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『「ない仕事」の作り方』みうらじゅん|好きだから集めるのではなく、集めるから好きになる

思考法・問題解決 ✍ みうらじゅん
約9分で読めます

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『「ない仕事」の作り方』
目次

「マイブーム」という言葉を、自分のなかだけで盛り上がっている小さな流行、という意味で使っていないだろうか。

実はこれ、みうらじゅんさんが作った造語で、本来の意味は真逆だ。自分のなかで完結する受け身の現象ではなく、自分発の流行を世の中に「仕掛けていく」攻めの行為を指す。私たちは長らく、この言葉を骨抜きにして使ってきたわけだ。

『「ない仕事」の作り方』は、ゆるキャラ、マイブーム、いやげ物、見仏記。世の中にまだ名前もジャンルもなかったものに名前をつけ、社会現象にまで育ててきた人の仕事術をまとめた一冊である。

タイトルだけ見ると奇抜なアイデア発想術の本に思える。だが読み進めて意外だったのは、書いてあるのが「アイデアの出し方」ではなく、むしろ「自分のなくし方」だったことだ。

独創を量産してきた人が、徹底して「自分を消せ」と説いている。この逆説がこの本の背骨になっている。

図解

こんな人におすすめ

どれかに引っかかったなら、この本の発想はかなり効く。とくに、まじめに正攻法で戦ってきて疲れた人ほど、肩の力が抜けるはずだ。

ない仕事とは「名前のないもの」に名前をつける仕事

そもそも「ない仕事」とは何か。

ジャンルとして成立していないもの、大きな分類はあるけれどまだ細かく区分けされていないもの。そこに目をつけ、ひとひねりして新しい名前をつけ、いろいろ仕掛けて世の中に届ける。これが著者の言う「ない仕事」だ。

わかりやすいのがゆるキャラである。20年ほど前、著者は全国の物産展に通っていた。そこにいた地方のマスコット、地元の名産品を盛り込みすぎてデザインとして成立しきっていない着ぐるみたちに、独特の「哀愁」を感じる。

その哀愁の正体を、著者は三つに分けている。地域を愛するあまりのいびつな熱意(郷土愛)、名産品を詰め込みすぎたトゥーマッチ感、そして都会の物産展で誰にも相手にされず浮いている所在なさ。この中途半端さこそグッとくる、と。

ここに「ゆるキャラ」と名前をつけた。これが起点だ。

名前をつける行為には、戦略上の大きな意味がある。自分で新しい土俵を作ってしまえば、自分以外の誰もその博士になれない。競争の激しい既存分野で消耗する代わりに、誰もいない場所に最初の旗を立てる。

マーケティングの言葉でいうカテゴリー創造に近いが、著者がやっているのは肩肘張った戦略というより、見つけた違和感に名前を与えて遊んでいるだけだ。

その軽さがかえって本質を突いている。

好きだから集めるのではなく、集めるから好きになる

ここが本書で一番ひっくり返るところだった。

普通、人は好きだから物を集める。著者は逆だ。まず大量に集める。圧倒的な量が目の前に積み上がると、後から本当に好きになっていく。これを著者は「自分洗脳」と呼ぶ。

なぜ量なのか。「人は『大量なもの』に弱い」と著者は言う。大量に集まったものを前にすると、集めた本人の興奮が見る側に伝わり、「なんだかすごい」と錯覚する。理屈で説得するより、無駄な努力の量を見せつけるほうが効く、という身も蓋もない人間観だ。

だから第一印象が悪いものでも、あえて「自分はこれを絶対に好きになる」と思い込み、収集を重ねる。最初は興味がなくても、量が一定を超えると熱量が本物にすり替わる。好きが先で行動が後、ではなく、行動が先で好きが後。順序が完全に逆なのだ。

これは精神論ではなく、私たちの日常にも応用が利く。気乗りしない仕事も、まず手を動かして材料を積み上げるうちに愛着が湧いてくる経験は誰にでもある。著者はそれを意図的な技術として扱っている。

この洗脳のスイッチになる呪文が「そこがいいんじゃない!」だ。人はよくわからないものに出会うと、すぐ「つまらない」と反応する。でもそれでは「普通」のまま。

だから「つまらないかもな」と思った瞬間、「つま……」のあたりで「そこがいいんじゃない!」と全肯定し、普通な自分のほうを否定していく。違和感を面白さに変換するスイッチである。

ダサい着ぐるみに名前をつけたら、産業になった

集めて熱量ができたら、次は届ける番だ。ここで効くのがネーミングの法則である。

著者の法則は「A+B=C」。AとBを足してABにするのではなく、まったく関係ない言葉を組み合わせてCという別物にする。しかもAかBのどちらかは、もう片方を打ち消すネガティブな言葉にするのがミソだ。

「ゆるい」+「キャラクター」で「ゆるキャラ」。キャラクターはゆるくては困るはずなのに、その矛盾があるからこそ新しいジャンルが立ち上がる。

このマイナスの力は、ほかの命名でも徹底されている。もらっても全然うれしくない土産物に「いやげ物」。すると一つのジャンルとして面白がられ、逆に欲しくなる。

交通の便がひどく悪いバス停の時刻表を「地獄表」。山形のあるバス路線は本数がじりじり減り、ついに0本まで行き着く。その不便さがそのままネタになる。

入り口がマイナスな名前のほうが、むしろ安心だと著者は言う。友達同士でつけた先生のあだ名のように、ちょっと怒られそうなくらい破壊力のある名前のほうが流行りやすい。きれいに整った名前は記憶に引っかからない、という洞察は、商品名やサービス名を考える誰にとっても効く。

そして流行る言葉には、もう一つルールがある。かなりの確率で略されることだ。きちんとした名前が略されて台無しになる、その瞬間にこそ広がっていく。略される余地まで設計しておけ、というわけだ。

企画から接待まで一人でやる「一人電通」

名前をつけても、黙っていては誰も仕事を頼んでくれない。前例がないからだ。

そこで著者は自分を「一人電通」と名づけた。広告代理店がチームでやることを、全部一人でやる。ネタを考え、ネーミングし、見せ方を工夫し、雑誌やイベントに売り込み、そのために編集者やイベンターを接待する。博報堂の人と組むときは「一人博報堂」に名前を変えたという。

面白いのは、流行を「後追い」しない姿勢だ。普通、雑誌で記事になるのは流行っているからである。著者は逆で、まだ全然流行っていないものを、あたかも流行っているかのように熱く自分のページで伝える。それが仕事だと言い切る。需要を待つのではなく、需要が「もうある」ことにしてしまう。

接待のくだりは生々しい。発注してくれる編集者を自分からお酒に誘い「逆接待」する。気心が知れたところで小さな囲み記事の提案から始め、徐々に「もっと効果的に見せたい」と交渉を広げ、最終的に1ページを自由に仕切る権利を手に入れていく。

才能があって接待がない作家と、才能はそこそこだけど接待がある作家。編集者がどちらを選ぶのか

著者はもちろん後者だと言い切る(『「ない仕事」の作り方』より)。スキルだけでなく、人間関係を作る泥臭さも仕事の一部だ。きれいごとを言わないこの正直さが、本書をただの発想術本から一段引き上げている。

ブームの正体は「誤解」

ブームが爆発する仕組みについて、鋭い洞察がある。

「ゆるキャラとはこういうものです」と最初から理論で固めないほうがいい、と著者は言う。人に誤解されたり、自分のもののように語りたくなる「余白」を残しておく。

人々が勝手に深読みし、独自の意見を言い出したとき。その「誤解」が増えたときに、マイブームは大ブームに変わる。提唱者が全部定義してしまうと、他人が入る隙がなくなって広がらない。

実際ゆるキャラは、命名から一大産業になるまで10年以上かかった。「ゆるキャラグランプリ」は毎年開かれ、観客動員は40万人を超えた。誤解が誤解を呼び、著者の手を離れて広がっていった結果だ。

完璧に管理しきらない、という発信の作法は、SNS時代の「余白を残すコンテンツが伸びる」話とも完全に地続きである。

「私が」を捨てると、なぜか仕事が来る

ここまでテクニックの話をしてきたが、本書の底には一本の思想が通っている。それが「自分なくし」だ。

著者は、若者がやりがちな「自分探し」や自己主張をはっきり否定する。何かをプロデュースするとは、自分をなくしていくことだ、と。「私がやりたい」ではなく「仏像が」「海女が」と、対象が目立てばいい。自分のアイデアは対象のためだけにある、と考える。

この感覚は、著者が「唯一、勝手に決めた上司」と慕う糸井重里さんから学んだものだという。仕事で「やりたいこと」と「やらねばならぬこと」に挟まれたとき、自分ありきで考えると葛藤になる。そこで自分をなくすほど没頭すると、葛藤が消えて新しいものが現れる。

向ける相手も絞る。顔の見えない大多数に向けては、何も発信できないし、伝えたいことがぼやける。著者は身近な一人や二人、なかでも「母親」に向けて作る。

母親が喜ぶかどうかが、すべての仕事のモチベーションの根っこにあるそうだ。マスを狙うほど刺さらない、という逆説は、現代のコンテンツ制作にもそのまま当てはまる。

一人でやると言いながら、チームも組む。ただし組み方が独特だ。同じ才能の持ち主ではなく、得意分野が違う「異能戦士」を横並びに集める。ザ・スライドショーでは、自分が集めたネタにいとうせいこうさんが自分にはないセンスでツッコミを入れて、ショーが成立する。

自分にないものは、素直に他人に頼る。

仏像スクラップが、20年後に阿修羅展になった

自分なくしと並ぶもう一つの柱が、時間だ。

著者は小学4年生から中学2年生まで「仏像スクラップ」を作っていた。ただの子供の趣味である。それが20年後に『見仏記』という連載になり、やがて社会現象にまで育つ。

2009年、東京国立博物館の「国宝 阿修羅展」。著者は阿修羅ファンクラブの会長に任命され、海洋堂が作った阿修羅フィギュアが公式グッズとして即完売した。東京での動員は100万人近く。その年の1日平均来場者数で、世界1位を記録している。

子供のときの「好き」が、すぐには結果にならなくても、飽きずに言い続けていれば、何十年か後に時代のほうが追いついてくる。仕事を得るには、すぐ結果が出なくても、いつまでも飽きずに言い続けることが大切だと著者は言う。

短期の成果を求められがちな今だからこそ、この時間軸はかえって新鮮に響く。

そのために必要なのが「不自然体」でいることだ。「レッツゴー不自然」。自然体で生きていると埋もれる。だから無理してでも不自然な状態を保ち、「え、まだそれやってるの」と驚かれるほど飽きないふりをし続ける。長髪にサングラスというスタイルを変えないのも、その一環らしい。

ちなみに著者の本気度がわかる例として、休まず35年続けている「エロスクラップ」がある。執筆時点で450巻。本人はその価値を100億円だと思っているそうだ。さすがにここは真似しにくいが、継続の異常さだけは嫌でも伝わってくる。

今日からできること

本書のメソッドを、三つに絞って自分の仕事に持ち込める。

1. 好きかどうか考える前に、まず集める 気になった対象を、好きになる理由を探す前に、とにかく大量に集めて並べてみる。量が熱量を作る。順序を逆にするのがコツだ。

2. わざとマイナスな言葉を1つ掛け合わせて呼び名を作る 自分が扱う商品やテーマに、ネガティブな言葉を1つ足して呼び名を作ってみる。「いやげ物」のように、欠点を入り口にした名前のほうが記憶に残る。

3. 企画を語るとき、主語を「私が」から対象に変える 「私がやりたい」ではなく「これが面白い」と、対象を主語にして言い直す。自分を消すと、相手も受け取りやすくなる。

おわりに

この本を読んで一番意外だったのは、これだけ独自のものを作ってきた人が、徹底して「自分を消せ」と言っていることだった。

自分探しではなく、自分なくし。集めるから好きになる。誤解されるから広がる。すぐには結果が出なくても言い続ける。全部、私たちが当たり前に信じている順序の逆を行っている。

自分のなかにある、ちょっと恥ずかしい偏った「好き」。それを隠すのではなく「そこがいいんじゃない!」と全肯定するところから、誰も立っていない土俵は始まるのかもしれない。


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