「文章が書けない」という悩みの多くは、実のところ書き方の問題ではない。何をどう考えてから書き始めるのか、その手前の思考がすっぽり抜けているだけだ——山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!
文章を書く』は、そう言い切るところから始まる。著者は高校生向けの小論文指導を長く手がけてきた人物で、本書が扱うのは詩や小説のような「うまい文章」ではない。
企画書、お詫び状、依頼メール、履歴書。相手を動かし、こう着した状況を切り開くための、実用の文章である。
象徴的なエピソードが冒頭に置かれている。パートの再就職で年齢の壁にぶつかっていた48歳の女性が、履歴書に自分の長所を売り込む一枚を添えたところ、「あなたのような人を探していた」と歓迎された、という話だ。
多くの企業が上限を40歳、寛容でも45歳で門を閉じるなかで、一枚の文章が求人の年齢制限をひっくり返した。本書が教えるのは、こうして現実を動かす言葉の設計図である。

文章が書けないのは、文才ではなく「考える手順」を知らないから
本書のいちばんの背骨は、一行で言い切れる。書くことは、考えることだ。
プロローグに、17歳の少女が登場する。大学入試を想定した小論文で、彼女は本心を隠し「とりあえず」を連発する、どこかで見たような文章を書いていた。
山田さんはそれを添削するのではなく、問いの形でインタビューしていく。あなたが本当に切実に感じていることは何か、と。すると出てきたのは、進路をめぐる親との葛藤だった。
その主題に正面から向き合って書き直した小論文は、息をのむほど生き生きとした、本物の熱を持つ文章に生まれ変わる。
この一件が示すのは、文章力とは書くために必要なことを自分の頭で考える力だ、という本書の立場である。だから考える手順さえつかめば、文章は格段に伸びる。
逆に「なんとなく」で日々をやり過ごし、自分の中身と向き合わないままなら、いくら技術を足しても言葉は空っぽのままだ。ここは耳の痛い指摘だが、裏を返せば救いでもある。
書けなさの原因が才能ではなく手順にあるなら、手順は誰でも学べるからだ。
本書がもう一つ壊すのが、「いい文章」の定義である。学校で褒められる、表現力の豊かな鑑賞用の文章を目指すと、仕事や生活の場面ではむしろ失敗する。
山田さんが持ち出すのは「機能美」という言葉だ。花のように美しくはないけれど、人を動かし状況を切り開く文章のことである。だから文章の良し悪しを決める物差しは、書き手の内側ではなく、読んだ相手の内側にある。
相手が納得したか、共感したか、行動を起こしたか。書き上げて自分が満足した時点で終わり、ではないのだ。
書く前に点検する「7つの要件」
機能する文章を書くために、山田さんは7つの要素を検討せよと言う。すべてを毎回きっちり書き出せという話ではない。書く手が止まったとき、どこでつまずいているのかを突き止めるためのチェックリストだと考えるとわかりやすい。
挙げられるのは、自分が一番言いたい「意見」、読んだ相手にどうなってほしいかという「望む結果」、文章を貫く問いである「論点」、届ける具体的な相手を思い描く「読み手」、その相手から見た自分の位置を測る「自分の立場」、意見を支える理由である「論拠」、そして書き手の根っこにある価値観「根本思想」の7つだ。
このリストの巧みさは、書けない理由を分解して見せてくれる点にある。意見が浮かばないのか、ゴールが定まっていないのか、相手を読み違えているのか。
漠然と「書けない」と悩む代わりに、7つのどこが欠けているのかを問えば、詰まりの正体が見えてくる。以下では、この中でも本書が心臓部として扱う「論点」と、多くの文章が失敗する「説得」の設計を掘り下げていく。
意見とは「問い」に出した答えである
「意見を言え」と求められて固まる人は多い。本書はその原因をこう整理する。意見が出ないのは、その手前にある「問い」を立てていないからだ、と。
意見とは、自分が立てた問いに対して、自分が考えて出した答えのことである。だから意見のあるところには必ず問いがあり、問いが浅ければ意見も浅くなる。ここで効いてくるのが論点の扱いだ。「男性ファッションについて」のような漠然としたテーマのまま考えず、それを疑問文に変える。雑誌が「なぜ日本の男はカジュアルが下手なのか」と切り込むように、問いの形にした瞬間、独自の切り口が立ち上がる。本書はさらに踏み込んで、答えは意識せずとも人は探している、だから常に意識を向けるべきは問いのほうだ、と言う。鋭い問いを見つけられる人が、いちばん価値を生むという指摘は、文章術を超えて仕事全般に通じるだろう。
では、その問いをどう立てるか。道具はシンプルだ。大きすぎる問いに一発で答えようとせず、小さく具体的な問いに割って、自問自答を重ねる。問いは、自分から意見を引き出すインタビュアーの役を果たす。
視野を広げたければ、時間軸で過去・現在・未来へ、空間軸で自分・他者・社会へと、一見遠回りな問いをはさむとよい。
そのうえで本書が警告するのが「思考停止ポイント」だ。「環境を守ろう」「戦争反対」といった、誰も否定できない正論。それを強く押し出した瞬間、思考は止まる。
本当に必要なのは、正しいと分かっているのになぜそうできないのか、と一歩踏み込む問いのほうだ。信念やデータのような揺るぎないものに寄りかかると、頭は動いているようで止まっている。
自問自答をやめない「揺らぎ」の中にい続けることこそ考えることだ、という主張は、タイトルの「揺さぶる」とも静かに響き合っている。
説得は、相手の反対理由から組み立てる
自分に都合のいい理由をどれだけ並べても、人は説得されない。本書の鉄則は逆で、説得は相手が反対している理由を正確に知ることから始まる。
分かりやすいのが、専門知識のない人物をプロジェクトリーダーに抜擢された部長に、ある女性社員が抗議しようとする場面だ。彼女は最初、怒りに任せた批判と脅しの混じったメールを書こうとする。
だが書き直す過程で、部長が利益効率を重視しているという論拠を押さえ、他社の事例を調べ、専門性のある人物を推薦する提案へと変えていく。相手の反対理由をあらかじめ自分の文章に織り込み、反論と再反論を先回りで用意しておく。
批判で終わらせず「ではどうするか」という代替案まで引き受けたことで、感情的な抗議は建設的な提案に生まれ変わった。
否定するだけでは相手は反発し、状況は一ミリも動かない。新しい考えを創るという骨の折れる仕事を、自分の側から背負うこと。それが人を動かす説得の正体だと本書は言う。
この姿勢は、相手との距離の測り方にもつながる。親しくなりたい相手に「好きだ」「わかってほしい」とストレートにぶつけるのは、よかれと思ってやりがちだが危うい。
相手からすれば、よく知らない人物がいきなり親しげに詰め寄ってきたことになるからだ。基準になるのは、こちらの「つもり」ではなく、相手から見たときの自分との距離である。
まず実績を示して信頼を積み、相手が必要とするときに必要なものを差し出す。関係性を読み違えないことが、伝わる文章の前提になる。
お詫びとメール——相手の側から論理を積む
本書の後半は、依頼・お詫び・メール・議事録といった具体的な文書のテンプレートが並ぶ。どれにも共通するのは、相手の側から論理を組み立てるという一貫した姿勢だ。なかでも実践で効く二つを見ておきたい。
一つはお詫びの文章である。手本になるのは、欠陥商品を届けてしまった顧客への、ある百貨店社員のお詫び状だ。ただ謝罪を連呼するのではなく、機能を持った段落を順に積み上げる。
謝る、相手の側から見る、罪を認める、原因を突き止める、再発防止策を示す、償う、もう一度謝る。この順で書くと、内容が重複せず、誠意が前に向かって進む読後感が生まれる。
一人称を最後まで「私」で通すのは、責任の主体を曖昧にしないためだ。
もう一つはメール。本書には「メールはシーソーである」という言葉がある。書き手が考える手間をサボった分だけ、その重さはそっくり読み手の肩に移る。だから冒頭に一番言いたい意見を置き、要返信かどうかといった相手にとっての意味を明示する。
ここで効くのが、主語を人間にするという技だ。「エラーが発生しました」ではなく「私が確認を見落としました」と書く。受動態を人間の主語に直すだけで、文章は一気に明快になり、同時に自分が責任を引き受けるという自立の感覚も育つ。
小さな書き換えが、書き手の姿勢そのものを変えていく好例である。
いちばん有利な戦略は「正直」であること
技術論の底に、本書はもう一つの層を敷いている。根本思想だ。文章の根っこにある書き手の価値観は、氷山の水面下のように、書かなくても読み手に見透かされる。だから話題や言葉づかいをいくら取り繕っても、根っこを変えなければ相手が受け取る印象は変わらない。
ここから山田さんは、少し意外な結論に着地する。自分の生き方に嘘のない文章を書くことこそ、最も有利な戦略だ、と。就職や推薦入試では、相手が喜びそうな模範解答を書きたくなる。
だが付け焼き刃の言葉は、プロの読み手にあっさり見抜かれる。自分の人生と地続きの、実感のこもった言葉だけが、人の心を揺さぶることができる。だからこそ本書のタイトルは「伝わる」だけでなく「揺さぶる」なのだ。
本書に、こんな一節がある。自分以上にいいものを書く必要はない、しかし自分以下になってはいけない、と。背伸びした文章は嘘っぽくなって届かず、かといって本心を出し切らなければ相手の心も動かない。
文章を書くとは、結局のところ自分の考えと正直に向き合う作業なのだと、この本は静かに突きつけてくる。まずは次に送るメールの一通目から、テーマを疑問文にし、主語を「私」に変えてみる。
動くのは、案外そこからだ。
