タスク管理アプリを入れた。スケジュールも詰めた。なのに、なぜか前より忙しい。
この感覚に心当たりがあるなら、本書はあなたのための一冊です。
オリバー・バークマン氏の『限りある時間の使い方』は、世にあふれるタイムマネジメント術を真っ向から否定するところから始まります。効率を上げても、人生は楽にならない。むしろ逆だと言い切ってしまう。最初に読んだときは、思わず身構えました。これまで積み上げてきたライフハックの努力を、まとめて否定された気がしたからです。
けれど読み進めるうちに、その否定がやけに優しいものに変わっていきました。この記事では、なぜ効率化が私たちを苦しめるのか、その入り口だけを覗いてみます。
こんな人におすすめ
- ToDoアプリやライフハックを試すほど、なぜか余裕がなくなっていく人
- 「いつか時間ができたら本当にやりたいことをやろう」と先延ばしを続けている人
- 仕事を片付けても片付けても、次の仕事が同じ速さで降ってくる感覚に疲れている人
どれも「もっと効率を上げれば解決する」と思いがちな状況です。本書はその思い込みごと、静かにひっくり返してきます。
「人生は◯◯週間」という冷たい計算
本書の出発点は、ひとつの数字です。人間の一生を週単位に直すと、驚くほど少ない。著者はそれを「バカみたいに短い」と表現します。
具体的に何週間なのかは、本書を開いた瞬間に思わず声が出るので、ここでは伏せておきます。大事なのは数字そのものより、その短さを直視できないからこそ、私たちは見て見ぬふりの方法を探してきた、という指摘のほうです。そして著者によれば、その代表が効率化への執着なのです。
このテーマ自体は新しくありません。古代ローマの哲学者セネカは『人生の短さについて』で、人生が短いのではなく私たちが時間を浪費しているから短く感じるのだ、と書きました。本書はその古い問いを、スマホとメールの時代に引き受け直しています。二千年前の悩みと地続きだと知ると、自分だけが要領が悪いわけではないと、少し肩の力が抜けます。
効率化するほど忙しくなる、という逆説
本書でいちばん刺さったのが、ここでした。効率を上げれば上げるほど、ますます忙しくなる。著者はこれを「生産性の罠」と呼びます。
イメージしやすいのはメールです。返信を速くこなせる人ほど、相手からの返信も速く返ってくる。やりとりの総量が増え、受信箱はかえって膨らんでいく。片付けた先に、片付けるべきものが増えている。
効率的になればなるほど、ますます忙しくなる。
著者はこの終わりのなさに神話のキャラクターの名を借りて、忘れがたいラベルを貼っています。何という比喩なのかは本書で確かめてほしいのですが、一度読むと自分の受信箱がそれにしか見えなくなる、そういう種類の言葉です。著者がこの構造を、家電や経済予測など別の角度からも畳みかけてくる手際は、論評するより実際に読んで味わってほしいところでした。
この章を読んで、私は「インボックス・ゼロを目指す自分」が急に滑稽に思えてきました。空にした瞬間、また届く。ゴールに見えて、ゴールがない。問題は私の処理速度ではなく、ゴールがあると信じていたことのほうだったのです。
効率化は、何からの逃避なのか
本書が本当に深いのは、ここから先です。
なぜ私たちは、これほど効率化に執着するのか。著者の答えは技術論ではなく、心理の話でした。「自分は有限である」という事実から目を背けたいから。すべてこなせる、いつかは追いつける――そう信じていられる間は、自分に終わりがあるという現実を見ずにすむ。ライフハックや時間術は、その幻想を支える道具になっている、というのです。
つまり私たちは、時間を管理しているつもりで、実は不安を管理している。この一文を読んだとき、図星を指された気まずさと、なぜか妙な安堵が同時に来ました。
ここで著者は、制約から逃れようとするほど人生が空虚になるという逆説や、時間を「自分の持ち物」として支配しようとするほどコントロールが効かなくなる感覚を、いくつもの言葉で描いていきます。中世の時間の感じ方と現代の違いを論じるくだりも面白く、本書の射程の広さがよく出ているのですが、その対比の妙はぜひ本文で辿ってみてください。
誰に効く本か
これは即効性のテクニック本ではありません。「明日から使えるタスク整理術」を求めて開くと、肩透かしを食らうはずです。
効く相手は、はっきりしています。効率化を真面目にやり込んできた人ほど深く刺さる。頑張ってきた人ほど、その頑張りの前提を疑う視点に救われる、という不思議な構造の本です。逆に、すでに「全部はできない」と腹をくくれている人には、当たり前の確認に映るかもしれません。
私自身は前者でした。「もっと効率的にやれば全部こなせるはず」とずっと信じてきた身には、「全部はこなせない」と言い切ってもらえたことが、叱責ではなく許可のように響いた。できない自分を責める必要はなかったのだ、と。
では、全部を諦めた先で人は何を始めるのか。著者は「冷たいシャワーを浴びる」という比喩で、その入り口を示します。ひるむけれど、浴びてしまえばかえってすっきりする――その先に何が待っているのかは、4000週間という時計の針が止まらないうちに、ぜひご自身で確かめてみてください。
合わせて読みたい
『不完全主義』オリバー・バークマン氏 本書と同じ著者による一冊。「全部やる」を諦めた先で、では具体的にどう動くのかを示します。有限性を受け入れる思想を、日々の実践に落とし込みたい人にぴったりです。
「効率化するほど忙しくなる逆説。」 本書の核心「生産性の罠」をコラムとして掘り下げた記事。ベルトコンベアの比喩がなぜ自分の毎日に当てはまるのか、短く確かめられます。
「自由な時間が増えても、幸せにはならない」 時間を増やすこと自体がゴールではない、という本書の前提と響き合う一本。空いた時間をどう生きるかを問い直したい人へ。

