2010年、世界で飢餓によって命を落とした人は約100万人でした。ところが同じ年、食べ過ぎが原因で亡くなった人は300万人を超えています。この一行に、本書の問題意識がすべて凝縮されていると言っていいでしょう。
何千年ものあいだ人類を苦しめてきた飢饉は、いつのまにか「食べ過ぎ」という真逆の問題にすり替わりました。疫病も戦争も、完全に消えたわけではないにせよ、かつてのように人類全体を脅かす「天災」ではなくなりつつあります。
では、長年の敵を倒しかけている人類は、次にどこへ向かうのか。『ホモ・デウス』は、世界的ベストセラー『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が、その問いに正面から取り組んだ一冊です。
「デウス」はラテン語で神を意味します。神になろうと背伸びする人間が、その過程で人間でなくなっていく。本書はこの皮肉な道行きを、歴史・生物学・情報科学を横断しながら容赦なく描いていきます。

人類の新しい三大目標
ハラリ氏の出発点はいたって明快です。人類は長らく飢饉・疫病・戦争という三つの大問題と戦ってきました。そして21世紀初頭、これらを完全にとは言わないまでも「対処可能な課題」へと格下げすることに成功しつつある、と本書は言います。
数字が説得力を添えます。ある年の世界の死者のうち、暴力による死は数十万人規模である一方、糖尿病による死はその倍以上、自殺者もそれを上回る。もはや砂糖は火薬よりも危険だ、という指摘は挑発的ですが、統計はそれを裏づけてしまいます。
問題は、ここから先です。古い敵を倒した人類は、次に何を欲望するのか。ハラリ氏が挙げる新たな三大目標は、不死・至福・神性でした。老化と死を技術的な故障として修理し、脳と生化学をいじって永続的な幸福を手に入れ、最終的には自らを神のような存在へと造り替える。
この壮大なプロジェクトの行き着く先を追いかけるのが、本書の骨格です。
死が「バグ」になった世界
かつて死は、神の領域に属する神秘でした。本書はこの前提が根本から覆ったと指摘します。現代の科学にとって、死はもはや宿命ではなく、いずれ解決すべき技術的な欠陥にすぎません。
心臓が止まるのも技術的な問題、がん細胞が増えるのも技術的な問題。ならば、あらゆる不具合に技術的な解決策があるはずだ、という発想です。実際、巨大テック企業のなかには「死を解決すること」を掲げ、資金の相当割合を生命科学のスタートアップに注ぎ込む動きが現れています。
ここでハラリ氏が念を押すのは、彼の言う不死が「事故でも殺人でも決して死なない不滅」ではない点です。あくまで寿命では死ななくなるという意味の「非死」にすぎません。それでも含意は途方もない。死が退場すれば、宗教も、家族の形も、社会の設計思想そのものが組み変わってしまうからです。
人間を地球の支配者にしたもの
未来を語る前に、ハラリ氏はいったん過去を整理します。そもそも、なぜ人間が地球を支配できたのか。
多くの人は「知能が高いから」「道具が上手だから」と答えます。しかし本書はこれを退けます。一対一の能力でいえば、人間とチンパンジーに決定的な差はありません。
違いは、見ず知らずの大勢と柔軟に協力できる点にあります。1000匹のチンパンジーをスタジアムに集めても混乱するだけですが、人間は何万人もが秩序立って動けます。
その協力を支えるのが、本書の核心概念「共同主観的現実」です。神、国家、貨幣、企業。これらは岩や川のように客観的に存在するのではなく、大勢が共通して信じることで初めて力を持つ。ハラリ氏はこれを「虚構」と呼びます。
紙幣がただの紙切れなのに世界経済を回すのも、全員がその価値を信じているからにほかなりません。人間を特別にしたのは、魂でも意識でもなく、物語を信じる力だった。この見立てが、後半すべての議論の土台になります。
力と引き換えに、意味を手放した
近代に入って、人類はもう一つ大きな取引をしました。本書が「現代の契約」と呼ぶものです。その中身は、力と引き換えに意味を放棄する、という取り決めでした。
近代以前の人間は、神の壮大な計画のなかに人生の意味を見いだしていました。その代わり、自分の力は神によって制限されていた。ところが科学革命以降、宇宙は神の脚本ではなく物理法則で動くものになります。
意味は失われたけれど、その空白と引き換えに、人類は科学と経済成長を通じてかつてない力を手にしたのです。
意味のない宇宙では秩序が崩れます。そこで登場した新しい宗教が、人間至上主義(ヒューマニズム)でした。神が去った後、意味の源泉になったのは「人間の経験」です。
神の声の代わりに自分の心の声を聞け、というのがその合言葉。芸術も恋愛も消費も、「自分がどう感じるか」が最終的な権威になりました。
ハラリ氏は20世紀のイデオロギー対立すら、この宗教の宗派争いとして読み解きます。ここが本書の折り返し地点です。ここまでが人間を主役にした物語、ここから先が、その主役が舞台を降りていく物語に変わります。
「私」というアルゴリズム
主役交代の鍵を握るのが、本書の最重要キーワード「アルゴリズム」です。アルゴリズムとは、計算し、問題を解き、決定に至るための秩序立った手順のこと。ハラリ氏によれば、人間の感情も欲求も、進化が何百万年もかけて磨き上げた生化学的アルゴリズムにすぎません。
恐怖を感じて逃げるのも、好意を感じて近づくのも、生存と繁殖のための計算結果だというわけです。そしてこの主張が決定的なのは、論理がここから裏返るからです。生物がデータ処理のアルゴリズムなら、同じ計算を非生物のアルゴリズム、つまりコンピューターがもっと上手にこなせるはずだ、と。
自由意志という前提も、本書は生命科学の側から崩します。脳に電流を流すヘルメットで自己不信の「内なる声」を黙らせた記者の体験や、苦痛の総量より長いコースを選んでしまうカーネマン氏の冷水実験。
私たちの中には、実際に経験する自己と、それを都合よく編集して語る「物語る自己」がいて、一貫した「私」などどこにもいない。人間の優位を支えていた根拠が、そのまま人間を不要にする根拠へと反転していきます。
無用者階級とデータ教
ここで本書は、知能と意識を厳密に分けます。知能は問題を解く能力、意識は痛みや喜びを主観的に感じる能力。これまで両者は一体だと信じられてきましたが、意識をまったく持たないAIが次々と人間を追い越し始めました。
冷たい事実は、軍隊や企業が必要としているのは知能であって意識ではない、という点です。意識のない高知能AIのほうが、安く速く正確に働く。ここから本書が描く最も重い未来が「無用者階級」です。
搾取される階級ですらなく、搾取する価値すらないほど経済的・軍事的に不要とされる大量の人々。ミスをしないロボット薬剤師の前で、生身の薬剤師が職を保てるか、という問いは重くのしかかります。
下方向の分断だけではありません。遺伝子工学や脳とコンピューターの接続技術の恩恵を先に受ける富裕層は、身体と認知をアップグレードできます。そこに生まれるのは経済格差ではなく、逆転不能な生物学的格差です。
そして本書が最後にたどり着くのが「データ教」でした。データ至上主義の世界では、経験そのものより、経験を記録しデータフローに共有することが善とされます。
何を買い、誰と結婚し、どんな仕事に就くか。私たちは「より賢い助言者に従うだけ」のつもりで、いつのまにか全知のアルゴリズムに主役の座を譲り渡す。
それが本書の到達点です。
歴史を学ぶ最高の理由は、未来を予測するためではなく、過去から自らを解放し、他のさまざまな運命を想像するためだ。(本書の主張の要旨)
読み終えて残るもの
本書を読み終えて心に残るのは、無用者階級やデータ教という予測そのものよりも、ハラリ氏の歴史観です。無用者階級もデータ教も、決まった運命ではありません。ただ、それが来ないと言い切れる根拠も、私たちは持っていない。
だからこそ、まず自分が日常でアルゴリズムに委ねている選択を書き出してみる。動画のおすすめ、ナビの経路、買い物の推薦。便利さの裏で何を明け渡しているかを点検するのが第一歩です。
そして暗記やパターン認識でAIと張り合うのをやめ、データに還元できない領域、つまり共感し、聞き、悩みに寄り添う関わりに時間を使う。お金や会社や国家を前に「これは事実か、それとも大勢が信じる虚構か」と問い直す癖をつける。
あなたが最後にアルゴリズムに逆らって何かを選んだのは、いつでしたか。その問いを携えて日常に戻れるだけでも、本書を読む価値は十分にあります。
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『未来に先回りする思考法』佐藤航陽 テクノロジーの進化から未来を読み解く思考法の本。本書が描く壮大な未来図を、ビジネスや日常の判断にどう落とし込むかを考えるときの実践的な補助線になります。
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