広告を止めると売上が落ちる会社と、止めても落ちない会社がある。
両者を分けるのは広告予算の大きさではなく、使ったお金の行き先だ。同じ100万円でも、片方は期末にきれいに消え、片方は翌期以降まで効き続ける。
クリエイティブ・コンサルティング会社を17年経営し、400社超の差別化支援に携わってきた宮村岳志さんの『ブランディング・ファースト』は、この「消えるお金」と「残るお金」の分岐点を扱った一冊である。
タイトルがそのまま結論を言い切っている。広告を打つ前に、ブランドをつくる。かける費用の額ではなく、着手する順番の話だ。

こんな人におすすめ
万人向けの本ではない。ただし、次の3つのどれかに心当たりがあるなら、読む理由がある。
- ロゴやウェブサイトを一新したのに、売上にも採用にも変化がなかった人
- 大手と同じ棚に並び、価格とスペックでしか比べてもらえずにいる人
- ブランディングを、経営者や大企業だけが扱う話だと考えている人
本書はブランドを、社員の言動や会議の長さ、残業時間まで含めて扱う。自分には無縁だと思っていた読者ほど、当てはまる範囲の広さに驚くはずだ。
ブランドは会社を支える柱である
著者の定義はひとつしかない。ブランドとは、会社を支える柱だ。
壁と屋根だけでも家の形にはなるが、柱を欠いた家は揺れに耐えられない。企業も同様で、「これが自社の強みであり存在意義だ」と言い切れるものを持たない会社は、市場が動けばあっけなく崩れる。
そもそも「ブランド」という語は、家畜を持つ農家が自分の牛と他人の牛を区別するために押した焼印に由来する。高級品に付くロゴマークという意味は、後づけにすぎない。
だとすれば、ブランディングの仕事は認知度を上げることではなくなる。企業の内側にすでにある「柱にすべきもの」を見つけ、育て、太くしていく作業だ。
本書が例に挙げるのは、1本10円のうまい棒である。安さは高級感の対極にあるはずなのに、「安くてうまいお菓子を届ける」という一点を柱として貫いているからこそ、誰もが知る大ブランドとして成立している。
ここで著者は、広告宣伝とブランディングを切り分ける。広告宣伝が担うのは短期の「売る力」であり、ブランディングが担うのは中長期の「売れ続ける力」だ。冒頭で触れた、広告を止めたときの明暗はここに起因する。
差別化には二つの型がある。劣る部分を底上げして横並びに近づける戦い方と、ない一点を尖らせて追い越す戦い方だ。前者は追いついた瞬間に次の競合が現れる消耗戦で、資本力に劣る中小企業には分が悪い。著者が薦めるのは後者、独自の強みを掛け合わせて他社が真似しにくい位置を取るやり方だ。
ウォークマンは「持ち歩ける」と「カセットプレイヤー」の掛け算、フリクションボールペンは「消せる」と「ボールペン」の掛け算、吉野家は「うまい」「やすい」「はやい」の三つ掛けだ。
単体ではありふれた要素でも、組み合わせた瞬間に唯一の位置になる。P&Gや花王が支配してきたヘアケア市場に、大阪発のI-neが「植物と共に生きる」の一点だけを尖らせたBOTANISTで割り込み、広告をほとんど使わずSNSを軸に大手と並ぶ規模まで育った例は、この掛け算の説得力を裏づけている。
広告費は消え、ブランドは資産として積み上がる
本書がブランディング投資の効用として真っ先に挙げるのは、投じたお金が経費で終わらず資産に変わるという一点だ。
広告宣伝費は損益計算書に載る経費であり、期が変わるたびに効果はリセットされる。今期どれだけ露出を稼いでも、来期はまたゼロから積み直しになる。
一方でブランディングに投じた費用は、顧客の記憶に残る好印象やファンの支持という形で残り続け、貸借対照表の勘定科目には現れないまま毎年積み上がっていく無形資産になる。
数字で見るとこの差はさらに具体的になる。企業のブランドを金銭価値に換算する評価会社インターブランドの2019年版ランキングでは、1位アップルのブランド資産は約2300億ドル、日本円にして約25兆円。
日本企業で唯一トップ10入りしたトヨタでも約560億ドルだった。イギリスの食品会社RHMは敵対的買収を仕掛けられた際、インターブランドに依頼して自社ブランドの価値を無形資産として算定し、買収額に見合わないことを示して買収を退けている。
帳簿に載らないものが、会社そのものを守った例だ。
経済産業省と特許庁が2018年にまとめた「デザイン経営」宣言では、意匠に積極投資した企業ほど営業利益率は4倍、売上高は20倍という調査結果が示されている。
米国主要500銘柄との比較でも株価の伸びは2.1倍に達したという。同宣言が中小企業に勧める専属デザイナーの人数はわずか1人から5人で、設備投資に比べれば必要な元手ははるかに小さい。
著者自身が手がけたブライダル企業の事例でも、ブランディング実施後の売上は最大322%、平均でも123%伸びたと紹介されている。
デザインとは、問題を解決する仕事である
本書を読んで最も認識が変わったのが、この章だ。
著者はクリエイティブという大きな枠の中に、アートとデザインを分けて置く。アートが担うのは社会への問題提起であり、デザインが担うのは具体的な問題解決だ。
だからデザインの良し悪しは、見た目が洗練されているかどうかではなく、ユーザーの困りごとを実際に減らせているかどうかで判定される。
小林製薬の「のどぬ〜る」や「熱さまシート」は、お世辞にもおしゃれとは言えない。それでも用途と使用感が一目でわかる設計は、使う人の困りごとを削るために知恵を注いだ、機能面で優れたデザインだと本書は評価する。
日清食品がカップヌードルに施した「フタ止めシール」も同じ発想だ。剥がすとフィルムに穴が開いて注湯できるうえ、そのまま蓋の留め具にもなる。ひとつの部材で二つの不便を同時に片づけている。
オーストラリアの寝具メーカーTONTINEは、枕を何年も洗わず買い替えもしない客の習慣に対して、枕そのものに消費期限を印字し、健康意識に訴えて買い替えを促した。
体験の設計まで踏み込んだ例として、Suicaの逸話が興味深い。改札で非接触ICカードをかざす動作が速すぎて通信エラーが多発していたJR東日本の開発チームは、読み取り部を傾けてLEDを光らせる仕様変更に加え、案内の言葉を「かざす」から「タッチ&ゴー」に変えた。
言い換えを聞いた利用者は無意識にカードをしっかり当てるようになり、通信に必要な時間が確保されてエラーが減ったという。行動を計算したうえで名前を付けるのも問題解決の一種だとわかる例だ。
富山の能作が、通常は他の金属を混ぜて硬くする錫をあえて100%のまま使い、手で曲げて形を変えられるカゴに仕立てた例も紹介されている。売っているのは器そのものではなく、自分の手で形をつくる驚きだという。
こうした例の背景として本書が挙げる数字も見逃せない。人が意識的に選択している行動は全体の5%にすぎず、残り95%は無意識の判断だとされる。だから企業がプロダクトに込めた思いは、まず一瞬の印象を突破しなければ相手に届かない。
実務面では、ロゴはA社、サイトはB社、パンフレットはC社と別々に発注する体制がトーンのばらつきを生み、ブランド価値を最も傷つけるとして、著者は監修権限を一元化するCCO(最高クリエイティブ責任者)の設置を提案する。
現場の一人ひとりが、ブランドの体現者になる
本書がもっとも強い言葉を使うのが、社内向けのブランディングを扱うこの章だ。
身内に愛されないプロダクトが、大企業のプロダクト以上にユーザーに愛され、評価されることなど考えられません
多くの企業はブランディングを、対外的な発信と社内向けの浸透に切り分けて考える。著者はこの切り分けをナンセンスだと言い切る。ロゴそのものに価値があるのではなく、それを見た瞬間に頭の中で再生される好ましいイメージにこそ価値があり、そのイメージを日々つくって守っているのは現場の従業員だからだ。
象徴的なのが任天堂のエピソードである。壊れた携帯ゲーム機を修理に出した親のもとに、基板を交換して新品同様になった本体が戻ってきた。ただし、もとの本体に貼ってあった子どものシールだけは、以前と寸分違わぬ位置に貼り直されていた。
マニュアルには書けない対応であり、ブランドの精神が一人ひとりに浸透しているからこそ起きる行動だ。
社内への浸透手順として、本書は三段階を示す。まず存在意義を現代語に翻訳した簡潔な言葉を全従業員に示し(フラッグを立てる)、次にワークショップや経営者の定期発信、行動規範の実例を投稿し合うチャットチャンネルなどで繰り返し思い出す機会をつくり(浸透させる)、最後に浸透度を人事評価やKPIに連動させて定点観測する(効果を測る)。
地ビールメーカーのヤッホーブルーイングは「ビールに味を!人生に幸せを!」というパーパスを掲げ、採用ページにこう書く。
ビール文化を本気で変える知的な変わり者を募集しています
社外への発信であると同時に、現役社員への日々のリマインドとしても効いているという。理念を文章化して全員に配る手法の元祖であるリッツ・カールトンの「クレド」も、同じ考え方に立つ。
判断軸が社内に共有されると、副産物として会議が減る。「これはうちらしいか」を毎回議論し直す必要がなくなり、無駄な会議ややり直しが削がれて意思決定が速くなるからだ。
日本マイクロソフトが2019年8月に週休3日を試験導入し、会議を30分以内に区切ってリモート開催を推奨したところ、勤務日が4日に減ったにもかかわらず労働生産性は前年同月比39.9%向上したという。
採用面でも、ブランドに共感して応募してくる人材は教育コストが下がり離職も減る。本書は、新規人材の獲得コストが既存人材を維持するコストのおよそ20倍にのぼるとされる比率を引き、この差の大きさを示している。
理念は平凡でいい。徹底して続けることが差別化になる
最後に著者が置くのは、経営者の姿勢についての一章だ。答えは単純で、ブレずに、徹底して、継続することに尽きる。
担当者が代われば、あるいはすぐに数字が出なければ、決めたはずのブランド戦略はころころ変わりがちだ。だが著者はこれを戒める。ブランドは5年、10年、さらには30年という長い時間軸で積み上がっていくものであり、方針を頻繁に変えることは、せっかく積み上げた資産を1期ごとに経費へ引き戻す行為に等しいからだ。
だから最低3年は大方針を動かさず、細部だけを修正しながら回していくべきだと著者は言う。
意外なのは、企業理念そのものは他社でも言えそうな平凡な内容で構わないという主張だ。「お客様のために良いものを」「誠実な対応を」で十分であり、それをブレずに愚直に貫けるか、そして伝わるデザインで表現できるかだけが問われる。
無印良品は立ち上げ当初からグラフィックデザイナー田中一光氏(故人)を招き、簡素で無駄のない製品とメッセージを30年以上変えずに続け、2017年には海外店舗数が国内店舗数を上回った。
一方、地産地消と独自の店舗設計でファンを増やしたホールフーズ・マーケットは、2017年にアマゾンに買収された後、仕入れが本社に一元化されて地域の担当者や取引先との関係が失われ、かつての「らしさ」が薄れつつあると本書は指摘する。
一貫性は、それを続けている間しか価値を生まない。
こうした一貫性を保つ実務として、本書はルールを引き継ぎ用マニュアルに落とすことや、外部パートナーを専任責任者とする体制づくりを挙げる。担当者が入れ替わっても基準が残る仕組みを、先につくっておく発想だ。
読み終えていちばん記憶に残るのは、やはり任天堂のシールの逸話である。ブランドブックにも業務マニュアルにも書けない、現場の一人が「うちならこうする」と判断できることこそがブランドの正体だと、本書は言っている。自社のウェブサイトを開き、使われている色や言葉に理由を説明できるか。
もし言えないなら、そこはまだ柱になっていない場所だ。
