本文へスキップ
ブクドリ | BOOK DRIP
戻る

『新しい経営学』三谷宏治|経営学を「6分野の寄せ集め」から「事業を回す順番」に組み直す

戦略・経営・事業 ✍ 三谷宏治
約8分で読めます

※ 本記事はアフィリエイトリンク(Amazonアソシエイト)を含みます。

『新しい経営学』
目次

「経営学を学ぼう」と本を一冊買って、途中で置いてしまった経験はないだろうか。戦略、マーケティング、会計、財務、組織、オペレーション。章が進むたびに扱うテーマがガラリと変わり、まるで別々の本を代わる代わる読まされているような感覚に陥る。

そして「で、これは結局、私の目の前の仕事のどこに効くのか」という問いに答えが出ないまま、しおりが挟まったまま本棚に戻る。

挫折は読者の根性不足のせいではない、と本書は言い切る。原因は経営学という学問の成り立ちそのものにある。これらの分野は、別々の研究者が別々の問題意識から作り上げた、いわば出自の異なる学問の寄せ集めだ。

前提も専門用語も違うものを、MBAの教科書は一冊に束ねている。しかも「経営陣が全社を見て考えること」と「現場が一つの事業を回すこと」を同じ棚に混ぜて並べる。

初学者が迷子になるのは、むしろ当然の帰結なのである。

『新しい経営学』は、その混乱の正体を名指しし、経営学の棚を丸ごと組み替えてみせた一冊だ。著者は三谷宏治。『経営戦略全史』『ビジネスモデル全史』という骨太な通史で知られる書き手で、本書はその蓄積を「すべての働く人」に向けて圧縮した、いわば実践版にあたる。

難解な理論書ではなく、明日の会議で使える地図を渡そうという姿勢が全編を貫いている。

図解

「分野別」をやめて「目的別」に並べ替える

本書の核心は、拍子抜けするほどシンプルな一行に集約できる。初学者は全社レベルを後回しにし、事業レベルを「目的の順番」で学べ、というものだ。

従来の経営学は6分野で構成される。経営戦略、マーケティング、アカウンティング、ファイナンス、人・組織、オペレーション。それぞれにビジョン策定からM&A、STPから4P、損益計算からNPV評価まで、初学者にはオーバースペックな道具まで詰め込まれている。

三谷が問題視するのは、この6分野に「全社レベル」と「事業レベル」が混在している点だ。複数事業への資源配分、大型の資金調達、M&Aといったテーマは経営陣の仕事であって、若手が実務で触れる場面はまずない。

問題意識も実践の場もないテーマを先に叩き込んでも、知識は宙に浮いたまま定着しない。だからまず、一つの事業を自分の手で回せるようになる「事業レベル」に照準を絞れ、という。

並べ替えの軸に据えられるのが「目的」だ。マーケティングや会計を雑学として暗記するのではなく、「ターゲットとバリューを定めるため」「価値を届ける能力を作るため」「収益を算段するため」という事業運営の流れに紐づけて学び直す。

分野の壁を取り払い、仕事の順番に沿って知識を再配置する——ここに本書のいう「新しい」の中身がある。学問の都合ではなく、働く人の都合で経営学を組み立て直したのだ。

事業を4つの箱に分ける「ビジネスモデルの4要素」

その目的別の骨格になるのが、ビジネスモデルの4要素である。込み入った現実を、頭で扱えるサイズの模型に落とし込むための道具立てだ。

  1. ターゲット——誰を狙うか。利用者だけでなく、支払者やその背後の意思決定者まで含めて捉える
  2. バリュー——どんな価値を提供するか。顧客が対価を払う理由そのもの
  3. ケイパビリティ——どうやって価値を届けるか。リソースとオペレーションの掛け合わせ
  4. 収益モデル——どうお金を回すか。売上・コスト・利益の構造

著者はこう断言する。

事業経営とは、自社独自のビジネスモデルをつくり上げ、それを回していく活動にほかならない

肝心なのは、この4つを別々に磨くのではなく、連動させて動かすことだ。一つひとつは平凡でも、4要素が噛み合うように設計されると、競合は一部だけ真似しても同じ結果を出せなくなる。模倣困難性は個々の要素ではなく、要素同士のつながりから生まれる——ここが最も実務的な学びどころである。

教科書的な例として引かれるのが、三越のルーツにあたる三井・越後屋だ。1673年創業のこの呉服店は、ターゲットを富裕層から町人(中間層)へと広げ、バリューとして「現金掛け値なし」の定価販売と「切り売り」を持ち込んだ。

それを支えるケイパビリティとして縫製職人を内製化・分業させて即日納品を実現し、収益モデルは薄利多売。さらに幕府の公金を為替で運用して無利子の運転資金まで手当てし、1710年には持株会社の原型「大元方」を設けている。

4要素をすべて同時にずらした結果、他店が容易に追随できない巨大ビジネスが立ち上がった。江戸時代の呉服屋の話が、現代のビジネスモデル論の見本になるという事実が痛快だ。

ターゲット——「使う人」と「決める人」は別人

ここから本書は4要素を順に掘り下げていく。まずターゲットで、常識を一つ崩す。

商品を使う人が、買う人とは限らない。子育て家庭の子ども関連支出は、意思決定の8〜9割を女性が握る。生活家電も同様に8〜9割、食品や日用雑貨に至っては9割超が女性の判断だ。

夫の普段着の41%、仕事着の34%まで妻が決めているという。この真の意思決定者(DMU)を見誤ると、商品開発も広告も、的外れな相手に向かって放たれることになる。

作り手が「使う人」だけを見ていると、そもそも財布の紐を握る人に届かないのだ。

もう一つの落とし穴がセグメントのサイズである。細かく分けすぎれば対象顧客が減って売上が立たず、個別対応のコストが跳ね上がる。逆に大きく分けすぎれば多様なニーズが混ざり合い、誰にも刺さらない曖昧な商品になる。

三谷はこれを「ちょうど良いセグメントサイズがある」と表現する。だからマーケティングは「STPが先、4Pは後」。誰にどんな価値を届けるかを定めてから、価格や販路といった手段の話に進む。

この順番を守るだけで、企画の芯がぶれにくくなる。

バリュー——「使用価値」と「知覚価値」のズレが事故を生む

次はバリュー。価値は、使ったときの効用である「使用価値」、手に入れる値段である「交換価値」、買う前に思い描く「知覚価値」に分けられる。

面白いのは、使用価値が高いだけでは売れないという逆説だ。空気や水は使用価値が桁外れに高いのに、知覚価値が低いために対価を払ってもらいにくい。

逆に、知覚価値が使用価値を大きく上回ると、使った瞬間に「思っていたのと違う」という失望が待っている。誇大広告がいずれ顧客の信頼を失うのは、この知覚価値と使用価値のギャップが構造的に埋まらないからだ。

使用価値はさらに3層に分かれる。それがないと買われない「中核価値」、あるから選びたくなる「実体価値」(品質やデザイン)、あると嬉しい「付随価値」(保証やアフターサービス)。

そして顧客が本当に欲しいのは、商品そのもの(ウォンツ)ではなく、それが生む結果(ニーズ)だ。ドリルを買う人が欲しいのはドリルではなく、壁に空く穴である。

象徴的なのがソニーのプレイステーションの明暗だ。PS3は多機能を詰め込みすぎてバリューの焦点がぼやけ、大赤字を招いた。ところがPS4は「重いゲームを安価にサクサク遊べる」と価値を一点に絞り込み、発売5年で9000万台超という復活を果たした。

機能を足すことと価値を高めることは、まったく別の営みなのだ。

ケイパビリティと収益モデル——順番を逆さにし、現金を見る

ケイパビリティは価値を届ける能力で、リソース(ヒト・モノ・カネ・情報・知財)とオペレーション(プロセスと組織)の掛け合わせで決まる。ここでも著者は順番をひっくり返す。

普通は「今いる人員でどう回すか」から発想するが、それでは現状維持の枠を出られない。先に「あるべきオペレーション」を描き、そこから必要なリソースを逆算し、足りなければ鍛えるか調達する。

アントレプレナーシップとは「今握っている資源を超えて機会を追求すること」だという定義が引かれる。

組織の形も一様ではない。変化の激しい時代には、トップダウンより自律分散型が強い。イラク戦争で米軍が中央集権的な指揮に苦戦し、現場チームが情報を共有しながら独自判断するボトムアップ型へ移った話。

京セラの稲盛和夫が会社を6〜7人の「アメーバ」に分けて収益責任を持たせた話。リーダーシップも、支配するカリスマ型から、メンバーの自主性を引き出すサーバント型、外部との協働を重んじるコラボレーション型へと軸足が移る。

瀕死のIBMを「ハードからソフト・サービスへ」と転換させたガースナーが、その代表例として挙げられる。

最後の収益モデルでは、会計の基礎(P/L、B/S、CF)を押さえつつ、キャッシュフローの重みが強調される。日本の会社の倒産のおよそ半分は「黒字倒産」だという。帳簿上は利益が出ていても、現金が回らなければ会社は止まる。利益と現金は別物だ、という現場感覚がここで叩き込まれる。

収益モデルそのものも多彩だ。本体を安く売って消耗品で稼ぐ「替え刃モデル」(ジレットのカミソリ、プリンターのインク)、基本無料で一部の有料会員から稼ぐ「フリーミアム」、広告モデル、従量課金、サブスクリプション。

クックパッドは月280円の有料会員を200万人集め、収入の6〜7割をそこで支えている。エプソンは新興国で大容量インクタンク機を投入する「逆替え刃モデル」でシェアを取り返した。

コスト削減も同じで、全体に占める「重み」の小さい項目をいくら削っても効果は薄い、という見極めが要る。

組織を動かす共通言語——「重要思考」

4要素を学んだあと、本書は組織を動かすための共通言語に踏み込む。中心にあるのが「重要思考」だ。一番「重み」のあるところ(ダイジなこと)に集中し、そこで「差」を生むことから考える。

精緻なロジックツリーを完璧に作り込むより、全体へのインパクトが最大の一点を見極めるほうが、実務では圧倒的に効く。

これはコミュニケーションにも直結する。人を動かしたいなら、作業の指示を出す前に「なぜそれがダイジなのか」を先に伝える。理由が腹落ちして初めて、人は納得して動く。

もう一つ紹介されるのがデザイン思考で、「共感・理解」「問題定義」「アイデア出し」「試作」「テスト」を高速で回し、顧客の潜在ニーズを掘り当てる。

新技術も、いきなり壮大な事業を狙わず身近な社内課題から試す。ダイキンが新卒を2年間実務に就けず「ダイキン情報技術大学」でAI人材を育てる例が示される。

土台にあるのは「失敗は、そこから学ばなかったときだけ失敗になる」という試行錯誤を許す文化だ。

今日から試せる3つの行動

本書が読者に求めるのは、知識の暗記ではなく「経営視点」という眼の獲得だ。そのために、実践の入口を3つ挙げておきたい。

  1. 身近なサービスを4要素に書き出す——よく行くカフェや使っているアプリを、ターゲット・バリュー・ケイパビリティ・収益モデルに分解してメモする。つながりの矛盾や情報の抜けが、その場で浮かび上がる。
  2. 提案は「重み」と「差」から話す——上司やチームへの提案は、手段からではなく、それが事業全体に持つインパクト(重み)と、他とどう違うか(差)から切り出す。
  3. 書いた図を誰かに教える——整理したビジネスモデル図を同僚や友人に話してみる。人に説明すると、自分の理解の穴が必ず露わになる。

本書の潔さは、難しい全社戦略や高度なファイナンスをきっぱり切り捨てたところにある。だからこそ、現場の人間が「明日の自分の仕事」に持ち込める形になった。

複数事業を統べるフェーズの話は範囲外で、そこは『経営戦略全史』など次の一冊に譲られる。まずは一つ。いつものカフェを、4つの箱に分けて書いてみてほしい。

経営視点は、その一枚の紙から始まる。


合わせて読みたい

『勝ち組企業の「ビジネスモデル」大全』大前研一 本書の「4要素を連動させて作るビジネスモデル」を、デジタル時代の実例でさらに広げたい人に。ビジネスモデルという同じ補助線で現代企業を読み解く一冊です。

『MBA戦略思考の教科書』安部徹也 本書があえて省いた全社・戦略レベルのMBA知識を、体系的に補える本です。事業レベルで土台を作ったあと、戦略の引き出しを増やしたいときにどうぞ。

『ストーリーとしての競争戦略』楠木建 4要素を「連動させると模倣されにくい」という本書の核心は、戦略を要素の繋がり=ストーリーで捉えるこの本と響き合います。なぜ連動が強さになるのかを深掘りしたい人に。


この記事をシェア:

次に読む一冊

同じテーマを、もう一段深く考えるための一冊です。

戦略・経営・事業『世界のエリートが学んでいるMBA必読書50冊を1冊にまとめてみた』永井孝尚|経営理論は「机上の空論」ではなく仕事の武器『世界のエリートが学んでいるMBA必読書50冊を1冊にまとめてみた』(永井孝尚)の要約。「日本人は勤勉だ」。多くの人がそう信じています。