「クリエイティブな仕事なんて、自分には縁がない」。そう思い込んできた人ほど、この本にいい意味で裏切られる。ユニクロや楽天のロゴを手がけたアートディレクター佐藤可士和は、クリエイティブを絵の才能でも特別なセンスでもなく、「創造的な考え方で問題を解決していくこと」と定義する。
主婦が家事の段取りを工夫するのも、太古の人類が火を使い始めたのも、根っこは同じクリエイティブだと言い切る。
本書はその「考え方」を18のテーマに分けて解いていく一冊だ。編集部として面白いと感じたのは、佐藤が一番読ませたい相手を「自分にはセンスがないから無理」とあきらめている層に定めている点である。
才能の有無ではなく、頭の使い方の問題へと土俵を移し替える。その一手が、この本の射程を一気に広げている。
ひとつ先に断っておくと、登場する事例の多くは2010年以前のものだ。著者自身も事例はどんどん古くなると認めている。ただ、そこから抜き出される思考のほうは時代に左右されにくく、AIが進むほど人間にしか残らない力として価値が上がる——という見立ては、いま読むとかえって説得力を増している。
「そもそも、これでいいのか」——すべては前提を疑うことから始まる
佐藤の思考法は、一本の背骨で貫かれている。過去の慣習や業界の常識を「これでいいのか」と問い直すことだ。ここを外すと、物事はダイナミックには変わらない。
ただし彼が念を押すのは、疑うことは頭ごなしに否定することではない、という点である。冷静な眼で、さまざまな角度から観察して検証する。円錐を横から見るか上から見るかで形がまるで違って見えるように、多面的に眺めて初めて対象の正確な姿がつかめる。
引かれるのはエジソンだ。子どもの頃から「なぜ」を連発して大人を困らせ、「1+1=2」という単純な式にすら疑問を抱いた。その姿勢が数々の発明を生んだと紹介される。
ガリレオの地動説も、アインシュタインの相対性理論も、当たり前を疑うところから始まっている。クリエイティブの出発点は、絵を描く手ではなく、前提を疑う視線のほうにある。
この主張自体は、正直それほど目新しくない。批判的思考の教科書ならどこにでも書いてある話だ。編集部が本書の実装力を買うのは、その先の一歩が具体的だからである。
いきなり公の場で前提を疑う勇気がなければ、まず身近な人に「これって、そもそもおかしくない?」と素朴に聞いてみればいい。疑いを大仰な作法ではなく、日常の雑談の高さまで下ろしてくる。
この地に足の着いた降ろし方が、佐藤の本の持ち味だ。
相手の「本意」を引き出す問診力と、頭の中を紙に出し切る整理術
考え方の次に来るのが、他人とどう向き合うかだ。佐藤はアートディレクターの仕事を医者になぞらえる。患者の症状を聞き出すように、クライアント自身もうまく言葉にできない「本意」を引き出す。
これを彼は「問診力」と呼ぶ。相手の頭の中にあるものを言語化して取り出す、いわば思考の情報化の作業だ。
コツは、仮説をぶつけることだという。「あなたが本当に言いたいのは、こういうことですか」と投げかけ、ズレていれば直す。カメラのピントを合わせるように、互いのイメージの誤差を詰めていく。
議論が行き詰まったら、あえて極論を口にする。極端な言葉が相手の前提を揺さぶり、本当に必要なものを浮かび上がらせるからだ。その根に置かれているのが相手へのリスペクトで、尊敬さえあれば何を言っても関係は壊れない、と佐藤は信じている。
ここは性善説にすぎるとも読めるが、少なくとも彼の実務はこの信頼を土台に回ってきたのだろう。
頭の中がこんがらがったときの処方箋も、拍子抜けするほど素朴だ。気持ちを紙に書き出す。カバンの中身を全部ぶちまけるように、頭の中を残らず外へ出す。
抽象的だった悩みが具体的な文字になり、自分を客観的に眺められて、思わぬ解決策が見つかる。イライラやモヤモヤが目に見えて減ったという自身の経験も語られる。
手を動かして紙に書くというアナログの手ざわりが、じつは本書の後半のテーマとも静かに響き合っている。
「見立て」と「絵」で本質を伝え、記憶に「タグ」を付けて引き出しを増やす
伝える技術として本書が強く推すのが「見立て」だ。あるものを別の何かになぞらえて本質を伝える、日本の伝統的な表現である。茶の湯は朝鮮の日用雑器を茶碗に見立て、釣り用の魚籠を花入れに使った。
枯山水は石と砂で水の流れを表し、落語家は扇子一本を箸にも筆にも見立てる。佐藤は、美術という共通言語が通じない相手に自分の仕事を説明するとき、この力を痛感したという。
職能を「コミュニケーションのお医者さん」と喩えるだけで、抽象的だった仕事が一気に伝わる。異分野でも深く掘れば共通点が見つかるので、見立ての訓練はそのまま伝える力の訓練になる。
もう一つの武器が絵だ。言葉より一枚のビジュアルのほうがコンセプトを速く届けることがある。NTTドコモのキッズケータイでは「守る」という思想を繭のかたちの光るスケッチ一枚で提案し、ユニクロのロゴでは「革新的でありたい」という意志を赤い三角形に託した。
うまい下手は関係ない。シンプルな絵が持つ情報量と、直感に届く速さが効く。
その表現力を支えるのが、記憶の使い方だ。気になるものに出会ったら、脳に「タグ」を付けてしまう。佐藤はパリで見たクロムメッキの消火器に「クロムメッキ」というタグを付け、その記憶がのちに化粧液の容器をトリガー式にするアイデアへつながった。
タグとはものの見方そのもので、多方向から分析するほど引き出しが増える。面白いのは、嫌いなものにもタグを付けろという話だ。「なぜ嫌いなのか」を掘るほうが高度な訓練になり、視点が多角的になるという。
そしてプレゼンテーションについて、佐藤の定義ははっきりしている。プレゼンは相手を説得する場ではなく、共感を得る場だと佐藤は言い切る。相手を論破してもいい仕事は生まれない。
今治タオルのブランディングで彼が軸に据えたのも、自ら感動した「吸水性」という本質的な価値だった。
リサーチよりリアリティ、そしてデザインは飾りではなく「ソリューション」
第2部はビジネスへの応用に降りていく。中心にあるのが「リアリティ」という言葉だ。情報が飽和し人の好みが多様化した時代、マーケティングデータだけでは世の中が求める感覚を捉えきれない。
そこで効くのが、人間の根源に訴えるリアリティだと佐藤は言う。キリンビールの企業CMで、彼は台本も演出も用意せず、歌舞伎役者の親子のリアルな会話をそのまま流した。
ぶっつけ本番で撮った「親子の絆」が大きな反響を呼ぶ。調べ尽くしたデータより、本物の手ざわりのほうが人を動かすという賭けである。
リアリティをつかむもう一つの視点が「お茶の間目線」だ。企業の言う「お客様目線」が買ってくれそうな人へ寄っていくのに対し、お茶の間目線は世間全体のクールで無関心なまなざしを指す。
佐藤は相談を受けるとき、あえて予備知識を持たないようにする。業界の常識に染まらない目で問題点を見つけるためだ。紳士服のスーツセレクトでは一客として試着し、「品質は高いのに構成がわかりにくい」という率直な違和感が、そのまま「リアルスーツ」というコンセプトの起点になった。
専門家になるほど失われがちな「素人の違和感」を、佐藤は意識して武器に温存している——ここは実務家にとって示唆が深い。
第2部にはほかにも応用の勘どころが詰まっている。ひとつはメディアの捉え直しだ。テレビや新聞という枠を超え、商品が並ぶコンビニの棚も、街そのものもメディアになりうる。
もうひとつが「ストーリー」で、佐藤は個々の中身である「コンテンツ」と、それらがつながった文脈である「コンテクスト」を分ける。バラバラの点を一本の物語へ結び直すと企業の輪郭が鮮明になり、消費者の信頼を得やすくなる。
以前は建築物のように三次元で捉えていたブランディングが、時間軸を得て四次元で扱えるようになった——彼はそう表現する。
そして本書でもっとも射程が広い主張が、デザインの再定義である。デザインを「表面を美しく飾ること」と捉えるのは狭すぎる、と佐藤は言う。彼の定義では、デザインとは問題を解決するために思考や情報を整理し、コンセプトを導き、最適な形にして価値をわかりやすく伝える行為だ。
デザインとは表面を飾ることではなく、問題を解決して価値を伝えるための「ソリューション」である。ここで引かれるのがコラムニスト天野祐吉の言葉だ。
「外見は一番外側の中身なんです」。見た目は中身と切り離された表層ではなく、中身が一番外へ出てきたものだ、という含意である。iPodやiPhoneが世界を席巻したのは機能だけの力ではなく、製品からインターフェース、店舗まで一貫した哲学がデザインを通して伝わったからだ、と佐藤は読む。
だからこそデザインは、経営や商品の戦略に組み込むべき武器になる。
仕事と人生を「リンク」させる——考え方は働き方や休日にまで及ぶ
第3部で、視点はいよいよ生き方まで広がる。まず佐藤は働き方そのものをデザインする。空間が行動を変え、行動が意識を変えるという循環を信じ、楽天のオフィスでは独立した会議室を減らし、随所にクイックに打ち合わせできる場所を設けた。
緊張とくつろぎのバランスが、創造的な発想を促すという読みだ。
オンとオフも無理に分けない。休暇と仕事をリンクさせておくと情報が循環し、アイデアの源になる。佐藤はランニング中に「携帯に万歩計があればいい」と思いつき、それがドコモのスポーツケータイのデザインへつながった。
何か一つに深く没頭することも勧める。スノーボードで「バランス」の大切さを体感し、音楽に打ち込んで「作曲と絵を描くことは同じだ」と気づく。深く入り込むほど時代に左右されない本質に届き、その本質は他分野へ応用が利く。
そしてデジタル全盛のいま、あえてアナログ感覚を取り戻す。会員制の貸し農園で土をいじり、相模湾でカツオの一本釣りを体験する。ネットで何時間も調べるより、実際に土に触れるほうが質も量も上の情報が得られる、という身体論だ。
読み終えて残るのは、クリエイティブを一部の才能ある人から取り戻す、という一貫した姿勢である。前提を疑い、相手の本意を聞き、本質を見立てて伝える。
その積み重ねが、絵の描けない人にもできるクリエイティブだと佐藤は言い続ける。手始めに、自分がいちばん「当たり前」だと思っている前提を、たった一つだけ疑ってみる。
この本の実践は、結局そこからしか始まらない。
