「大きな病気をしたら、医療費で家計が破綻するかもしれない」。
その漠然とした不安から、毎月せっせと医療保険の保険料を払っている人は多いはずです。私自身もずっと、社会人になったら保険には入っておくものだと、深く考えずに思い込んでいました。
ところが本書を開くと、いきなりこう書かれています。老後の病気などに最も頼りになるのは「健康保険」だ、と。保険商品を売ってきた側の人間が、民間保険ではなく公的な健康保険を勧めている。この一言が、本書の射程を端的に物語っています。
『いらない保険 生命保険会社が知られたくない「本当の話」』は、保険の販売現場で長年商品設計や営業に携わってきた後田亨さんと、医療情報学・医療経済学を専門とする大学教授・永田宏さんの共著です。
保険の内側を知る人と、医療データを冷静に読める人。この二人が組んだことで、本書はただの節約本では終わっていません。私たちが当たり前のように払い続けている保険料の「正体」を、数字とコスト構造から一枚ずつ剥がしていきます。
この本が刺さるのはこんな人
「とりあえず医療保険」「貯金代わりに保険」と、内容をほとんど吟味せずに契約した経験がある人には、まず効きます。本書はその契約の中身を一つずつ点検するための物差しをくれます。
銀行の窓口や保険ショップで、外貨建て保険や個人年金保険を「貯蓄になりますよ」と勧められて迷っている人にも刺さります。なぜそれが損になりやすいのかを、コスト構造というレベルから腑に落とせるからです。
そして、毎月の保険料が家計をじわじわ圧迫していて、見直したいけれど何から手をつければいいかわからない人。本書は解約か払済かの判断基準まで踏み込んで示してくれます。「不安だからとりあえず入る」から「根拠を持って取捨選択する」へ。その移行を助ける一冊です。
核心は「公的保険の実力を、私たちは知らなさすぎる」
本書の主張は驚くほど一貫しています。日本の公的医療保険は世界的に見ても極めて優秀で、民間の保険商品の多くはその上に乗っかった割高なオプションにすぎない。だから不安を煽られて入る必要などない、というものです。
注目したいのは、この主張が「気合いで節約しよう」という精神論ではなく、事実の積み上げで証明されている点です。後田さんが保険のコスト構造を、永田さんが厚生労働省の患者調査などの医療データを持ち寄り、感情を排して数字だけで語っていく。
だから読後に残るのは「なんとなく不安が減った」ではなく、「数字で確認できたから判断できる」という納得感です。
しかも本書は、ただ「保険をやめろ」と突き放すだけではありません。やめて浮いたお金をどう守り、どう増やすかという出口まで設計してくれます。不安をあおって商品を売る側ではなく、不安そのものを解いて読者を自由にする側に立った本だというのが、私の率直な評価です。
最強の医療保険は、すでにあなたが入っている健康保険
「大病をすれば莫大な医療費がかかる」という思い込みを、本書はまず正面から崩します。日本で公的医療保険の範囲内で治療を受ける限り、何百万円もの自己負担がいきなり降りかかってくることは、まずありません。
そのカギを握るのが高額療養費制度です。これは1カ月あたりの医療費の自己負担額に上限を設ける制度で、たとえば年収約370万円から約770万円の人なら「80,100円+(医療費-267,000円)×1%」という式で上限が決まります。
具体的に当てはめてみると、医療費の総額が100万円かかったとしても、その月の自己負担は9万円弱で収まります。脳梗塞で長期入院し、総医療費が300万円を超えるようなケースでも、患者本人の負担は最大で65万円以下に抑えられると本書は示します。
現役の医師たちの実感としても、社会復帰までにかかる自己負担はおおむね「50万円程度」だといいます。
ここから導かれる結論はシンプルです。民間の医療保険に毎月保険料を払い続けるより、数十万円の貯蓄を一定額キープしておくほうが、よほど確実で柔軟だということです。保険金は使途や条件が決まっていますが、貯蓄はどんな出費にも使えます。
会社員にはもう一枚、強力なセーフティネットがあります。傷病手当金です。病気やケガで働けなくなったとき、最長1年半にわたって標準報酬月額のおよそ3分の2が支給されます。「病気で収入が途絶えたらどうしよう」という不安にも、すでに公的制度が答えを用意してくれているのです。
この章を読んで、私自身いちばん反省させられました。自分の健康保険がここまで手厚い設計になっていることを、まるで把握していなかったからです。不安の正体の多くは、すでに持っている権利を知らないことから生まれている。本書はそれを突きつけてきます。
長期契約は、いつか必ず「陳腐化」する
本書がもう一つ強く警告するのが、長期契約そのものに潜むリスクです。著者はこれを「保険の陳腐化」と呼びます。
保険の保障内容は、契約した時点の約款、つまり保険のルールブックで固定されます。世の中がどれだけ変わっても、内容が自動でアップデートされることはありません。つまり数十年後には、その保障が時代遅れになっている恐れが常につきまといます。
医療の現場で何が起きているかを見れば、これは絵空事ではありません。手術はかつての開腹手術から、体への負担が小さい腹腔鏡手術へと主流が移りました。
入院日数も短くなり続けています。一般病床の平均在院日数は1999年の30.8日から、2016年には16.2日へと、ほぼ半分になりました。
ところが保険の給付条件は、しばしば古い医療を前提にしたまま据え置かれています。本書は具体例として、アフラックが公開文書で腹腔鏡下手術や胸腔鏡手術を「重大手術の対象とならない」と扱い、給付金を低く抑えていることを挙げます。
患者にやさしい進歩した術式のほうが、昔ながらの大きく切る手術より給付金が安くなるという逆転が、現実に起きているわけです。
入院日数が短くなれば、入院1日あたりで支払われる入院給付金の総額も当然減ります。ロボット支援手術のような新しい技術が、何十年も前に書かれた約款で想定されている保証もありません。
著者の比喩が秀逸です。数十年後の自分の体に合う服を、今この場で選べるだろうか、と。サイズも好みも変わるのに、一着を一生着ろと言われているようなものです。
変化の速い時代に、何十年も内容が変わらない契約を結ぶこと自体が、すでに一つの賭けになっているのです。
がん保険も介護保険も、データで見ると割に合わない
がんは特別なものとして恐れられがちですが、本書はここにも冷静なデータを当てます。
「2人に1人ががんになる」という有名なフレーズの裏側には、高齢化という最大の要因があります。男性患者の77%、女性患者の66%が65歳以上で、現役世代の罹患率はイメージほど高くありません。
総死亡に占めるがん死の割合も、2001年の約31%から2017年には27.8%へと下がっています。「がんは増え続ける現代病」という空気とは、実態が少し違うのです。
治療費にしても、がんも当然ながら高額療養費制度の対象です。自己負担は他の病気と同じく上限内に抑えられます。肺がんや大腸がんの手術でも、平均入院日数は10日から20日程度。長期入院でみるみる貯蓄が溶けていく、というイメージは更新したほうがよさそうです。
がん保険でよく勧められる先進医療特約にも、本書は手厳しい評価を下します。重粒子線や陽子線治療といった先進医療を実際に受けられる人はごくわずかで、2017年度に粒子線治療を受けたのは全国で約4000人。
国民3万1750人に1人という割合です。年に数千人しか受けない治療に備えるための特約を払い続けることは、結局のところ保険会社の利益に貢献しているにすぎない、と著者は言い切ります。
自由診療をうたう特約にも落とし穴があります。たとえば日本未承認の抗がん剤を使う自由診療を月40万円保障するという商品があっても、個人輸入の規制は厳しく、実際に薬を入手して治療してくれる医師を探すこと自体が難しい。
保障の数字は立派でも、それを行使できる条件が整わなければ意味がないわけです。
介護保険も同じ構図です。私たちが現実にまず直面しがちなのは「親の介護」ですが、自分名義の民間介護保険は親には一切使えません。自分自身が要介護になる確率がはっきり高まるのは80代後半以降で、女性でも80〜84歳で18.4%にとどまります。
数十年も先の事態のために払い続けて、その頃に同じ制度や同じ保険会社が無事に存在しているかどうかすら、誰にも保証できません。本書が試算する朝日生命「あんしん介護」の例でも、60歳女性の加入で支払総額が75歳前に300万円を超える一方、見込める給付総額も300万円程度で、収支がほとんど見合わないと指摘されています。
貯蓄や運用を「保険でやる」と、手数料に食われる
「銀行の金利は低いから、いっそ保険で貯めよう」。この一見もっともらしい発想にも、本書ははっきり待ったをかけます。
理由は、ひとえにコストです。売れ筋の医療保険の保険料には、保険会社の諸経費が見込みで30%ほど織り込まれているといいます。貯蓄型の保険では、この経費や代理店への販売手数料が差し引かれた残りが運用に回るため、長期間にわたって元本割れが続く構造になっています。
数字を見ると深刻さが際立ちます。アクサ生命の変額保険「ユニット・リンク」は、30歳男性が30年契約で運用実績0%だった場合、支払総額720万円に対して満期金額は558万円。
差額の162万円が経費として消える計算です。外貨建て保険はさらにコストが重く、メットライフ生命の「USドル建終身保険」では、30歳男性の加入例で初年度保険料の80%超が積立に回らず、積立利率3%でも15年後あたりまで元本割れが続くとされます。
「積立利率3%」という耳触りのいい言葉だけを見て契約すると、手数料の重さに足をすくわれるわけです。
では、本気でお金を増やしたいならどうするか。本書の答えは明快です。手数料が高い保険商品ではなく、税制優遇のある制度を素直に使う。具体的には確定拠出年金(iDeCo)、つみたてNISA、個人向け国債などです。
iDeCoには運用益の非課税に加えて、掛金そのものが所得控除になる節税効果があります。月2万3000円を積み立てれば、所得税率20%の会社員で年間8万2800円ほど税負担が軽くなる計算です。
同じお金でも、置き場所を「保険」から「制度」に変えるだけで、手元に残る結果がここまで変わる。これは知っておくだけで効く知識です。
それでも、本当に必要な保険はある
ここまで読むと、保険なんて全部いらないのかと思うかもしれません。けれど本書は、そこまで極端なことは言いません。むしろ「不要なものを削った先に、本当に必要な保険が見えてくる」という構成になっています。
検討に値する保険は、現役世代、とりわけまだ自立していない子どもがいる世帯主の「死亡保障」と、長期にわたる就業不能に備える保障くらいに絞られます。
万が一のときに、自分の貯蓄では到底用意できない数千万円規模のお金が必要になる事態。そこだけが、保険という仕組みが本領を発揮する場面だからです。
本書はこれを4つのキーワードで整理します。緊急性、重大性、経済合理性、不確実性。この4条件をすべて満たすリスクにだけ保険を充てる、という判断フレームです。
世帯主の急死はこれに当てはまりますが、医療や介護は公的制度と貯蓄で十分に備えられるので当てはまらない。この物差しは、保険に限らずあらゆる「備え」の要否を考えるときに応用が利きます。
そして必要な死亡保障も、掛け捨ての収入保障保険や定期保険で、必要な期間だけ最安で持つのが賢明だと本書は説きます。アクサダイレクト生命の例では、35歳男性が月18万円の遺族収入を20年間確保する収入保障保険でも、保険料は月約3600円。
都道府県民共済も、決算時の割戻金まで含めれば実質月2000円強で相応の保障を実現できるといいます。本当に必要な保障は、案外あっけないほど安く手に入るのです。
今日から動くなら、この3ステップ
最後に、本書を読んで私が「これは今すぐやる価値がある」と感じた行動を3つに整理します。
1. 自分の公的保障を調べる。 加入している健康保険を確認し、高額療養費制度を使ったときの自己負担上限額と、会社員なら傷病手当金の有無を把握する。漠然とした不安の多くは、ここでかなり消えます。
2. 加入中の保険の払込総額を計算する。 証券を引っ張り出し、これまでに払った額とこれから払う額を合計する。その金額と、いざという時に受け取れる給付金とを並べてみる。割に合わないと感じたら、解約か払済かを具体的に検討する。
3. 浮いたお金をiDeCoかつみたてNISAへ移す。 保険を貯蓄目的で続けているなら、見込みのない契約は早めに止め、手数料に消えていたお金を税制優遇のある制度へ振り向ける。
ここで一つ釘を刺しておきたいのが、本書が「元が取れるまで保険を続ける」という発想を明確に否定している点です。すでに引かれた手数料は、何をしても戻ってきません。
判断すべきは過ぎ去った過去ではなく、これから先のお金の増えやすさです。サンクコスト(埋没費用)に縛られない、という投資の基本がここでも効いてきます。
おわりに
本書を読んで個人的にいちばんこたえたのは、「相談相手」をめぐる指摘でした。保険の営業担当も、保険ショップの店員も、銀行の窓口も、その多くは販売手数料を収入源にしています。
だから自分たちの取り分が減る提案、つまり保険料を減らす提案は、構造上どうしてもしにくい立場にある、というのです。
無料相談ほど、実は「売る動機」が強い。言われてみれば当たり前なのに、すっかり見落としていた構図でした。タダで親身に相談に乗ってくれる、その親切のコストはどこかで回収されている、という当然のことを忘れていたのです。
不安は誰にでもあります。けれど、その不安に値札をつけて売っている人がいることもまた事実です。まずは自分の健康保険の保障内容を、一度だけでいいので調べてみる。保険を見直す一歩は、たぶんそこから静かに始まります。
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