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『はじめての課長の教科書 新版』酒井穣|課長の一番の仕事は「部下のやる気の管理」だった

リーダーシップ・組織 ✍ 酒井穣
約7分で読めます

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『はじめての課長の教科書 新版』
目次

はじめて課長になった人が最初にぶつかるのは、これまで自分を支えてきたルールが根本から書き換わる、という事実です。プレーヤーとして磨いてきた実務のスキルは、管理職になった瞬間に主役の座を降ります。

自分で走って点を取るのではなく、部下に走ってもらって点を取る。得意技を封じられたまま、慣れない役割で結果を求められる。だからプレーヤーとして優秀だった人ほど、昇進した途端に評価を落とすという逆説が起きます。

酒井穣さんの『はじめての課長の教科書 新版』は、この「はじめての管理職」が直面する壁を、精神論ではなく実務の手つきで解いた一冊です。経営者向けの本も平社員向けの本も世にあふれているのに、その中間で板挟みになる課長だけを正面から扱った本は驚くほど少ない。

そのすき間を埋めたからこそ、本書は版を重ねて読み継がれてきました。ここでは中心となる概念を、編集部の視点で順にたどっていきます。

課長は「経営の夢」と「現場の現実」をつなぐ通訳である

本書がまず崩すのは、課長を「上の命令を下に流すパイプ役」と見る通念です。著者に言わせれば、課長は経営層が握るビジョン(経営情報)と、現場の社員が握るリアルな実態(現場情報)が交差する、組織でただ一つの結節点にいます。

上からも下からも見えない景色が、その位置からだけ両方見える。だから課長は、二つの世界を橋渡しする通訳になれる、というわけです。

ここで持ち出されるのが、一橋大学の野中郁次郎教授が提唱したミドル・アップダウンという考え方です。トップダウンでもボトムアップでもなく、中間管理職が現場の情報を吸い上げ、経営のビジョンと結びつけて、新しい知識や製品を生み出す。

象徴的な例として挙がるのがホンダ・シティの開発です。経営陣が掲げたスローガンは「冒険しよう」という抽象語でしたが、現場はそれだけでは動けません。

そこで中間管理職が「クルマ進化論」という現場の言葉へ翻訳し、若手チームから背の高い車のコンセプトが生まれ、ヒット車へと結実しました。抽象的な夢を、現場が実際に手を動かせる言葉へ変える。これこそが課長の翻訳という仕事の正体です。

この定義は美しいのですが、留保もつけておきたい。翻訳がうまくいくのは、上のビジョンにそれなりの中身がある場合に限られます。スローガンが空疎なとき、課長は翻訳者ではなく、無理筋を現場に飲ませる代弁者にされかねない。

本書はその危うさまでは踏み込みませんが、通訳という比喩を使うなら、原文の質を見極める眼もセットで要る、と補っておくべきでしょう。

課長の最大の仕事は「部下のやる気の管理」になる

実務の第一線から退き、部下を通じて成果を上げる立場になった以上、課長の最も重要な仕事は部下のモチベーション管理になります。著者がくり返し戒めるのは、部下を「機能」として扱わないことです。

目標達成のための機械ではなく、性格も家庭環境も長所短所も抱えた一人の人間として遇する。「自分は会社に大切にされている」という実感が、内側から湧くやる気、つまり内発的動機づけを刺激する、という筋立てです。

なぜここまで念を押すのか。背景には成果主義への反省があります。行き過ぎた成果主義は社員を冷たい数値として扱い、チームワークを壊し、かえってやる気を削いだ。

その反動で、部下の育成やケアという役目がほぼ丸ごと課長に委ねられるようになった、と著者は見ます。この時代診断は今も古びていません。むしろリモートワークで部下の様子が見えにくくなった現在、やる気の管理はいっそう難易度を増しています。

本書はこのモチベーション管理を八つの基本スキルに分解します。柱になるのは、部下の失敗を親分として引き受け「何かあれば守ってもらえる」と安心させること、感謝を通じて望ましい行動を強化すること、そしてデスクに座り続けず現場を歩いて情報を集めるMBWA(動き回る管理職)です。

安心して悪い情報を上げられる空気があってはじめて、課長のリスク管理は機能する。ここは順序が肝心で、守る姿勢が先、報告が後、という因果を取り違えると管理は空回りします。

ほめるのは人前で、叱るのは人陰で──対人スキルの要

八つのスキルの中で、実務家がもっとも手を焼くのが叱り方でしょう。本書は叱責を感情の発散ではなく、部下が自らの力で仕事のやり方を変えるための手続きと定義し、四つの段階に落とし込みます。

まず事実関係を確認し、思い込みで叱らない。次に原因を部下自身に考えさせる。それでも気づかなければ論理的に問題点を指摘し、その際「君ならできると思っていた」という信頼のメッセージを添える。

最後に叱った直後へ別の話題を差し込み、明るく場を閉じて期待を伝える。ほめるときは人前で、叱るときは必ず人陰で。この非対称こそが、部下の面子を守りながら行動だけを変えるための要諦です。

ストレスの扱いも誤解されやすい論点です。著者はストレスをゼロにすべきだとは言いません。負荷が低すぎれば部下は退屈して力を出さず、高すぎればミスや事故、モラル低下を招く。

少し背伸びすれば届く「ほどほどの負荷」のゾーンに部下を保ち、キャパを超える過負荷だけを避けさせるのが課長の腕だ、という主張です。加えて、答えを与えず質問で自律を引き出すコーチング、没頭状態をつくるフロー体験のアレンジ(心理学者チクセントミハイの概念)、役職や立場を外して本音で語り合うオフサイト・ミーティングまで、道具立ては具体的です。

総じてこの章は、対人スキルを気質やセンスの問題から、学習可能な技術へと引き下ろした点に価値があります。

予算・評価・政治は「非合理なゲーム」として割り切る

本書がとりわけ実務的なのは、多くの課長が嫌う予算管理・人事評価・社内政治を、正義感で戦う対象ではなく「非合理なゲーム」として扱い切るところです。

ルールを理解して手早く切り抜け、浮いた時間を本来のビジネスに回す。この割り切りこそ実務家の本分だと著者は言い切ります。この態度は好みが分かれるでしょうが、くだらないと感じる仕事を「くだらない」と認めたうえで攻略法を渡す点に、他の管理職本にはない現実感があります。

予算については、数値目標を嘘にならない範囲で悲観的に置き(経費は多め、売上は少なめ)、すべての数字に客観データで裏づけたストーリーを用意し、一度決まった予算は経営者との約束として何があっても達成する、という三つのルールを示します。

予算は究極的には妥協の産物だが、決まった瞬間に絶対の約束へ変わる、という指摘は鋭い。人事評価で最も避けるべきは、低評価で部下を突然驚かせることです。

普段からサインを送って心の準備をさせ、伝えるときは失点を並べるより今後の機会を提案して勇気づける。社内政治は卑怯なものとして遠ざけるのではなく、予算やポストを取り部下の業績を高める技術と捉え、情報ネットワークのハブになるキーマンに見返りを求めず尽くしておく。

政敵が現れても攻撃せず、至る所でほめて戦意を削ぐ、という助言まで用意されています。

退職も心の病も、起きる前に備える

第4章は、現場の課長が確実に直面するのに誰も教えてくれない、生々しい問題を集めています。能力が極端に低い問題社員には「自分ができる仕事は相手もできるはず」という発想を捨て、確実にこなせる仕事で小さな成果を積ませ、自信を回復させる。簡単に見捨てない忍耐が求められます。

とりわけ重いのが部下の退職です。著者は、退職理由の本音の第1位が「上司・経営者の仕事の仕方が気に入らなかった」で23%を占めるという数字を突きつけます。

部下が辞めるのは多くの場合上司の責任だ、という指摘は耳に痛い。さらに部下の心の病、年上のベテラン係長の反乱にまで踏み込みます。反乱の背景には現状への焦りや仕事の新鮮味の欠如があることが多く、優秀な若手と競わせたり、新人教育のような重要で困難な役目を任せて「課長になるスキルを学んでいる」と感じさせたりする、という処方が並びます。

共通するのは、起きてから慌てず先回りして備える姿勢です。ここは本書の性格をよく表す部分で、きれいごとで済まさない代わりに、対処が対症療法にとどまりやすいという限界も抱えています。

制度や配置そのものの問題は、課長一人の工夫だけでは動かせないからです。

学び続け、白と黒の狭間に立てる課長が生き残る

視点を未来へ移す第5章は、常に学び変化に対応できる者だけが生き残る、という前提に立ちます。まず勧められるのが、自分の負けパターンを知ることです。

過去のキャリアを振り返り、失敗に陥りやすい典型を把握しておく。たとえば「怒りに任せてメールを打つと必ず人間関係が壊れる」という傾向を自覚し、その一手だけを絶対に避ける。

それだけで致命的な失敗の多くは遠ざけられる、という発想です。地味ですが、成功法則を増やすより負け筋を一つ消すほうが確実だという指摘は、実務家の実感によく合います。

もう一つが弱い絆という概念です。気心の知れた仲間との強い絆ではなく、たまにしか会わない知人との緩いつながりのこと。同質な仲間内では情報が回り切ってしまうのに対し、弱い絆は異質な情報や新しい機会をもたらす源泉になります。

著者はさらに読書を、映像ではなく文字情報をみずみずしいイメージへと解凍する訓練と位置づけ、ベストセラーよりプロに支持される良書を選ぶよう促します。

学びの質が、課長としての寿命を分けるという主張です。

そして本書の最後は、課長が自分自身を一つの「機能」として客観視するチェックリストで締めくくられますが、その根底には最も哲学的な洞察が置かれています。

仕事への没入(白)と、それを冷めた目で眺めるシラケ(黒)。この矛盾する二つを混同せず、両方を同時に抱え続ける。その緊張に耐えることこそ人間としての成熟であり、知だ、と著者は言います。

課長は、経営と現場という、話す言葉も見る景色も違う二つの世界のあいだで悩み続けます。本書が最終的に手渡すのは、テクニックの一覧というより一つの覚悟です。

理不尽な現実と理想の板挟みから逃げず、その緊張を組織を前へ進める力へ変える。明日、あなたの部署で一番やる気を失いかけている部下は誰か──その一人の顔を思い浮かべることから、課長の仕事は始まります。


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