「AIが仕事を奪う」——この言い方を続けている限り、たぶん何も始まらない。主語をAIに明け渡した瞬間、こちらはただ怯えて待つだけの立場に回ってしまう。電気やガスが「仕事を奪う」と誰も言わないのと、構造は同じはずだ。
石角友愛さんの『いまこそ知りたいAIビジネス』は、この助詞ひとつのすり替えを冒頭で正す。パロアルトインサイトを率い、日米双方でAI導入の現場に立ち会ってきた石角さんが、日本企業のプロジェクトが失速する箇所をひとつずつ具体名で挙げていく一冊だ。
刊行は2018年、生成AIが騒がれる前の本だが、そこで描かれる失敗のパターンは技術の世代を選ばない。読みながら、自社の会議室の光景が何度も重なった。
数式は一切出てこない。代わりに、AI導入がなぜ止まるのかを、稟議の通し方や現場の動線といった生々しい単位まで分解していく構成になっている。技術書としてではなく、事業書として読むほうが本書の狙いに合っている。

「AIは単なるツール」——本書の中心主張
本書の主張は一行で言える。AIは火や電気と並ぶ、ただの道具にすぎない。勝敗を決めるのは技術の高さではなく、稼ぎ方の設計と現場の回し方のほうだ。
「電気や電話やインターネットがそうであったように、AIは近い将来、間違いなく私たちの生活のインフラになる。」
強みは、アルゴリズムの解説にほとんど紙幅を割かないところにある。代わりに出てくるのは、倉庫作業員が持たされる端末の重さや、電子カルテの不整合、ベテラン配車係の反発といった、現場のディテールだ。
パロアルトインサイトで実際の案件を回してきた実務家が書いているからこそ、話が抽象論に逃げない。
アメリカではソフトウェア技術者のおよそ7割が、IT企業ではなく事業会社の内側で働いている。日本の比率はこれとほぼ裏返しで、およそ8割がSIerやIT企業の側に留まったままだ。
社内に技術のわかる人間がいないと、経営陣はAIを神格化するか、根拠のない不安に振り回されるか、両極端のどちらかに寄ってしまう。石角さんは、日本のAI活用はアメリカに比べて5年ほど遅れているという見立てを示す一方、AIが経済へ組み込まれたときの成長率という点では、日本のGDP押し上げ幅が1.7倍にとどまるアメリカを上回る3倍以上になるという試算も紹介し、遅れの裏側にある伸びしろの大きさも見落とさない。
セフォラが売ったのは口紅ではなく体験、Stitch Fixが手放さなかったのは人の目だった
「モノからコトへ」という発想の転換を体現したのが、化粧品を扱うセレクトショップのセフォラである。スタンフォード発のベンチャーと手を組み、スマートフォンの画面に顔を映すだけで口紅の色味を試せる仕組みを作った。
新しい化粧品は一つも生まれていない。誰が使ったかわからないテスターへの抵抗感や、手の甲で色を確認する不便さという、ずっと放置されてきた顧客体験の不満を技術で解いただけだ。
結果として売上は8割伸びた。日本企業はここで逆をやりがちだと著者は釘を刺す。AIを積んで、また別の「モノ」を作ろうとしてしまう。
人とAIの役割分担をいちばん丁寧に描くのがアパレル通販のStitch Fixだ。会員登録時に85項目に及ぶ質問へ答えてもらい、AIがサイズを揃え、レビューの文章を読み込み、流行の兆しを予測する。
それでも「どの服を何着送るか」という最後の一手を決めるのは、3500人ほどのプロのスタイリストたちである。産後で体型が変わっている時期だからあえて小さめのサイズを選ぶ、というような判断は、学習データとしてはノイズになりかねない。スタイリストがその文脈をくみ取って学習対象から外し、この判断と返品の記録がまた学習ループに戻っていく。
リピート利用の割合は8割を超えるという。人とAIの掛け合わせを実現できた企業が生き残る、というダボス会議での発言を著者は引いている。
「データ集めなきゃいけない病」と、導入の壁・定着の壁
実装編で著者がまず名指しするのが「データ集めなきゃいけない病」だ。ビッグデータが手元になければ何も始められない、という思い込みのまま走り出すとどうなるか。
あるがん研究の巨大プロジェクトでは、電子カルテの運用実務を理解しないまま経営陣が投資を決めてしまい、当初は2億円規模だった見積もりが、4年後に頓挫した時点で52億円にまで膨らんでいた。
反対に、目的が明確で正しく整理されたデータであれば、ごく少ない件数の一覧からでも十分に踏み込んだ分析は始められるという。
著者はデータを原油にたとえる。掘り出しただけの状態では役に立たず、手をかけて精製した先にはじめて動力が生まれる。データを金庫にしまい込んだままの企業は、地中に眠らせた原油を自慢しているのと変わらないと手厳しい。
だからこそシリコンバレーの企業は、データ分析のコンテストサイトにデータそのものを公開し、世界中の腕利きにモデルの精度を競わせるという発想に踏み切る。
優秀者に払われる賞金が1億円を超えることも珍しくないという。
だから著者が勧めるのは、本格的な予算をつける前に手持ちのデータの一部を渡し、機械学習に耐える状態かどうかを見てもらう「AI診断」だ。問診も検査も受けないまま治療方針の見積もりを求めるようなものだと、いきなり提案を求める日本企業のふるまいを著者は評する。
導入したあとにも別の壁が二つ待っている。現場の負荷を無視した設計でそもそも動かせないのが導入の壁、動かせても使われないままなのが定着の壁だ。需要を読んで自動的に発注する仕組みを取り入れたのに、かえって手入力の作業が増えて稼働率が半分を切ってしまった卸売業者の話が本書に出てくる。
処方箋は地味で、現場が普段使っている端末にそのまま組み込み、効果がすぐわかる指標をあらかじめ用意し、現場へ足を運んで話を聞く。それだけだ。
「AIビジネスは机上の空論ではなく、泥臭い作業の連続なのだ」
「AIは公平」という一番危ない誤解と、日本の勝ち筋
第4章はリスクを扱う。感情がないからAIは公平だ、という発想を本書ははっきり否定する。成績優秀者の願書に手を加えて出身階層と性別を推測できるようにし、大手法律事務所へ試しに応募させた検証結果が紹介される。
面接に呼ばれた割合は、裕福な家庭出身と見なされる男性で16パーセントに達した一方、同じ階層の女性は4パーセント弱、貧しい家庭出身と見なされる男性は1パーセントにも満たなかった。
顔認識の精度でも、白人男性はほぼ100パーセント近い正答率なのに対し、黒人女性になると75から80パーセントほどまで落ち込む。AIは人間の思い込みを消す装置ではなく、桁違いの速さと規模で焼き直してしまう装置にもなりうる、というのが著者の警告だ。
では日本はどこで勝てるのか。著者が挙げるのはモノづくりとB2Bの領域である。シリコンバレー発の企業群はソフトウェアの領域では圧倒的だが、何年もかけて物理的な製品を欠陥なく量産まで持っていく力は持ち合わせていない。
電気自動車に電池メーカーが供給網を築いたように、ソフトとハードを組み合わせるところに勝ち筋があるという見立てだ。人材の面では、経営の課題と技術の中身をつなぐ「AIビジネスデザイナー」という役どころが欠かせない。
自らコードを書く必要はないが、機械学習でできることとできないことを理解し、経営陣の言葉で語れる人材のことで、著者はエンジニア10人につき1人という配置目安を挙げている。
新しい職種の話も印象に残る。長年の勘で車を差配してきたベテランの配車係が、自動配車AIの導入に当初は反発したものの、雨天時にどのあたりへ車を寄せておくべきかという長年の勘所をAIに仕込んでいく「AIトレーナー」という役目に回り、プロジェクトで欠かせない存在になった例が本書に出てくる。
自動化が進むほど、人間にしか担えない役割の値打ちはむしろ上がっていく。仕事を奪われるという恐れの正体は、たいてい役割そのものの喪失ではなく、役割が組み替わることへの戸惑いなのだと気づかされる。
明日からできること
自分の担当業務、あるいは自社の課題を洗い出し、「効率がどれだけ上がるか」と「売上がどれだけ伸びるか」という2つのものさしで並べ替えてみる。AIで解けるかどうかを考えるのは、この地図が完成してからでいい。
予算をつける前に、ごく一部の実データを渡して「そもそもモデルが作れる状態か」を見てもらう。最初から提案書と見積もりを求めないほうが、結局は近道になる。
自分の仕事を、他人やAIに置き換えがきくものと、自分固有の判断が要るものとに仕分けてみる。前者はどんどん手放し、後者へ時間を寄せ直す。統合と同じで、この仕分けも一度やって終わりではなく、日々更新していく作業になる。
合わせて読みたい
現場寄りの視点を補ってくれる3冊を挙げておく。
『生成AI時代を勝ち抜く事業・組織のつくり方』梶谷健人(記事はこちら) 導入の壁・定着の壁という本書の枠組みを、生成AI時代の組織設計にあてはめ直した一冊。AIビジネスデザイナー論の続編として手に取れる。
『演繹革命』校條浩(記事はこちら) シリコンバレー側の視点から、日本企業が足踏みしてきた理由を分析した一冊。技術者の大半が社外にいるという本書の指摘と、思考の癖という切り口で響き合う。
『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』オードリー・タン(記事はこちら) 台湾の行政現場を率いた立場から語られる、AIを徹底して道具として使い倒す発想。人間とAIの融合を国家規模でやるとどうなるかの好対照になる。
