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『直観を磨く 深く考える七つの技法』田坂広志|論理思考は「初級課程」にすぎない

思考法・問題解決 田坂広志
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『直観を磨く 深く考える七つの技法』
目次

会議で論理はきちんと通っている。数字も裏づけも揃っている。それでも結論にたどり着けない夜がある。

そういうとき、詰まっているのは論理の精度ではないかもしれない。

田坂広志さんの『直観を磨く 深く考える七つの技法』は、この違和感の正体をいきなり言い当ててくる。

「『論理的に考える』とは、思考という技法においては、実は、初級課程に他ならない」

ロジカルシンキングは、思考の完成形ではなく入り口にすぎない。そう言われて、ページをめくる手を止めた読者は少なくないはずだ。研修で叩き込まれ、資料作成のたびに頼ってきたフレームワークが、まだ初級だったと告げられるのだから。

本書が言いたいのは、論理を軽んじろということではない。論理を使い切った先にしか、直観という次の階梯は現れないという順序の話である。

著者の田坂広志さんは、元は原子力工学を専門とした研究者で、その後シンクタンクの経営に長く携わってきた人物だ。理系の学問と経営の実務、そして東洋思想という三つの畑を渡り歩いた経歴が、本書の土台になっている。

図解

こんな人におすすめ

次のような覚えがある人には、とくに効く一冊だ。

三つ目に心当たりがあるなら、後半の章はほぼ自分ごととして読める。その「なぜか踏み切れない」感覚を、著者は無視するどころか、思考の重要な材料として扱っている。

論理思考は「初級」にすぎないという見取り図

本書が描く思考の全体像は、三段階の階梯になっている。

初級は論理思考そのもの。物事を筋道立てて考える土台であり、ここが崩れていると次には進めない。

中級は、第一部で紹介される七つの技法。ものごとを一方向の因果ではなく円環として捉える視点や、対立をどちらかに決着させず統合する視点など、論理思考だけでは扱いきれない場面に対応する道具立てだ。

上級は直観思考。心の奥にある、著者いわく「もう一人の自分」を呼び出すための技法が並ぶ。

この並びで面白いのは、直観がいちばん最後、いちばん上に置かれていることだ。天賦の才能として先に語られるのではなく、論理と七つの技法を使い倒した果てに結晶化するものとして位置づけられている。才能の有無を語る本ではなく、順番を語る本だと捉えたほうが実態に近い。

三段階のどこに自分がいるかを意識するだけでも、読み方は変わる。論理は通っているのに結果が出ない場面は、たいてい中級か上級の技法が要る場面であって、初級のやり方を繰り返しても解決しない。

犯人探しでは解けない問題を、二つの技法で解きほぐす

論理思考には、著者いわく二つの死角がある。

一つ目は、原因と結果を一直線に結ぶ発想では、要素同士が原因と結果を交換し合う「循環構造」の問題を扱いきれないことだ。

本書に出てくる例が的確だ。経理、営業、開発、人事が業績不振の原因を話し合うと、それぞれが隣の部門を名指しし、話がひとまわりして元に戻ってくる。誰も嘘はついていないのに、結論だけが出ない。心当たりのある読者は多いはずだ。

著者が勧めるのは、犯人を一人に絞る発想を捨てることだ。問題群を因果のフローチャートとして描き出し、全体のどこに手を入れれば連鎖が止まるかという「ツボ」を探る。

その勘所は、いちばん傷んでいる部門とは限らない。むしろ調子のいい部門をさらに伸ばしたほうが、全体が動き出すこともある。

ただし、この手順には時間という前提がいる。因果のフローチャートを描くには各部門の言い分を並べて突き合わせる作業がいり、犯人探しの会議を一回削るよりよほど手間がかかる。効くのは間違いないが、締め切り直前に使える一発逆転の技ではない。

二つ目の死角は、論理が物事を「正しいか誤りか」の二項対立で切り分けてしまうことだ。ここで著者が示すのが「対立止揚」、どちらかを捨てずに一段上の次元で両立させる考え方である。

子どもへの接し方を「優しくすべきか、厳しくすべきか」で悩むのではなく、「その子の将来を思うなら、厳しさこそ本当の優しさではないか」まで踏み込む。

二択が「愛の深さ」という一段上の問いに置き換わる瞬間だ。

この技法、実務で使うときは注意がいる。両者を統合したつもりが、実際にはどちらの決定も下さない先送りに終わることがある。本書自身も「矛盾を抱え続ける体力が要る」と釘を刺しているが、その体力を測る物差しまでは示していない。

統合案を出したあと、それが本当に両方の要求を満たしているのか、単に角を丸めた折衷案になっていないかは、実行してみるまで判別しにくい。

「河を渡る理由」に立ち返る技法

三つ目の「課題回帰」は、七つの中でいちばん使い勝手がいい。

本書が挙げるのは、あるビルのエレベーター増設をめぐる逸話だ。待ち時間への苦情が相次ぎ、対策チームは高速化や増設、出社時間の分散を検討したが、どれも費用がかさみ議論が止まった。

そこで誰かが問いを立て直す。利用者が本当に望んでいるのは「待たされないこと」なのか、それとも「待つ苦痛を感じないこと」なのか。答えは、扉の横に鏡を置くことだった。

身だしなみを気にしている間に、苦情は消えた。

この逸話が示すのは、問題解決の鍵を最先端の技術や新しい制度にばかり求める癖への警告でもある。高性能なエレベーターを導入しても、不満は消えなかったかもしれない。

実際に効いたのは、人の心理の小さな機微を突く工夫だった。新しいツールを入れたのに現場が動かない、という失敗の多くも、機能ではなく気持ちの側に原因があることが多い。

著者はこれを、橋の設計にとらわれず河を渡る理由に立ち返れ、という警句にまとめている。手段の議論に沈む前に、そもそも何を実現したかったのかへ引き返す。

この視点は、専門を掘り下げる力だけでは出てこない。分野を横断して結びつける「水平知性」と、現場で痛い目に遭ってはじめて身につく「体験知性」が土台にあってこそ、こういう問い直しが可能になる。

とくに体験知性の章で著者が引く、知識は言葉にできる範囲を超えているという趣旨の指摘は、読書量だけでは深い思考に届かない理由を突いていて、記事を書く仕事をしている編集部としても居住まいを正される一文だった。

会議そのものの設計にも、著者は同じ発想を持ち込む。「多重人格」と呼ぶ技法で、企画会議の前半はどんな意見も否定せず受け止める寛容な人格になりきり、後半は一転して実行可能性を厳しく絞り込む人格に切り替える。

同じ人間が同じ会議のなかで態度を変えることを、豹変ではなく設計として肯定している点が興味深い。前半で厳しさを出すとアイデアの芽が早々に摘まれ、後半まで寛容なままだと収拾がつかなくなる。

順番を守ることが技法の核心であって、性格の問題ではない。

直観は「過たない」のか

七つの技法の先、本書がいちばん筆を割くのが直観そのものである。

著者は、心が静かに凪いだ状態のときに現れる「もう一人の自分」を持ち出す。人生で出会った情報のすべてを蓄えた記憶力と、そこから瞬時に答えを引き出す直観力。この二つを備えた人格が、エゴが鎮まったときに顔を出すという。

そして、こう言い切る。

「直観は過たない、過つのは判断である」

無意識の膨大なデータベースから出てくる違和感は正確で、後から利害や見栄が混ざる「判断」のほうこそ選択を誤らせる。この主張には頷ける部分がある。取引条件は書類上完璧なのに胸の奥が引っかかる、という経験は珍しくないはずだ。

ただし、この言い切りをそのまま実務に持ち込むのは危うい。「過たない」と呼べるのは、体験知性で裏打ちされた、場数を踏んだ末の違和感に限られる。根拠のない思いつきや単なる好き嫌いまで免罪符にしてしまう読み方は、著者の意図から外れているはずだ。本書はこの力の裏づけとして、量子物理学の「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」、宇宙のあらゆる情報が波動として記録された場に脳が同調するという説を持ち出すが、これは著者自身も明記するとおり検証された理論ではない。

神秘的な説明に頼らなくても、経験を積んだ専門家の直感的判断が高い精度を持つという現象そのものは、認知科学の分野でも別の角度から研究が進んでいる。

直観を呼び出す具体的な手段として、本書は三つの実践を挙げる。頭のなかのもやもやを紙に書き出して脳を空にすること。考え抜いた問いを、あえて完全に手放して忘れること。

締め切りや本番の緊張のように、逃げ場のない状況にあえて自分を置くこと。三つ目はやや過激に聞こえるが、一つ目と二つ目は、脳科学でいうインキュベーション(孵化)や、いったん問題から離れてから発想する既知の手法に近い。

神秘的な装いを外して読めば、実務にそのまま持ち込める部分は多い。

本書はもう一つ、自分には直観力がないという思い込みが、その力を眠らせている元凶だとも指摘する。この「自己限定」という考え方は、量子物理学の仮説よりはるかに実務で使いやすい。

過去の失敗体験から「自分にはこの種の判断は無理だ」と決めつけている人ほど、本当は使えるはずの直観にふたをしている、という指摘は、仮説の当否を抜きにしても成立する。

明日から変える一つのこと

本書の技法は多いが、まず試すなら一つに絞りたい。

会議で議論が方法論の枝葉に迷い込んだと感じたら、いったん手を止めて「そもそも何を実現したかったのか」と口に出す。課題回帰の実践形だ。

読むこと自体についても、本書は釘を刺している。要約を読んで知識が増えても、それだけでは文献知が積み上がるだけで、何も動き出さない。動き出すのは、この記事を閉じたあと、実際の会議で「本来の目的は何か」と一度でも口に出したときからだ。

エレベーターの鏡のような発想の転換は、才能ではなく、この問い直しの習慣から生まれる。論理を尽くしたその先に、直観は磨かれていく。まずは、その入り口に立つところから始めればいい。


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