焼肉店で和牛のサーロインを100g平らげても、実際に体に入るたんぱく質はわずか11.7gほどしかありません。残りは脂質が47.5g、水分が40g。「今日は肉を食べたからたんぱく質は足りた」という感覚は、数字で見ると当てになりません。
高たんぱくの代表格とされる鶏ささみも例外ではなく、100gで摂れるたんぱく質はおよそ24g。成人女性が1日に必要とする量は約50gですから、ささみを1本つまんだくらいでは半分にも届いていません。
『一生役立つ きちんとわかる栄養学』は、こうした「なんとなくの思い込み」を一つずつ数値で洗い直していく本です。監修は飯田薫子さんと寺本あいさん。
マンガと図解が主体の作りでありながら、扱う内容はクエン酸回路やアミノ酸スコアといった、大学の生化学講義に出てきそうな専門用語にまで踏み込みます。
取っつきやすさと情報の密度が両立している点が、率直に言って一番の美点だと感じました。

こんな人におすすめ
健康情報を集めれば集めるほど、結局何を食べればいいのかわからなくなっている人に向いています。
- 卵好きなのに、健診のコレステロール値を見て控えるべきか決めかねている人
- 食事の量は足りているはずなのに、午後の集中力が続かない人
- 朝のサラダを習慣にしているわりに、栄養が取れている手応えがない人
- 栄養計算をしなくても、家族の献立の釣り合いを取れるようになりたい人
一方で、すでに腎臓病や糖尿病で食事療法を受けている人には、そのまま当てはめられない助言も含まれます。この点は後半で改めて触れます。
「なぜ体にいいか」を化学反応で説明する本
本書が繰り返し強調するのは、体にいいとされる食べ方には、体内の化学反応という裏付けが必ずあるという立場です。
「『体にいい』のには理由がある」
表紙にはこう記されています。反応の仕組みを知っておけば、次々に現れる流行の食事法に振り回されて右往左往する必要がなくなる、というのが著者の主張です。
もう一つ押さえておきたいのが、栄養素は互いに助け合って初めて働くという考え方です。
「栄養素は単体で作用するものではありません」
ビタミンやミネラルを単品で大量に摂っても、相棒となる別の栄養素が不足していれば仕事が回りません。体にいい成分を一つ探すのではなく、組み合わせで考える発想に切り替えることが、この本を読む一番の収穫です。
用語の整理も丁寧です。「栄養」は生命を維持する営み全体を指し、「栄養素」はそのために取り込む物質そのものを指す。日常では混同しがちなこの二語を分けたうえで、話は進みます。
全体は4部構成です。基礎編で五大栄養素と消化吸収の流れを押さえ、常識アップデート編で卵や油、糖質制限をめぐる思い込みを書き換え、各論編で個々の栄養素の働きを整理し、症状別編で不調ごとの食べ方を提示する。
理論から実践へと段階的に進む作りなので、気になる章から拾い読みしても迷いにくい構成になっています。
消化の流れも丁寧に描かれています。口では唾液のアミラーゼが炭水化物を分解し、胃で軽くどろどろにされたあと、十二指腸ですい液と胆汁がさらに細かく砕く。
小腸の壁を覆う絨毛が表面積を広げて栄養素の大半を吸収し、大腸が残った水分とミネラルを回収したうえで、最後に肝臓が使いやすい形へ組み立て直す。
食べたものが「栄養」になるまでの経路を一度知っておくと、何をどう摂ればいいかの判断がぶれにくくなります。
たんぱく質は、量でも質でもつまずく
冒頭の11.7gが示すのは、量の落とし穴です。食品の重さと、そこに含まれる栄養素の量は別物だという、単純だけれど見落としがちな話です。
もう一つ、質の落とし穴もあります。たんぱく質は20種類のアミノ酸でできており、うち9種類は体内で作れない必須アミノ酸です。本書はこれを、9枚の板を組んだ桶にたとえます。板の1枚が極端に短いと、水はその高さまでしか溜まりません。
白米はリジンというアミノ酸がやや不足していて、アミノ酸スコアは56。そこに、スコア100の大豆製品を組み合わせると、短い板が補われて桶が満たされます。ご飯に納豆という取り合わせは、栄養の理屈から見ても合理的だったわけです。
たんぱく質は肉だけでなく、魚・卵・大豆製品に分散させたほうが、必須アミノ酸の桶が満たされやすくなります。体を作る材料であると同時に、酵素やホルモンの原料にもなるので、偏らせない食べ方のほうが理にかなっています。疲れがたまっているときは、疲労軽減に関わるとされる成分を含む鶏むね肉を選ぶ、という手も本書は紹介しています。
卵・油・生野菜——常識をアップデートする
第2章がおもしろいのは、世間に定着した健康常識を一つずつ検証し直す構成になっている点です。
卵は1日1個までという制限は、もう古い考え方だと本書は説明します。血中コレステロールの大半は肝臓が自前で合成しており、食事から入ってくる量はその一部にすぎません。
摂取が増えれば合成が抑えられるという体の調整機能もあるため、食べた量がそのまま血中の数値に跳ね返るわけではないそうです。ただしこれは健康な人向けの一般論で、すでに高コレステロール血症と診断されている人は、この限りではありません。
医師の指示を優先すべきだと本書も釘を刺しています。
油についても、敵視は的外れだと本書は言います。問題になるのは量よりも種類です。肉の脂身やバターに多い飽和脂肪酸は摂りすぎると悪玉コレステロールを増やす一方、魚や植物油に多い不飽和脂肪酸はむしろそれを下げる方向に働きます。
マーガリンやショートニングに含まれるトランス脂肪酸だけは、はっきり避けるべき側に分類されています。
生野菜が一番体にいい、という思い込みにも修正が入ります。生は熱に弱いビタミンを壊さず摂れる利点がある一方、かさが張って量を食べにくく、体を冷やす面もあります。
加熱すればかさが減って一度に多く摂れ、消化も良くなる。本書が勧めるのは生1に対して加熱2という配分で、これなら1日350gという野菜の目標量も現実味を帯びてきます。
ポリフェノールやカロテノイドといった、植物が紫外線や外敵から自分を守るためにつくる成分——ファイトケミカルの解説も入ります。強い抗酸化作用を持ち、老化や動脈硬化に関わる活性酸素を分解する働きがあるとされていますが、こちらもサプリメントで単体摂取すれば万能というより、日々の食材から幅広く摂る前提の話として読むのが妥当でしょう。
朝食と腸内細菌、見えない代謝の主導権
「朝食を抜けば摂取カロリーが減って痩せる」という発想に、本書は代謝の側から異を唱えます。朝食は脳と肝臓の体内時計をリセットするスイッチで、これが入って初めて自律神経と代謝が動き出す、という理屈です。
抜くとこのスイッチが入らず、体温が上がりにくくなって消費エネルギーが抑えられ、空腹が長引いた分だけ次の食事で血糖値が急上昇しやすくなる。朝食を食べる人のほうがBMIや血糖値が低いというデータも紹介されていますが、これは集団としての傾向であり、個人の体質や生活リズムによる差はあるはずです。
炭水化物とたんぱく質をセットで摂ることが、体内時計を同調させる条件だとされています。
腸の話も本書の読みどころです。腸内には100種類・約100兆個ともいわれる細菌が棲みつき、理想は善玉菌2、悪玉菌1、日和見菌7のバランスとされます。
日和見菌は数で優勢なほうに味方するため、善玉菌をわずかに優位に保つだけで大勢が決まる、という説明は腑に落ちました。気分を左右するセロトニンの多くが腸でつくられ、免疫細胞の多くも腸に集まっているとされる点は、腸を「消化だけの臓器」と見ていた自分の認識を改めさせられました。
整え方は、みそや納豆などの発酵食品で善玉菌そのものを補う軸と、水溶性食物繊維やオリゴ糖でそのエサを補う軸の2つに整理されています。
今日から変える3つの行動と、この本の守備範囲
本書の助言から、無理なく続けられそうな3つに絞って実践してみました。
- 夕食の皿を上から眺め、足りない色を1品足す。白・赤・緑・黄・黒の5色が食卓に揃っているかを目で確認するだけの方法で、5色が揃えば主要な栄養素はほぼ網羅されるという考え方です。
- 翌朝、炭水化物とたんぱく質を必ずセットで食べる。ご飯に納豆、パンに卵。片方だけでは体内時計が同調しないとされているためです。
- 白米を食べる日は、大豆製品を1品添える。アミノ酸スコアの低い部分を補い、同じ量を食べても体が使えるたんぱく質の割合を上げる狙いです。
症状が出てからの対処法も、本書は具体的です。貧血ぎみのときはヘム鉄・非ヘム鉄の違いを踏まえ、ビタミンCと動物性たんぱく質を組み合わせて吸収率を上げる。
胃もたれや二日酔いにはキャベツやシジミに含まれる成分が助けになるとされます。減塩は味を薄めるだけでなく、酸味や香り、旨みで満足度を補えば無理なく続けられる、という工夫も紹介されています。
ただし貧血や胃腸の不調が長引く場合は、食事だけで様子を見ず受診したほうがいい場面もあるはずです。
なお、本書が想定しているのはあくまで健康な人が不調を予防する場面です。慢性腎臓病でたんぱく質やカリウムの制限を受けている人、重度の糖尿病で食事療法中の人にとっては、高たんぱく食材やカリウムを多く含む食材の推奨が、そのまま当てはまらないどころか悪化のリスクにつながりかねません。
治療中の食事は医師や管理栄養士の管轄であり、本書はその手前、病気になる前の領域を担当していると捉えるのが正確です。
読み終えて変わったのは、知識の量よりも、食事を組み立てる順番でした。「体にいい食品」を新たに探し歩くのではなく、今日の食卓にすでにあるものから欠けている色を見つける。
足りないものを探す視点に変わっただけで、次の一皿を選ぶ迷いがかなり減りました。冒頭の11.7gが教えてくれるのは、肉が悪者だという話ではなく、私たちが食べ物を重さだけで判断してきたという事実です。
今夜の食卓を一度上から眺めてみると、欠けている色が1つくらい見つかるかもしれません。
