難しいパズルを前にした10歳の男の子が、こう言い放ったそうです。
「ぼく、なかなかとけない問題って、だいすき!」
たいていの人は、解けない問題を前にすると身構えます。できなかったら恥ずかしい、自分の頭の悪さがバレる、と。ところがこの子は、手強い問題をごちそうのように喜んだ。スタンフォード大学の心理学者キャロル・S・ドゥエックさんは、この一言に研究人生を賭けるほどの発見を見ました。
本書の出発点は、拍子抜けするほどシンプルです。人の能力に対する「信じ方」には2種類あり、その差が人生の結果を分けている。たったそれだけ。けれど、この2種類の世界に住む人は、同じ出来事からまるで逆の結論を引き出していきます。

「固定」か「伸びる」か、たった一つの分かれ道
ドゥエックさんが20年かけて取り出したのが、2つのマインドセット(心のあり方)です。
ひとつは硬直マインドセット。能力は石版に刻まれたように固定で、生まれつき決まっていて変えられない、と信じる立場。もうひとつはしなやかマインドセット。能力は努力や経験で伸ばせる、と信じる立場です。
ここで強調しておきたいのは、本書が「ポジティブに考えよう」とは一言も言っていないことです。書店に並ぶ多くの自己啓発が気合いや前向きさを処方するなか、ドゥエックさんは「自分の能力をどう信じているか」という一点だけを問います。
気分でも性格でもなく、信念。だからこそ後天的に書き換えられる、というのが本書の希望のありかです。
能力そのものではなく、能力に対する「信じ方」が結果を左右する。この視点の転換が、本書の全体を貫いています。
同じ言葉なのに、見えている世界が逆転する
面白いのは、2つの世界では「成功」「失敗」といった言葉の意味がまるで違うことです。
硬直の世界で成功とは、自分の賢さや才能を証明すること。人より優れていると示せれば勝ちです。一方しなやかの世界で成功とは、新しいことを習得し、昨日より成長すること。比べる相手が他人ではなく過去の自分になります。
失敗の意味も入れ替わります。硬直の世界では、つまずきは能力不足の動かぬ証拠であり、自分に「敗北者」のレッテルを貼る瞬間です。しなやかの世界では、失敗とは成長を止めること、可能性を発揮しようとしないことを指す。ドゥエックさんはこう書きます。
「思いどおりにいかなくても、いや、うまくいかないときにこそ、粘りづよい頑張りを見せるのが『しなやかマインドセット』の特徴だ。」
ここで意外な研究結果が出てきます。自信家ほど自分の実力を正しく見積もっていそうですが、実際は逆でした。能力は伸びると信じる人のほうが、自分の長所も限界も驚くほど正確に把握している。
伸ばすには現在地を知る必要があるからです。裏を返せば、固定だと信じる人は、自分を守るために実力を歪めて見てしまう。評価から目をそらすほど、成長から遠ざかるわけです。
なぜ一度のつまずきが「自分はダメ人間」になるのか
本書で最も身につまされるのが、失敗の扱い方です。
ドゥエックさんは「さんざんな1日」を想像させます。テストで赤点、駐車違反の切符、親友に電話したらそっけない。硬直マインドセットの人は「自分は完全なダメ人間」「世界は不公平だ」と絶望し、投げやりになります。
しなやかな人も落ち込みはするものの、「次はもっと準備しよう」「友人は何か嫌なことがあったのかも」と、行動を変える方向へ舵を切る。
差を生むのは一点だけ。硬直マインドセットでは、失敗が「出来事」ではなく「自分という人間を定義するラベル」に膨らむのです。
「失敗した」が「私は失敗者だ」にすり替わる。けれど著者は言い切ります。失敗したからといって失敗者になるわけではない、それは立ち向かい、取り組み、教訓を得るべき対象なのだ、と。
対比として持ち出されるのが、テニスのマッケンローとバスケのジョーダンです。マッケンローは才能至上を信じ、敗因を常に外に求めました。コートが悪い、観客がうるさい、と。
結果、持てる才能を出しきれずに終わります。ジョーダンは高校で代表から外された挫折を抱えながら努力を積み、自らシュートを9000回外し、300試合に負け、勝負を決める一投を26回外したと数えてみせた。
失敗を直視できる人が、史上最高の努力型選手になったという皮肉です。
努力を「恥」だと感じてしまう人たち
もうひとつ反直感的なのが、硬直マインドセットの人は努力を嫌う、という指摘です。
彼らの理屈では、努力は才能の欠如を白状する行為だから。天才なら最初からできて当然で、頑張らなければならないのは出来が悪い証拠だ、と。だから人前で必死になることが恥ずかしい。「ガリ勉だと思われたくない」という、誰もが一度は覚えのある感覚の正体がこれです。
しなやかの世界では真逆で、努力こそが人を有能にする燃料です。本書は、才能は放っておけばそのままで、努力して初めて火がつく、と書きます。ここで「潜在能力」の意味も再定義されます。
潜在能力とは、すでに備わった才能の量ではなく、時間をかけて技能を伸ばしていく力のこと。だから一回のテストで将来は読めません。テストは現在地を測るだけで、伸びしろまでは測れないのです。
天才と呼ばれる人ほど裏で膨大に努力している、という例も豊富です。モーツァルトが名曲を生むまでに10年、エジソンは助手を30人雇って何年も実験を重ねて電球にたどり着いた。
個人的に忘れがたいのはレスラーのパトリシア・ミランダで、ぽっちゃり体型で負け続け、からかわれながらも努力を続け、アテネ五輪で銅メダルを取り、その足でイエール大学ロースクールへ進みます。
才能ではなく「伸ばせると信じる力」が彼女をそこまで運んだ、という読み方です。
「頭がいいね」が、子どもをダメにする
個人の話を、本書は子育てへとつなげます。ここが最も実証的で、最もゾッとする部分です。
子どもたちを2グループに分け、テストのあとで一方は「頭がいいね」と能力を、もう一方は「頑張ったね」と努力を褒めました。たったこれだけの違いで、その後の行動が割れます。
能力を褒められた子は難問を避けるようになり、成績が落ちた。しかも、約4割が自分の点数を高く偽って報告したというのです。賢く見せたいがために、10歳前後の子が嘘をついた。
努力を褒められた子は逆に、9割が新しい難問を選び、成績を伸ばしました。著者の調査では8割以上の親が「自信をつけるには能力を褒めるべき」と答えていたそうで、良かれと思った言葉がそっくり逆効果だった、という皮肉が刺さります。
「ほめるときは、子ども自身の特性をではなく、努力して成し遂げたことをほめるべきだ」
理由は明快です。「頭がいいから褒められた」と学んだ子は、賢いという評価を守るために、失敗しそうな挑戦を避ける。脳は使うほど育つのに、その回路ごと閉じてしまう。
実際ドゥエックさんたちが中学生に脳の可塑性を教える対話型プログラム「ブレイノロジー」を行うと、学習意欲も数学の成績も上がったといいます。私はこの章を、子育て中でなくても部下や後輩を持つ人全員に読んでほしいと思いました。
「センスあるね」より「あの段取りがよかった」のほうが、人を伸ばすのです。
才能を崇める組織は、自分の手で崩れる
マインドセットは組織にも宿ります。本書後半はビジネスリーダーの解剖に多くを割きます。
危ういのは「才能偏重」の文化です。象徴がエンロン。才能至上の空気のなかで社員は欠点を直視せず、ミスを隠し、嘘を重ね、ついには不正経理で利益を偽装して崩壊しました。
自己修正能力を失った組織の末路です。リーダー個人も同型で、完璧だと思われたいあまり批判者を遠ざけ賛美者で周りを固める「CEO病」に陥る。クライスラーのアイアコッカは成功後に同じ型の車を作り続け、自分への批判を退け、社長室の改装に200万ドルを注いだといいます。
イエスマンに囲まれた組織は「集団浅慮」に流され、重大な判断を誤ります。
対照的に、会社を飛躍させたのは謙虚で目立たないリーダーでした。IBMを立て直したルー・ガースナーはエリート主義を廃してチームワークを重んじ、ゼロックスのアン・マルケイヒーは170億ドルの負債を抱える会社で猛勉強し、誠実さで黒字化を成し遂げた。
極めつけはチャーチルで、悪い知らせをそのまま自分に届ける専門部署をわざわざ設けたといいます。耳の痛い現実から逃げないための仕掛けで、ここまでやるかと唸らされました。
なお本書は人間関係にも触れ、しなやかな人は「良い関係にも対立はあり、続けるには互いの軌道修正が要る」と捉える、と書きます。能力だけでなく、関係も伸ばせるものなのです。
知って終わらせないための、3つの実践
最後に、本書が示す具体的な行動を3つに絞っておきます。
ひとつ、失敗したときの内なる声を言い換える。「自分はダメだ」が聞こえたら止めて、「ここから何を学べるか」と問い直す。まずその評価の声に気づくことが出発点だと著者は言います。
ふたつ、褒めるとき「才能」を禁句にする。「頭がいいね」をやめ、「あの工夫がよかったね」と努力の中身を具体的に言う。漠然と「頑張ったね」で済ませず、どこがよかったかまで言葉にするのがコツです。
みっつ、毎朝ひとつ、成長のチャンスを書き出す。「今日どんな学びと成長の機会があるか」を問い、「いつ・どこで・どう実行するか」まで落とし込む。成長の機会は特別なイベントではなく、日々の中にこそある、というのが本書の立場です。
注意したいのは、本書がポジティブ思考やお手軽なライフハックの本ではないことです。実証研究と人物伝が中心で、即効薬を期待すると肩透かしを食らう。けれど「自分の能力をどう信じているか」を一度疑ってみる価値は、年齢も職業も問わずあります。
「変わりたいと願い、変わることを決意し、具体的な行動を起こさなければ、可能性のままで終わってしまう。」
今日、誰かを褒める場面がきっと一度はあります。そのとき「才能」と言うか「工夫」と言うか。その一語の選択から、変化は静かに始まります。
合わせて読みたい
『才能の正体』坪田信貴さん 「才能は結果が出てから作られる物語だ」という主張は、本書の「潜在能力は伸ばす力のこと」という再定義と響き合います。才能を固定でなくプロセスとして捉え直したい人に。
『HIDDEN POTENTIAL』アダム・グラントさん 「才能がない」と思われた人が成果を出すメカニズムを描いた一冊。しなやかマインドセットが現場でどう力を発揮するかを、具体的な事例から深掘りできます。
「才能がない」は、ほぼ嘘である 才能という言葉に縛られて挑戦をやめてしまう心理を扱ったコラム。本書の「努力を恥じる硬直マインドセット」をより身近な目線で考えたい人におすすめです。
