豆の質をほんの少しだけ落とす。それだけで年に何百万ドルもの経費が浮き、しかも客の9割は味の違いに気づかない——。1994年、ブラジルを襲った大霜害で生豆の国際価格が3ヶ月で330%も跳ね上がり、1ポンド2.74ドルまで暴騰したとき、スターバックスの目の前にはこの「うまい話」が転がっていました。
ところが、その案は一度も会議の議題に上りませんでした。「品質を落とそう」と口にする社員が、社内に一人もいなかったからです。
『スターバックス成功物語』は、この会社を率いたハワード・シュルツが自らの手で綴った経営の記録です。シアトルの6店舗にすぎなかった地方チェーンを、CEO就任からの10年で1,300店舗・従業員2万5,000人超へと育てた道のりが、輝かしい成功だけでなく手痛い失敗も交えて書かれています。
読み進めると、この会社が普通の商売とはまるで逆の順番で組み立てられていることが見えてきます。以下、その設計思想を編集部なりに解きほぐしていきます。
人を大切にすることを「最大の投資」と考える逆転の経営
多くの企業は、売上と利益を最大化するために人件費や品質にかかるコストをどう削るかを考えます。シュルツの発想は、この矢印をまるごと反対向きにしたものです。
まず社員を徹底して尊重する。すると社員が誇りと当事者意識を持つ。だから客に最高の体験を届けられる。その積み重ねがブランドになり、最後に利益がついてくる。
人を大切にすることは削るべき「コスト」ではなく、いちばん割のいい「投資」だ——これが本書を一本の背骨のように貫く主張です。
編集部として評価したいのは、この主張が精神論で止まっていない点です。離職率・研修費・株価という冷たい数字で、人本主義が経済的にも合理的だと裏づけているところに本書の凄みがあります。理想と勘定が両立している経営書は、じつはそう多くありません。
ウォール街が求める四半期ごとの利益への、静かで頑固な反論として読むこともできます。ただし注意したいのは、この思想が上品な理念から生まれたわけではないことです。
出発点は、一人の少年が負った生々しい傷でした。そこを外すと本書の芯を読み違えます。
父の骨折と借金取りの電話が生んだ「パートナー主義」
シュルツが育ったのは、ニューヨーク・ブルックリンの低所得者向け公営住宅でした。おしめ配達のトラック運転手などを転々とした父の年収は、生涯で2万ドルを超えたことがありません。
ある日、その父が仕事中に足を骨折します。健康保険も労災手当もなく、一家は借金取りの電話に怯え、幼いハワードは電話口で「両親は留守です」と言わされました。
職と自尊心を同時に失った父の惨めな姿が、彼の胸に焼きついた——本書の人本主義は、経営理論の棚からではなく、この記憶から取り出されています。
その決意が制度に結晶したのが二つの施策です。一つは健康保険。1988年当時、現場の3分の2はパートタイムでしたが、彼は週20時間以上働くパートにも会社が保険料の75%を負担する制度を適用しました。
「まだ黒字も出ていないのに経費を増やすのか」と取締役会は猛反対しましたが、押し通しています。もう一つが1991年に導入した自社株購入権「ビインストック(Bean Stock)」で、役員だけでなくパートを含む全員に株を配りました。
この日を境に社内から「従業員」という言葉が消え、全員が「パートナー」と呼ばれるようになります。
効果は数字が語ります。小売やファストフードの年間離職率が150〜400%という業界で、スターバックスのバリスタは60〜65%、店長はわずか25%に収まりました。
新規採用者一人の研修に3,000ドルかかると考えれば、離職率の低下は保険料を軽く上回るリターンを生みます。ビインストックはさらに劇的で、導入時6ドルだった株価は5年後の1996年に132ドルへ跳ねました。
年収2万ドルのパートナーが5年で5万ドル以上を手にし、その株で家の頭金を払った人、大学の授業料に充てた人が現れます。人を家族のように扱えば、社員のほうも会社を家族のように支える——その双方向の関係が、ここでは感情論ではなく実績として証明されています。
家でも職場でもない「第三の場所」を売るという発明
もう一つの原点は、1983年にシュルツがイタリア・ミラノで受けた衝撃です。街のいたるところにあるエスプレッソ・バーで、人々が立ったままコーヒーを飲み、店員と、そして隣り合った客と言葉を交わしている。
そこは家庭でも職場でもない、肩の力を抜いてくつろげる社交の場でした。彼は「神の啓示」のような震えを覚えたと書いています。この「第三の場所」という発想は、社会学者レイ・オルデンバーグが『ザ・グレイト・グッド・プレイス』で提唱した概念——家(第一の場所)でも職場(第二の場所)でもない、形式張らずにいられる中立の居場所——とそのまま響き合います。
だからスターバックスが売っているのは、カップの中身だけではありません。スマトラやケニアの香りに包まれる「手の届く贅沢」、笑顔の店員がさばく数分間の逃避行、その時間ごと客に手渡しているのです。
面白いのは、店内で実際に他人へ話しかける客が1割にも満たないという点です。会話が生まれなくても、同じ空間に人が集うだけで「安心できる世界に来た」という温かさが立ち上がる。
そこに、ただのコーヒーショップとの決定的な差があります。小売部門を率いたハワード・ビーハーの口ぐせが、この価値を鋭く言い当てています。彼は、我々は人々の腹を満たしているのではない、人々の精神を満たしているのだ、と語りました。
売っているのは飲み物ではなく、心の落ち着き先だという宣言です。
ブラジル霜害でも品質を落とさなかった「聖域」の思想
冒頭の霜害の話に戻ります。なぜ彼らは、品質を落とすという楽な道を検討すらしなかったのか。答えは、品質がこの会社の「魂」そのものだからです。利益のために一度でも質を落とせば、その妥協の記憶が社員と客の両方に根を下ろし、二度と元へは戻れなくなる——シュルツはそう考えていました。
このこだわりは、まず焙煎に表れます。使うのは高山育ちの最高級アラビカ種だけで、それを深煎り(ディープ・ロースト)で仕上げます。安いロブスタ種は深く煎れば焦げるだけですが、アラビカ種は熱に耐え、深く煎るほど風味が濃くなる。
ただし深煎りには弱点もあり、長く煎るほど豆の重量が20〜30%も減ります。大手食品会社はこの目減りを嫌って浅煎りを選びますが、スターバックスはそのコストを黙って引き受けました。
次の壁は鮮度です。シアトルから2,000マイル離れたシカゴへ、焙煎したての豆をどう新鮮なまま届けるか。これを解いたのが1989年開発の真空パック「フレーバーロック」で、一方向バルブが豆から出る二酸化炭素を逃がしつつ、外からの酸素と湿気を遮断する。
この地味な技術が全国展開を裏から支えました。
そして霜害のとき、彼らは品質を一切いじらず、客に「最高級のコーヒーを出し続けたいので値上げをさせてほしい」と正直に頭を下げました。すでに積み上げてきた信頼のおかげで、客は離れませんでした。
危機とは、その会社が平時にどんな約束を守ってきたかを一気に精算させられる場面です。守るものを普段から決めていた会社だけが、非常時に迷わず立っていられる。
霜害のエピソードは、そのことを静かに教えてくれます。
コアは死守し、周辺には気前よくイエスと言う
ここで誤解を一つ解いておきます。品質への執着は、何でも突っぱねる原理主義とは別物です。象徴的なのが1989年のノンファットミルク論争でした。
健康志向の客から脱脂乳の要望が相次いだとき、シュルツやデイブ・オルセンは「水っぽくて本場のラテに合わない」と拒みます。これに現場を回っていたビーハーが噛みつきました。
不味いと決めつけているのは客ではなく君たちのほうだ、客が望むものを出すのが小売りではないか、と。テスト販売を経て全店導入すると、今ではラテやカプチーノの半数近くが脱脂乳で作られています。
フラペチーノも同じ筋書きです。カリフォルニアの現場パートナーが考案した冷たいブレンド飲料に、シュルツは「本格コーヒーのイメージが壊れる」と強く反対しました。
ところが現場に押し切られて出してみると、1996年に『ビジネスウィーク』誌の年間最優秀製品に選ばれる大ヒットになります。ここに引かれている線は明快です。
深煎りの豆という「核」には一切妥協しない。一方で、ミルクの種類やシロップの組み合わせといった「客が楽しむ方法」には気前よくイエスと言う。守るべき一点をあらかじめ決めているからこそ、それ以外は安心して手放せる——この線引きの感覚こそが、頑固さと柔軟さを一人の中に同居させるスターバックスの強さの正体です。
百階建てのビルには、百階建ての土台がいる
急成長には、目に見えない土台が要ります。シュルツはこの原理を、「二階建て住宅用の土台に百階建ての高層ビルを建てることはできない」という一文で言い切りました。
スターバックスは店舗数が伸びる前に、経営陣・焙煎工場・POSシステム・資金を先回りで整えています。だから初期は赤字が続きました。1987年に33万ドル、1988年に76万ドル、1989年に120万ドルの損失を出し、黒字化は計画どおり1990年。
この赤字は業績不振ではなく、未来の重さに耐える土台への健全な投資だった、というのが本書の立場です。
もう一つの土台は、シュルツ自身の作り変えでした。多くの起業家は会社が大きくなっても何もかも抱え込み、そのまま組織を壊します。彼は自分が細かな管理に向かないと早々に認め、「自分より賢い人間」を恐れず招き入れて権限を大きく手放しました。
コーヒーの品質を守る良心デイブ・オルセン、現場の声を吸い上げる仕組みを作ったビーハー、財務と手順の裏方を固めたオーリン・スミス——この三人に任せ、さらにUCLAのエリック・フラムホルツ教授を招いて、急成長企業が必ず陥る「成長の痛み」を外から診断させています。
夢を語る熱と、それを支える統制。相反する二つが信頼で結ばれたからこそ、会社は大きくなっても魂を失わずに済みました。付け加えれば、これらすべてを最初の10年、広告費1,000万ドル未満でやってのけています。
マス広告ではなく、パートナーが一杯ごとに語る口コミこそが、いちばん強いブランドを作ったのです。
