予算も人員も削られ、部下の価値観はバラバラ。それでいて成果への要求は年々上がる。「課長なんて板挟みで割に合わない」という敬遠が広がるのも無理はありません。
ところが著者の佐々木常夫は、本書で正面から逆を張ります。課長ほどやりがいがあって面白い仕事はない、と。東レで初めて課長になり、のちに取締役、東レ経営研究所社長まで務めた人の言葉ですが、その道のりは決して恵まれてはいませんでした。
自閉症の長男を含む三児の世話、肝炎からうつを患った妻の看病を背負い、毎日十八時退社を自らに課す。その厳しい制約の中で磨いたマネジメントを、架空の新任課長「石田君」への手紙という形で綴ったのが本書です。
制約が濃いぶん、語られる技術には抽象論の甘さがありません。
部下を動かすのはスキルではなく「志」だという逆説
本書の主張は、佐々木自身の言葉を借りれば「部下を動かすのはスキルではない。部下の心を動かす、君の高い志だ」の一行に尽きます。ここでの志とは、出世や自分の利益ではなく、「世のため人のため」「部下を何としても育てる」という利他の覚悟を指します。
技術は志さえ本物なら後からついてくる、と著者は言い切る。
一見すると精神論に振り切った危うい主張です。ただ、佐々木自身も新任のころは自分のスキルを磨いて部下に叩き込むことばかり考え、まるでうまくいかなかったと明かしています。
マインドを「部下の成長と幸せのために本気で指導する」へ切り替えて初めて、部下が本当の味方になった。自分の利益のために人を動かそうとしても周囲は決してついてこない、という実感がこの本の土台にあります。禅の教えを引き、人の究極の幸せは愛されること・ほめられること・役に立つこと・必要とされることの四つで、働けばそのうち三つが手に入ると説くくだりは、利他と利己が矛盾しないという著者の人間観をよく表しています。
社員七十五人のうち五十四人が知的障害者という日本理化学工業の話を、その文脈で引くのも印象的です。他人のために尽くすことが巡って自分の幸せになる、という循環に、著者は本気で賭けています。
編集部としては、この「志が先」という順序に一定の留保も置きたいところです。志があれば技術は後からつく、という言い方は、裏を返せば技術不足を精神で正当化する言い訳にもなりかねない。本書の値打ちは、志という抽象語を、次に見る具体的な段取りへきちんと落とし込んでいる点にあります。
プレイング・マネジャーは優秀さではなく「逃げ」である
本書がもっとも強く否定するのが、プレイング・マネジャーです。自分の担当業務をこなしながら管理も兼ねる姿は、世間では「現場も分かる優秀な課長」と好意的に見られがちです。佐々木はここを一刀両断し、現場作業をしている方が落ち着くという、本来の仕事からの逃げにすぎないと断じます。
課長が実務に手を出す害は二つ。部下が経験を積んで育つ機会を奪うこと、そして課長自身が作業に追われて肝心のマネジメントができなくなることです。
では課長本来の仕事とは何か。本書は、課の方針を決めてチェックする、部下を監督し育てる、経営と現場をつなぐ、社内外を動かす政治力、の四つに整理します。
いずれも担当者時代の延長線上にはない、次元の違う仕事だという指摘です。
この断定はやや強い一般化で、少人数のチームやプレイングを前提とする職種にはそのまま当てはまらない面もあります。それでも「落ち着くから現場に戻る」という自己欺瞞を突く視点は鋭く、忙しさを言い訳に本業から逃げていないか、多くの管理職の胸に刺さるはずです。
着任二か月で信念を文書化し、若い部下から事実を揺する
本書は着任後の動きに期限を切ります。二か月で現状を把握し、在任中に成すべきことを決め、部下に明示する。まず取り組むのは、自分の信念を文書にして配ることです。
佐々木は「仕事の進め方10か条」を作り、異動のたび新しい組織の全員に配りました。計画主義と重点主義、拙速を尊ぶ効率主義、シンプル主義、常に上位者の視点を持つこと——そうした行動基準を十項目に言語化したものです。
口で一度言っただけでは部下の頭を通り過ぎる。だから会議のたびに現場の仕事へ当てはめ、耳にタコができるほど繰り返す。本書はこれを「反復連打」と呼びます。
この十か条が、二十五年後の課長研修の折にも、かつて在籍した課で引き継がれていたというエピソードは、言語化と反復が組織に何を残すかを示していて説得力があります。
次にやるのが部下全員との個別面談ですが、ここに独自の勘所があります。前任課長からの引き継ぎや人事評価を鵜呑みにしないこと。人は誰でも自分に都合よく事実を解釈するので、前任者の偏見が混じった評価を信じると、優秀な人材を潰しかねない。
本書はこれを「事実をゆする」と表現します。多面的に問い直すと、たいていは事実でなかったと分かる。だからキャリアが浅く無防備で不満を口にしやすい、一番若い部下から順に聞く。
面談は話すのが二割、聞くのが八割。自分の目と耳で課の真実をつかむわけです。
そして仕事の仕分け。人員も予算も足りないことを言い訳にするのは「他責」であり、課長は「自責」で条件の中に知恵を絞れ、と本書は言います。前提はパレートの法則。
本当に重要な仕事は全体の二割にすぎず、その二割をやれば成果の八割は達成できる。部下の全業務を重要度で五段階に格付けし、低いものは思い切ってやめるか、拙速を尊んで六割から八割の完成度で切り上げる。
仕事を振る際は課長が発注者、部下が受注者として、完成度と納期を事前にすり合わせてから着手する。これだけで業務は三割効率化できるといいます。
言語知・自己開示・下手な温情が部下との関係を決める
部下との関係づくりで、本書は三つの柱を立てます。一つ目が「言語知」。日本の職場に染みついた「あうんの呼吸」「以心伝心」は、実は巨大な時間ロスを生む。
日本人の生産性が低いのは能力のせいではなく、何のために・いつまでに・どの程度・誰がやるかを明確な言葉にしないせいだ、というのが佐々木の見立てです。合意を言葉と文書にする一手間が、思い込みによる手戻りを消します。
二つ目が「自己開示」。佐々木は妻の病気や長男の自閉症といった家庭の事情を、面談で包み隠さず話しました。リーダーが弱さをさらけ出すと部下も心を開く。
恋愛に悩む部下が相談を持ちかけ、後年まで感謝の年賀状が続いた、という話も出てきます。三つ目が「下手な温情は、部下を殺す」。百万円のミスを年に三回出した部下を「課の責任」と庇い続けた課長の例を挙げ、体制を作らなかった課長の責任は問いつつ、部下本人にはボーナスを大幅にカットしてミスの怖さを体に刻ませよ、と説く。
庇い続けるのは優しさではなく、成長の機会を奪うことだ、という厳しさです。弁護士・中坊公平の「正面の理、側面の情、背面の恐怖」を引き、まず理で説き、時に情で支え、それでも従わなければ毅然と臨む姿勢を示します。
もう一つ、異端児の扱いも印象的です。全員が同じ方向を向き異論の出ないチームは効率がよさそうに見えて、集団の偏見に陥りやすく「極めて脆弱」だと本書は断じる。
扱いづらい異端児をあえて認めることで健全な対立が生まれ、既存のやり方を見直させる。優秀な二割に仕事を集中させるより、遅い人を粘り強く引き上げる方が長期的に強いチームになる、差をつけるのは能力より熱意だから、という考え方です。
社内政治は部下の昇格のために使い、廻り道が器を広げる
社内政治というと後ろ暗い響きですが、本書での目的は明快です。部下を昇格させ、自分のプロジェクトを通すため。上司を味方につける手順は仕組み化されています。
二週間に一度アポを取り、報告事項と相談事項を箇条書きにしたペーパーを事前に渡す。相談には必ず「この理由でA案を選びたい」と自分の結論をセットにする。
上司の了解を得ておけば、他部署との交渉が格段に動きやすくなるからです。直属が反対しても二段上を攻略する道を残し、部下の昇格審査は一年前から根回しして本人にも明かし、弱点補強のチャンスへ変える。
ここは東レという伝統的な大企業を前提にした運用なので、フラットな組織や厳格な成果主義にはそのまま移せない部分もありますが、政治を私益ではなく部下のために使うという発想の転換は、どの組織でも応用が利きます。
最後に、課長自身の成長です。軸になるのは「大局観」、常に一つ上の立場で考える習慣。三十代から社長のつもりで働いてきた、だからもう二十年社長をしてきたようなものだ、という前田常務の逸話が象徴的に引かれます。
読書には釘を刺し、批判精神なく多読するのは有害ですらある、良書を自社の現場に当てはめてシミュレーションする精読こそ考える力を養う、と言う。そして「廻り道」の効用。
潰れかけた取引先への出向、企画畑二十年からの突然の営業課長。不本意な異動に見えたそれらが、器を広げる最大の機会だったと振り返ります。腐らずコツコツ働く姿を周囲は必ず見ている、長い人生で二年や三年の回り道など取るに足らない、という達観は、キャリアの停滞に悩む人への静かな励ましになっています。
もう一点、多忙な管理職を救う家族論も見逃せません。仕事が忙しくて家族と過ごせないことに罪悪感を持つ必要はない、家族の絆は一緒にいた時間の長さではなく、親が注ぐ愛情の深さで決まる、と佐々木は断じます。
三百六十五日働く母に育てられながら結束の強い家庭で育った自身の経験が根拠で、時間を確保できないことを負い目に感じがちな読者には、静かな免罪符になるはずです。
むろん時間を注げるなら注ぐに越したことはなく、この主張は忙しさへの開き直りではなく、限られた条件でも家族を大切にできるという励ましとして受け取るのが筋でしょう。
読み終えて残るのは、課長という仕事が人生でいちばん人間を鍛えるステージだ、という感覚です。部下の人生に直接コミットできるのは、社内で課長だけ。
だからこそ苦しく、だからこそ一生ものの絆が残る。スキルの手引きを求めて開いた人ほど、最後に効いてくるのは志だという話に、いい意味で裏切られるはずです。
