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『戦略プロフェッショナル』三枝匡|理論を「現場で使える武器」に変える、シェア逆転の物語

戦略・経営・事業 ✍ 三枝匡
約7分で読めます

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『戦略プロフェッショナル』
目次

前年に売れたのは、たった9台。その商品に向かって「今年は100台売る」と言い切った常務がいました。部下たちは絶句します。10倍以上、誰の目にも無謀と映る数字を平然と掲げたからです。

ところが1年後、実際に売れたのは148台。しかも市場の63%を握っていた最強の競合を、大病院という主戦場で逆転してしまいます。

この痛快な逆転劇を描いたのが、三枝匡さんの『戦略プロフェッショナル』(日本経済新聞社)です。著者自身の経営体験を下敷きにしたビジネス小説で、主人公・広川洋一は、大企業から経営難の子会社「新日本メディカル」へ常務として飛び込んでいきます。

物語を追ううちに、教科書で覚える戦略理論が現場でどう「武器」に変わるのかを、体感として理解できる。それが本書の仕掛けです。

理論を「暗記」しても、会社は一ミリも動かない

三枝さんがまず突きつけるのは、戦略理論を知識として蓄えているだけでは何の役にも立たない、という身も蓋もない事実です。

証拠として挙げられるのがアメリカ企業の失速でした。1970年代、米国は戦略理論に熱狂し、コンサルティング産業も一気に膨張します。ところが1980年代には多くの分野で日本企業に追い抜かれた。

なぜか。三枝さんは、現場を知らない戦略スタッフ(参謀)に頼りすぎたからだと見ます。上から降ってくる戦略に実行部隊は白け、手間のかかる製造改善より計算しやすい財務戦略やM&Aへ流れる。

理論が短期利益の道具に成り下がり、かえって競争力を削いだというわけです。

だから本書が求めるのは、参謀の知恵と現場の将の実行力を、一人の中に同居させた人材です。それが「戦略プロフェッショナル」。自ら最前線に立ち、理論と実行の両方に責任を負う経営者像で、広川はその姿を体現していきます。

戦略は、机上で描いた瞬間ではなく、現場で人を動かしきった瞬間にはじめて価値を持つ——本書の背骨はこの一点にあります。構成も凝っていて、広川が現場で悩む「物語」の直後に、それがどの理屈にあたるかを説く「戦略ノート」が挟まる。

理論と実戦が交互に来るので、使い方ごと頭に入る仕掛けです。

負け組企業ほど、低いレベルで静かに落ち着いている

広川が乗り込んだ新日本メディカルは、典型的な負け組でした。三枝さんはこの状態を「ルート3症候群」と名づけます。ルート3とは、いつも他社の後追いで方針がぶれ、最後は競争から弾き出される「負け犬」の成長経路のことです。

意外なのはその症状です。業績の悪い会社は社内がガタガタだと思われがちですが、実際は逆でした。低いレベルで妙に落ち着き、静まり返っている。社員のエネルギーが顧客や競合ではなく、社内の不満へと内向きに向かう。

原価計算は粗く、月次決算は遅れ、会議はダラダラ続いて何も決まらず、時間の感覚までズルズルと曖昧になる。逆に伸びている会社ほど、どこかが突出してアンバランスで不安定だ、と三枝さんは言います。

安定とはしばしば衰退の別名だという裏返しの指摘は、平穏な職場に居心地よく浸っている人ほど胸に刺さるはずです。

目標を先に置き、狙いを絞る——逆転を生んだ二つの型

広川が最初に打った手が、前年9台の商品に「100台」を掲げることでした。過去の実績を積み上げるのではなく、「勝つには最低これだけ要る」という高い目標を先に置き、目標と現実のギャップを新戦略で埋めさせる。

これが「目標先行のプランニング」です。負けている会社が過去と同じ発想で計画を組んでも、大きな変化は起きない。あえて届きそうにない数字を置き、延長線上にない知恵を絞り出させるわけです。

とはいえ、高い旗を立てるだけでは精神論で終わります。ここに噛み合うのが二つ目の型、セグメンテーションでした。市場を似た買い方をする顧客グループに切り分け、どこへ資源を集中し、どこを捨てるかを決める。三枝さんはこれを「重要な戦略決定のプロセスそのもの」と言い切ります。

広川たちは社内に埋もれたデータを徹夜で掘り起こし、営業マンが自社の既存客にばかり新製品を売っていた事実を突き止めます。旧製品の売上が落ちるだけでシェアは広がらない、共食い(カニバリゼーション)が起きていた。

そこで市場を切り分けます。200ベッド以上の病院968カ所と検査センター100社、計1068ユーザーをベッド数と競争状況で分類し、840軒へ、さらに競合の大口が眠る292軒へと絞り込む。

最優先は競合ドイツ化学の大口顧客79軒。売れそうな味方から回るのではなく、あえて敵の本陣から攻める——常識と真逆のこの一手が、逆転の起点になりました。なお三枝さんは、人間が扱えるマトリックスはせいぜい3×3の9マスが限界だと釘を刺します。

複雑にしすぎた戦略は、現場が動きに使えないからです。もっとも、顧客を切り捨てる線引きは口で言うほど簡単ではありません。切った先が後で伸びれば判断ミスと責められ、社内には必ず抵抗も出る。

本書がこの決断を「戦略そのもの」と重く扱うのは、それが最も勇気を要する作業だと知っているからでしょう。

予算枠という壁を、価格ではなく「売り方」で消す

大病院を攻めると決めても壁がありました。新型の自動検査機ジュピターは高いもので1250万円。病院には資産購入の予算枠があり、そこに入らないと買いたくても買えないのです。

普通なら「価格が高いから売れない」と結論します。ところが計算すると、検査薬代の節約や人手削減で顧客が得るメリットは十分に大きい。高すぎるのではなく、その価値を伝えきれていないだけでした。

そこで生まれたのが「アドオン・プログラム」です。機械は無償で納入し、日常的に使う消耗品の検査薬に機械代を上乗せして回収する。検査薬は本来1テスト250円のところ、アドオンでは420円。

顧客は初期投資ゼロで最新機を導入でき、販売側は消耗品を通じて確実に代金を回収できる。予算枠という障害を、売り方ひとつで溶かしてしまったわけです。

ここに三枝さんの価格観が凝縮しています。価格は自社のコストから逆算するものではなく、顧客のロジックを読むゲームだ、と。粗利益が低いのは、顧客が認める価値がそれだけしかないからだ、という一言も鋭い。

値付けを原価計算の作業だと思い込んでいる人ほど、発想を一段ひっくり返される場面です。付け加えれば、初期費用を消耗品の代金に溶かして回収するこの手口は、機器を実質無償にして月額で稼ぐ現代のサブスクリプション商法を先取りしています。

四十年近く前の物語から、いまも使える型がそのまま取り出せるところに本書の息の長さがあります。

良い戦略は子どもにも説明できる——実行を止めない仕組み

もう一つ現場で効く目印が「戦略は十分にシンプルか」という問いです。三枝さんは、良い戦略ほど極めて単純明快だと言います。父親が夕食の席で子どもに説明しても伝わるくらいで、時間をかけて複雑に語らないと理解されない戦略は、たいてい実戦で効かない悪い戦略だ、と。

単純だからこそ社員が理解でき、組織のベクトルが一つに束なる。広川の戦略が強かったのも、「敵の大口客に、初期投資ゼロで攻める」と一言で言えたからでした。

ただし、良い戦略があっても人は自然には動きません。そこで三枝さんは、日本的な「和の経営」やボトムアップをあえて否定し、組織の適度な不安定化がいつも必要だと説きます。

停滞した組織に高い目標を突きつけ、体制をいじり、意図的に「ゆらぎ」を起こす。人の育て方も同じで、「君らの足より少し大きめの靴をやるから、勝手に自分で足を靴に合わせろ」という三枝さんの言葉のとおり、実力より少し重い責任を背負わせて潜在能力を引き出します。

さらに戦略を言いっ放しにしないため、複雑な営業日報を廃し、顧客ごとの進捗を記号でコード化する。未訪問はF、初回訪問はE、受注はA0といった具合に段階を刻み、一枚のシートで全員の進み具合を毎週しつこく追う。

壮大な理念より、この地味な運用の徹底こそが実行を支えている点は見逃せません。

カンは才能ではない——失敗の疑似体験で後天的に磨かれる

最後に印象に残るのが、経営の「カン」をめぐる見方です。優れた経営者の直感は生まれつきの才能ではない、と三枝さんは言います。論理的にプランニングし、計画どおりにいかなかったときに原因を追う。

その反復で「経営の因果律」、つまり原因と結果のつながりのデータベースが体に溜まっていく。カンの冴えた人は、この因果律を実体験から数多く知っているだけだ、と。

だからカンとプランニングは対立せず、むしろ補い合う。失敗の疑似体験を重ねるほど直感は後天的に磨かれるというこの見方は、失敗を恐れて動けない人の背中を押します。

物語だと侮れないのは、著者自身が同じ道を歩いてきたからです。三枝さんは20代でボストン・コンサルティング・グループに身を置き、33歳で合弁会社の代表取締役として赤字事業の再建に乗り出し、社員300名規模の優良企業へ育て上げました。

倒産寸前のベンチャー再建を社長として引き受けた経験もあります。だからこそ彼は30代に強く挑戦を促す。若いうちの失敗は残りの人生で十分回復できるし、日本企業は若くしてリスクを背負う機会が乏しく、米国との経験差が数十倍にもなると指摘します。

ただし本書には作者自身の留保もあります。あとがきで三枝さんは、戦略の切れ味に重心を置いたぶん、実際の変革で生じる政治的な軋轢や感情のもつれをかなり綺麗に整理して描いた、と認めています。

現実の変革は、物語よりずっとドロドロするでしょう。それでも一冊から一つ持ち帰るなら、曲がり角の先が見えないからと座り込んでいても何も始まらない、自分で自分の背中を押してとりあえず角まで歩いてみろ、という姿勢です。あなたの目の前にある「無理な数字」は、本当に無理なのか。

もう一度だけ疑ってみる価値は、十分にあります。


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