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『年収90万円で東京ハッピーライフ』大原扁理|稼がない自由という選択肢

キャリア・働き方 ✍ 大原扁理
約9分で読めます

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『年収90万円で東京ハッピーライフ』
目次

年収90万円。週休5日。家賃2万8千円。しかも場所は地方ではなく、東京です。

この数字の並びを見て「無理に決まっている」と反射的に思った人ほど、本書に揺さぶられます。著者の大原扁理さんは、20代で社会の競争レースから静かに降り、自ら「隠居」と名づけた暮らしを始めました。

週に2日ほど介護の仕事をして、残りは図書館に通い、白湯を飲み、ぼーっと過ごす。文字にすると貧しさと苦労の話に聞こえます。ところが本人は、毎日がハッピーすぎて困っている、と言ってのけるのです。

ここで起きていることは、節約の成功談ではありません。お金を増やしたわけでも、特別な才能で稼いだわけでもない。むしろ稼ぐのをやめた。それなのに自由になった。この一見矛盾した結果がなぜ成立するのか、衣食住の細部から死生観まで、要点を端折らずに追っていきます。

図解

こんな人に効く本

週5で働き、満員電車に揺られ、それでも口座残高に追われている。そんな生活のなかで、ふと「これは何のためなんだろう」と立ち止まった経験がある人。本書はそういう人の足元を、優しく、しかし確実に崩しにきます。

やりたいことが見つからず焦っている人にも刺さります。著者は「やりたいことなんてわからなくていい」と最初に言い切ってしまうので、探し疲れた人ほど肩の力が抜けるはずです。

一方で、働くこと自体が好きな人や、にぎやかな人間関係がないと寂しい人には、そのまま当てはまりません。著者自身が「隠居は万人向けではない」と正直に書いています。

本書は万能の処方箋ではなく、「降りる」という選択肢が確かに存在する、という事実を一人の実例で見せる本だと理解しておくのが正確です。

この本が本当に言っていること

要点を一行に圧縮すると、こうなります。何が幸せかは、世間ではなく自分の「実感」で決める。

ここでいう「実感」とは、他人の評価や世間の常識ではなく、自分が今この瞬間どう感じているかという内側の感覚を指します。進学した方がいい、就職した方がいい、年相応に貯金した方がいい。

そうした「ふつう」をいったん全部脇に置き、自分が本当に快適かどうかだけを物差しにする。それが隠居という生き方の土台です。

注目したいのは、著者がこの境地に最初から思想として到達したわけではない点です。きっかけは都内のコンビニのアルバイトでした。忙しすぎて心身をすり減らし、便利な都心で身を粉にして働くことへの違和感が膨らんだ。

その生身の実感が出発点になり、家賃の安い郊外で必要な分だけ働く生活へと選び直しただけなのです。立派な哲学からではなく、疲れという身体感覚から始まっている。

だからこそ説得力があります。

以下、この生き方を支える4つの柱――価値観、目標の置き方、衣食住、そして時間とお金の設計――を順に見ていきます。

「実感」を世間より上に置く

著者の1日は、変化と刺激と生産性を、わざと締め出すように設計されています。

朝は冷暖房を使わず自然に気温が上がるのを待ち、白湯を飲み、ラジオ体操をして太陽に手を合わせる。図書館を「自分専用の大きな本棚」と呼んで何冊も並行して読み、著作権の切れた古い映画をただで観る。

生産性という尺度で測ればゼロの一日です。けれど本人にとっては、これ以上ない豊かさだと言います。生産性を上げることが善だと刷り込まれた現代人には、この居直りそのものが新鮮に映るはずです。

その中心にあるのが「実感」という基準です。著者はこう書いています。

「どうすれば自分が幸せか?」を、他の誰でもなく自分自身が知っていることじゃないかな。

当たり前のようでいて、多くの人がこの主導権を手放しています。みんなが進学するから、みんなが結婚するから、みんながマイホームを買うから――その「みんな」を物差しにした瞬間、自分の感覚は後回しになる。

著者は、外注してしまった幸福の判断基準を、ひとつずつ自分の手に取り戻していったのです。

面白いのは、この姿勢が娯楽の話で終わらないことです。健康法でも食事でも、テレビや他人の情報を鵜呑みにせず「必ず自分で実感するというステップを踏む」と言います。情報があふれる時代における、地味ですが芯の強いリテラシーだと言えます。

「好きなことで生きていく」を捨てる

本書でもっとも刺さるのが、目標の置き方をめぐる一節です。

大事なのは、「好きなことで生きていく」じゃなくて、「イヤなことで死なない」。それぐらい目標を下に置いとけば、とりあえず絶望はしなくてすみます。

夢を持て、好きを仕事に。そう言われ続け、見つからずに苦しんでいる人は少なくありません。著者はそのハードルを、地面すれすれまで引き下げます。やりたいことを掲げるのではなく、やりたくないことを避ける。それだけで絶望は回避できる、と。

しかもこの発想は実行しやすい。やりたいことは曖昧でも、やりたくないことだけは意外と即答できるものだ、と著者は指摘します。だから選択に迷ったら消去法を使う。

目の前の選択肢から「これは無理」を順に消し、残ったものを「まあガマンできるかな」で選ぶ。著者が介護の仕事を続けているのも、夢だからではなく、この消去法の結果でした。

情熱から逆算するのではなく、嫌悪から逆算する。発想の向きが世間と真逆なのです。

この「他人の基準から降りる」姿勢は、人間関係にも一貫します。著者は18歳で交友関係をいったん断ち、「自分自身が一番の友達」という考えに行き着きました。友達は学校という閉鎖環境を生き抜くために一時的に要るだけで、大人になればいなくても問題ない、とまで言い切ります。

いじめについても、無理にきれいごとにはしません。辛い記憶はただ辛いだけで、慣れる必要も、無理やり肯定する必要もない、と。ただし、いじめはずっとは続かない。

逃げ続けていい。比べる場所には行かない。どうしても離れられないなら無表情の「壁」になる。励ましというより、実際に使えるサバイバル術として提示されているのが特徴です。

個性のとらえ方も独特です。個性とは人と違う奇抜なことをするものだと思われがちですが、著者は逆を言います。

個性というのは、その人がその人であること、この一点に尽きます。それはとても無意識で、無作為のことです。

個性は作り出すものではなく、ただ自分をやっていれば勝手に滲み出るもの。だから「個性をほっとく」。ここでも筋は一本通っていて、外側の基準に合わせにいかない、という一点に集約されます。

1日300円の食事が、なぜ自由につながるのか

ここから生活の実装に入ります。著者の衣食住は、手間とお金を削る方向に徹底して最適化されています。

食事の中心は「粗食」です。朝は野菜スープ、昼は麺類、夜は玄米・味噌汁・たくあん。これで1日の食費が約300円、月にして1万円ほど。背景にあるのは日本古来の食養の知恵で、野菜を皮や葉まで丸ごと食べる「一物全体」、自分の住む土地で育ったものを食べる「身土不二」が下敷きになっています。

流行のカロリー計算に振り回されず、昔ながらの考え方に戻っただけ、という整理です。

意外なのは結果のほうです。この質素な食事のおかげで、逆に毎日快便で肌の調子もよく、すこぶる健康だと言う。1日30品目を頑張る必要はなかったわけです。

さらに著者は食を出費ではなく投資として捉え直します。今日食べるものが10年後の健康を作ると思えば、少し良い食材で自炊する方が結果的に安い、と。

安さの追求が、長い目で見た健康戦略に裏返るところが巧みです。

衣も同じ発想です。流行を追うのをやめ、ライフスタイルに合った定番を固定する。これを「自分スーツ」と呼びます。同じ服を複数枚買い、毎朝のコーディネートに悩まない。

著者にとってファッションは服を着るだけの行為ではなく、どこに住み何を食べ誰と話すか、その土台の上に建つもの。だから土台を整えれば、服選びは自然とシンプルになるのです。

住まいは、いきなり理想を狙いません。著者は「部屋と恋人は似ている」と表現します。まず平均的な物件で暮らしてみて、自分にちょうどいい水準を体で把握してから、本当に快適な家を見つける。

その結果が、家賃下限を2万円に設定して探し当てた、東京西部・多摩地区の家賃2万8千円のワンルームでした。以前のシェアハウスは月7万円以上。半額以下への移行です。

将来の不安を、今の暮らしで溶かす

最後の柱が、時間とお金、そして死生観です。ここで隠居の全体像がつながります。

著者の労働は週に2日ほど。なぜそれで足りるのか。答えは単純で、生活費を下げたからです。手順はこうです。物欲を減らす、工夫して暮らす、必要なものだけを買う、月の最低生活費を把握する、そこから週に何日働けばいいかを逆算する。

家賃2万8千円、共益費1500円、固定費1万5千円、食費1万円。少しの遊び代を足して月7万円ほど。この金額を稼ぐのに、週5日はいらなかった。

たくさん働くために生活を支えるのではなく、生活を小さくして働く量を減らす。順番が世間と逆なのです。年収100万円以下なので住民税は免除、年金も全額免除を申請しています。

ただし、それを目当てに隠居しているわけではなく、本が売れてお金が入れば喜んで払うつもりだ、と添えている点も誠実です。

では老後の不安はどう処理するのか。著者は先のことを考えすぎません。

10年後って、10年後にいきなりやってくるわけじゃないんです。(中略)小さな取捨選択を1万回、2万回と繰り返して、その積み重ねの先にやってくるもんなんです。

無防備なわけではありません。生活費の半年分の貯金はある。それ以上に重視するのは、お金という一つのカゴだけに頼らないことです。時間、少ないけれど大切な友人、実家の家族、地域のつながり。

複数の拠り所を分散して持つことが、精神的な安心の正体だと言います。資産形成とはまた別の、関係性によるセーフティネットの発想です。

お金との付き合い方も、どこか人間くさい。著者はアニミズム的な感覚から、お金を擬人化して考えます。自分が大きなお金だったら、ギャンブルなんかに使われたくない。

そう想像すると、自然とお金を大事に使うようになる、と。家賃2万8千円を1時間あたりに割ると約39円。そうやって細かく実感に落とすから、数字が他人事になりません。

そして隠居生活の最大の敵とされる「退屈」。著者はこれを想像力と創造力で乗り越えます。退屈は外にあるのではなく、人の心の中にしかない。散歩がてら野草を採る、図書館に行く、ぼーっとする。

お金のかからない娯楽はいくらでもある。やるべきことを誰にも強制されない時代に生まれた以上、自分の楽しみは自分で作り出すしかない、と言うのです。

スコーンに塗るための刷毛のような、効率では説明できない「愛すべきムダ」を、著者は大切にします。生活のすべてを合理性で埋めないこと。その余白こそが心を豊かにする、という結論です。

読んで終わらせないために

要約を読んで満足する前に、本書の提案から3つだけ手を動かしてみることをすすめます。

ひとつ目は「やりたくないことリスト」を書き、1つを生活から外すこと。やりたいこと探しはいったん休み、仕事・人間関係・習慣の中で「どうしても嫌なこと」を書き出す。そのうち1つを今週、外すか距離を置く。消去法は、やりたいこと探しより着手が圧倒的に軽い。

ふたつ目は、家賃・食費・固定費を書き出して月の最低生活費を出すこと。仕事を減らす前に、まず数字を出す。最低いくらで暮らせるかがわかって初めて、「週に何日働けば足りるか」が見えてきます。

みっつ目は、スマホを置いて30分ぼーっとすること。情報を遮断し、目的を持たずに過ごす30分を作る。最初の失敗はたいてい、ぼーっとするつもりがスマホを見てしまうこと。だから物理的に手の届かない場所へ置く。

読み終えて残るのは、節約術ではありません。「自分は何があれば快適なのか」を自分の実感で測り直していい、という許可証のような感覚です。年収でも肩書きでもなく、今日この一日が機嫌よく過ぎたかどうか。

その物差しを試したくなったら、まずは月の最低生活費を紙に書き出すところから始めてみてください。


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