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『人生から逃げない戦い方』わび|「逃げていい」の先に、別の地獄がある

健康・メンタル ✍ わび
約7分で読めます

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『人生から逃げない戦い方』
目次

「もう無理だ」とすべてを手放したとき、待っていたのは解放感ではなく、底の見えない虚しさだった。

『人生から逃げない戦い方』の著者わびさんは、そう振り返るところから本を始めます。双子が生まれた直後、月200時間規模の残業と、人格まで否定してくる上司の下で働き続け、心身を壊した経験です。元幹部自衛官という肩書きからすると意外なほど、率直な告白から本書は始まります。

タイトルにひねりがあります。「逃げない」と掲げながら、中身は繰り返し「逃げろ」と説く。ただし著者は、逃げ方には当たりとハズレがあると言います。その線引きを、精神論ではなく自衛隊の作戦計画の手順で示してくれるのが、この本の値打ちです。

図解

こんな人におすすめ

本書が効くのは、次のような感覚に心当たりがある人だと思います。

どれも根性や気合いの問題として片づけられがちな悩みです。著者はここに、災害派遣やレンジャー教官から受け取った軍事組織の手順を持ち込みます。机上の理論ではなく、現場で使われてきたやり方だという点が、他の自己啓発書と一線を画しています。

一方で、限界も本人がはっきり書いています。すでに食欲や睡眠に不調が出ている段階の人には、この本の技術は効きません。そこは医療の領分だと、著者自身が線を引いています。この誠実さについては、最後にもう一度触れます。

「我の健在」がすべての前提になる

自衛隊が作戦を立てるとき、目標に必ず添える言葉があるそうです。「我の健在」。戦う部隊そのものが壊れてしまえば、どんなに優れた作戦も実行できない、という考え方です。

これを人生に置き換えると、発想が逆転します。心身の健康は、何かを達成した先にあるごほうびではありません。すべての行動の前提条件です。だから体や心が悲鳴を上げているときにやるべきは、根性で耐えることではなく、まず自分という「部隊」を健在に保つことだと著者は言います。

この考え方自体は、目新しいものではないかもしれません。「まず自分を大事に」という助言は、世の中にあふれています。ただ本書の強みは、その先にあります。

硬い軍事用語を、スライムやRPGのステータス異常、土のうといった誰でもイメージできる比喩に置き換えて、実際の行動手順まで落とし込んでいる。抽象的な心構えで終わらせない設計に、実用性があります。

構成も、自衛隊の作戦計画をなぞっています。まず何につまずいたかを分析し、目指す方向を定め、戦う場所を整え、日々の動き方を決め、人との距離を測り、最後に回復の管理をする。バラバラの処世術の寄せ集めではなく、一つの計画書として読める作りです。

逃げには「戦略的撤退」と「目的の放棄」がある

本書がもっとも紙幅を割くのが、逃げの分類です。

目的を保ったまま手段だけを変えるのが「戦略的撤退」。たとえば資格試験に合格するという目的はそのままに、ペースの合わない予備校をやめて独学に切り替える。傍目には逃げに見えても、実際は合格の確率を上げる判断です。

これに対して、目的そのものを放り出してしまうのが「目的の放棄」。試験勉強自体をやめてしまうケースです。著者はこちらを、じわじわと効いてくる毒にたとえています。

「戦術の失敗は戦略で補うことが可能だが、戦略の失敗は戦術で補うことはできない」

わびさんが自衛隊小平学校で教わったという原則です。日々の細かい判断でつまずいても、目指す方向さえ間違っていなければ立て直せる。でも、目指す方向そのものを見失うと、どれだけ日々の努力を重ねても取り返しがつきません。

冒頭の虚無は、まさにこの「目的の放棄」だったと著者は振り返ります。世の中の多くのメンタル本は「辛かったら逃げていい」で止まりますが、本書は逃げた後に何が来るかまで書く。ここに独自性があります。

ただ、この分類には注意も必要です。渦中にいる本人にとって、いま自分がしている撤退が「戦略的」なのか「目的の放棄」なのかを見極めるのは、実はかなり難しい。

追い詰められているときほど、両者の境界は曖昧になります。著者自身、崩れる直前は見極められなかったはずです。本書を読むだけで判断がつくと期待せず、まだ余裕があるうちに一度立ち止まって考える練習として使うのが、現実的な向き合い方だと思います。

場所を選ぶことも、強さのうちに入る

環境をめぐる章には、本書でもっとも刺さる指摘があります。

割れたアスファルトの隙間に咲く花を見ると、つい「根性で咲いた」のだと思ってしまいます。けれど本書が示すのは別の理由です。まわりに水分や養分を横取りする植物がいない、という環境側の優位のほうが大きい、と。

環境が味方についているから、強く見えるだけかもしれない。「置かれた場所で咲け」という励ましを、劣悪な職場でそのまま実行すれば、枯れるまで我慢する羽目になりかねません。

自分の能力不足を疑う前に、戦う場所の選び方を疑ってみる。「自分の庭」というたとえも、同じ方向を指しています。土壌はこれまで培ってきた価値観、育てる植物はいま大事にしている活動、遠くの風景は目指したい将来の姿。

問題は、他人の庭に咲く花を無理に持ち込んでしまうことです。高い役職も評判も、それが咲いているのは他人の土壌だから。自分の土壌に合わなければ、植えてもすぐ枯れます。

優しさをめぐる考察も、根っこは同じです。著者は過酷な訓練で豹変する自衛官たちを見て、優しさは人格ではなく余裕の余りだと気づきます。空のコップから人に注ごうとすると、脳は見返りを求め、返ってこないと怒りや自己嫌悪に変わる。

だから消耗している日は、他人への親切を後回しにしていい。これも、環境と資源を先に整えるという本書全体の思想の延長線上にあります。

正直に言うと、この章の一部は「言うは易し」でもあります。職場を選べない事情を抱える人は多いはずです。ただ著者は、それを承知のうえで、少なくとも判断基準として持っておく価値はあると説いているように読めます。

今すぐ動けなくても、自分がいまアスファルトの側にいるのか、それとも肥沃な土の側にいるのかを自覚するだけで、次の一手の見え方は変わってくるはずです。

仕事は「分解できるかどうか」で難易度が変わる

第3章の働き方の話も、実務との相性がいい。手をつける前に15分だけ使って、全体を見渡す。上司が何を求めているのか、自分の役割はどこにあるのか、影響が及ぶ範囲はどこまでか。ここを先に押さえてから、初めてタスクに取りかかります。

次に来るのが、仕事を扱いやすい大きさまで刻む発想です。何万字もある報告書も、必要な資料を洗い出す作業、章立てを組む作業というふうに、短時間で片づく単位まで割っていく

分解さえできれば、仕事の見た目の大きさと、実際の怖さは比例しない。得体の知れない大物ではなく、こなせる作業の集合体に見えてくる。

進捗が数字で見えるようになれば、先の見えない不安も和らぎます。

正面から力押しするのではなく、遠回りしてでも損害の少ない道を探す発想も本書らしいところです。スケジュール表にあらかじめ余白の予定を入れておき、突発的な仕事に備える。ここまで手順化されると、精神論に頼らず真似できる範囲がぐっと広がります。

回復は「週単位の決算」で管理する

最終章は補給の話です。著者はここを、補給を軽視して自滅した戦史になぞらえます。どれだけ攻め方が上手くても、回復が追いつかなければ組織は壊れる。仕事も同じ構造だ、と。

管理の単位は週です。1週間で使ったエネルギーと、回復できたエネルギーを比べて、黒字か赤字かを見る。著者自身は睡眠を土台に据え、就寝と起床の時刻を固定して、自分にとってのベストな睡眠時間を把握しています。

赤字が続いたときの奥義が「おうち入院」です。家族に実家へ帰ってもらう、あるいはビジネスホテルを取る。生活音やSNSといったノイズを遮断して、回復だけに時間を使う。強制的に何もしない時間をつくる発想は、意志の力に頼らない仕組みとして機能します。

もう一つ興味深いのが、判断力の目安として著者が挙げる、好物の味の感じ方です。大好物を心から美味いと感じられれば思考力は正常、味がしないなら心身が弱っているサイン。大きな決断は、その日にはしない。

面白い工夫だと思う一方、これはかなり著者個人の感覚に依存する方法でもあります。誰もが好物に対して同じ感度を持っているわけではありません。読者それぞれが、自分にとっての体調のバロメーターを見つける必要があります。

本書の価値は、この具体例そのものより「日々の小さな信号を、決断の可否を測る指標として使う」という発想の型にあると捉えたほうがいいでしょう。

そして、回復をめぐる最後の一手が「土のう」です。

「災害に備えて脆弱なところには土のうを積むだろ? ひとつひとつはただの砂が入ったちっぽけな袋だ。だが、それを丁寧に積んでいくと、多少のことではびくともしなくなる壁になる」

レンジャーや空挺の徽章を持つ教官が、著者に語った言葉だそうです。100%クリアできる小さな約束を、毎日積み重ねる。結果ではなく「守れた」という事実の蓄積が、理不尽に耐える壁になる。

派手さのない結論ですが、著者がこの本を通して一貫して主張してきたことの縮図でもあります。強さは、気合いで手に入れるものではなく、環境と手順を整えて積み上げるものだ、と。

本書には、母親と「生きるための本を出したいね」と語り合っていたエピソードが挟まれています。その母親が亡くなった年に、本書は世に出ました。軍事用語だらけの一冊なのに、読後感がどこかあたたかいのは、この背景と無関係ではないはずです。

すでに不眠や食欲不振といった不調が出ている人には、本書の技術は届きません。著者自身がそう明言しています。それでもまだ「がんばれば何とかなる」と根性で押し切ろうとしている段階の人には、いったん立ち止まって現在地を確認する道具として、十分に機能する一冊です。


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