き直してから、マイナスの感情のまま一日を終えないようにします。
「嫌なこと、マイナスなことはそのまま家に持ち帰らないほうがいいよ。」
大谷選手の「運」の欄も、この考え方の実例として位置づけられています。運は偶然のものではなく、日々の行動と感情の選び方によって引き寄せられるものだという著者の立場は、ゴミ拾いやあいさつといった地道な行動の積み重ねに帰着します。
最終章は人格づくりにも踏み込みます。目標をイメージする、清掃や奉仕をする、ルーティンを続ける、日誌で振り返る、感謝する。この5つを著者は「心づくり」と呼び、能力はこうした人格という土台の上にしか積み上がらないと考えます。
仕事と私生活を切り離さず両方をあわせて充実させる姿勢も本書は重視しており、私生活の乱れがそのまま仕事や競技での集中力を奪うと説きます。ある球団の若手選手寮では、この日誌や朝の読書、あいさつと清掃の指導を取り入れたことが、その年のリーグ優勝を足元から支えたと本書は記しています。
本書の限界
このシートの運用には、根気と時間、そして伴走者が要ります。81個のマスすべてを埋め、記録用紙と日誌を毎日つけ続けるには、それ相応の根気と時間が要ります。本書に載っている成功例のほとんどは、指導者や研修講師、チームの仲間といった伴走者がいる場で生まれたものです。
誰にも見せず一人だけで抱え込んで進めると、途中で手が止まりやすいことは覚悟しておいたほうがいいでしょう。
もう一つの弱点は、行動をここまで細かく決め切ってしまうと、前提となる状況や環境が変わったときに、立て直しそのものが遅れがちになることです。もっとも著者たちは、この点についても、目標というものはそもそも一度で完成させず絶えず書き換えていくものだと考えています。
埋まらないマスや途中の書き換えを、はじめから織り込んだ設計だと捉え直せば、この弱点は日々の使い方でかなりのところまで補えるはずです。
合わせて読みたい
『継続する技術』戸田大介 大規模なデータから三日坊主の原因を分析した一冊。本書が示す短い日数でのルーティン定着という考え方を、別の角度から裏づけてくれます。
『目標達成の神業』馬場啓介 助言を与えずに人を動かす、指導する側の目標達成論。本書が行動変化の前提に置いた信頼関係を、指導者の視点から掘り下げ直せます。
『整える習慣』小林弘幸 本番で実力を出し切るために、日々の生活とコンディションを整える一冊。本書が技術に「生活」を加えた理由を、体調管理の側面から確かめられます。
