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ブクドリ | BOOK DRIP

専門を深めると、本当に「専門バカ」になるのか

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目次

変化の速い分野ほど、幅広く知る人が有利になる。多くの人がそう考えています。

ところが、6,358人の数学者を20年分追った研究では、逆の結果が出ました。

知識が急に押し寄せた分野で成果を伸ばしたのは、ひとつの分野しか手がけていなかった専門家のほうでした。

「専門バカ」という言葉は、深く知ることそのものを悪者にしがちです。研究を並べてみると、専門性が弱点に変わるのは、もっと限られた条件のときだと分かってきます。

「幅か深さか」の論争は、研究者の間でも割れていた

創造的な仕事で有利なのは、専門家とジェネラリストのどちらか。この問いは、研究の世界でも長く答えが分かれてきました。

幅を支持する研究は、離れた分野の知識を組み合わせられる強みを挙げます。深さを支持する研究は、ひとつの分野を知り尽くした人だけが最先端の知識を使いこなせると指摘します。どちらにも裏付けがあり、決着がつかなかったのです。

この対立を整理する手がかりになるのが、経営学者のエリック・デーン氏(当時ライス大学)が2010年に発表した「認知的固定化」という考え方です。

デーン氏は、認知的固定化を「自分の専門領域の枠組みが非常に安定している状態」と定義しました。熟達すると、問題を見た瞬間に使い慣れた型が立ち上がります。その型を何度も使うほど、枠組みは動かなくなっていきます。

ただ、デーン氏は「熟達すれば必ず固くなる」とは言っていません。固定化の度合いは、経験の量だけでなく、どんな環境で働くか、どこに注意を向けるかでも変わる。だから熟達の弱点は回避できる、というのが彼の主張でした。

もっとも、これは理論上の提案です。2019年の時点でも、この2つの条件を実証した研究はまだないと、別の論文が指摘しています。

知識が押し寄せる分野では、専門家のほうが強かった

では実際のデータでは、どちらが勝つのか。

ロンドン・ビジネス・スクールなどの研究者フロレンタ・テオドリディス氏、ミカエル・ビカール氏、キーヴァン・ヴァキリ氏は、2019年にこの問いを数学の歴史で確かめました。

使ったのは、ソ連の崩壊です。

ソ連の数学は世界最高水準でしたが、研究者は国外での発表や外国人との共同研究を厳しく制限されていました。その成果が、1989年以降に一気に外の世界へ流れ出します。

論文には、ハーバード大学の数学者パーシ・ダイアコニス氏が1990年にニューヨーク・タイムズへ語った言葉が引かれています。20年間解けなかった問題を、ソ連出身の研究者に聞いたところ、ソ連ではその種の問題がたくさん研究されていると教えられた。「まったく新しい世界に触れられた」と。

ソ連が強かった分野ほど、最先端が急に動いたことになります。研究チームは、ソ連以外の理論数学者6,358人の1980〜2000年の論文を集め、33の分野のうち1分野だけで書いてきた人を専門家、最も幅広く書いてきた上位1割をジェネラリストとして比べました。

結果ははっきりしていました。

変化の速い分野では、専門家の論文数がジェネラリストとの差で見て約37%伸びました(変化の遅い分野での差を基準にした比較)。崩壊後の期間で、およそ3本多い計算です。一方、変化の遅い分野では、専門家の論文数はジェネラリストより約8%少なくなりました。

勝敗が、分野の速さで入れ替わったわけです。

研究チームの説明はこうです。最先端に新しい知識が大量に届いたとき、それを読み解いて使えるのは、その分野を深く知る人です。共同研究の相手選びにも同じ傾向が出ていて、変化の速い分野では専門家が、遅い分野ではジェネラリストが組む相手として選ばれていました。

たとえば、会計基準が大きく改正された年を思い浮かべてください。新しい基準を読んで実務に落とせるのは、旧基準の細部まで知っている人です。同じ土台の上に知識が積み増される変化では、深さがそのまま吸収力になります。

前提がひっくり返る変化は、別の話になる

この研究には、著者自身が明記している限界があります。

ソ連崩壊で起きたのは、既存の数学の上に新しい成果が加わる変化でした。ニュートン力学からアインシュタインの力学への転換のように、分野の土台そのものが入れ替わる変化は扱っていません。著者らは、そうした場面では専門家が変化に抵抗しやすいという過去の指摘を紹介し、自分たちの結果を一般化しないと書いています。

ここで、デーン氏の理論とつながります。

積分方程式の新しい解き方が届いたなら、専門家は自分の枠組みにそのまま取り込めます。けれど、時間は誰にとっても同じだと信じたまま相対性理論を読めば、その前提が理解を邪魔します。何度も使って固まった枠組みほど、新しい情報を古い型に押し込んでしまうのです。

つまり専門性が弱点になるのは、深いからではありません。同じ型を、変化の少ない環境で、専門の内側だけを見ながら使い続けたときです。

たとえば、10年間ほぼ同じ種類の案件だけを担当してきた人と、同じ10年で毎年少しずつ違う案件を任されてきた人がいるとします。どちらも専門家ですが、業界の前提が変わったときに型を組み替えやすいのは、後者だとデーン氏の理論は予想します。

幅は、ひとりで背負わなくていい

それでも、専門外に目を向けることには意味があります。問題は、その幅を誰が持つかです。

経済学者のベンジャミン・ジョーンズ氏は2009年、発明者のデータをもとに「知識の重荷」という仕組みを示しました。知識が蓄積するほど、最先端にたどり着くまでに学ぶ量が増えます。そのため発明者は専門を狭め、足りない部分をチームで補うようになる。実際に、知識が深い分野ほど専門化とチームでの発明が進んでいる傾向が確認されました。

先ほどの数学者の研究で、変化の速い分野の専門家が共同研究者として選ばれていたことも、同じ方向を指しています。幅はチームで持ち、個人は深さで貢献する。この分担は、知識が増え続ける時代の自然な形なのかもしれません。

眼科医で起業家の坪田一男さんは『GO OUT』で、専門を深める「深化」と、未知の分野に出ていく「探索」を両立させることを勧めています。坪田さんが率いる坪田ラボでは、2022年の研究費3億円のうち2億円を既存分野に、1億円を新しい分野に振り分けたそうです。この比率は研究で導かれたものではなく、著者の方針です。ただ、深さを手放さずに外を見る時間を最初から確保しておく発想は、デーン氏の理論とも重なります。

型が固まる前にできること

誤解:専門を深めるほど、視野は狭くなる → 狭くなるのは、同じ型を同じ環境で使い続けたときです。知識が積み増される変化なら、深さはむしろ武器になります。

正しいアプローチ:自分の分野の変化を、2種類に仕分ける → ここ3年で自分の仕事に起きた変化を5つ書き出し、「知識が増えた変化」と「前提が変わった変化」に分けてみてください。5分あればできます。後者が多いなら、専門の内側だけで対応しようとしていないかを点検する合図です。

仕分けができたら、次の2つを試してみてください。

  • いつもと違う案件を、年に1つ引き受ける。 デーン氏が挙げた「変化のある環境」を、自分の専門の中に意図的につくる方法です。同じ専門でも、客層や規模が違う案件なら型が揺さぶられます。
  • 専門外の相談相手を1人決める。 坪田さんは、自分のインプットを「専門」「仕事に関係する専門外」「仕事とまったく関係ない領域」に分けて書き出す地図を勧めています。空白の多い領域に詳しい人を1人見つけておけば、幅をひとりで背負わずに済みます。

おわりに

「専門バカ」の正体は、知識の深さではありませんでした。

深く知っている人ほど、新しい知識が押し寄せたときに強い。弱くなるのは、使い慣れた型が問い直されない場所に、長くいすぎたときです。

いまの自分の仕事で、最後に型を変えたのはいつだったか。それを思い出すところから始めてみてください。


この記事で参考にした本

『GO OUT ゴーアウト』坪田一男さん → 専門を深める「深化」と、外に出る「探索」を個人のキャリアで両立させる方法


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