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『疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた』近藤一博|疲労とは、脳の炎症である

健康・メンタル ✍ 近藤一博
約7分で読めます

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『疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた』
目次

締め切り前の夜、なぜか頭が冴えて、少しも眠くならないことがある。

まだやれる、と思う。

そのとき体の中では何が起きているのか。 近藤一博さんの『疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた』を読むと、感覚と実態がほとんど正反対であることを思い知らされる。 「まだやれる」と感じている瞬間こそ、細胞は壊れ続けているかもしれない。

やる気や集中力が保たれていることと、細胞が無事であることは、別の話だ。 本書はこの一点を、実験データを積み上げてじわじわと突きつけてくる。

著者は東京慈恵会医科大学でウイルス学の研究室を率いる医師で、ほぼすべての人の体内に住み着いているウイルスの動きを追いかけ、疲労を客観的な数値として測る方法を作った人物だ。

専門性の高い一冊だが、扱う対象は誰の体にも当てはまる。章立ては段階を追う形で、疲労そのものの正体から始まり、休んでも治らない疲れ、うつ病、新型コロナ後遺症という一見別々の話題を、終盤で一つの線につなげていく。

図解

こんな人におすすめ

「疲労」と「疲労感」は、別の話だった

本書がまず切り分けるのは、日本語で一括りにされている「疲れ」という言葉だ。

細胞の機能そのものが落ちている状態を著者は疲労と呼ぶ。 それを脳が感知して休みたいと望む主観的な反応を疲労感と呼ぶ。 両者は同じ現象の表と裏に見えるが、著者はここを厳密に分ける。 理由は単純で、この二つは一致しないことがあるからだ。

疲労感だけが先に薄れ、疲労のほうは蓄積したままになる。 この乖離こそが、本書を通して繰り返し警告される危険信号になる。

ではどうやって、主観に頼らず疲労そのものを測るのか。著者が着目したのはヒトヘルペスウイルス6型(HHV-6)という、乳幼児期に感染して以来ほぼ生涯にわたり体内に潜み続けるウイルスだ。

宿主が疲労すると、このウイルスは唾液中に再び姿を現す。弱った宿主に見切りをつけ、次の宿主に移る準備を始めるためだと考えられている。本書に引かれる研究者の言葉が的確だ。

「最も愚かなウイルスでさえ、最も優秀な学者よりも頭がいい」

デスクワーカーや自衛隊員、運動選手の唾液を調べた結果、このウイルスの量は疲労の負荷とおおむね連動しており、週の残業が40時間を超える群では急増したという。

疲労を測るだけでなく、そこから回復する力も数値にできるという点が本書らしい。細胞にストレスがかかるとタンパク質を作る働きが緊急停止し、その状態を元に戻す酵素の働きを、著者は回復力の指標として扱う。

運動や食事によってこの指標を底上げできる、というのが後半の実践パートにつながる伏線になっている。

休んでも改善しない疲れについても本書は一章を割いており、慢性疲労症候群の患者ではこのウイルスの再活性化がむしろ観察されないケースがあるとされ、通常の疲労とは異なる仕組みが関わっている可能性を示している。

国内の患者数は数万人規模とされ、診断の目安として強い疲労がおよそ半年以上続くことが挙げられている。特徴とされるのが、動いた後しばらく経ってから重い倦怠感が遅れてやってくる反応で、通常の疲れとは体感の質そのものが違うという。

ただし診断や治療は医療機関の領域であり、本書を読んで自己判断するべき性質のものではない。

元気だと感じているときほど、警戒したほうがいい理由

疲労感が薄れているのに疲労が進む。 この状態が最も起きやすいのが、締め切りや強いプレッシャーのかかる場面だと本書は説明する。

緊張やストレスがかかると、脳の視床下部から始まるホルモンの連鎖が働き、副腎からコルチゾールやアドレナリンが分泌される。コルチゾールには炎症を抑える作用があり、疲労感の引き金になっている炎症性の物質を一時的に抑え込んでしまう。

つまり、疲れを感じにくくなる。天敵から逃げる動物が、痛みを感じないまま全力で走れる仕組みと近いという。その裏側では、さきほどの回復力の指標が測っているのと同じ防御反応が働き続けていて、警報を止める仕組みとは別の場所で損傷が積み上がっている。

「効いた」という感覚は、警報を止めただけであって、細胞の損傷という火元を消したわけではない。 その間も細胞の機能低下は進み続けている、というのが本書の立場だ。 エナジードリンクに含まれる抗酸化成分についても同様の指摘がある。 肝臓で起きているリン酸化を抑えるため疲れを感じにくくさせる一方、心臓や脳、筋肉での反応にはほとんど効かないという実験結果が紹介されている。

やりがいに没頭している経営者や責任感の強い働き手が、周囲から見て突然倒れることがある。本書はこうした事例を、警報だけが解除された状態が続いた結果として説明できる可能性がある、と位置づけている。

もちろん個々の事例の因果関係を本書だけで断定できるわけではないが、少なくとも「元気に見える」ことを健康の証拠として鵜呑みにしない理由にはなる。

うつ病は「遺伝」ではなく「感染」だったかもしれない

本書の中でもっとも踏み込んだ主張が、うつ病をめぐる一章に出てくる。

先ほどのHHV-6は、嗅覚に関わる脳の部位に潜伏することがある。そこである小さなたんぱく質を作り出すことを著者らは発見し、SITH-1と名付けた。

宿主のたんぱく質と結びついてカルシウムを細胞内に流入させ続け、周辺の細胞を弱らせていく。その結果、ストレスホルモンの調整機構が乱れ、脳の抗炎症の働きが落ちるというのが本書の説明だ。

この発見に至る道のりは平坦ではなかったらしい。 最初は別の病気との関連を疑って数百例を調べたが、手がかりはまったく出なかったという。 方向を変えて精神疾患の患者群を調べ直し、ようやく関連が見えてきた、という経緯が本書には記されている。

数字がかなり大きい。うつ病の患者を調べると、このたんぱく質に対する抗体を持つ人の割合は健康な人の3倍を超え、抗体を持つ人がうつ病になっているオッズは12倍前後に達するという。

一般に病気との関連が疑われる遺伝子変異でさえ、その多くはもっと小さな差にとどまるとされる中では、際立って大きい数字だ。

もっとも、これは統計的な関連であって、個人の診断や予後を決める根拠として使える段階にはまだない。

さらに本書は、うつ病になりやすさの一部が遺伝すると言われてきた現象についても、新しい説明を示す。遺伝しているのは人間の遺伝子そのものではなく、このたんぱく質を強く作るタイプのウイルスが、乳幼児期に親から子へとうつっているからではないか、という仮説だ。

著者自身もこれを確定した結論ではなく一つの解釈として提示しており、今後の検証を要する部分だと本書は断っている。

コロナ後遺症までつながる、ひとつの壊れ方

新型コロナウイルスの後遺症にも、本書は同じ枠組みで踏み込む。

解剖や画像検査では、ウイルス自体が脳の中で増え続けている証拠は見つかっていないという。それでも脳に炎症に近い変化が起きる。本書が挙げる説明は、ウイルス表面のたんぱく質が鼻から脳に働きかけ、脳の抗炎症システムにブレーキをかけてしまうというものだ。

このブレーキが壊れると、うつ病の章で出てきた仕組みとよく似た経路で、炎症が抑えられなくなる。実際、ごく微量のウイルスたんぱく質だけを投与した英国の臨床試験でも、参加者の半数近くがだるさを訴えたという報告がある。

治療法としては、脳内のアセチルコリンという物質を補う既存薬を転用する研究が進められているが、本書もここは一般に使えるようになるまでにはまだ時間がかかると慎重に書いている。

つまりSITH-1もコロナ後遺症も、狙っている先は同じ抗炎症の仕組みらしい。 本書はこの共通点を、次のように言い切る。

「生理的疲労と病的疲労の本質的な違いは、脳内炎症が起きているかどうかです。そして、その違いを生むのは、脳の抗炎症機構が正常に働いているかどうかです」

ただし、ブレーキが壊れただけでは炎症は起きない。燃える対象、つまり日々の生理的な疲労で生じる炎症の種火が必要だと本書は付け加える。だから、平日にため込んだ疲れの上に週末の激しい運動を重ねる生活は、本書の立場からするとリスクが積み増しされやすい組み合わせということになる。

運動そのものを否定しているわけではなく、疲れが抜けきらないうちの高強度な負荷を避けたほうがよい、という限定的な注意だ。

本書の終盤では、視点をさらに広げて、うつ病になりやすいこの体質がなぜ人類の進化の過程で淘汰されずに残ってきたのかを考察している。まじめで責任感が強く、周囲から頼られるタイプの人ほど、この体質に当てはまりやすいという傾向が紹介されており、単純に消し去ればよいものではないという留保も添えられている。

込み入った仮説も含まれており、著者自身、確定した説明ではないと断っている。

今日から変えられること

本書が具体的に勧める行動は多いが、まず着手しやすいものを挙げる。

1時間に一度タイマーをかけて、スマートフォンから離れ、5分から10分ほど目を閉じる。 やる気の有無にかかわらず、細胞を休ませる時間を先回りして確保する狙いだ。

息が上がらない程度の運動を30分から1時間、週に数回、1〜3ヶ月ほど続ける。 疲労を感じにくくするためではなく、疲労から回復する力そのものを底上げするための習慣として本書は位置づけている。

玉ねぎや玄米、鶏むね肉やかつおといった食材を、買い物リストに定番として加える。 これらに含まれる成分が、疲労からの回復に関わる酵素の働きを助けるとされているためだ。 ただし即効性のある実感は乏しく、地味に効く類のものだと考えたほうがよい。

一点だけ強い注意がある。 何かをした数時間後から翌日にかけて、遅れて重い倦怠感が出るタイプの疲れは、本書が扱う仕組みの範囲を超えている可能性がある。 その場合は運動や無理な継続をいったん止め、医療機関に相談したほうがよい。

読み終えて残るのは、「元気です」という自分の申告がどこまで信用できるのか、という疑いだ。 疲れは気合で乗り切る対象ではなく、体の中で進行している出来事として扱ったほうがよさそうだ。


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