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『秋本治の仕事術』秋本治さん|40年間、締切を怖いと思わなかった理由

生産性・時間術・習慣 ✍ 秋本治さん
約7分で読めます

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目次

締切に追われ、間に合わせた頃にはくたくた。漫画家とは本来そういう職業だと、多くの人は想像する。ところが『こち亀』を200巻・40年、一度も休載せずに描き切った秋本治さんは、締切を怖いと思ったことはほとんどないと言い切る。

徹夜もしない。朝9時に始めて夜19時には仕事を終える。タイムカードまで押す。国民的漫画家の働き方は、拍子抜けするほど普通の会社員に近かった。

本書は、その「普通さ」がなぜ偉業を生んだのかを、才能でも根性でもなく再現可能な仕組みとして解き明かす。

締切は「与えられるもの」ではなく「自分で決めるもの」

秋本さんの仕事術を一言に凝縮すれば、時間の主導権を他人から取り戻すことに尽きる。多くの人は誰かが設定した締切に向かって走る。走っている間はずっと不安で、ゴールしても息つく間もなく次の締切がやってくる。

この受け身の姿勢こそが消耗の正体だ、と本書は指摘する。だから秋本さんは、スケジュールを最初から最後まで自分で決めた。締切が近づくのを待つのではなく、自分で逆算して前倒しの締切を引く。

締切を他人任せにしている限り、人は永遠に追われる側から抜け出せないという洞察が、6つの章すべての土台になっている。

編集部として付け加えたいのは、これが漫画家に限った話ではないことだ。会社員の多くは、上司が決めた期日や取引先の要求に反応するだけの働き方に慣れきっている。

その反応の連続を、能動的な設計に変えられるかどうか。ここが本書全体を貫く一本の背骨であり、以降の具体策はすべてこの一点から派生していく。

7日の仕事を5日で終える「時間貯金」の発想

本書で最も具体的で、そのまま真似できるのが「時間貯金」だ。秋本さんは1週間分の連載を7日かけて描かず、5日か6日で仕上げた。単純計算で週に2日が浮く。

連載を10本抱えれば20日分の余白が貯まる。彼はこの貯めた時間を、イレギュラーな読み切りへの挑戦、じっくりした現地取材、そして不測の事態への備えに充てた。

締切の守り方も徹底している。編集者が伝える第一締切は、もともと実際の進行よりかなり早めに、いわばサバを読んで設定されている。秋本さんはそのさらに1週間前に原稿を渡していた。

二重の前倒しである。

原資になるのは、大それた効率化ではない。「どうしようかな」とコーヒー片手に迷う時間、そうした小さなロスを潰していくだけだ。秋本さんは「無駄な時間を省いていけば、誰でも時間はかなり詰められる」と説く。

本書に印象的な町工場の逸話がある。社員が工具箱から工具を探して片付ける手間が1人1日10分。12人が月20日働けば合計40時間になり、工具箱をやめて全部を壁に掛けたら、その40時間がまるごと自由時間に変わった。

秋本さんはこの発想を制作現場に持ち込んだ。浮かせた時間をあらかじめ貯めておくからこそ、突発的な難仕事が来ても落ち着いて質を保てる

余裕は結果として手に入るものではなく、前提として自分で用意しておくものだ、という逆転の思想がここにある。

徹夜をやめ、朝9時に始める。漫画家がタイムカードを押す理由

秋本さんは制作のために「アトリエびーだま」という会社を構え、アシスタントを社員として雇った。勤務は朝9時から夜19時、昼と夕方に1時間ずつの休憩。

残業はできるだけ削り、徹夜は絶対にしない。出退勤はタイムカードで管理する。徹夜を当然としてきた漫画業界では、これは異例の体制だった。秋本さん本人も夜1〜2時に就寝し、朝7時半に起きて9時にきっちり机に向かう。

ここに至るには段階があった。デビュー当初は明け方の4時5時まで描き、結婚を機に2時、その後24時、22時、21時と切り上げ、最終的に19時に落ち着く。

労働時間は縮んだのに、集中で能率が上がり、こなす仕事量は変わらなかったという。

本書はここで業界の常識をひっくり返す。深夜に徹夜で描くほうが迫力ある絵になる、と思われがちだが、実際は時間が後ろにずれただけで、働く総量は普通の生活と変わらない。

それなら朝型で規則正しく働くほうが、長い目で見て描くスピードも上がり、健康も守れる。もう一つ意外なのが、大きな仕事を終えた翌日こそ休まず定時で仕事場へ行く、という流儀だ。

一度1週間も休むと集中を取り戻すまでに膨大なロスが出るから、あえて何事もなかったように普通に描く。休養そのものより、リズムを切らさないことを上に置く判断である。

「好き」を核にして、変わり続ける

40年続けられた土台は、精神の安定にある。秋本さんはその支えを「好き」と「鈍感さ」の2つで説明する。好きなことが必ずしも仕事に直結しなくてもいい。

自分の中にブレない情熱の核があれば心は安定する。彼にとってそれは、若い頃から愛した車やアニメだった。もう一つの「鈍感さ」も彼らしい。自分をポジティブというより、ただ悩みすぎない鈍感な性格だと分析する。

人気商売という不安定な世界で、深く落ち込まない気質が幸いした。

面白いのは、この安定が保守ではなく変化を生んだことだ。初期の『こち亀』は、リアルな銃火器や高級外車が登場する劇画タッチのギャグだった。行き詰まったとき担当編集者が「下町をテーマに」と勧め、半信半疑でベーゴマや浅草を描くと、子どもたちから予想外の反響が返ってきた。

ここから下町路線へ大きく舵を切り、以後もミリタリー、ゲーム、たまごっちといった最新トレンドを貪欲に取り込んでいく。ブレない核が中心にあるからこそ、表面はいくらでも大胆に変えられる

ダメだと思えば意固地にならず、早めに見切りをつけて次へ移る。その軽やかさこそがマンネリを防いだ、というのが本書の見立てだ。

悩みは寝かせ、議論は「叩き台」で決める

発想術とコミュニケーション術には、共通する割り切りが流れている。アイデアが浮かばないとき、秋本さんは机に張りついて粘らない。粘っても何も生まれないと見切り、最初に決めたテーマ自体を別のものに差し替えてしまう。

面白ければ結果オーライ、という潔さだ。ネーム、つまり漫画の設計図にあたる下書きも、設定の重複やミスを完璧に消そうとせず、多少不正確でもまず一気に叩き台を作る。

チェックや修正は後の工程でいくらでもできる、と考える。

ただし、抱え込みすぎたときの対処は逆になる。膨大な情報を背負った直後は頭が昂ぶっていて、無理に処理してもいい結果にならない。そこであえて「寝かせる」。

名作と評される「希望の煙突」の回では、取材で得た膨大な資料を処理しきれず半年以上放置し、冷静になってから両さんの子ども時代を舞台にする整理がつき、構想から1年かけた傑作が生まれた。

この「まず出す」と「あえて止める」の使い分けが絶妙だ。議論の場でも姿勢は一貫している。担当編集者と意見が平行線になったら、互いの案を半々で反映させた折衷のネームをとりあえず描いて見せる。

言葉の押し問答を続けるより、具体的な形を一つ置くほうが建設的だからだ。相手を選ばず全員に敬語を貫き、対立は叩き台で決着させる。この二つが、ハラスメントのない働きやすい現場を支えた。

インプットのやり方にも独自の工夫がある。作画のように手を動かす作業中は、ラジオを流しっぱなしにする。テレビと違って目と手を奪われないので、描きながら最新のニュースやトレンドが自然に頭へ入ってくる。

この「ながら族」の習慣で、時間を節約しつつネタを蓄えた。作品を手放す判断も潔い。元アニメーターの秋本さんは、アニメ化やドラマ化の脚本を当初こそ細かくチェックしていたが、週刊連載と並行しては身が持たない。

そこで「世界観さえズレていなければ、あとはお任せする」と割り切り、制作会社に委ねた。抱え込むのをやめたことで、自分も一視聴者として作品を楽しめるようになったという。

任せる勇気もまた、時間を生む技術なのだ。

力を抜いて走り続ける。生涯現役という着地

健康術と未来術で語られるのは、意外なほど力の抜けた生活だ。秋本さんはお酒を全く飲まない。日曜の夜も「明日からまた描ける」とワクワクするほど仕事が楽しく、そもそもストレスが溜まらないから、発散のために酒の力を借りる必要がなかった。

運動も義務ではやらない。取材でカメラを持って半日走り回る、気の合う仲間とゴルフをするなど、好きなこととセットにして自然に体を動かす。仕事前のジンクスも持たず、机に座ったらただ描き始める。

批判との距離も潔い。すべての人に迎合して迷走するより、応援してくれるファンに全力で応えるほうがずっと建設的だと考えた。

そして最後の主題が「生涯現役」である。秋本さんは最初から40年と決めていたわけではない。目の前の一回を乗り切り、小さな目標を達成しては次のスタートに立つ。

その繰り返しの総和が、結果として40年になった。35周年の折には、レギュラー連載を続けながら、わずか3か月で13誌に読み切りを同時掲載するという前代未聞の企画に挑み、朝5時起きでネームを描き続ける極限を乗り越えた。

乗り切ったピンチがそのまま自信の貯金になる、というのが彼の実感だ。

『こち亀』を200巻で終えた決断も、体力の限界ではなく、新しい作品を描きたいという前向きな意欲からだった。しかも終了直後、時代とのズレを恐れて間髪入れず4誌で新連載を始めている。

「生涯現役」という着地点も、机上の理想ではない。ゴルフ仲間には80歳を超えてなお現役で筆を執る大先輩がいて、大病の手術直後に日焼けした姿で現れ、周囲を笑わせたという。

その明るい生き方に、秋本さんは自分の人生のゴールを重ねた。読み終えて残るのは、頑張らないための工夫を、これだけ真剣に積み上げた人がいたのか、という静かな驚きである。

血を吐いて描くのではなく、機嫌よく描き続けるための仕組みを作る。その総体が、40年という結果になった。


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